2026年5月25日、名古屋港に大型タンカー「出光丸」が入港しました。この船は、緊迫する中東情勢で封鎖されたホルムズ海峡を初めて通過し日本に原油を届けました。
ホルムズ海峡が封鎖のきっかけは、3か月前の2月28日に始まったアメリカとイスラエルによるイラン攻撃です。それに対抗する形で、イランは原油輸送要所のホルムズ海峡を封鎖しました。これにより中東からの石油輸出が滞り、日本を含めた世界各国で大きな影響が出ています。
1. 出光丸快挙は「日章丸事件」
を想起
厳戒下の石油輸送は、1953年の「出光日章丸事件」を想起させます。
第二次世界大戦後の石油業界はメジャー(国際石油資本)に支配され、イランの石油資源は英国のアングロ・イラニアン(現BP)の管理下で、イラン国民が恩恵を受けない中、当時のモサデク政権は1951年に石油の国有化を宣言しました。しかし英国は反発しペルシャ湾に軍艦を派遣して海上封鎖、イタリアのタンカーが拿捕される事件が起きました。
戦後日本で、外資と連携しない民族系の経営を進めていた出光佐三氏は熟慮の末『①窮地に立つイランの救済、②メジャーへの反発、③石油の安定確保』 の観点から、イラン石油輸入を決断、当時一隻しか所有していない外航船「日章丸」を神戸港から極秘裏に出港させました。日章丸は無線を切るなどしてアバダン港に入港し、ガソリンと軽油2万2000キロリットルを積み込み、英軍の監視をかいくぐり、昭和28年5月9日、無事に川崎に帰港しました。英国は「日章丸の積み荷は英国の物だ」と積み荷の差押え裁判に訴えますが、佐三氏はさっさと川崎油槽所に揚げ荷させ、すぐに治外法権の太平洋に出航させイランに向わせます。裁判は出光の勝利で、出光は石油メジャーの支配を受けない安価な良質のガソリンを国民に供給することになりました。
その直後、英米両国はCIAを使ってモサデク政権を転覆しパーレビ国王体制を樹立しましたが、イラン国民の生活レベルは向上せず、ホメイニ師によるイラン革命が起きます。 こういう歴史的経緯を経て、現在の米・イランの凄まじい敵対関係が継続しています。
他方、巨大な石油メジャーに挑戦した出光興産の快挙は、敗戦から復興に向かう日本人に大きな勇気を与えました。イランでは今も「日章丸事件」が語り継がれ、日本への好印象の理由になっています。
今回 在日イラン大使館のX(旧ツイッター)は29日、出光丸のホルムズ海峡通過には触れずに「日章丸事件は両国間の長年にわたる友情の証として残っている。この遺産は今なお大きな意義を有している」と投稿しました(産経)
2. 佐三氏が大事にした「純粋な若者の白紙の力」
1957年(S32)に徳山製油所を建設し石油元売りとして経営が安定しました。
佐三氏は、その製油所運転技術者として、都会の裕福に育ったオボッチャンではなく、地方の工業高校卒、また貧しくて進学できない優秀な中学卒を大量に採用し『出光学校』で2年間高等教育を与え、希望者には定時制高校に通わせました。
その後、1963年千葉、1970年兵庫、1973年北海道、1975年愛知と矢継ぎ早に新製油所を建設しましたが、この最初の徳山製油所で鍛えられた中卒・工高卒者が中心となって建設し、運転を立ち上げました。
3. 世界初20万トンタンカー「出光丸」に15,000人の中学生招待
1966年、当時世界一のマンモスタンカー出光丸(21万t)が完成しました。竣工披露では、『これからの日本を背負う若い人達に世界最高のものを見せてやりたい!』 と、全国津々浦々から15,000名もの中学生を招待し見学させました。
『僕の事業目的は、社員が真に働く姿を社会に示し、人々から尊重される人間を作る事だ。石油業はその手段に過ぎない。』
『卒業証書を捨てよ。新人に大事なのは仕事の基本をしっかり学ぶ事であり学歴は関係ない。
だから僕は丁稚奉公からスタートした。』
これが出光佐三氏の経営理念です。
4.ホルムズ海峡封鎖後、「第3代
出光丸」 初めて通過
海峡封鎖状態が続く4月28日、ペルシャ湾に留まっていた日本企業の大型タンカー「出光丸」がホルムズ海峡を通過し世界を驚かせました。出光丸は、出光興産子会社の出光タンカーが所有する船です。出光興産とIHIが共同建造し、2007年に竣工。サイズは全長333m、幅60m、喫水20.5m、東京タワーを横にした長さとほぼ同じという巨大なタンカーです。この出光丸は3代目、「出光丸Ⅰ~Ⅲ」は出光にも世界にとっても歴史的に重要な意味を持つ船です。
今回注目を浴びた「出光丸Ⅲ」は、日本への重要なマラッカ海峡を通過できる船として最大級で「マラッカ・マックス」と呼ばれる船型です。 約30万トンもの石油を搭載し船速は16ノット強(約30km/h)を発揮。30万トンは、日本全体の原油消費量の半日分以上となります。
一部のメディアでは「出光丸は船籍パナマ、日本乗組員は僅か3人の外国船」と間違った報道がありましたが、出光興産の子会社である出光タンカーが所有・運航している「日本のタンカー」です。通常「船長、副船長、航海士」は日本人です。2航海(約60~70日)は船上生活なため、日本人の船員は募集しても集まりません。ENEOS、出光、コスモなどのVLCC(マンモスタンカー)の船員は、殆どが人件費の安い外国人です。今回の出光丸は22人の乗組員がフイリピン人です。
また「船籍」を勘違いしている人が多いですが、日本企業が運航する石油タンカーは、パナマ、リベリア、マーシャル諸島などの「便宜置籍国」が船籍の主流です。税制優遇や人件費削減のため、パナマ(世界最多)などが選ばれます。
5.出光佐三氏の経営理念
出光佐三氏の経営理念は「紀元2600年を迎えて、店員諸君と共に」に凝縮されています。この小冊子は、創業30周年を迎えた昭和15年(皇紀紀元2600年)に書かれ、出光のバイブルとして、職場で月1~4回「自問自答会」を開き、相互研鑽・自己研鑽しています。佐三さん関連の書籍は1mを超えるほどありますが、そのエキスはこの本に凝縮されており、私は76歳になった今もこの本を基に自問自答研鑽を続けています。
佐三さんが、この理念をまとめられてから86年が経過しますが、今読んでも心に響き、あらゆる人の人生指針となる素晴らしい理念だと思います。
「人間尊重」・・自ら顧みて尊重される人間になれ
「俸給の不発表」・・俸給は生活の保証、店員待遇は能力相応の仕事で
「贅沢は人を殺す」
「一生働け」・・人生を無為に過ごしてはならない
「大家族主義」・・入社後は皆家族、出来の悪い子供ほど可愛い気持ちで
「独立自尊の精神」・・自分の仕事に全責任を持つ、一人一人が社長
「至高至平」・・人事の扱いは至高至平、情実を交えない
「黄金の奴隷たるなかれ」・・事業を目標とせよ、金儲けを目標とするな
「生産者から消費者へ」・・屋上屋・中間搾取を排し、消費者の為に働け
「不言実行」・・個人的錬磨で確固たる実力を身につけ実行せよ
6.「白紙の力」 の基本理念を見失った二代目
失われた30年間、世の中はコスト・人件費削減最優先で、分社化や派遣や中途採用多用で新規採用を極力抑え、即戦力・早期育成の掛声のもと若手社員を追い立てます。 出光においても佐三氏の「白紙の力」の基本理念は忘れられ、二代目社長・夫人の「高卒ではなく最低限高専卒を」の戯言を守り20年以上高専卒しか採用していませんでした。不況の中の20年間は年10~20名採用で問題はありませんでしたが、やがて団塊の世代の大量退職が始まり、世代交代の為に年200人近い大量採用が必要となりました。 国内で2000~3000人しかいない高専卒就職希望者の中から「白紙の力を持つ高専卒採用」は不可能ですが、2代目経営者の「高専卒なら誰でも」を人事部は厳守し続けました。
出光本来の「白紙の力の理念」に基づき、「全国13万人(高専卒の40倍以上) の工高卒を主体に採用すべき。工高卒上位は、優秀で志が高く、素直で頑張り屋が多い」という私の採用方針は、すべて却下されて高専主体の採用が続きました。私は採用部門をお払い箱になり、早期退職することを決意しましたが、人事次長(現会長)に留められ最後のミッション「50歳代研修講師」(=60歳退職予定者を若手育成の為に5年勤務延長する意識改革の研修)を与えられ4年間担当しました。
7.近視眼的な学歴偏重企業の将来への危惧
退職後15年経過した今も、高専卒だけの団塊世代は(将来禍根となるのでは)と危惧しています。それは全国高専卒1万人の7割が大学進学する中で、残り3千人しかいない高専卒の就職希望者なら誰でも良いと、仕事内容と全く無関係の建築・土木・都市工学等までプラント運転員として採用し、高専卒割合を80%以上とした採用を続けたからです。 こういう企業姿勢が、工業高校の学科閉鎖や他校と合併必要となり、深刻な
『日本の ものづくり衰退、震災復興・老朽化橋梁建替えなどの土建業種後継者不足』 に拍車をかけます。近視眼的な学歴偏重企業は社会的責任を果たしていないことになります。
恐ろしいのは、短期的に頭数を揃え辻褄を合わせても、志の低いやる気のない新人を大量採用して中々期待する戦力に成長せず、技術レベルやモチベーション維持が困難となる事態です。『S40年代後半の技術力不足による石油コンビナート大火災事故多発のような危機的状況』 に陥る事が懸念される事です。更には 『他社の高専卒同期は課長・係長になったのに一生交替勤務か・・』 と悩む中堅社員が増え、モチベーション低下で企業風土が一変し、やがて企業存続が難しくなる事態になることも懸念されます。
『鶏口となるも牛後となるなかれ』 という格言があります。『牛後ばかりを採用し、牛後の職場にしていないか?』 という厳しい自省と視点が人事部門には不可欠です。
石油・化学・電力・鉄鋼・ガス等の製造基幹産業では、交替勤務業務は全て工業高校卒です。これは学歴偏重からではなく『複雑・高度化されたプラントを安全に運転し、想定外の非定常操作を含めたあらゆる状態への対応が出来る一人前の運転員育成には、ベテランの指導を受けながら最低10~20年間の習熟訓練・育成期間が不可欠』 だからです。 かって高度成長期に初歩的ミスによる大火災・爆発事故が頻発したのは、この育成期間が不足し未熟な若い運転員が大半だったからであり、習熟とともに重大事故は減少しました。
こういう歴史から『交替勤務業務は、製造業に不可欠の基幹業務であり、約40年間を交替勤務に従事する事に使命感と誇りを持って取組む人材が必要で、工高卒業生が最適任である。』という認識が、世の中では一般的であり、こういう社会的ニーズに基づき全国の工業高校数・学生数は決定されています。大事なのは、こういう現場ニーズや国内教育環境を熟知した者が、企業の戦略的採用・育成・人事を担当することです。
8. 「出光兵庫の模範的若手育成」
(2003年工場閉鎖撤去)
昭和45年地元の漁協から大反対の中で姫路に建設された兵庫製油所は、「地元と共に発展!」を合言葉に仕事だけでなく、地元の行事や環境活動など率先して活動しました。
仕事面では、当時日本プラントメンテナンス協会上席コンサルタントだった大島東工大名誉教授や佐山岡山大名誉教授から 『世界一の精鋭集団だ!』 と絶賛されるほどの少数精鋭の仕事集団でした。
誠に残念ながら重質油分解装置がなかった為に競争力が低く、2003年工場閉鎖となり全所員は他工場に配置転換となりました。
・・バブル崩壊から約35年が経過しました。各社とも世代交代で、高度成長期最後の戦士達が大量に退場していく中、30年前のデフレ不況の就職超氷河期に就職し頑張ってきた優秀な若者が今や各社の中心的存在となり、新たな時代が到来しました。いま50歳前後となった中心的社員が、30年前にどんな若者であったかを紹介したいと思います。 これから社会人となる人、入社直後の若い人は 『目指す姿』 として是非参考にしてほしいと思います。
平成一桁後半当時、各社ともバブル狂乱で抱えた不良債権で経営危機に陥り、中でも拓銀や山一証券等の大手金融会社が相次いで倒産して、銀行の貸渋りで経済界は大混乱し、殆どの会社は新卒採用中止している状況でした。前出の出光佐三氏が生前、『Speculation (投機)は絶対やるな!』 と戒め、危惧していた未曾有の経済危機が到来した訳です。
こういう中で20年後の大量世代交代到来を見越して、出光は毎年20~30人の高専卒採用を継続していました。 超氷河期の時代背景から、みんな各校トップクラスの優秀な新人達で、向上心も使命感も高く、短期間で一人前に成長していきました。
また職場の先輩達は育成意欲が高く、緻密な修得課題表を与えて、毎日口頭試問し実技訓練を繰返し『星取り表 掲示板』で修得進捗状況が職場全員にリアルタイムに一目で分かるようにし、 また上司・先輩は多忙な業務の合間にも修得課題レポートを確認し、コメントを記入して、木目細かくフォロー・激励していました。
ある程度実力が身に付くと『この操作を一人でやってこい!』 と、重要な操作を次々と任せ自信をつけさせました。しかし指示後 『手順通り正しい操作を間違えないでやっているか?』 と、ハラハラしながら物陰から見守っていました。 若手もまた、その先輩達の思いをヒシヒシと感じ頑張りました。 先輩達は仕事以外でも独身寮に頻繁に顔を出し、町に繰り出して痛飲したり、町内の草刈や祭りに参加したりと、公私にわたって面倒を見ました。
こういう指導をされた若手は、当然ながら成長著しく、画期的な創意工夫・改善を行い、当時取組んでいたTPM活動で、日本プラントメンテナンス協会上席コンサルタントの大島東工大名誉教授や佐山岡山大名誉教授の前でも堂々と改善事例を発表し、先生方から 『入社2~3年でこんな素晴らしい仕事をしているのか?』 と絶賛されるのが常でした。 こういう優秀な若手と面倒見の良い先輩が一体化した工場に対して、大島・佐山名誉教授から 『世界一の精鋭集団だ!』 と絶賛されました。
9.超氷河期入社社員と少子過保護世代のギャップ
出光兵庫の優秀な若手が、入社数年で愛する職場と仲間を失い、見ず知らずの人間集団の中で新しい仕事をゼロから覚える・・・想像を絶する苦労があったと思います。
それから10年、新たな職場で高い信頼を得、早くもリーダー格・中心的存在となって活躍しています。 まさに 『艱難辛苦、汝を玉にす』 の言葉通りです。
先日、その一人から以下の便りがありました。
『世代交代は、私の職場でも現在大きな課題となっています。この1、2年でベテラン社員は殆どいなくなります。 60歳代勤務延長組やキャリア採用組に頼らざるを得ない状況で若手育成に苦労しています。 最近の若者は、育ってきた環境や価値観の違いが大きく、思うように成長していないのが実態ではないかと思います。』
この危惧は、私が大学で感じていた 『向上心・覇気のない若者』 と一致します。
いま職場の中核で信頼厚い平成一桁入社
中堅社員の若い頃と、今の若者と何が違うのか? 最大の違いは 『ハングリー精神』 です。 そして 『少数化で多忙すぎる先輩は自分の事で精一杯で、若手を育成指導する余裕もマインドも薄くなってきている』という現実です。
平成一桁世代は一流大学を出ても就職できない超氷河期の真只中だったので、文武両道に優れたトップクラスの高専卒が全国区で採用でき、その後輩も 『あの先輩が選んだ会社なら間違いない』 『早く世の中に役立つ人間になりたい!』 と目的意識、使命感がしっかりした優秀な若者が入社してきました。
20年続いたと言われるデフレ不況の中で高専の学生意識は変化しました。全国約1万人の向学心の高い学生の約70%が国立大学進学(大学3年編入)するようになり、就職組は30%(1学年3千人)程度となりました。 その中には経済的理由で進学できなかった優秀な学生もいますが、勉学意欲が低く自由気儘な5年間を送った学生も少なくありません。
もしこういう学生が大量入社すると育成に大変な苦労をすることでしょうし、将来の経営を危うくする事が危惧されます。
今の若者は家庭でも学校でも過保護に育てられて、変化やプレッシャーに弱く、自立心も向上心も進取の気風も低い傾向があると言われます。
携帯・スマホ・ゲームの刹那的な楽しみに熱中して、人生の目的意識を持たず、他者との交流、コミュニケーションが苦手で、自分の狭い世界に閉じこもり満足する傾向が強くなっています。
こういう若者に接する先輩が『早期育成』の掛声だけで知識やスキルを詰込もうとしたり意識改革しようとしても『馬耳東風、暖簾に腕押し、豆腐に鎹』です
。 大学でも同じで、90分1コマのキャリア教育では如何ともしがたく途方に暮れる日々です。 恐らく前出の40歳中堅社員も同じ思いで若手育成に悩んでいるのだと思います。
これは根本的には、小学・中学時代の家庭教育や学校教育で、人生目的・目標意識を育む徳育が等閑にされ、根本的に不足している事に起因していると思います。 本当はそこからやり直さないと解決できない大きな問題です。
私が10年間担当した某工科大学で一番人気が高く学生数の多い学科は「情報メディア科」約300人で、その殆どはゲームクリエーター志望でした。企業が求める「機械科」「電気科」「自動車科」は、それぞれ40~50名と人気のない学科となっていました。
「資源のない日本は、モノづくりで未来を切り開いていくしかないのに・・現実社会の将来への夢、心躍る将来目標はないのか?」と危惧する、私の大学キャリア講師生活でした。
しかし、だからと言って目の前の若者の問題を放置するわけにもいきません。
大事なのは『君は10年後、20年後どうなっていたいのか? 会社40年間・人生80年間で何を目的として、何を目標に、どう生きていくのだ?』 と、常に問いかけて夫々の人生のビジョンを考えさせ、目的・目標を持たせる事が一番大事な事ではないでしょうか? 賽の河原の石積みのような作業ですが、『何時かは、その大事さに気付くだろう』 と信じながら、今日も学生に自分の将来ビジョンの大事さを問いかけています。
これは、かの学歴偏重企業の若手社員にも同じです。その会社の採用・育成方針は根本的に間違っていますが、入社させたからには社員は大事な家族です。 崇高な理念に向かって徹底的に愛情鍛錬し、また若手社員自身が、『入社したからには、自分自身の輝かしい将来ビジョンを描き、その実現に向けて地道に努力していくのみ!』 と開き直り、突き進むしかありません。 まさに出光佐三氏が愛した仙厓和尚の禅画 『布袋図』
の教えの通りです。
”目先の指だけを見るな。 指さす先にある月(目指す姿)を見よ!”








