昭和新山が可愛い赤ちゃん火山なら、有珠山は厳しい親火山です。その有珠山が生んだ洞爺湖温泉は、 美しい景観で国内トップクラスの観光地です。
洞爺湖の元々の始まりは約11万年前の破滅的洞爺カルデラ噴火です。また5万年前には 中心で中島火山が活動し巨大な溶岩ドーム島を残しました。そして2万年前頃に有珠山が活動を開始し富士山のような成層火山ができましたが、約7千年前に山体崩壊し 南側に直径約1.8 kmの馬蹄形カルデラを形成しました。
有珠山は1600年代頃から約30年に1回の大噴火を繰り返す活発な火山です。1945年に誕生した昭和新山は有珠山の小さな側火山です。その32年後の1977年には有珠山頂で大噴火が発生、またその23年後の2000年には西山が噴火しました。
こういう危険で大災害が繰り返されている有珠山すぐ近くの洞爺湖温泉ですが、そこに住む人々は『生涯3度は大噴火に遭遇する過酷な運命』にも拘らず、必ず洞爺湖に戻り洞爺湖を愛し続けています。 30年ほど前、火山博物館に勤務する地元女性に「生涯で3~4回は大噴火に見舞われるのに、何故ほかの地に移り住まないのですか?」と質問したところ「洞爺湖が大好きです。ここを離れるなんて考えられません!」とニコニコしながら話されたのがとても印象に残っています。故郷ってそういうものなのですね。
1. 洞爺湖と羊蹄山の絶景
洞爺湖の面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖、支笏湖に次いで国内3番目の大きさです。東西約11㎢、南北約9㎢ のほぼ円形の湖で、有珠山・昭和新山・洞爺湖温泉などがあり北海道有数の観光地域となっています。中央に浮かぶ「中島」(4.85㎢)の最高点はトーノシケヌプリ455mです。中島には昭和35年頃2世帯6人定住者がいましたが、現在定住者はなく鹿の楽園となっています。
2. 昭和52年大噴火した有珠山
昭和52年8月6日、有感群発地震が発生する最中、翌7日に山頂カルデラ、小有珠斜面からのプリニー式噴火が始まりました。前兆の地震から32時間後の噴火でした。 8月14日未明まで4回の大きな噴火を含む16回の噴火が断続。噴煙高さは最高12,000 mに達し、火口周辺地域には多量の軽石や火山灰が堆積し、家屋が破壊されました。
3.大噴火以前の美しい「銀沼」
昭和52年大噴火前の銀沼周辺は、手ごろなハイキングやキャンプ地として人気がありました。
4.銀沼周辺の牧場
このあたりは牛が放牧され、のどかなハイキングや池遊びを楽しめる絶好の行楽地でした。昭和52年「有珠山の火山性微動が始まった」というニュースと共に、この乳牛たちが山から下りていくTV映像が鮮明に記憶に残っています。
5. 主噴火口の『銀沼火口』
昭和52年大噴火は、それまで有珠山のカルデラ内にあった美しい「銀沼」から発生しました。この噴火後の光景は、まさに「天国から地獄」の恐ろしい自然の驚異、人間の無力を見せつけています。降灰は北海道内119市町村に降り注ぎ、農作物に多大な被害を発生させました。
6.
噴火後の有珠山の様子
銀沼火口からは現在も噴煙が上がっています。カルデラ中央の左側砂っぽい山が新しくできた小有珠ドームの有珠新山です。その右側が元々の大有珠ドームで、それまでの大有珠ドームを東側に押しやりました。まさに「山が山を押しのけ移動させた!」わけです。本当に自然の力の大きさに驚きます。
7.大噴火で破壊された有珠山ロープウェイ
以前から、有珠山ロープウェイは、山頂からの絶景や、気軽な火口散策で洞爺湖観光の目玉でした。それが昭和52年大噴火の噴石でこのようにボロボロに破壊されました。
有珠山噴火の特徴的噴火予兆は、火山性群発地震が2~3日間続くことです。昭和52年も、大噴火に備えて住民全員が避難して、死者・けが人は一人も出ませんでした。昭和52年大噴火の時に放置された車の上には、火山灰が降り積もり、このような無残な姿になりました。
8.そして23年後の「西山噴火」
昭和52年の大噴火から23年後、平成12年(2000年)に西山噴火が始まりました。これは避難を呼びかける消防隊員です。住民は事前に完全撤退し、人的被害は一人も出ませんでした。
9.危険な火山に隣接する洞爺湖温泉街
洞爺湖温泉街のすぐ後ろは有珠山です。いやむしろ有珠山の上に洞爺湖温泉街があり、温泉街が噴火口になる危険性も十分にあります。平成12年に始まった西山噴火は、温泉街近くで複数の噴火口が開き、国道230号線上でも噴火し、国道をずたずたに引き裂いてライフラインが閉ざされました。
『こんな恐しいところに、よく高級ホテル群が!』と驚きますが、地元の人や観光業の方は『せいぜい噴火の1年避難して我慢するだけの事。その後30年はこの美しい洞爺湖と一緒に暮らせる、これ以上の住みたい場所はほかにはない』と、屈託なく笑って答えられます。
洞爺湖温泉街は、まさに危険な有珠山の懐の中にあります。しかし国内有数の絶景の中の大温泉街で、観光客にはあまり気にならないようです。(かくいう私も大好きな温泉街ですが・・)
10.
山上の豪華「ウィンザーホテル」
危険極まりない有珠山の対岸の山頂にあるのが「ウィンザーホテル」です。建設当初は「エイベックス・リゾート洞爺湖」として1993年にスタートしました。しかし融資元の拓銀がバブル放漫経営で破綻し 1998年ホテルは倒産しました。それから2年半の間ホテルは空き家となり「バブル崩壊の象徴」としなりました。当時、洞爺湖から見上げると、逆光で全体が黒く「悪魔が黒いマントを広げて山頂から挑みかかってくる」ように見え、まさにバブル崩壊の象徴的建物でした。
そして2年半後、セコムグループがホテルを買取り、内外装を変更し高級リゾート「ウィンザーホテル」として2002年に再開業しました。価格は50億円とも言われ、初期投資額700億円との差額650億円は泡と消えました。まさにバブル崩壊です。
その後「フムフム叔父さんの福田康夫首相」の時「洞爺湖サミット会場」として使われました。福田首相は何の仕事をしたのか・・このサミットの記憶しかありません。メルケル首相から「日本の首相は1年交代だから」と、ホスト国首相なのに無視された情けない姿が思い出されます。
11. ウィンザーホテルのロビー
巨大な窓からは雄大な洞爺湖、有珠山、羊蹄山の素晴らしい眺望が独り占めです。初代は会員制の、一般の人には無縁の高級リゾートホテルでした。しかしバブル崩壊後に経営会社が変わり、コンセプトを換えてからは誰でも利用できるようになりました。北海道を旅行するときは、一度は滞在したいホテルです。このロビーは宿泊客でなくても利用でき、私たち夫婦も時々ここでドイツ人演奏家のチェロとピアノの生演奏を聴きながらケーキセットを楽しみました。(もう20年も前の事になります。)
ウィンザーホテルの客室は、洞爺湖側と内浦湾側があり、それぞれ名称は洞爺湖を見下ろす客室がレイクサイド、内浦湾を見下ろす客室がシーサイドと呼ばれています。この写真はシーサイドの眺望です。目の前はホテル経営のゴルフ場で、噴火湾に向かって打ち下ろす爽快な大人気のコースです。(ゴルフ下手くその私は、この傍を通るだけで、残念ながらプレーしたことはありません・・) 冬はスキーもできます。































