私事で恐縮ですが、一生に一度開いてみたかった「小さな絵画個展」を開催中です。(期間) 5月1日〜31日、(場所) 市原市・青葉台ふれあいサロン(お年寄り交流場)、(内容) 色鉛筆画10作品を展示しています。
家内と色鉛筆画で描いていた作品を「最初で最後のミニミニ個展」として5月一杯展示しています。近くにお住まいの方にご来展いただけると嬉しいです。勿論入場無料です(笑)
私が絵画に興味を持ったのは下山隆三先輩の影響です。本社勤務の58歳のころ、7年前に退職された下山さんから勤務中に「いま東京都美術館に来ている。俺の入選作を見に来ないか?」と突然電話がありました。大恩師の下山さんが北海道から東京に来ておられ、都美術館で入選されているなら、何をさて置き行かなかったら破門です(笑)「すぐ行きます!」と駆けつけました。その時の入選作「おばあちゃん」を見て本当に驚きました。20年前千葉製油所動力課時代、上司の下山さん宅によく招待されてお世話になり優しく接して頂いたおばあちゃんがそこにおられました。 審査員の最高顧問の先生からは「この絵の作者は20年以上水彩画に取り組んでおられるはず。刺繍に没頭しているおばあちゃんに向ける作者の優しい目線が、なだらかな肩や腕や、刺繍を見つめる目線に遺憾なく表現されている」と高く評価されていました。「実際は始めてから5年目なんだけどな・・」と笑いながらコッソリ話す下山さんの非凡な才能に本当に驚きました。そして「身近な大切な家族をこんなにリアルに描ける水彩画なら、私も退職後取り組みます」と言うと、「自己流じゃだめだ。よい先生を見つけろ」とアドバイスされました。(下山さんはのちに最高賞である文部科学大臣賞を受賞されました)
そして私は退職後、水彩画教室に入り嘉指先生の指導を受けましたが・・その画風は私が描きたい写実画とは違い「この先生のもとでは、可愛い孫たちを描くには10年かけても無理」と絶望しました。しかし下山さんの星野先生のような写実画の先生は中々見つけられません。(その頃の私の作品です)
その水彩画教室仲間で、独自に色鉛筆画に取り組んでいたのが、元精密機械設計士の池田敏夫さんです。かれは、千葉市緑区土気にある「ホキ美術館」で現代写実絵画に感動し「色鉛筆で書けるのではないか」と自己流で取り組んでいました。その作品「サボテン」を見て「色鉛筆でこんなすごい絵が描けるのか!」と仰天しました。漆黒の背景に鮮やかに浮かび上がるサボテンの花の輝き、サボテンの刺さりそうな鋭いトゲ・・どこを見ても「どうやって描いたのだろう?」と驚くばかりでした。
池田さんは「元々精密機械設計図をやっていましたのでその感覚で全て自分で工夫して描きました」とこともなげに言われますので益々驚嘆しました。
その池田さんが市原公民館で「色鉛筆画教室」を開くことになり、その案内用に公民館玄関に掲示されていた「リンゴ」に驚き、すぐ家内と参加を申し込みました。「初日には各自12~24色の色鉛筆と、リンゴを一個持参してください」ということで集合し、①色鉛筆の運指、②グラディエーションを練習し、そして「色鉛筆画には画用紙よりもケント紙が最適です」とケント紙を配布され、③「リンゴ画」の制作開始です。
「始めは黄色で薄く形を作り、段々橙や赤を加えてリンゴのリアルさを出していきます。影は茶、青、そして黒を加えます。5~6色で十分です。」と指導される通り進めていくと見事な初作品が出来上がりました。その最初に制作したのが次のリンゴです。夫々が持ち寄ったリンゴが違いますので個性が出ます。
第2段階は「バナナ」です。「素人でもスーパーで買ってきた果物がここまで描ける!」と参加者は自分の隠れた才能に感動です。わずか2回目で色鉛筆画教室が本当に楽しくなってきました。
誰からともなく「せっかく色鉛筆画の楽しさを知ったので、これからも池田さんを指導者にサークルを作りましょう!」ということになり色鉛筆画サークル「カラーペン」が発足しました。唯一の男性の私が世話役、家内が会計で8人でスタートです。楽しいサークルでしたが、残念ながら5年後に、80歳となった池田さんが指導を辞退され解散となりました。その後、私たちは夫婦だけで細々と続けましたが・・やはり仲間がいて定期的な会合を持ち刺激しあい、年1回の作品発表会で一般の方々に鑑賞してもらうことが、趣味の上達には不可欠ですね。
絵画をやりたい人は沢山いると思いますが・・一歩踏み出すには「あの絵をかいてみたい!」という動機が必要と思います。 実は私は、下山さんの水彩画に出会う前に「いつかあのニセコの感動を描きたい」と思っていました。北海道勤務の55歳のころ、紅葉のニセコ・神仙沼にドライブに行った時に、この世とは思えぬ神がかりの景色に出会いました。 その日は生憎の曇天で折角の紅葉がくすんでいてがっかりでしたが、そのまま神仙沼に向かっていると、突然雲の切れ間から一筋の光がさし白樺の大木を照らしました。それはあたかも『神様の降臨!』と思わせる神々しい風景でした。『美しい日本に生まれて本当に良かった!』という幸福感に包まれ、すかさず車を止めて写真を撮りましたが・・すでに最高の瞬間は過ぎていました・・
あれから10年「下山さんの水彩画の世界は自分には無理!」と悟り、色鉛筆画に乗換えて比較的思い通りの絵が描けるので「よし!「ニセコの神降臨」にチャレンジしてみよう!」と描いたのがこの絵です。
もちろん実際目撃した「神降臨」とは全く異なりますが、前の写真よりは私の脳裏に刻まれたイメージに近く、私の一世一代の作品と満足しています。 もう一つ描きたいモチーフは可愛い盛りの孫3人でした。「孫ってこんなに可愛いのか!」と感動する私に家内は「自分の子供は同じくらい可愛かったのよ。仕事人間のアナタは余裕がなく、いつも怒ってばかりいたけど(怒)」と・・「そうだったんだ、だから陰で瞬間湯沸し器と言われていたんだ」と猛反省です。その可愛くて仕方がなかった仲良しの孫三人を描いたのが「みんな大好き」です。
私の主テーマは「大好きな風景画」なので、なかなか作品が出来ず、家内から「もうやめたの?」とハッパをかけられます。そういう中で描いたものが、今回のミニ個展で展示したものです。
「高千穂峡」 宮崎県北の高千穂町の絶景です。4回にわたる阿蘇山の大カルデラ噴火による火砕流大地を五ヶ瀬川が削って、この大渓谷ができました。
「宮崎青島と若者」 青島・日南海岸は、かっては新婚旅行のメッカ、向こうの青島には縁結びの神が祭られて沢山の新婚さんが訪れました。いまはサーフボードのメッカとなって若者が波乗りを楽しんでいます。
「雪の姫路城」 かって2度勤務した思い出多き姫路。2回目は工場閉鎖前の人事課長。従業員の生活拠点を変える難しい気の重い仕事で、毎日夜中の零時過ぎに帰宅する大変な仕事でした・・重圧に耐えきれなくなると姫路城に行き、あの優美な姿に元気を取り戻しました。「こんな凄い仕事をした人々がいる。俺の仕事など大したことはない・・」
「息子のプレゼント」 何と次男から結婚記念日にお祝いのフラワーバスケットが! しかし美しい花も一週間もすると萎れてしまうので、「この感激を形にのこしたい!」と描きました。
与勇輝氏は、昭和20年ころの貧しくも心豊かだった子供たちをテーマに人形制作される人形作家です。私たち夫婦は与勇輝氏の人形が大好きで、河口湖畔にある「河口湖ミューズ館」によく出かけました。家内がお気に入りの「おつかい」の人形の雰囲気をとらえて見事に描きました。私も負けじと「夕涼み」(与勇輝氏の原題は「夕子」)を描きましたが・・あの可愛らしさが表現できず・・やはり家内の方が才能ありです。
「柿」(家内)、「雪のカラマツ林」(私)











