昭和52年封切りのこの映画は、格別に深い印象があります。というのも、この年結婚した私達が初めて二人で見た映画だったからです。
それまで任侠路線の怖い高倉健さんが、この映画では「芯から妻を愛するシャイで不器用な夫」で、自分自身を投影して観ていました。
ラストシーンの、健さんの哀愁を帯びた後ろ姿と、健気な妻の倍賞千恵子さんの驚く表情が、何回見てもたまりません! 『これぞ日本人だ!』と、緩くなった涙腺が開きます。
(あらすじ)夕張で働く健さんは不器用な男で、妻(倍賞千恵子)が初めての子供を流産してしまった事に八つ当たりし、町のチンピラとのケンカで殺してしまい網走刑務所へ・・「こんな男を待っていたらお前が不幸になる」と接見に来た妻に離縁状を渡します。そして出所後
武田鉄矢と桃井かおりのデコボコ・カップルと珍道中しながら、元妻の住む夕張へ・・あのラストシーンは、何回見ても、77歳の今でも涙が出てきます。
結婚10年後、初めての北海道勤務、重質油分解装置建設PJ勤務で、真っ先に訪れたのが、夕張の黄色いハンカチたなびく「健さんの家」でした。
このころの夕張炭田は、まだ現役で出炭しており、北海道製油所の石炭ボイラも、夕張炭と豪州炭の混晶で使用していました。夕張の街も世界映画祭が開催されるなど結構賑やかでした。それがアレヨアレヨと衰退し経営破綻自治体となり寂れていくとは夢にも思いませんでした。
1.日本一の夕張炭田の繁栄と没落
かって夕張は日本一の炭田で、人口11万6千人が住んでいました。この写真は石炭記念館に飾られていた最盛期の夜景です。山の上まで人家が密集していることが分かります。・・石炭斜陽と共に人口が減り、現在8,800人、巨額の財政赤字で平成16年財政再建団体指定をうけ、18年をかけて再建に取り組んでいます。
2.「幸せの黄色いハンカチ」で使われたマツダ・ファミリア
当時初めてのハッチバックのカッコイイ車で、若者に大人気した。壁や天井の黄色い紙は、この記念館を訪問した方々の記念の手紙。今も次々と継ぎ足されているという事で、この映画が世代を超えて如何に大人気であるかを物語っています。
3.今も大人気の「幸せの黄色いハンカチの思い出広場」①
離婚したはずの妻が、鯉のぼりのポールに何十枚もの黄色いハンカチを掲げて待っていた・・それを見上げる健さんの感無量の表情がたまりません・・涙
4.「幸せの黄色いハンカチの思い出広場」②
夕張市は寂れていく一方ですが、国道わきに残された『幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば』には、今も訪問者が絶えません。是非大事に残したいロケ地です。この五軒長屋は、1960~70年代の夕張の代表的住居で「家もガス水道電気は会社持ち」で、働き手は身一つで来ても十分な生活ができました。今はこの記念公園にしか残っていません。
5.夕張没落の原因
夕張没落の原因は、北炭夕張新炭鉱ガス突出事故でした。1981年(昭和56年)10月16日に「北炭夕張炭鉱」の夕張新炭鉱で発生したガス突出事故、およびこれに伴う坑内火災事故で死者数は93人にのぼり、石炭斜陽と重なって閉山に追い込まれました。その結果夕張市は住民の生活を支えるために「家・ガス水道電気等」のインフラを買い取ることとなり約583億円の巨費を投じるなど大きな負担を背負うことになりました。
戦後に発生した炭鉱事故の死者数としては1963年(昭和38年)に発生した三井三池三川炭鉱炭塵爆発の458人、1965年(昭和40年)に発生した三井山野炭鉱ガス爆発事故の237人に次いで3番目の大事故です。この3つの事故後は、多額の保障費支払いの為に、採炭再開は不可能でいずれの炭坑も閉山となりました。
6.『夕張レースイ
スキー場』
同地で炭鉱操業の大和鉱業により開設。その後夕張市と第三セクターによって改修され、1988年に松下興産が約20億円で施設を買収、約100億円以上を投じホテル等の再開発を行い、リゾートとして再開業しました。
1990年代後半に松下興産が経営難となり、2002年に夕張市に買戻し依頼、当時の中田鉄治市長が26億円で購入し再び夕張市の施設となりました。2007年の夕張市財政破綻で加森観光が指定管理者として運営受託します。
2016年9月夕張市は「加森観光Gr夕張リゾート」が受託運営するマウントレースイスキー場やホテルマウントレースイ、ホテルシューパロの宿泊施設の売却を決定。2017年2月8日 中国系の元大リアルエステートの関連会社「元大夕張リゾート」に約2億4000万円で売却しましたが経営破綻。同4月1日2019年に香港の投資ファンドに再売却されました。
約百数十億かけたリゾート施設を2億4000万とただ同然で中国に売渡したことになります。






























