2026年6月4日木曜日

1. 思い出多き実家、ありがたき後継者

 1.義祖父譲渡の隠居家と私たち家族の生活記

 父が編纂した「山田町郷土史」によると、安藤家と母方の桂木家とは戦国時代から助け合ってきました。 特に天文12年(1543年)の島津北郷氏と伊東北原氏の山田城攻防戦で、安藤・桂木家は目覚しい戦功があり、山田神社の権現座主と権現大宮司に任ぜられるという、輝かしい歴史を持った旧家です。

 父は武彦・ウメヨの長男として明治42年7月5日出生。成績抜群で農業継承よりも教師を志し、親の反対を10日の黙行で認めてもらい、学費免除の朝鮮京城師範(現ソウル大学)に進学、トップクラスの成績で卒業しました。

しかしその間、祖父の遊興で実家は没落し破産。15軒の高利貸への借金返済と実家の弟妹生活費で給料は全て注ぎ込むという極貧の生活が続きました。そういう中で昭和8年4月28日隣家の桂木シツ(大正4年2月3日出生)と結婚したのは、母の父の篤志家 桂木斉二翁が側面的に安藤家の没落を救援する為でした。 この極貧のなか懐妊した母は、朝鮮ではとても出産育児はできないため山田町の母実家にて昭和9年1013日長男晃が生まれ、そのまま3年間母子は母の実家で過ごしました。 3年後ようやく母子は朝鮮に帰りましたが、その9カ月後に幼子は疫痢にかかり医者に診てもらうお金もなく、6日後の昭和12年9月6日に急逝しました。享年満3歳。以後母の 『命を懸けた6人の子育て苦闘人生』 が始まりました。

⑭父母・姉の旅立、故郷の荒廃 

(美千代姉 S61 12. 22没、父 S63 .1 .7没、 母 H7 .1. 29没) 

 父母の死後、山田の実家は武千郎兄が継承し、他の姉弟は相続放棄しました。しかし長兄は宮崎市在住、平成24年3月(70歳)退職まで高校教師として多忙で、平成25年隣家の桂木日出雄氏から 『安藤家家屋が荒れて朽ち果てている』 との連絡を受けるまで約20年間 放置していました。旧本家も、居住していた従兄の森茂修氏が生活保護で老人ホーム入居後10年間の放置で荒れ放題。父が昭和43年退職金で建てた家は屋根瓦劣化で2か所以上雨漏れが激しく、床は足の踏場もないほど腐り劣化が進み廃屋化していました。

    そこで平成25年の馬屋撤去・孟宗竹林伐採を手始めとして、次男の私が家屋・土地・山林・田圃の譲渡を計画し、地元の友人の協力を得て、廃屋の撤去・整地、譲渡広告などを進めてきました。

〇H25年・・馬屋撤去、孟宗竹林伐採

〇H26年・・残した平屋東側壁補修(トタン板張)

〇R1年5月 ・・ネット無償譲渡広告。 某婦人下見、屋内荒廃見て破談

〇R1年11月・・家屋2棟・氏神様・神木・墓石撤去お祓い神事

〇R2年9月・・旧本家・氏神様・神木・墓石撤去(有田氏遅延で解約)

〇R3年7月・・S43築雨漏家屋撤去、残す家ガラクタ撤去(松本建業)

〇R3年12月 ・・音楽家「山内達哉氏」に正式譲渡契約


2.安藤家の家屋等が荒れ放題状況 H25年(201310

この年 兄は70歳で高校教師を退職し、ようやく山田の不動産名義を【武千代⇒武千郎】とした。それまで放置していた実家の荒廃・雨漏れがひどく、兄は今後益々管理できない状態の為、『山田実家の建屋・宅地・田・山林の譲渡売却』を真剣に考える事が必要となりました。 この写真は当時の各建屋の荒れ具合です。


3.家屋2棟、神木、氏神様のお祓い R11031

 令和元年5月帰省時、兄と英千代夫婦、従兄の日出雄ちゃん夫婦、川畑俊郎ちゃん夫婦らと現物確認し、『今後管理できず売却・譲渡しかない』 という認識で一致しました。そこでインターネットで 『宅地600坪、古民家3棟現状維持無償で譲ります』 の広告を出しましたが、碌な引合いはありませんでした。

(1) ライダーハウス・・騒音で地域に迷惑がかかる

(2) 東南アジア労働者宿舎 ・・地域と外国人のトラブル懸念

(3) 太陽光パネル用地・・土地が荒れ地域の発展に寄与せず

(4) 子供と住みたい(母子家庭)・・唯一有望な引合いと思われた

唯一残った(4) が、兄・弓削社長(高校友人)・田中操君(中学友人)立合いで現物確認したが、建屋内部を一目見るなり凝固。 内部の荒れ具合や父母等の生活臭に,強い拒否反応があり破談。荒廃家屋の撤去と、残す家(義祖父譲渡)の家具等を撤去して、売却しやすくするしかないと判断しました。


4.雨漏家屋の屋根瓦状況  R2年(2020) 4月記録

 昭和43年(1968)に建設した最も新しい家屋ですが、10数年前から屋根の雨漏れが始まり、台所の床フローリングが劣化して足の踏み場もないほどになっていました。弓削建設などの専門家3者が屋根診断しましたが、いずれも 『人の住める状態ではない』 の評価で、令和2年7月に当家屋は松本建設にて発注額117万円で撤去しました。この写真は撤去前の屋根の状態です。 『耐用年数5年の条件で部分補修しても8割の補修=145万円が必要』 という評価でした。


5.斉二翁譲渡家屋を残し全撤去 R211月~R311



6.唯一残した家の歴史と内部ガラクタ撤去  R3年(2021)1210

令和3年1215日をもって、山田町の安藤家資産は全て音楽家:山内達哉氏に権利移転することになり、『立つ鳥跡を濁さず』の精神で、唯一残した建屋の内部ガラクタを撤去・清掃しました。撤去施行業者は雨漏家撤去を請負った松本建設で、内部撤去費20万円が示す通り膨大なガラクタでした。

この家は、母方の曽祖父『桂木大右衛門さん』の隠居屋として大正時代に建てられたもので、梁や柱は立派なものを使い、数件の引き合下見客から『この家は残した方が良い』と言われました。また私達兄弟にとっても、戦後の苦しい時期に、小姑の酷い嫁いびりを見かねた母方祖父斉二 さんが『ここで暮らせ』と無償譲渡、私達家族の『心の母港』としてきた重要な家屋で、当然なき父母のみならず兄姉弟6人を救った家屋でした。

(参考:父の遺言手記より)「出戻り妹の苛烈な嫁いびり」

「終戦後、長崎原爆で夫を亡くした叔母が息子を連れて出戻り、大変な嫁いびりが始まりました。叔母も苛烈な不幸を背負っていました。尋常小学校卒業後 紡績会社に勤め、縁あって財部町に嫁ぎ一子を設けましたが離縁されて出戻りました。暫く実家で暮らしていましたが。その後母子もろとも一緒に引取るという奇特な森茂家に再婚しました。しかし夫は単身長崎に勤務することになり、再び実家に出戻ってきました。(この2度目の夫は長崎原爆で死亡) 叔母の嫁いびり目的は、母を実家から追出し生活基盤を獲得することで苛烈を極めました。父は昼学校勤務で全く知りませんでした。母がご飯を炊いていると焚き木をすり消し、子供の洗濯物を干すと泥水に突っ込む。祖母に「嫁から出て行けと言われた」と告げ口する。(勿論母はそんなことは言っていない) ・・そういう酷い状態を救ったのは、またもや義祖父の斉二さんでした。私達家族は曾祖父の桂木大右衛門さん隠居屋に転居し、安藤家の父母妹弟とは別居して暮らす事になりました。そして桂木家の田を安藤家(父)に小作させて自活の道を開いてくれました。その大恩ある大事な家を残すことにしたのは子孫の当然の義務でした

7.唯一残した家の内部ガラクタ撤去状況




そして父祖伝来のふるさとに、新たな歴史が始まる!】

 荒廃した3棟の撤去がようやく終わり、唯一残す家の内部撤去・清掃が完了した令和3年111日、「霊峰高千穂の峰を望む素晴らしい土地・家屋を引き取ってくれる方はいませんか?」と、私のフェイスブックに投稿したところ、翌日の112日に「山内達哉氏から、ぜひ譲って欲しい!」というメッセージが届きました。山内氏のお母さんが私のFBを見て達哉さんに紹介し、「家族で直ぐ住みたい!」という話になったそうです。思いもよらない衝撃のありがたい申し入れでした。

お母さんの朱美さんは「山田のかかし劇団」10年来の主要メンバーで、山田町発展の恩人「石川理紀之助先生の伝記劇を10年以上演じ、息子の達哉氏は劇中音楽を作曲・演奏してきており、「このすばらしい物語の舞台=山田町に住みたい」と思われていました。何という偶然、邂逅、何という奇跡でしょう!

 

『ふるさとの山に向かひて言うことなし』 R3年111 FB投稿

 令和310月末、都城市山田町の実家に帰省していました。3年前から取組んでいる実家の整理(実家3棟のうち廃屋2棟撤去、神木・氏神様・墓石群のお祓い撤去、跡地の整地、除草、役所届け出等)の為です。その間、幼少から畏敬の念で仰ぐ高千穂の峰が、昔と全く変わらぬ神々しい姿で見守ってくれていました。・・啄木の『ふるさとの山に向かいていふことなし ふるさとの山はありがたきかな』を思い浮かべ、すぐ近くには少年時代遊んだ清流の山田川・・『できたらここで生涯を終えたい』という思いがこみ上げてきますが・・『老いては妻子に従え』で千葉が終の棲家です。『このような鄙びた田園を気に入り暮らしたいという奇特な方がおられたら、喜んで無償で譲ります』と、後ろ髪を引かれる思いで千葉に帰ってきました。






安藤家廃屋撤去整備と譲渡引渡しを振り返り R4年1月3日

山田町の不動産譲渡契約が12月15日に和気藹々の話合いの中で完了しました。

8年前に、隣家の従兄:桂木日出雄ちゃんや川畑俊郎君から、実家3軒の荒れ状況を聴き、帰省して自分の目で確認したときは本当に驚き絶句しました。その時から『幼い時から父母兄姉弟と共に暮らした心の故郷なので、兄貴と協力し合って自分にできることは何でもやろう!』 と取り組んできました。しかし権利者の兄とは意見が合わないことも多く、近所の撤去業者(有田辰二氏)の工事遅延と素人意見(雨漏れの家は瓦2~3枚を取り換えれば使える云々。実際は5年持たせる部分屋根補修でも145万円必要なため撤去した)等に振り回されて大変な道のりでした。 

廃屋3軒は仏壇や位牌や食器・衣類など生活臭が色濃く残っており、そのままでは引取り手は全く現れませんので撤去整備が必要でした。・・平成25年から、馬屋撤去に30万円、従兄の森茂修氏が住んでいた家撤去に75万円、父が建てた雨漏家撤去に117万円、残した家のガラクタ撤去に20万円、1年放置した広場の草刈りに7万円等々・・譲渡できるレベルに整備する為には、とにかくお金が必要でした。 兄は80歳年金生活者で老後の貯え激減を心細く思い、あまりの出費の多さに拒否反応を示したり、電話連絡不能になったりしました。私も同じく年金生活10年目で1回の帰省で概略15万円はかかり、3年間で5回の帰省。兄に事前にメール連絡しても、ガラ携で少し長いメールは「読んでない、理解していない」。結果2~3行のショートメールでしかコミュニケションできない・・やはり帰省して地元の友人と連携して一歩でも進めるしかないと、ここ3年位はそういう事を集中的に進めました。

でも兄貴には、私にない優れた点=『とにかく優しくて思いやり深い。弟の私を信頼して任せてくれる徳性』 があります。世事に疎い兄貴が『プライドだけの偏屈男』だったら、私は面倒で放置したでしょう・・・宮崎の 『ほっとけない兄』 と千葉在住の 『ちょっと一言多い弟』 とが信頼しあいながら進めてきたので、最終的に著名なヴァイオリニストの山内達哉氏のような素晴らしい方と巡り遇い譲渡することができました。 

新たな住人となる山内達哉さんは、都城出身のヴァイオリニスト作曲家音楽プロデューサー

『日本の歴史や失われつつある原風景を音楽にのせて届けたい』 と、日本の心を ヴァイオリンと尺八など和楽器との共演スタイルで、音楽界に新たな息吹を吹き込んでいます。全国を旅しながら、訪れた地をテーマに作曲するその作風は「ふるさと」を思い起こさせ、これまで手掛けた、「校歌」や「地域の曲」など日本中多くの人々に親しまれています。

山内さんは、都城市山田町で10年前に旗揚げした 『山田のかかし笑劇団』 が演じる石川理紀之助翁(明治中期に山田の貧困を救った秋田の農聖人)に意気投合して劇中音楽を作曲するなど、すっかり山田好きになりました。令和3年1025日の『劇団創立10周年記念イベント・コンサート』の後の挨拶で 『私は山田町に住もうと思っている』 と明言されたとのことです。丁度そのころ実家整備を終えた私の111日FB投稿が山内さんの目に触れ、翌日引き合いがあり吃驚仰天しました。その後トントン拍子に話が進み、今でも『本当に奇跡的な有難いめぐり逢い』と感謝しています。私は、ようやく長年の肩の荷が降りて、心からゆったりした日々を送っています。





2026年6月3日水曜日

1. 若者への応援歌の目的

                Riv.20260320  (Start20120201 )

本ブログ目的は、混迷し不安な現代を力強く生きる為の応援・助言です。特に若い皆さんが、プラス思考で行動し、実践的になって活躍し、新たな未来を切り開くために役立つ道標や、元気になる話、偉人の逸話、最新情報などについて調査紹介することです。この報文が『若い人の成長』に、また上司・先輩の皆様方の『部下・後輩指導・育成』に、少しでも役立つことができたら望外の喜びです。

 色々な切り口から、若い皆さんに役立つ話題を提供していきます。下のタイトルをクリックすると本文が出てきます。本ブログ読後感想・ご意見等ありましたら、是非次のメールアドレスにコメントください。  hidechiyo915a@gmail.com 

             【ページビュー】
1.はじめに

  • 1-5.仕事と成長と人生

厳しい環境の中、将来に夢を持てない若者が増えています。

・家庭では 父母が仕事で忙しくて じっくり話を聴いてくれず孤独
・学校では 目立つといじめが怖いから 本当の自分は隠す
・大人や社会は 若者の孤独感・閉塞感に 全く関心がなく忙しそうだ

 日本青少年研究所が2023年6月に行った日米中韓の高校生約12,000人対象の 『自分はダメな人間だと思うことがあるか?(Sometime I feel like a failure)』の調査結果では、日本は 78%が 『そう思うとネガティブ回答しています。米国…61%、中国…55%、韓国…48%です。【2011年は、日本82.7、米国52.8%、中国39.2%、韓国31.9%】 この結果から、日本の若者がダントツに閉塞感を感じ、自分に自信をもてない現実が見えてきます。 しかしこれは若者だけの責任でなく、こういう社会環境にした我々大人の責任です。

 社会矛盾や大問題を抱えた各国の若者大半がネガティブ思考です。しかし日本の若者がダントツに多く『自分はネガティブだ=約80%』の結果には違和感があります。・・特に『新型コロナ拡散源の隠蔽、ウィグル・チベット・内モンゴルのジエノサイド、南・東シナ海の強奪、台湾へ侵攻恫喝、環境大汚染、経済破綻等を隠蔽する軍事独裁国家の中国がネガティブ55、『核・ミサイル開発・配備を急ぐ独裁北朝鮮の脅威を軽視、恨文化で満足感謝のない韓国が48、「多民族・多様価値観の分断で自閉症となった米国が61などを考えると不自然です。

 むしろ世界一安全で豊かな日本にあっても、世界レベルの危機や困難に真直ぐに目を向け、不安や危機感や孤独感の中にある日本の若者の方が、よほどまともな感受性を持ち、世の中を改革・変革していく潜在能力・可能性があり、世界から期待される存在です。