今回は、逆境の私を2度も救ってくれた大恩の苫小牧市の紹介です。
第1回目の勤務は40歳代前半、社運を賭けた1500億円の大建設PJがあり「この重要電気設計は私にしかできない」と宣言、人事発令もなく自主的にPJ参加し現地で大歓迎を受けました。当時私は胃癌手術後2年間戦力外で、上司は厄介払いできたと何も言いませんでした。現地PJでは毎日夜中の零時を超えるハードな仕事でしたが『人生で一度しかない大仕事』を楽しみました。
第2回目の勤務は50歳半ば、リーマンショック後の子会社復帰問題で本社幹部と対立し「20年前から保全分社化で現場は苦しんでおり、元通り興産復帰させるべき」という私の主張が通り、元の職場仲間は無駄な仕事から解放され、本来業務に専念出来るようになりました。私は北海道の石油備蓄会社出向となりましたが、大好きな苫小牧で人間らしい生活を獲得し『人生いたるところ青山あり』を実感しました。
1.
苫小牧市の中心部
苫小牧港は、幅500m、奥行き6㎞の人工の大港湾です。元々は苫小牧港を物流拠点にして、この右側に大コンビナートが建設されるはずでしたが・・オイルショック後の長い不況で、進出予定の殆どの工場が進出を断念して、その端に大石油備蓄基地があるのみです。しかしそれでも苫小牧港は北海道物流の大拠点となり、北海道内の港湾取扱貨物量の約50 %を占めているほか、全国でも第4位の港湾取扱貨物量になっています。
中央の三角地帯にあるタンク群が出光北海道製油所、右下の海上に腕を伸ばした海上構築物が「北海道製油所 外洋シーバース」で、30万トン級のVLCCが着桟できます。
2.苫小牧上空からの写真
新千歳空港まで車で約30分、札幌市まで車や鉄道で1時間圏内に位置し、高速道路整備で北海道全域の物流をカバーしています。北海道内の港湾取扱貨物量の約50 %を占めているほか、全国でも第4位の港湾取扱貨物量になっています。また、内航取扱貨物量において全国第1位の取扱量になっているなど、北日本で最大の国際貿易港です。
3.ウトナイ湖サンクチュアリ
千歳空港から国道35号線を苫小牧に向け20分走ると左側にウトナイ湖が見えてきます。
4.苫小牧発展を牽引した王子製紙
苫小牧市は『王子製紙』を抜きには語れません。延岡市の「旭化成」、周南市(徳山)の出光興産、君津市の新日鉄 etc. と同じように、王子製紙の城下町とも言えます。この苫小牧工場は、初代王子製紙により明治43年9月に操業を開始。豊富な森林資源と、支笏湖から流れ出す千歳川の水力発電で大きく発展しました。
太平洋戦争後の占領政策によって初代王子製紙は昭和24年に解体、苫小牧工場は苫小牧製紙(現・王子ホールディングス)が継承しました。その後、王子HDは春日井・米子・富岡・日南工場を傘下に収め、年商1兆9千億の業界ダントツの大企業として発展しています。この苫小牧工場は市の中心に位置する為、特に異臭対策が徹底され、低公害工場として有名です。また市内最大の『王子総合病院』や『ホテルニュー王子』その他、色々な面で市民生活向上・安定のために尽力しています。
5.『出光北海道製油所』昭和48年竣工
日石室蘭製油所閉鎖後、北海道唯一の製油所として貴重な存在です。しかし平成15年9月『ナフサタンク大火災』が発生し市民を恐怖に陥れてしまいました。 その原因は、十勝沖地震(M8)の長周期波揺れ「タンク スロッシング」により、このタンク群の右側にある3万トンのナフサタンクの浮き屋根が破壊されて大火災になったものです。石油タンク大火災は消火する術もなく、すべてのナフサが燃え尽きるまで約40時間燃え続けました。内湾を挟んだ対岸は苫小牧の中心街で「他のタンクまで延焼すると市街地まで火災が広がるのでは・・」との恐怖が広がりました。勿論苫小牧港は入港不可能となり北海道の物流が遮断されました。不可抗力の大地震が原因とは言え、コンビナートの弱点が露呈しました。 その後、タンク大火災に備えて『➀大容量泡消火器の設置。➁スロッシングに耐える浮き屋根へ強化。➂タンクレベルを下げて運用』を、日本の全コンビナートが適用するように法改正となりました。
6.『日本一の石油備蓄タンク群』と備蓄戦略
1970年代に2度の「石油危機(オイルショック)」がありました。1973年の第4次中東戦争、1978年のイラン革命によるもので、世界的に「中東原油の供給逼迫・原油価格の高騰」に伴い、世界経済全体が大混乱に陥りました。特に中東原油が90%以上を占めていた日本経済の混乱は激しく「石油備蓄の重要性」から、『石油備蓄法』が昭和50年12月27日に制定されました。
そして昭和54年「北海道石油共同備蓄㈱ 」に11万KLタンク33基356万klが、昭和59年~63年「苫東国家石油備蓄㈱」に57基640万kl の合計 90基900万kl の日本最大石油備蓄基地が誕生しました。この「約990万kl の備蓄」だけで、日本の全需要を28日分供給できます。なお日本全体備蓄量は約7,655万kl で、約244日(2021年3月末現在)です。
2026年2月28日に米国・イスラエルがイラン指導者ハメネイ師など指導層爆殺で始まったイラン戦争・ホルムズ海峡封鎖では、世界中が石油高騰・経済混乱の中、高市政権は、国内初の石油備蓄放出を決定し、今もガソリン価格70円/Ⅼを維持しています。日本が世界最大の石油備蓄を保持し経済安定していることは世界中が注目し、高市首相は世界備蓄戦略を提唱し世界中から共感・支持を得ています。
7.北海道物流の拠点「苫小牧港」
苫小牧港は、高度成長真只中の昭和38年に開港した世界初の内陸掘込港湾です。幅500m奥行き6kmの巨大な港湾で『苫東コンビナートの入出荷港』として期待されましたが、オイルショックやバブル崩壊でコンビナート計画は中止となりました。 新千歳空港まで車で約30分、札幌市までトラックや鉄道による移動の1時間圏内に位置しており、高速道路などの交通網によって北海道全域の物流をカバーしています。
8.北海道海の玄関口「苫小牧フェリー発着所」
関東からは、茨木県大洗港から苫小牧まで約18時間の「サンフラワー号」が夕方19:45発、深夜便01:45発と、2便出ていて便利です。
私の2回目の苫小牧勤務は、大洗港からサンフラワー号に乗って苫小牧港到着から始まりました。苫小牧港には尊敬する下山夫婦が待っており、そのままときわ町の下山さん宅で歓迎されました。「苫小牧」は、何かと下山さんの思い出がダブります。
9.「苫小牧市科学センター」
これは『2台の宇宙往還機をドッキングした状態のミール宇宙ステーション立体図』です。
『なぜ苫小牧にミールがあるのか?』それは、2024年まで苫小牧市長を5期目務めた「岩倉博文氏」が、若いころの日本青年会議所副会頭時代にソ連から購入したためです。当時崩壊寸前だったソ連が外貨獲得の為ミールを売りに出した時、岩倉副会頭が『日本の若い世代に科学の夢を持たせたい』と購入を決めました。その2年後の1991年にソ連は崩壊、まさに危機一髪の購入でした。・・その後 岩倉博文氏は岩倉建設社長となり1998年10月に苫小牧市に寄贈、1999年12月に科学センターミール館に展示されました。素晴らしい市長です。 このミールは世界に一つしかないため、旧ソ連時代の宇宙飛行士たちも良く見学に訪れたそうです。
「ミール宇宙ステーションの操縦室」
無駄なくコンパクトに配置されています。まだコンピューターが発達していない30年前の設計とは思えない斬新な操縦室となっています。
10. 一度は行きたい苫小牧漁港の「マルトマ食堂」
苫小牧で新鮮な海鮮料理を食べたかったら「マルトマ食堂」がお勧めです。苫小牧漁港市場の近くにあるため、新鮮な旬の素材を味わえる「マルトマ丼」や、水揚げ量日本一のホッキ貝を使用した名物の「ホッキカレー」が人気です。ボリュームや安さだけでなく、地元の人が毎日通うお店として有名で観光客も多く訪れます。本来漁港関係者向けの食堂なので早朝は関係者優先です。その為早朝は一般客の行列ができて1時間待ちもあります。(なお私は「マルトマ食堂」のまわしもの・営業マンではありません 笑)

































