なかでも10年前に新入社員教育を担当した時の面々が多数登場しており、『本当に立派になったなあ!』と感慨ひとしおです。15年前の入社時のエピソードを少し紹介し、その後の努力を称え、これからの更なる飛躍と活躍に、心からエールを送りたいと思います。
秋田県能代工業高校から初めて入社した18歳のN君は、社長・重役同席の入社式会食スピーチで会場を感動の渦に巻き込みました。 曰く、
『私は、高校野球部でピッチャーをやっていました。当校で初めて当社を受験するに際し、監督の先生から、“お前はピッチャーだけど、先頭バッターホームランを打って来い”と言われ、見事期待に応え、いまこうやってここに立っています。野球部では、努力、協力、仲間、あきらめない心など人生で大事な事を全て学びました。それをこれから生かしていきたいと思います。』
彼の配属された職場は、全員が高度成長期に入社した超ベテランで親父より遥かに年上の社員ばかり。同世代の仲間がいない心細さに、会社を辞めたいと思ったことは一度ではないに違いありません。しかしそれを乗越え、いまや後続の若手社員を指導し、同期トップの職長が期待されている存在で、これから益々の活躍が楽しみです。
18歳で家族から遠く離れて就職し、複雑高度化された難しい装置の運転を覚える入社数年間は、気の遠くなる苦しみです。しかし今の若者はみんな、N君と同様に悩みながらも大変な努力を積重ね、着々と立派に成長しています。あと10年もすると完全に今の若者が中心になっていることでしょう。
『販売店さんと二人三脚で後世に魅力的な店を残したい』、『次世代の小学生育成の為工場見学を企画した。あの中から次世代を担う進化した日本人が誕生するのを期待したい』
という壮大な志に感動し心から拍手を送ります。
新入社員教育のある日、A君が深刻な顔で相談に来ました。『東大 大学院で宇宙機器の素材開発をやってきましたが将来性に疑問を感じ当社を選びました。工場に私がやれる仕事がありますか?』
“オイオイ、そんなことは入社前に調査しておくもんだよ” と思いながら、自分も同じだったなと可笑しくなりました。こういう研究に没頭する純粋な男が現場には必要です。 私の答えは、『良くぞ当社を選んでくれた。40年以上運転してきたプラントは、これから腐食や減肉でボロボロだ。その弱い部分を予測的に把握し最小のコストで健全性を維持していく重要な仕事がある。君の生きた研究材料が山程あるぞ。』です。
『そうですか。それは面白そうだ。』と、悩みが一掃した明るい笑顔とキラキラ輝く目が印象的でした。
(これは月刊誌3月号で勇退直前のSさんが万感の思いで託された話と全く同じです。) A君はその後、当社唯一の高温・高圧の装置の設備管理を担当しています。是非志を高く持ち、原発にも技術指導に行く位の、日本一・世界一の予測的設備管理技術者になって欲しいと思います。
今回、石油備蓄基地に勤務される方のコメントが印象的でした。昭和50年前後2回のオイルショックを契機に国内12箇所に建設された備蓄基地。現在この170日分の備蓄のお陰で、例え中東湾岸危機や紛争があっても物価が高騰することなく安定した生活が出来ています。しかしここに勤務する人達は生涯40年の勤務中、緊急放出が1回あるかないかの石油危機に備え、88基のタンク群の待機管理業務に黙々と取組んでいます。 勤務場所は市街地から遠く離れた北海道の大原野です。
彼等の一人が述懐しました。 『変化のないのが悩みでした。人間、どんなに忙しくても暇でやる事がないよりはマシです。そういうマンネリ状態の時スタートしたTPM活動が私達を救ってくれました。イザという動くべき時に確実に動かす”ベキ動管理” が私たちの目指す姿です。その観点で現場を見ると無限の改善点があります。』 こう言って目を輝かす当石油備蓄基地は、TPM継続賞連続5回受賞、プラントメンテナンス協会から”世界一の仕事人の職場” と評価されています。
朝、会社に着くと所長以下全所員が構内の神社にお参りし、全員で朝礼を行い心をひとつにして仕事にかかります。 クラブ活動も活発で野球部・サッカーは道大会常連、ホッケーは2チームを持ち、シーズンには毎試合家族総出で応援します。私達がどこかに置き忘れてきた大事な事をシッカリ継続している『素晴らしい家族的職場』です。ギスギスした職場が増えている日本において、是非手本にしたい職場です。
ここに紹介した方々と同様に、みんな頑張って素晴らしい仕事をされています。勇退した私達も何時までも活き活きと社会に役立つ存在を保ち、老若男女、みんなが明るく楽しく仲良く心豊かに暮らせる世の中を一緒に作っていきたいものです。
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