2024年11月7日木曜日

1-6. 苦境を励まし力を与える樹々

私達は生きていく中で、『神も仏もないのか!』 と思うような苦境に何回かは遭遇します。 そういう絶望の真只中で、ふと見上げた木々の葉が風にサラサラと心地よい音楽を奏で、その透き通った美しさに見とれている内に、肩の力が取れ不思議な力が湧いてくることがあります。物言わぬ樹々ですが大地にしっかりと根を張り、どんな厳しい環境でも愚痴も言わず黙々と生き抜く姿を見ていると、『苦難も成長のための試練と頑張って生きていれば、やがて私のように堂々とした大木になれるよ!』 と元気づけてくれます。
 今回は、そのような 『苦境を励まし生きる力を与えてくれる樹々』 を紹介します。

皆様方の苦難を乗り越えていく力の一助になれば・・・と思います。

1.「雪彦山・地蔵岳山頂の松」
 私は、初めて課長を拝命した時 会社生活最大の苦境に陥りました。全社で最も強烈な職圧で部下を何人も潰したという噂があり、また本人も 「かって東名高速で暴走族とカーチェイスをやり相手は自爆して死んだ!」 と自慢するような強烈な個性の所長の下で働く事になったのです。  その工場は数年後に閉鎖されることになっており、私の秘密のミッションは、従業員を動揺させること無く閉鎖準備を進めるというまことに難しい気の滅入る職務でした。 所長は噂に違わず何をやっても激怒するばかりで、土日含め深夜0時過ぎまで頑張っても課題が増え続け地獄のような毎日でした。 そのままだったら神経衰弱になり、私も潰れてしまったことでしょう。 今考えると、所長自身が何をどう進めたらよいか分からず混乱していたのでしょう。 ある時 『このままでは死んでしまう!』 と、全てを投出して登った山が雪彦山です。
雪彦山は兵庫県姫路市にあり、弥彦山(新潟県)、英彦山(福岡・大分県)共に日本三彦山として知られる霊山・修験の山です。1000mに満たないのですが、その岩峰は険しくロッククライマーの隠れたメッカとして人気があります。 そのピークの一つ『地蔵岳』は約300mの切り立った一枚岩の岩壁で、見上げるだけで足が竦む険しい岩峰です。 比較的楽に登れる裏側からピークに立つと、直径20cmにも成長した2本の黒松が、ひとかけらの土もない岩の割れ目に しっかりと根を張り立っています。 その厳しい環境にもめげず逞しく生きる姿に感動し、『よし!俺も負けるものか!』 と心の底から力が湧いてきました。 
 それ以降、『所長よりも、従業員にとって最善・最良の対応は何か』 という本筋最優先に徹することにしました。 そして仕事で行詰まり落込む度に雪彦山に登り、孤高に生きる松の木から勇気と力を貰いました。

2.「支笏湖丸山麓の二重根」
50歳台になって勤務した北海道では、車で30分のところに支笏湖国立公園があり、週末には樽前山・風不死山・恵庭岳・紋別岳に登っていました。中でも樽前山には色々なルートから3年間で30回以上登りました。  冬の厳しい雪景色、待ちわびた芽吹き、鬱蒼たる濃緑の森、真赤に染まるナナカマド・・・いつ行っても感動の風景ですが、2004年の台風18号で支笏湖周辺の木々がなぎ倒され一変しました。特に有名だった支笏湖手前の優美な白樺林が全て根こそぎ倒れてしまったのはショックでした。
支笏湖周辺は、約100年に1回 樽前山が大噴火してできた火山灰の大地で、100年間でようやく30cm程度の腐葉土層が成長するのです。 白樺林は観光用に植林されてから約30~40年目で根が火山灰に阻止されて横にしか延びず、 この台風18号に遭遇し全て根こそぎなぎ倒されたものでした。
しかしその中で直径50~100cmの大木が何事もなかったように生き残っており不思議に思っていたところ、支笏湖ビジターセンターの 『2重根』 の展示物で合点が行きました。 100年に1回の大噴火で1~2mの火山灰に埋もれた木々が、その上に成長する薄い腐葉土層に幹から根を出し二重根の逞しい木となっているのです。 私達もこの二重根の大木ように、絶望的な状況に陥っても、めげないで逞しく根を張って生きたいものです。

3.「羊蹄山の風雪に耐える樹々」
蝦夷富士と称えられる羊蹄山は、どの方角から見ても円錐形で美しく、1回は登ってみたい山です。 しかし平野部から標高差1700mの登山となりますので、かなりの体力を要します。これ程の標高差があると、麓と山頂では植生が大きく異なってきます。 山麓では大木に育っているダケカンバも、五合目あたりから風雪に耐える為に地を這った姿に変わります。 葉を見ると確かにダケカンバですが、全く違う木に見間違います。 さらに八、九合目になるとハイマツが岩土にへばり付く様にして生きています。 こういう厳しさの中で生き抜く木々を見るたびに、『少々の逆境で弱音を吐いたり愚痴を言ったりするのは恥ずかしい』 と思うようになり、腹の底から力が湧いてきます。

4.「田原坂の大楠」
 『雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂』 と民謡に謳われる。明治10年西南戦争で17日間も攻防を繰り広げた最激戦地の田原坂。弾丸同士が正面からぶち当たりくっついてしまった弾丸が残されているほど敵味方の銃弾が無数に飛び交う大激戦でした。この楠も無数の弾丸を浴び、主幹は大砲で吹き飛ばされて地上6m付近でなくなり、そこから大小の枝を横に大きく伸ばして直上し、美しい樹形を作っています。 この木を見ると、人間の争いのむなしさと、理不尽な逆境をものともせず、何事もなかったように生き抜く大楠の生命力に只々驚かされます。

5.「盛岡の石割桜」
 周囲22mもある大石を真二つに引き裂いて、大石を抱きかかえるように太い枝を広げている樹齢350年、幹回り4.3mの桜の大木です。 石の割れ目に落ちた桜の種が芽吹き、成長につれて石を割っていったらしく、樹の成長と共に割れ目は広がっていると言われます。 まさに『石割桜』 で、そのエネルギーには脱帽です!

6.「屋久島の縄文杉」
  世界遺産屋久島に君臨する日本最長老の巨木。 見るものを威圧するような重量感、ごつごつした瘤がいくつも盛り上がって波打つ樹肌、上に「超」を幾つもつけたくなる樹木の王者です。樹高25.3m、幹回り16.1m、推定樹齢7200年から、縄文時代から生き抜いてきたことを示す縄文杉の名が付きました。一説には、その間に近くの喜界カルデラの大火砕流で屋久島の殆どの植物が焼き尽くされた為、樹齢は4000年未満とする説がありますが、その際にも樹肌を焼かれながら生き残り、驚異的な生命力で現在まで生き延びているとも言われます。

7.蒲生の大楠=日本一の大樹
鹿児島県蒲生八幡神社境内にそびえ立つ大楠は、樹齢約1,500年、根周り33.5メートル、目通り幹囲24.22メートル、高さ約30メートルと巨大で、環境庁が昭和63年に実施した巨樹・巨木林調査で日本で一番大きな樹木に認定されています。

蒲生八幡神社が建立された1123年にすでに大木であったことから考えても、樹齢千年を超える堂々たる老木です。蒲生の地を訪れた和気清麻呂が手にした杖を大地に突き刺したところ、それが根付いて大楠になったとも伝わっています。 国特別天然記念物(昭和27年指定)
 樹根部分には、8畳分もの大きな空洞があり、下から見上げる壮大さと、地にどっしりと根をはった力強さは、神秘的で不思議な感覚を抱かせ、私達に身震いするような生きる力を与えてくれます。

1 件のコメント: