2024年9月6日金曜日

1-11. 古事記物語10「海幸彦と山幸彦」

1.海幸彦と山幸彦

 瓊瓊杵尊からの不倫疑惑に怒った木花咲耶姫は、産屋に火を放った中で3人の子どもを産みました。最初に生まれた火照命(ほでりのみこと)は海の獲物をとる海幸彦として海の魚を獲って暮らしていました。また火が収まりかけた最後に生まれた火遠理命(ほおりのみこと)は山の獲物をとる山幸彦として色々な獣を獲って暮らしていました。

 ある日、弟の山幸彦が兄の海幸彦に「お互いに獲物をとる道具を変えてみよう」と三度求めたのですが許されません。

しかし山幸彦があまりにしつこく求めるので、ついに二人は少しのあいだだけ交換することにしました。ところが山幸彦が魚を釣ろうとしても結局一匹も連れません。その上、兄の海幸彦が大切にしていた釣針をなくしてしまったのです。するとそこに海幸彦が現れ「そろそろ お互いの道具を元に戻そう」といったので、山幸彦は「あなたから借りた釣針で一匹も魚を獲れず、釣針を海に失くしてしまいました」と正直に打ち明けました。


ところが海幸彦はどうしても元の釣針を返すように強く責め立てます。山幸彦は兄の許しを請うために、お自分の十拳剣を打ち砕いて百本の釣針を作りましたが受取ってくれません。山幸彦は更に千本の釣り針を作り兄に差し出しましたが「元の釣針を返してくれ」の一点張りです。山幸彦が困り果てて涙を浮かべて海辺に座り込んでいると、潮の流れを司る塩椎神が現れ泣いている訳を聴きますので、山幸彦は今までの事情を話しました。

それを聴いて気の毒に思った塩椎神は、「あなたの力になりましょう」と言って、目が堅く詰まった竹籠の小舟を作り、山幸彦を乗せてこう教えました。

「私がこの船を押し流すので、そのまま進みなさい。その先に良い潮路があるので、その道に乗って行けば、魚の鱗のように屋根を葺いた宮殿「綿津見神(海神)」の宮殿があります。その御門の傍らの井戸側の桂の木の上に座っておれば、海神の娘が取り計らってくれるでしょう」

山幸彦が塩椎神の教えの通り進むとその通りになりました。そして桂の木に登って座っていると、海神の娘の豊玉姫の侍女が現れ山幸彦に気づきました。次女は急いで宮殿に帰り豊玉姫に告げました。豊玉姫は直ぐに井戸のところに行き、山幸彦を見るなり、たちまち一目惚れしてしまい二人は見つめ合いました。豊玉姫は宮殿に帰り父に「門のところに麗しい方がいらっしゃいます」と告げ、海神が出ていき一目見るなり「この方は天つ神の御子である」と見ぬきました。海神は山幸彦を丁重に宮殿に迎え入れ、沢山の御馳走でもてなし、ついに山幸彦と豊玉姫を結婚させたのでした。 (絵は「わだつみのいろこの宮」青木繁)

2.塩満珠と塩乾珠


海に宮殿で三年も過ごした山幸彦は、大きなため息をつきました。兄から借りた釣り針をなくし、それを探しにここまで来たことを思い出したのです。その姿を見た豊玉姫は父に相談しました。そして海神が山幸彦にため息の訳を聴き事情を知ると、海の魚全部を集めて「釣り針を取った魚はいるか?」と聴きました。すると鯛が喉に骨のようなものが刺さっているというので、のぞいてみると釣針が刺さっていました。海神は早速取り出して洗い清め、山幸彦に釣針を差し出し次のように教えました。

「この針をお兄さんに返す時、『この釣針は心のふさがる釣針、心のたけり狂う釣針、貧乏な釣針、愚かな釣針』と言って後ろ手で渡しなさい。そうして兄が高いところに田をつくるなら、あなたは低いところに田を作りなさい。もし兄が低いところに田をつくるなら、あなたは高いところに田を作りなさい。そうすれば私は水を支配しているから、三年の間に必ず兄は貧しくなるでしょう。もしそのことを恨んで兄が攻めてきたら、塩満珠(海を満潮にする珠)を出して溺れさせ、もし苦しんで助けを求めたならば、塩乾珠(干潮にする珠)を出して生かし、悩ませ苦しめなさい」と言って、塩満珠と塩乾珠を授け、サメに載せて送って差し上げました。


山幸彦は帰り着くと海神の教え通りにして釣針を兄に返しました。そして兄は徐々に貧しくなっていき、更には荒々しい心を起こして攻めて来たのです。
しかし攻めて来た時は塩満珠を出して溺れさせ、苦しんで助けを求めたら塩乾珠を出して救い、悩ませ苦しめると、兄は頭を地面につけて「私はこれから、あなたの昼夜の守護人となって使えます」と謝りました。

 かくして海幸彦(火照命)の子孫の姶良隼人は、今に至るまでその溺れた時のしぐさを絶えることがないように伝え、天皇に仕えています。海が満ち足りひいたりするのは、個の為なのかもしれません。

3.豊玉姫の出産

 ある日、海神の娘の豊玉姫が訪ねてきて言いました。「私はあなた様の子を妊娠したのですが、そろそろ生む時期が来ました。天つ神の御子は、海原で生むべきではないと思い、やってきたのです」

 そして海辺の波打ち際に、鵜の羽根を葦に見立てて産屋を作られました。ところがその産屋の屋根を葺き合えぬうちに産気づき、こらえきれずに豊玉姫は産屋に入られました。そして夫の火遠理命(山幸彦)にこう言いました。「他の世界のものは、生むときには、必ず元の国の形になって生むものです。私は本来の姿になって生みますので、どうかわたしを見ないでください」

 ところが、その言葉を奇妙に思った火遠理命は、ひそかにのぞき見してしまいました。すると豊玉姫はワニザメになり、這ってうねりくねりしていたので、それに驚いた火遠理命は逃げて退きました。


 豊玉姫は覗かれたことを知ると、とても恥ずかしく思い、その御子を生み終えると「私は常に海の道を行き来するつもりでいましたが、私の本来の姿を見られてしまったことは、とても恥ずかしいことです」と言って、海とこの国の境である海坂を塞いで海神の世界に帰ってしまいました。

 このように この御子は、渚で鵜の葺屋を葺き合える前にお生まれになったので「鵜葺草不合命(うかやふきあえずのみこと)と申します。


 しかしその後、豊玉姫は覗かれたことを恨んだものの、恋しい心に耐え切れず、御子を養育するために妹の玉依姫を使わしました。そして鵜葺草不合命は、ご自分を母として育ててくれた叔母の玉依姫をめとって五人の御子が生まれました。長男が五瀬命、稲氷命、御毛沼命、若御毛沼命、神倭伊波毘古命(のちの神武天皇)です。
ここから神倭伊波毘古命の物語に入ります。

4.「古事記における弥生時代の始まり」・・「天皇の国史」竹田恒泰

 水田稲作の開始が弥生時代の始まりですが、古事記には水田稲作が地上に伝えられた経緯が書かれていないのでよく問題になります。そこで参考になるのが海幸彦と山幸彦が稲作をしていたという記述です。海幸彦は海で魚を捕り、山幸彦は山で獣を獲って暮らしていたというので、縄文時代の狩猟と採集を中心とした生活をしていたと思いきや、古事記によると二人とも水田稲作をしています。山幸彦は海神の教えに従い、兄が高い所に乾いた田をつくるなら 弟は低い所に湿った田を作り、兄が低い所に湿った田をつくるなら 弟は高い所に乾いた田を作って、塩満珠と塩乾珠を使って兄を苦しめたという話が書かれています。なんと二人とも兼業農家だったのです。父の瓊瓊杵尊以降は寿命を与えられたので、二人とも「人」であり、田を営んでいる以上すでに弥生時代に入っています。

 それ以前に地上で稲作がなされた記述はなく、やはり水田稲作は天孫降臨により地上にもたらされたと考えられます。また高天原では、須佐之男命が天照大神の田を荒らしたことが古事記にあり、天孫降臨以前に高天原には水田があったことが分かります。ところで天照大神は機織小屋を主宰されていることから、天照大神も兼業農家だったといえます。高天原を「知らす」神は、手に職を持ち、衣を縫って水田で稲を水田で育てておられたのです。

 このように古事記を読み解いていくと「古事記」は単なる神話ではなく、南九州に暮らしていた高天原族が、出雲族などへ稲作を教えながら統合していった祖先、日本民族の物語であることが分かります。

 

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