令和4年、新年が幕明けしました。
昨年はコロナ第3波下で年が明け、5・6月の第4波、8月の第5波では感染者が25,000人を超え五輪開催も危ぶまれました。しかしワクチン接種が驚異的スピードで実施され、9月から年末までは嘘のように感染者が激減していました。
今年は年明けと同時にオミクロン株が従来の数倍のスピードで感染爆発を起こしています。幸い重症化率は低いようですが油断はできません。新型コロナは予測不能の変異を繰り返す厄介なウィルスなので、私達一人ひとりが強い危機意識を持ち、力強く乗り越えて、再び明るく元気に仲良く暮らす日常を取り戻すしかありません!
この画像は、雲仙市ご在住の友人 中瀬さんから紹介があった世界一(ギネス認定)の 『雲仙市 橘神社の大門松』です。 コロナ第6波の危機の真最中ですが、『朝の来ない夜はない』 です。私達の先人は神代から現代まで、幾多の大災害・災難を乗り越えて、この素晴らしい日本を築いてきました。これからは私達が継承し発展させる番です。
橘神社は、戦前 全国民から敬愛された『軍神 橘周太中佐』 が祭られています。
橘中佐は明治時代、陸軍教官や幼年学校長として徳育され、その人格は高潔、教え子を我が子のように接する家族主義に、教育者ながら 『軍人の鏡』 と人望が高く、大正天皇の皇太子時代(12歳)の教育係に抜擢されました。 明治37年に日露戦争が勃発すると、第34連隊の大隊長に任命されました。 着任後すぐに、部下は長年一緒に暮らした父子のように緊密になったと伝えられます。
その3週間後、日露両軍主力計28万人が初めて激突した遼陽会戦で、敵戦略拠点の首山堡に夜襲をかけて奪取し、遼陽会戦、奉天大会戦の勝利に結びつけました。しかしこの時 橘中佐は十数発の弾丸を受けて戦死しました。
この時の死闘と敵弾に倒れた橘中佐の負傷しながらも最期まで奮闘・指揮する姿、致命傷で絶命する際の戦死部下への断腸の思い・・などは唱歌 『軍神 橘中佐の歌』 として32番まで作詞され、全国民の胸に深く刻まれました。(最終章に全歌詞を付記しています。ぜひご一読願い橘中佐を偲んでください) 戦前は、唱歌を通じて小学生でも詳しく知っていた橘中佐を、戦後は大人も教師も国会議員すら知る人がいないことは、日本人として誠に恥ずかしい事態だと言わざるを得ません。
もし日露戦争に負けていたら・・・おそらく日本は大敵=世界中が恐れていた覇権国家のロシアに飲み込まれ、日本国民の大半はシベリア強制労働奴隷となって滅亡していたでしょう。
いまはこの大敵がコロナであり、世界制覇の野望剥き出しの中国です。
しかし昨年のコロナ第3~5波危機に対しては政府も国民(特に若者)もブレーキを踏まず、隣国の剥き出しの侵略、暴虐(ジエノサイド)、軍備拡張に対しては危機感もなく平和ボケのぬるま湯に浸りっぱなしです。 私たち一人一人は心を入れ替え、橘中佐に学び、危機意識を持って対峙し立ち向かい乗り越える時です。
「軍神橘中佐の歌」 鍵谷徳三郎(詩)。 安田俊高(曲)。
1、遼陽城頭夜は闌(た)けて 有明月の影すごく霧立ちこむる高梁の中なる塹壕声絶えて 醒めがちなる敵兵の肝驚かす秋の風。
2、わが精鋭の三軍を邀撃(ようげき) せんと健気にも思い定めし敵将が 集めし兵は二十万 防御至らぬ隈もなく決戦すとぞ聞こえたる。
3、時は八月末(すえ) つ方わが籌略(ちゅりゃく)は 定まりて 総攻撃の命くだり三軍の意気天を衝く敗残の将いかでかは正義に敵する勇あらん。
4、敵の陣地の中堅ぞ先ず首山堡(しゅざんぼ)を 乗っ取れと、30日の夜深く前進命令たちまちに下る34連隊橘大隊一線に。(正しくは31日)
5、漲る水を千尋の谷に決する勢いか巌をくだく狂瀾の踊るに似たる大隊は
東雲(しののめ) はるる明けの空敵塁近く攻め寄せぬ。
6、かくと
覚りし敵塁の 射注ぐ弾の激しくて先鋒数多倒るれば 隊長怒髪天を衝き予備隊続けと太刀を振り獅子奮迅と馳せ昇る。
7、剣戟摩して鉄火散り敵の一線先ず破る隊長咆哮躍進し 率先塹飛び越えて閃電(せんでん) 敵に切り込めば続く決死の数百名。
8、敵頑強に遂にとりでを奪い取り万歳声裡(せいり) 日の御旗 朝日に高く翻し刃を拭う暇もなくかれ逆襲の鬨の声。
9、十字の砲火雨のごと依るべき地物更になきこの山上に篠つけば 一瞬変転ああ悲惨伏屍累々山被い鮮血漾々(ようよう) 壕に満つ。
10 ,折しも喉を打ち抜かれ倒れし少尉川村を隊長自ら背に負いて 壕の小蔭に包帯し再び向かう修羅の道ああ神なるか鬼なるか。
11 ,名刀関の兼光が鍔をくだきて銃丸は腕を削り更に又
続いて打ち込む4つの弾血煙りさっと登れども隊長更に驚かず。
12 ,厳然として立ちどまり尚我が兵を励まして 「雌雄を決する時なるぞこの地を敵に奪わるな 疾(と)く 打ち払えこの敵を」と天にも響く下知の声。
13,衆を恃(たの)める 敵兵も 雄たけび狂う我が兵に突き入りかねて
色うごき浮足たてし一切那漠然敵の砲弾は裂けぬ頭上に雷のごと。
14,辺りの兵に浴びせつつ 弾は霰とたばしれば打ち倒されし隊長は 「無礼ぞうぬ」 と力込め立たんとすれば口惜しや腰は破片に砕かれぬ。
15,「隊長傷は浅からず暫しここに」 と 軍曹の壕に運びていたわるを 「否(いな) みよ 内田浅きぞ」 と戎衣を脱げば紅の血潮りんりと迸る。
16,中佐は更に驚かぜ 「隊長我はここに在り受けたる傷も深からず日本男児の名を思い命の限り防げよ」 と部下を励ます声高し。
17,寄せては返し又寄する敵の新手を幾度か打ち返せしも 奈何せん味方の残兵すくなきに中佐は更に命ずらく 「軍曹銃を執って立て」。
18,軍曹やがて立ち戻り辛くも敵は払えども防ぎ守らん兵なくて 「この地を占めんこと難し後援来るそれまで」 と中佐を負いて下りけり。
19、屍(かばね) 踏み分け壕を飛び 刀を杖に岩を超え漸く下る折も折 虚空(こくう)を 摩して一弾は復も中佐の背を貫きて内田の胸を破りけり。
20,嗚呼(ああ)嗚呼 悲(ひ)惨惨の極父子相抱く如くにて共に倒れし将と士が 山川ふるう勝鬨に息吹き返し見返れば山上すでに敵の有(ゆう)。
21,飛び来る弾の繁ければ軍曹再び起ち上がり無念の涙払いつつ 中佐を扶けて山の影たどり出でたる 松林わずかに残る我味方。
22,阿修羅の如き軍神の風発叱咤 今絶えて 血に染む眼打ち開き日出ずる国の雲千里千代田の宮を伏拝み
中佐かしこみ奏(そう)すらく
23,「周太が嘗て奉仕せしもうけ君のかしこくも生れ給いしよき此の日 逆襲うけて遺憾にも将卒あまた失いし罪はいかでか逃るべき (此日=皇太子誕生日)
24,さわさり乍ら武士のとりはく太刀は思うまま敵の血潮に染めてけり 臣が武運はめでたくて只今ここに戦死すと言々悲痛声リンリン
25,中佐は更に省みてわが戦況は今いかに連隊長は無事なるか 首山堡すでに手に入りて関谷大佐は討死と聞くも語るも血の涙
26,わが勝鬨の声かすか四方の銃の音絶えて夕陽遠く山に落ち天籟鬩寂(てんらいげきせき) 静まれば闇のとばりに包まれて辺りは暗し小松原
27、朝な夕なを畏くも 打ち誦じたる大君のみことも侭(まま)に 身を捧げ高き尊き聖恩に応え奉(まつ)れる隊長の
終焉の床に露寒し
28、負いし痛手の深ければ なさけ手厚き軍曹の心づくしの甲斐なくて 英魂ここに止らねど中佐は過去を顧みて
終焉(いまわ)の 笑みをもらしけん
29、君身を持して厳なれば 挙動に規矩(きく)を 失わず職を奉じて忠なれば 功績常に衆を抜き 君まじわりて信なれば人は鏡と敬いぬ
30、忠肝義胆才秀で 勤勉刻苦学すぐれ情は深く勇を兼ね
花も実もある武士の君の 終焉の言葉には千載誰か泣かざらん
31、花潔く散り果てて護国の鬼とちかいてし
君軍神と祀られぬ忠魂義魂 後の世の人の心を励まして武運は永久に尽きざらん
32、国史を伝うる幾千年
ここに征露の師を起す史ひもときて見るごとに 我が日の本の国民よ
花橘の香にも偲べ軍神中佐をば
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