黄泉平坂まで追ってきた須佐之男命は、さらに大声で激励します。
「その生太刀と生弓矢で、お前の兄弟たちをやっつけろ。山の裾、また川の瀬に追って行って打ち払え。そしてお前は大国主神、そして国玉神となって国を作り、我が娘の須勢理姫を正妻として、出雲の山に、石を土台にして太い柱を立て、天空に千木を高く上げて、壮大な宮殿を建てるんだぞ! 」 こうして大国主命(大穴牟遅神)は、二つの立派な神様名を賜り、以降は大国主神となります。
大国主神は言われたとおり、生太刀と生弓矢で、大人数の兄弟である八十神を山の裾、川の瀬ごとに次々と追い詰めて倒していき、そして初めて国を作りました。これが大国主神の国造りの始まりです。
ところで大国主神には既に因幡の八上姫という妻がいました。そこへある日、大国主神が新しい正妻の須勢理姫を連れて帰ったのです。八上姫は正妻に遠慮して、自分の子どもを木の股に置いて実家に帰っていきました。それでその子を木俣神と言います。
一族繁栄の為には沢山の子どもをもうけなくてはなりませんが、それにしても大国主神は恋多き神でした。あるときは越の国(新潟)に美しい沼河姫がいると聴き、求婚するために出かけて歌を詠まれました。(日本初の男女の問答歌。長くなるので省略)
大国主神が遠征や恋で忙しく、正妻の須勢理姫は、国許で悲しい寂しい思いをしていました。大国主神が大和国(奈良)へ出陣するとき、須勢理姫があまりに寂しそうにしているので、妻に次の歌を詠まれました。
愛しい我が妻よ、私が去って、
お前は「泣かない」と強がってはいても、
嘆き悲しんで、きっと泣くだろう
お前は美しい、一番愛しいと思っているのはお前だよ
かって二人は、根の国で運命的な出会いをして結ばれたのですが、須勢理姫は恋多き夫に嫉妬や怒りで苦しんでいました。しかし優しい夫のこの歌に気が晴れて、元々の美しい優しい女神さまに戻ったのでしょう。お酒の入った大盃を手にして、大国主神の側に近寄り次の歌を返しました。
八千矛の神、我が大国主命、
あなたは男ですから あなたの巡る
行く先々の島のどこにでも、
もれなく若草のような妻を持つことができるでしょう
けれど、私は女ですから、あなたのほかに男はおりません あなた以外に夫はいないのです
さあ、綾織の絹のとばりの中で 柔らかな麻の寝具の下で
淡雪のように白い私の若々しい胸に優しく触れて愛撫して抱擁してください
そして私の白い腕も優しくなでて
まるで玉のような私の手を あなたに巻き付けて
手枕にしあって いつまでもお休みなさいませ
さあ、あなた このお神酒を召し上がれ
そして二人は盃を交わし、愛する心が変わらないことを固く誓い合い、仲睦まじく手をかけあって、今に至るまで出雲に鎮座しておられます。(縁結びの神と言われる由縁です) 大国主神は、その後も領土を広げながら三人の妻を娶り子孫を繁栄させました。地方の権力者の娘と結婚することは、その土地の霊力を手に入れることと考えられていました。
大国主神が出雲の美保岬にいた時、海の方を見ていると、沖合から小さな船が近寄ってきました。その小さいことと行ったら、船はガガイモのさやが二つに割れたのが船なのです。乗っているのが、これまたミソサザイの皮を剝いで着物にした、小人のような神なのです。それで上手に船を操りながら、大国主神のいる浜辺に近づいてきました。
不思議な見知らぬ神ですが、上陸して名前を聴いてもニコニコして何も答えません。そこで何でも知っている山田の案山子神に聴くと「これは神生巣日神の御子、少名彦那神です」と答えました。「神生巣日神」は天地初発の三番目に生まれ、天照大神より古い偉い神様です。かって大国主命が八十神に殺されたとき生き返らせたのが神生巣日神です。 そこで大国主神は高天原に登り、神生巣日神のところに連れて行きました。
すると母神の神生巣日神が言うには、「確かにこの子は私の子です。沢山いる子供のうちで、小さすぎて、私の指から零れ落ちた子どもです。と言っても、とても賢い子だから、大国主神は、この少名彦那神と兄弟になって、一緒にその国を作り固めなさい」
こう命じられましたので、それから二人の神は、力を合わせて国造りの仕事をしました。この小さな神は色々なことを知っており、その賢さには大国主神も目を見張りました。薬草を教え、稲を育てるのに適した土地を教え、二人の協力で各地に木を植え、荒れ地を開墾して穀物生産の大地を広げました。少名彦那神は正しく知恵の神でした。農業技術の知識により、豊饒な国づくりに貢献したのです。
ところが仕事が終わらないうちに、少名彦那神は常世国に去っていきました。
良き相棒を失った大国主神は「自分一人でどうやって国を作って行ったら良いのだろう。どの神と国をつくれば良いだろうか」と悲しんでいました。
このとき、遠い海の沖から、海一面を光り輝かせながら、近づいてくる神がありました。そして大国主神を光で包みながらこういいました。「私をしっかり祀るならば、私が一緒に国をつくろう。もしそうしないなら国は成り立たない」
大国主神は「ではどのようにして祀り奉れば良いでしょうか」と尋ねられると、その神は「私を大和の国を青垣のように回っている山の、東の山のてっぺんに祀りなさい」と答えられました。この光の神は、御諸の山(奈良県の三輪山)に鎮まる大物主神で、森羅万象に宿る目に見えない力を象徴している存在です。 このあと大国主神が大物主神を祀ってから、農耕の国造りは大きく発展しました。
出雲大社の祝詞最後に「くしみたま(奇魂)さちみたま(幸魂)まもりたまえ(守給) さきわへたまえ(幸給)」と唱えられます。この詞は大国主命が伝えられた言葉とされています。
神の姿には荒々しい魂である荒魂と、恵みをもたらす和魂があります。 恵みをもたらす和魂は、さらに幸魂と奇魂に分けられます。幸魂は人に幸を与え収穫をもたらし、奇魂は奇跡によって幸を与えるとされています。 大国主命は、国造りの半ばで少名彦那神を失い、困難に直面した際に「幸魂奇魂」の存在を知ることとなります。そして自分自身の中に潜む「幸魂奇魂」の霊力により、国造りの偉業を成し遂げ「縁結びの神」になられたというわけなのです。
名前を多く持つ『大国主大神』は御神格も多く、そのご利益もたくさんお持ちであると言われています。なぜこれほどまでに多くの名前をお持ちであったのか?それは国造りをする上でも、色々と多くのお役目を果されていたからだと考えられています。
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