2024年10月6日日曜日

1-11. 古事記物語9「天孫降臨」

  「大国主神が国譲りした」ので、高天原の天照大神と高御産巣日神は、天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に「豊葦原水穂国(地上の国)は、汝が知らす国である。よって天降り治めなさい」と命じました。

 瓊瓊杵尊は、天照大神と須佐之男命の誓約で生まれた天忍穂耳命の御子で、天照大神の孫にあたるため「天孫降臨」と言います。この際に、天照大神は瓊瓊杵尊に三種の神器を授けられ、自分の御魂として鏡を祀るように命じました。これにより豊葦原水穂国(地上の国)は高天原の直轄地となりました。


 瓊瓊杵尊は天児屋命ほか天宇受女命など五神を従えて降臨しました。天宇受女命は天岩戸で踊った女神で、天孫降臨を出迎えた猿田彦神と共に道案内を務めたあと結婚します。天児屋命は中臣連の元祖で、のちに大和朝廷の祭祀を行った氏族で、のちに中臣鎌足が中大兄皇子と共に大化の改新を行い、その功績により藤原の姓を貰い、皇室を支える重臣の元祖となります。

 こうして瓊瓊杵尊は、お供の神々を従えて、八重のたなびく雲の峰を押し分け、道を押し開き、やがて天の浮橋をわたり、下界をくまなく眺めたうえ、筑紫(九州)の日向にある高千穂の峰に降りました。その時、天忍日命と天津久米命の二人の勇ましい神が、背中に矢筒を、腰には太刀を佩き、手には弓矢をもって案内しました。


瓊瓊杵尊はあちこちの土地を調べた後「ここが一番良い。遠く海を隔てて韓の国を望み、笠沙の岬を正面、朝日のさす国、夕日の輝く国だ。宮殿をつくるにふさわしい。此処こそが宮殿をつくるのにふさわしい」と言われ、高天原に届くほどの、大きな立派な宮殿を作ってそこに住みました。これを日向の宮殿と言います。

 ある日、瓊瓊杵尊が笠沙の岬を散歩しているときに、美しい少女に会い一目で恋に落ちてしまいました。「あなたは誰ですか?」と尋ねると「大山津見神(山の神)の子で木花咲耶姫(このはなさくやひめ)です」と答えます。そこで「私はあなたと結婚したいが、どうか?」と尋ねると、「私から返事はできません。私の父にお尋ねください」と答えました。

瓊瓊杵尊は早速、大山津見神に使いを出して尋ねると、大山津見神は大いに喜び、木花咲耶姫に加えて、姉の石長姫を添えて、沢山の嫁入り道具を持たせて送り出しました。古代では、結婚は家同士の結びつきなので、一人の男性に姉妹が同時に嫁ぐ姉妹婚は良く行われていたのです。

ところが姉の石長姫は見る者が震えるほどの醜さでした。瓊瓊杵尊は、その醜さに驚き恐れ、すぐに石長姫だけを実家に送り返し、妹の木花咲耶姫だけを留めて契ったのです。すると父の大山津見神は大きく恥じ「私が二人の娘を送り出したのは、石長姫を側に置いて頂ければ、天つ神の御子の命は常に石のように変わらず永遠でありますようにと、また木花咲耶姫は木の花が咲くように栄えますようにと、願いをかけて送り出したからです。

石長姫を送り返し、木花咲耶姫一人を留めたのですから、今後、天つ神の御子の命は、桜の花のように脆く儚ないものになるでしょう」と述べました。これ以来、天皇命(すめらみこと)たちの御命は限りあるものとなり、寿命が与えられて短い命になったのです。

 そのあと暫くして、木花咲耶姫が瓊瓊杵尊の元にやってきて「私は妊娠しました。この子は天つ神の御子なので、あらかじめお伝えしました」と告げました。すると瓊瓊杵尊は「姫よ、たった一夜の契りで妊娠したというのか。それはきっと私の子ではない。きっと国つ神の子であるに違いない」と疑いました。

 こんなことを言われた木花咲耶姫は黙っておれません。「もしも私の生む子がよその子だったら、お産が無事に済むとは思えません。もし天つ神の御子ならどんな危ないことをしても、きっと無事に生まれるでしょう」と誓いを立てました。そして出入り口のない広い御殿を作り、その中に入って内側から土で全部塗り塞ぎ、出産が近づくと御殿に自ら火を放ち、その燃え盛る火の中で子を産みました。木花咲耶姫は体を張って、生まれた子が瓊瓊杵尊の子であることを証明して見せたのです。



 こんな危ないことをしましたが、三人の子どもは無事に生まれました。日が盛んに燃えていた時に生まれたのが火照命(ほでりのみこと)、次に火須勢理命(ほすせりのみこと)、おしまいに生まれたのが火遠理命(ほおりのみこと)です。これで立派に天つ神の御子であることが証明できました。この末の子の火遠理命は別名「山幸彦」で、次の話の主人公です。

 木花咲耶姫の美しくも激しい潔癖さは、「日本一美しく、時に激しい噴火を引き起こす富士山」を連想します。 まさにその通り、富士山本宮浅間神社は、全国浅間神社1300社の総本山で、ご神体は「木花咲耶姫」です。

【日本の統治の形・・「しらす」と「うしはく」の違い】

 出雲の国譲りの時、建御雷神が大国主命に「汝がうしはける(領有する)豊葦原国は、我が御子の知らす(治める)国である、汝の考えは如何?」と問いました。また天照大神が瓊瓊杵尊に「豊葦原水穂国は、汝が知らす国である」と任命しています。一体「知らす」とはどういうことでしょう?

「しらす」とは高天原の統治の方法で、天皇の統治の方法とも同じです。天皇の統治における「しらす」とは、天皇が広く国の事情をお聴きになり、御存在されることによって、自然と国民と国が統合されて行くことを意味します。高天原も天照大神が存在されることにより神々が統合されることを意味します。つまり古事記の時代も古代も中世も近代も変わらず「天つ御子、天皇がしらす日本」なのです。

他方「うしはく」とは、政策を決定し実行する政治の権力を意味します。古代においては摂政・関白、武家政権では将軍、近現代では総理大臣が国を「うしはく」地位にあると言えます。日本の歴史において「国をうしはく者は、例外なく天皇の任命」を受けています。つまり日本は有史以前の神代の昔から天照大神の御子のしらす国、国民のリーダーがうしはく国」(天皇は君臨すれども統治せず)の「国のかたち(国体:Constitution)なのです。

【天孫降臨の地】

 「天孫降臨の地」は宮崎県南の高千穂の峰、県北の高千穂町の両説があります。都城が生んだ音楽家の山内達哉氏は、県南の狭野神社(神武天皇生誕地)と、県北の高千穂神社の御神木からなる「御神木ヴァイオリン」を制作して、神々しいヴァイオリンの音色に載せて「日本の心」を届け広げています。是非名演奏をお聴きください。https://www.youtube.com/watch?v=WBStTiwrqJ4

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