2024年8月3日土曜日

5. 「神の音に 涙止まらず 愛に満つ」 

 宮崎の「御神木ヴァイオリン・コンサート」の感動が今も続いています。

 ヴァイオリンは、製作後400年ものあいだ美しい音色を響かせます。「その中で二度とない御神木ヴァイオリン初演コンサート! これは聴き逃せない!」 と、家内との意見が一致し、千葉から宮崎の会場に駆けつけました。そして想像以上の感動を味わい「本当に聴きに行って良かった!」と今日も話し合い、感動を反芻しています。

「御神木ヴァイオリンの物語」は、音楽人:山内達哉氏が故郷・霧島の狭野神社の樹齢400年の御神木が風倒木となり残り少なくなっている話を聴き胸を痛めたことから始まります。山内さんは神様を守る役目を終えた御神木に新たな命を吹き込み、“御神木ヴァイオリン” として更に400年間、人々の心に神の心を届けたい」と、狭野神社と県北の高千穂神社に相談したところ快諾され、早速世界的ヴァイオリンドクターとして有名な中澤宗幸氏に製作を依頼しました。

そして中澤さんは、2年以上をかけて入魂のヴァイオリン制作に取り組みました。 今回は本来の材質とは異なる表(杉)裏(欅)のため制作は困難を極め、最適の響きを得るために通常3㎜程度の薄さに削り込むところ、今回は部分的に1㎜の薄さまで削り込んでいるそうです。

 その音色は・・演奏者の山内さんが、「生まれたての赤ちゃんヴァイオリンで、これほど深い音色を出すのは初めてです!」 と絶賛されるほどの見事な音色でした。


山内さんが 「悲惨なウクライナの戦争悲劇が早く終わってほしい」と願いながら演奏を始めた「ひまわり」・・私は冒頭の低く深い音色の悲しい旋律を聴いたとき、思わず涙があふれ出てきました。

 

今回、この御神木ヴァイオリンのほか、TUNAMI VIOLIN(東日本大震災の津波の流木から作られた)と、天空のヴァイオリン (中澤さんの故郷 兵庫県朝来市竹田城跡「天空の城」の枯死したシンボル松で作られた) の、いずれも一度命を失った枯古木で作られた3つのヴァイオリンで演奏されました。いずれも素晴らしい音色で、演奏者の山内さんの熱い思い= 役目を終えた古木が、もう一度命を取り戻し、『今後400年以上、人々に “命の大切さ” 神々に守られた日本の心“ ”大自然と共に平和に暮らしてきた私達の祖先の思い“ を届けたいという願いに満ち溢れていました。

 私はこれまで、YOUTUBECDで山内さんの演奏を何十回も聴き大ファンでした。 しかし今回の演奏会はそれらの感動を遥かに超え、想像以上の感動を覚えました。

 まず 「天地創造を思わせる和太鼓の乱打」で始まり、次に純白の神主姿で登場された佐野神社の小多田権禰宜さんが、舞台中央の流木のお祓いを、そして中央・右・左と観客席に向かいお祓いを、さらに後ろの演奏者たちにお祓いをして、この演奏会を清めたのち退場されました。まるで歌舞伎名優のような見事な鮮やかな修祓・祈りでしたが、後で聴くと、すべて打合せなしの小多田権禰宜さんのアドリブだったそうです。

この祈りが終わると、高天原から瓊瓊杵尊が降臨されるかのように・・・御神木ヴァイオリンが舞台の天井から厳かに降りてきて主演奏者の山内さんの手に渡り、素晴らしい演奏会が始まりました。

・・始まりから終わりまで、演出構成、演奏、演奏者の語りなどを含めて全てが、『この世は、神々が私達を暖かく包み込んで育んでくれている素晴らしい世界である!』と言う事を実感させられ、感動して涙が止まりませんでした。本当に奇跡と思うほど素晴らしい感動的な 『御神木ヴァイオリン・コンサート』でした。本当に有難うございました。 

その二日後、狭野神社をお参りした後に再び奇跡が訪れました。なんとあの名演奏をされた山内ご夫妻とお会いする事になったのです。そして実際に『御神木ヴァイオリン』をこの手に持たせてもらう幸運に巡り合ったのです。 私も家内もただただ感激するのみでした。その御神木ヴァイオリンの表板には狭野杉の見事な年輪が刻まれており、裏面には著名なフランス人画家マークエステル氏の「天孫降臨」の絵が描かれていました。


 そして宮崎最終日に、三度目の奇跡が起きました。

 帰京フライトまで余裕があったので、九州最大級といわれるイオンモール宮崎へ行きました。そして家内とウィンドウショッピングを楽しみ、食堂街を歩いているとき「安藤さん!」と声をかけられたのです。「エッ!こんなところで誰かな?」と横を見ると、懐かしい元出光後輩の今西くんがにこやかに立っているではありませんか!「エッ!どうしてこんなところで今西くんに会えるの?」と絶句です。

新妻の奥さんと生後2か月強のお子さんを連れて初めての遠出だったようです。赤ちゃん大好きな家内は、早速新生児を抱かせてもらい「じっと見つめながら口真似して話しかける赤ちゃん」に感激してメロメロです。

今西くんは高原中から都城高専を優秀な成績で卒業。出光入社後は千葉工場でポリエチレン装置を担当し、同期仲間では最も早く約10人の部下を率いる優秀な若手リーダーでした。将来は幹部候補で、会社にとっては特に辞めて欲しくない重要人物でした。 しかし過疎化が進む故郷高原町の将来を憂い、「高原町に帰り、若者を指導して何とか復興させたい!」という思いが募っていき、入社10年目を節目に出光を退社しました。 それから7年が経過し、このたびのコンサートに来ないかと誘ったところ「結婚して7月に第1子が生まれたばかりです。」と言う事で残念に思っていたところでした。

その前日、私は高原町の狭野神社に参拝し、JR高原駅前の中心街を散歩したり、「希望の店」で買い物したりして「今西くんと偶然会えないかな・・」と思っていました。その願いを、霧島の神様が叶えてくれたとしか思えない、本当に奇跡的な7年ぶりの再会でした。

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