山田さんは市原市青葉台で町会長を5年間務められた後、地域福祉活動 『青葉台さわやかネットワーク』を立上げ、赤ん坊からお年寄りまでを対象とした幅広い地域福祉活動を展開・指導されてきました。そして特定非営利活動(NPO)法人として認定され、地域福祉のモデル的活動として全国的に有名になり見学者が後を絶ちません。
また戦争の悲惨さを次世代に語り継ぐ『戦争語り部』として、地区の小中学校、また新宿住友ビル33階にある『平和祈念展示資料館』 で講演をされてきました。
平成29年私は山田さんの講演を聴くべく新宿住友ビル33階での講演に行きましたが、この聴講に浦和市の私立高校3年生57名が参加し『戦争の悲惨さから日本を守るのは誰か?』
のテーマを90分間、固唾を飲みながら熱心に聞き入っていました。
山田さんが、悲痛な思いを込めて語られるのは、『国際条約や憲法9条が戦争から守ってくれることはありえない。戦争は誰でも嫌だが、理不尽に襲ってくる侵略戦争の悲惨から家族や国民を守るには、最後は私達が武力でもって戦うしかない』という事です。
『第二次世界大戦中、ソ連と日本は日ソ不可侵条約を結び、日本は厳密に守っていたが、日本敗戦濃厚となるとソ連は宣戦布告もなしに突如侵略してきた。
国境を守る私達は、まさか条約を交わしているソ連が侵攻してくるとは夢にも思っていなかった。
そのあと武装解除してダモイ(帰国)させるからと騙され 57万5千人の日本兵が列車に乗せられていった先がシベリアの強制労働=牛馬にも劣る悲惨な生活だった。 私のシベリア抑留は3年間だったが、10年も抑留された者もあり、 “捕虜の拘束は1年以内としたジュネーブ協定” に明らかに違反 していた。』
・・こういう悲惨な体験に17歳の若者たちは固唾を飲んで熱心に聴き入っていました。
特に印象的だったのは、最後に高校生から出た次の質問です。
『山田さんの話の中で、“強大なローマ帝国が滅亡した原因は、繁栄で堕落した市民が、美食と娯楽だけに興じ、大事な国防を傭兵や奴隷に任せ切っていた為だ。
これでは外からの侵略に堪え切れる訳がない。” と話されましたが、少子高齢化で、これから留学生や外国からの安い労働力に支えてもらう日本は、ローマ帝国のように滅亡する運命なのでしょうか?』
これに対する山田さんの次の力強い励ましに、若者達は目を輝かせていました。
『とても良い質問だ。確かにTVでは、美味しい料理やお笑いやスキャンダルの番組しかやっていない。国会や新聞などは愚にもつかないモリカケだけをいつまでも取上げ仕事をしている気になっている。まさに滅亡寸前のローマ帝国と同じ堕落した社会になりつつある。
一方世界情勢は戦後70年で最も難しい局面になっている。 不動の繁栄を誇っていたアメリカは経済力・国力低下で自国最優先になり、世界中から米軍を引上げようとしている。反面中国はいまこそチャンスだと国際法を無視して世界制覇の動きを加速している。またロシア・北朝鮮の軍事脅威は増々大きくなってきている。そういう危うい環境激変・侵略脅威に一番晒されているのが日本だが、救いようのない平和ボケ状態にある。 このボケきった大人をあてにしてはいけない。これからは君達のような感受性の敏感な若者が世界情勢に目を向け、日本を引っ張っていくしかないと私は思っている。この国を守るのは私達一人一人だという覚悟が大事だ。
国防も経済も外交も、日本の将来はスイスを学び手本にするとよい。
スイスは、面積が九州くらいで人口は 700万人の小さな国だ。
何百年も前から、周囲の大国フランス・ドイツ・イタリア・ロシアetc.に蹂躙された歴史から
“永世中立国” になった。永世中立という事は、実は国を守るために大変な努力が必要だ。=どこの国も自国の利益最優先だから、どんな強国とも同盟は結ばず戦争もしない。その代りスイスへの侵略は許さず 国民が最後の一人になろうとも徹底して戦う。その為に18歳から48歳までは全員兵役義務(正規2年、予備役28年)、自宅には常時銃を置きいざという時は銃を持ち戦う。核戦争になっても国民が生き延びるために全戸核シェルター設置している。先の大戦でも国境線でドイツ戦闘機と闘って、スイスは全ての戦闘機を失ったがドイツの侵略を跳ね返した。こういう国防意識の高い国だからこそ、ナポレオンもヒットラーもスイスを侵略する事は出来なかった。現代日本は世界で最も危険な国々=中国・北朝鮮・ロシア・韓国に囲まれている。いまこそスイスの国防精神と知恵に学ぶ時だ。
スイスは外交面でもあらゆる努力を払い世界中に働きかけ、世界の重要な国際会議・機関はスイスに置かれている。 ジュネーブだけでも18の国際機関本部があり、毎年ダボス会議も行われている。
また世界銀行が集中し金融・経済面でも世界の重要な地位を占めている。 スイスは精密機械が得意で、世界最先端の軍需産業の中枢部分はスイス製品だ。 つまりスイスからの重要部品が届かなければ武器は性能を発揮しない。こういった高度な技術力は日本の得意とするところで、これからも『日本でしか作れない高度技術の製品を生産する技術立国』を目指せばよい。例えば北海道室蘭の日本製鋼所は、高温高圧反応塔や原子炉圧力容器や大砲の砲身などに不可欠の超硬度鋼を製作できる世界唯一の会社だ。こういう世界で真似のできない技術開発に力を入れていけば日本は強い。以前馬鹿な政権が『何故スーパーコンピューターが世界一でなければならないのですか?』と予算を削ったが、そのお蔭で中国に世界一の座を奪われ、日本はサイバー攻撃の脅威に晒されている。そんな愚を二度と犯してはいけない。
講演の後、高校生たちが山田さんを取り囲んでお礼を述べ、山田さんも思いが通じた喜びで、双方が満面の笑顔で握手しあっている姿が、とても眩しく感動的でした。
以下は、山田さんのシベリア抑留講演のダイジェストです。
1.ブラゴヴェシチェンスクでの3年間の抑留生活
私は昭和18年に旧制中学を卒業後、出光興産に入社し大陸に渡った。直ぐに戦局が悪化し、昭和20年1月に陸軍関東軍に入隊したが、そのころ主力部隊は東南アジアに移っており、ベテラン兵士も戦車も大砲もない状態だった。私は黒竜江(アムール川)の南岸国境を守っていたが、ヨーロッパでドイツが敗れたころから急に北岸に戦車が集結しだして『なんか変だぞ』
と思っていた8月9日に突如ソ連軍が攻め込んできた。
戦おうにも主兵力は南方戦線に移送され、僅かな武器で祖国の悠久を信じながら身を挺して善戦した。 特に対戦車肉薄攻撃 (戦車の下に潜り込んで手榴弾でキャタピラを破壊する。当然その兵士は死ぬ。) はソ連軍を驚嘆させ「アイグンスキー」と敵ながらその善戦を讃えたそうだ。この徹底抗戦は8月22日まで続き、ソ連軍は迂回して南下し玉砕することなく終戦を迎えた。
そして降伏して武装解除し、丸腰の捕虜となった。と言っても兵器は旧式の銃とわずかな弾丸しか残っていなかった。
2.敗戦による悲惨
武装解除して移送列車に乗る途中、開拓地から連行される母子たちに何人も出会った。
その殆どは、子供は餓死か殺され、母親や少女はソ連兵や中国人の慰み者になって悲惨な運命を辿って行った。のちに幸運にも奇特な中国人に育てられた残留孤児の事が話題になったが、実際はほんのわずかだった。
その人たちは私達軍人捕虜に『兵隊さん助けてください!』 と大声で助けを求めたが、武器を持たない私達は、もはや何もできず、ただただ黙々と歩くのみで、自らの無力さを感じるだけだった。
その時『命を懸けて国民を守れるのは兵器を持った軍人しかいない』と、敗戦の悲しみと無念さを嫌というほど思い知らされた。国際条約と頼りにしていた日ソ不可侵条約など紙切れのように無視され侵略される。ましてや『憲法9条があれば戦争に巻き込まれない』 などは子供の論理で日本でしか通用しない。 無防備なカエルなど獰猛なヘビや猛獣に一口で食べられてしまうだけだ。
ウイグルやチベットや内モンゴルでは、中国による侵略後、私達が経験したシベリア抑留よりも遥かに過酷で恐ろしい民族浄化が進行している。中国が日本を支配したら即座に天皇制を廃止し、日本人は中国人に隷属させられるだろう。それがどんな生活かは、私の抑留体験で容易に想像がつく。
3.極寒シベリアでの想像を絶する過酷な生活
日本兵のシベリア抑留者は57万5千人、その内5万5千人が抑留中に死亡した。
私達を抑留したのはシベリア鉄道建設の為で、沿線の樹木の伐採、枕木・線路の敷設が主な仕事で、鉄道路線計画に沿って収容所が設けられていた。
冬は零下30~40℃にもなる極寒の中で作業していると、鼻など大気に剥き出しの部分が凍傷でローソクのように白くなる。そのままにしていると鼻がもげてしまうので、お互いに『お前ローソク病になっているぞ』と声を掛け合っていた。それでも凍傷で鼻や足を失った仲間が沢山いた。 枕木一本敷設するのに人命がひとつ失われるくらいの過酷な労働だった。
元日本兵だけでなく、元ドイツ兵やソ連の政治犯など合わせると400万人ほどの強制労働者が一緒に働いた。そこで日本人と外人の違いを痛感した。例えば、船への荷役作業は重労働で一番厳しかったが、休憩時間の合図があっても日本人は運び終わるまで頑張るのが当たり前だ。
ところがドイツ人はその場で担いだ荷を川に放り投げる。 そして日本人に『お前たちは敵国のソ連の為に何でそんなに一生懸命働くのか?』と問い詰められて困った。 日本人はやりかけた仕事は最後までやるのが当たり前だが、世界は日本人とは違うと知った。
4.過酷な食糧事情
与えられる食料は、一部屋に一日黒パン一斤。それを均等に切り分けるのが大変で、不公平にならないようにパン屑ひとかけらも注意して分けて食べた。いつも空腹を抱えて重労働していた。
5.劣悪なトイレ
トイレは屋外に穴を掘り、その上に板を渡しその間に並んで用を足した。食糧がまともではないから下痢が多く、冬は零下30度以下で直ぐ凍ってタケノコ状になる。それがお尻を刺すので、木の棒で叩き壊さなければならない。その時飛散した糞尿が体にくっつき、ラーゲリに戻るとその匂いに悩まされる・・本当に息もできない辛さだった。
6.死者の尊厳も与えられない悲惨
沢山の仲間が過酷な強制労働に耐えられず亡くなったが埋葬もままならなかった。火葬にしたくとも木材を燃やすことは許されないので土葬しかない。しかしシベリアの凍土は岩のように固い。
どんなに頑張ってもツルハシが跳ね返されて30cmくらいしか掘れず、遺体の上に土をかけるだけの埋葬しかできない。数日後にはオオカミが掘り起し全て食い尽くされてしまう。生死を共にした戦友をそういう形でしか見送ることが出来ず断腸の思いだった。
7.共産主義の洗脳教育、同朋分断工作の恐ろしさ
ソ連が一番の恐れたのは日本人の団結だった。日本人の分断・破壊の為に日本人同士の密告や思想教育という『吊るし上げ』 が毎日行なわれた。日本人同士で『あいつの親父は警官だ。ブルジョアだ。民衆の敵だ』と日本人同士で一方的に吊るし上げるのだ。これはのちに中国の文化大革命で大々的に行われ数千万人が死んだと言われる。人間は極限状態に置かれるとその人の本質が出てくる。
本当に信じられないような嫌な面を見る事になり人間不信に陥る。これが一番つらかった。そして思想教育が出来たと認定された者から、スターリンへの感謝署名をして帰国を許された。 帰国後共産主義運動の推進者となった者も多い。(スターリンは2,000万人を、毛沢東は4,000万人を粛清・虐殺した人類最大の極悪人だ。=マシュー・ホワイト 『殺戮の世界史:人類が犯した100の大罪』)
8.信濃丸で帰国。日本の素晴らしさを改めて知る
3年間の抑留生活に堪えて信濃丸に乗船した瞬間『日本に帰った!もう安心だ!』 と実感した。日本は焦土になっていると聴いたが、そんなことはシベリア生活に比べれば大したことはないと思った。出光には1年の勤務で3年も行方不明だった私は当然解雇されていると思っていた。しかし舞鶴港で出光の旗と掲示板の『出光の皆様ご苦労様でした。駅前に受付がありますので顔を出してください』の掲示を見たとき信じられない思いで呆然として涙を流した。出光は海外資産をすべて失ったのに800人の海外派遣員を一人も解雇せず給料も払ってくれた。本当に有難い会社だった。これが日本だと改めて感激した。このことは時間がないので、またの機会に話しましょう。
※.何故戦争が始まるか、平和を希求しても戦争を仕掛けられる事を知ろう。
戦争は本当に恐ろしい。戦争は人を殺しあう事だ。人間が人間でなくなる。
しかし何故戦争が起きるか、望まない戦争が起きたとき、どうやって自分や家族や仲間=国民を守るか、それを日本人が全く考えなくなってきている事が一番恐ろしい。
日本は何故負けると分っている米国と戦争したのか? アメリカはドイツの侵攻で苦しむイギリスに参戦を求められていたが、ドイツはアメリカとは戦いたくないので、いくらアメリカがドイツを挑発しても米船を攻撃せず参戦できない。そこでルーズベルトは、それならばとドイツの同盟国である日本を挑発し、地球の裏側から参戦出来るように陰謀を張り巡らせた。理不尽な日本人排斥や石油禁輸(米国から80%輸入していた)を実行して、インドネシアへ侵攻せざるを得ない状況に追込んだ。所謂ABCD包囲網だ。 更に絶対受諾できない無理難題のハルノートを突付け、真珠湾を攻撃せざるを得ない状況に追い込んだ。 大恐慌後の経済立直し(ニューディール政策)が失敗し戦争経済で一気に回復させる意図があったことを、フーバー元大統領や政敵だったフィッシュ上院議員(共和党)が回顧録で指摘している。この二人は『大戦後の世界危機=共産主義の跋扈する世界危機を作った人類の敵は、ルーズベルトとスターリンだ』と指摘している。
フーバーとフィッシュは、大戦後それまで国民に秘密にされていた重要外交文書ハルノートの存在とルーズベルトの陰謀を知った。そして 『ルーズベルトはアメリカを裏切って、不必要な大戦にアメリカ国民を引きずりこみ、何十万人の国民を戦死させた。 アメリカが参戦しなければ、巨悪の独裁者スターリンとヒットラーが戦って共倒れし、中国は共産主義に支配されることなく日本と平和共存の道に進み、世界はもっと秩序立った自由闊達な民主主義社会になり、平和と繁栄を享受していた筈だと喝破している。
戦後GHQの洗脳教育で、『日本人は獰猛で日の丸を見れば戦争を起こす。国歌 君が代が教え子を戦場に送った。だから国旗・国歌大反対』と教える教育がはびこった。だが実際は反対だ。戦前の地球上は、英・仏・蘭・米の植民地支配でおおわれていた。 人種差別は当たり前の世界だった。それを日本が打破り解放した。 日本は大戦に敗れたが、英・仏・蘭・米による東アジア・アフリカ・中東の植民地支配を終焉させ、全ての国が独立を果たした。 7つの海を支配したイギリス・仏・蘭 (+独・伊) は植民地を失い、EC (FU) という互助会を作らないとやっていけないまで没落した。 これが真実の歴史だ。
皆さんがた若い人には、そういう本当の昭和の歴史を勉強してほしい。その際大事なことは、教科書や新聞・TVを鵜呑みにせず『なぜその事件が起きたか? どういう時代背景があったのか?』を納得するまで掘り下げていく事が一番大事だ。
そして世界平和を希求する 日本の国旗・国歌を大事にしてほしい。
最初に話したスイスの家々には必ず国旗が掲揚されている。またその国旗の色を裏返すと国際赤十字の旗になる。スイスは国民が国家を誇りに思い、また赤十字本部を自国に置く為に国際社会に働き続け、赤十字旗までスイス国旗に関連付けさせる努力をいきわたらせている。
いまの日本はどうか?
祭日に国旗を掲げる家は殆どない。
国旗に対して日本人ほど軽視している国民は世界中どこにもない。 そういう意識で、この世界中から愛され尊敬されている日本を大事にしていると言えるのか? 世界から尊敬されるに値する国民なのか?
日本の国旗『日の丸』は、世界の東端から太陽が初めて顔を出す日本国の象徴だ。また太陽は全ての民族・国家に平等に光り輝き、人類はみな兄弟だから助け合っていこうという意味が込められている。 世界で最もシンプルで素晴らしい国旗だ。
【参考】
2018年の中国全国人民代表会議で、習近平の終身主席への道を賛成2970 反対0 と全会一致で採択し反対派を封殺しました。反対は絶対に許さない これが『中華人民共和国』 の正体です。そして『人類最悪の4,000万人の大量殺戮を行った毛沢東を目指し、終身独裁を憲法に書込ませた習近平』は実質 ”皇帝”となりました。そういう共産党軍事独裁中国の脅威 を前にした私達日本人は、どう国民・国土を守り、平和な日本を将来も維持し発展させていくか を、国民一人一人が自分の切実な問題として真剣に考えるべき時です。
【 世界の残虐な大量殺戮 上位20 】
(出典:『殺戮の世界史:人類が犯した100の大罪』 マシュー・ホワイト)
順位
|
事 件 名 (発生年)
|
死者数
|
1
|
第二次世界大戦 (1939~45)
|
6600万人
|
2
|
チンギスハン侵略戦争 (1206~27)
|
4000万人
|
3
|
毛沢東 大躍進・文化大革命(1949~76)
|
4000万人
|
4
|
英領インドの飢饉 (18~20世紀)
|
2700万人
|
5
|
明王朝の滅亡 (1635~62)
|
2500万人
|
6
|
太平天国の乱 (1850~64)
|
2000万人
|
7
|
スターリン大粛清 (1928~53)
|
2000万人
|
8
|
中東の奴隷貿易 (7~19世紀)
|
1850万人
|
9
|
ティムール (1370~1405)
|
1700万人
|
10
|
大西洋の奴隷貿易 (1452~1807)
|
1600万人
|
11
|
アメリカの原住民虐殺 {1492以降}
|
1500万人
|
12
|
第一次世界大戦 {1914~18}
|
1500万人
|
13
|
安禄山の乱 {755~63}
|
1300万人
|
14
|
新王朝 (9~24)
|
1000万人
|
14
|
コンゴ自由国 (1885~1908)
|
1000万人
|
16
|
ロシア革命の内戦 (1918~20)
|
900万人
|
17
|
三十年戦争 (1618~48)
|
750万人
|
18
|
元王朝の滅亡 (1340~70)
|
750万人
|
19
|
西ローマ帝国の滅亡 (395~455)
|
700万人
|
20
|
中国の内戦 (1927~37、1945~49)
|
700万人
|
ヒットラーのユダヤ人虐殺は合計575万人、この表では20位にも入りません。
なお、ホワイト氏が指摘する日本の虐殺は島原の乱(37,000人)のみで比較にもなりません。東西軍合計20万人が戦った関ヶ原合戦の死者はこれ以下だったとしています。私達日本人は世界の中で類を見ない、最も戦争・虐殺に縁のなかった平和な民族だと言えるでしょう。(毛沢東も周恩来も鄧小平も話題にしたこともない 『南京虐殺20万人』 が、日本人にできる訳がなく、天安門事件以降の民主化運動弾圧から目を眩ます為の捏造事件です。 )
しかし私達日本人が考える平和常識は、世界の常識ではあり得ません。
山田さんのシベリア抑留は、上表 7番目のスターリン大虐殺2,000万人の中の出来事です。
その更に上を行く中国は、権力体制を確立し維持するためには、何千万人を平然と虐殺する価値観・歴史を持った民族であることを片時も忘れてはなりません。
左の図は1949年中華人民共和国が独立宣言した時の版図と周辺国です。 当時 『内モンゴル、チベット、ウイグル』 は独立国で、世界が朝鮮戦争に注目している間隙をぬって侵略し併合しました。そして大量の中国人を送り込み、悪逆な民族浄化・宗教弾圧を進めています。
かって日本が国家予算をつぎ込んでインフラ・教育等の充実を図った朝鮮併合とは真逆の侵略・圧政です。
【緊急お知らせ】山田さんの2019年最初の「シベリア捕囚体験講演会」が、4月6日(土)14:00~ 平和祈念展示資料館(新宿住友ビル33階)で行われます。是非皆さんに「山田さんの肉声の体験談」の聴講をお勧めします。(山田さんは今年94歳。残された機会は少ないと思います)
返信削除2020年4月6日、ついに山田さんが永眠されました。享年97歳。後輩・若者を育て、地域社会の福祉に尽力され、最後の仕事として『戦争語り部』として、平和ボケした現代日本人に警鐘を鳴らし続けられた、本当に偉大な生涯でした。心から感謝と哀悼の意をささげます。
返信削除