私は宮崎県都城市山田町で生まれました。 そして毎日当たり前のように美しい高千穂の峰を眺め、『何故あのように均整の取れた美しい姿になったのだろう?』
と不思議に思いながら育ちました。
しかし誰も納得いく答えを与えてくれず、みんな 『美しい、大好きだ』 とは言っても、どうやってできたかなど興味は無いようでした。
しかし誰も納得いく答えを与えてくれず、みんな 『美しい、大好きだ』 とは言っても、どうやってできたかなど興味は無いようでした。
その後、桜島、有珠山、普賢岳、三原山、三宅島、新燃岳、御岳山・・と続く火山大噴火に、大自然の脅威の前の人間の無力さを感じ、逆に火山への興味は大きくなり、色々な火山関係の本を読み漁りました。その中でようやく出会った
『フィールドガイド “日本の火山” 全6巻(築地書館)』 は、日本の代表的火山の形成過程を、詳しい地層解析から説明されており、とてもよくわかる学術専門書です。
そこで今回は、この本の解説に従い、『高千穂の峰』
の誕生・成長過程をビジュアルに解説します。この名山がある『霧島連山』 は、20座を超える色々な型の火山の集合体で、その景観の美しさから、日本最初の国立公園として指定されています。
【以下は、書籍 『火山に強くなる本』 (山と渓谷社)によります】
霧島山は、加久藤カルデラの南縁部に生じた20余りの成層火山や火砕丘からなる安山岩の火山群で、このうち高千穂の峰、中岳、大幡山、夷守山などは成層火山、韓国岳、大浪池、新燃岳、御鉢などは火砕丘です。いずれも小型の火山ですが、山体に比べて大きな火口を持っているという特徴があります。
有史以後の活動は、主に御鉢と新燃岳の山頂火口から起きていて、多くの死者を出し、集落が全滅するなどの災害をもたらしています。
もっとも古い記録は、742年、高千穂峰の山腹にある御鉢での噴火ですが、以後30回以上の噴火記録が残されています。中でも788年の噴火は、有史以後最大の噴火と位置付けられており大量の溶岩が流出しました。
1716年の新燃岳の大噴火では、噴石と火砕流により5人が死亡、600棟あまりの焼失家屋が出ました。
1895年~96年の御鉢噴火では、大量の降灰とともに、火砕流や泥流が発生、死者5人、焼失家屋22棟を数えました。
1900年2月16日には、御鉢の噴火で2人が死亡しました。
1959年2月17日には、新燃岳の噴火により噴石や火山灰が大量に降り注ぎ、森林や農作物に大きな被害をもたらしました。
2011年1月27日52年ぶりに爆発的噴火(ブルカノ式)。観光地として有名だったコバルトブルーの火口湖は消失し、直径500mの溶岩ドームが火口の高さまで成長しました。
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