東山魁夷画伯が90歳で逝去されてもう22年が経過します。
私は若いころ写真で “唐招提寺襖絵“ を知り、「一度は本物を見てみたい!」と切望するようになりました。そして2018年11月 国立新美術館で開催された「東山魁夷回顧展」がありました。30年目にしてようやく、初めて対面した本物は、想像以上に素晴らしく、その前に釘付けになりしばらく動けませんでした。
魁夷氏が世に認められる契機となった『残照』、御射鹿池に白馬が遊ぶ『緑響く』『花明かり』『ゆく秋』など、美しい日本の懐かしい風景に時間を忘れて見とれてしまいました。
中でも素晴らしいのは『唐招提寺御影堂障壁画』です。襖絵68枚が全て揃って展示され、その見事さに言葉を失いました。
唐招提寺は、中国唐から5回の来日渡航失敗して失明したのち、漸く来日を果たした奈良時代の帰化高僧 鑑真によって建立されました。魁夷氏は、1300年前の鑑真の労苦に思いを馳せ、失明した鑑真和尚に見せたかった日本の美しい穏やかな海や、薄霧に潤う新緑の森を描いています。この大襖絵の前には長椅子が設置してあり、時間を忘れて魁夷氏の世界に浸ることができます。また次の間は渡航失敗を繰り返した鑑真の故郷を水墨画で描いています。この襖絵の為に、魁夷氏は日本全国を旅し2000枚のスケッチを行い、制作完成まで10年を要したという入魂の傑作です。
【残照】 の追憶
【東山魁夷 回顧展より・・・2018年11月 国立新美術館】
情感に満ちた静謐な風景画により、戦後を代表する国民的日本画家と謳われてきた東山魁夷(1908~99年)の生誕110周年を記念する本展覧会は、東京では10年ぶりとなる大規模な回顧展でした。
本展覧会では、完成までに10年の歳月を費やした、魁夷芸術の集大成ともいえる唐招提寺御影堂の障壁画を特別に再現展示していました。
横浜に生まれ、東京美術学校(現東京芸術大)を卒業した魁夷氏は、昭和8年(1933年)にドイツ留学を果たし、のちの画業につながる大きな一歩を踏み出しました。しかしその後、太平洋戦争に召集され、終戦前後に相次いで両親を失い、敗戦の焦土の中で苦難の時代を過ごしました。どん底にあった魁夷氏に活路を与えたのは、自然が発する輝きでした。昭和22年(1947年)に日展で特選を受賞した『残照』の、日没の光に照らされて輝く山岳風景には、当時の魁夷氏の心情が色濃く反映しています。
魁夷氏の風景画の大きな特色は、初期の代表作『道』(昭和25年)が示したように、平明な構図と色彩にあります。この絵は単純明快な構図ながら、どん底の中から「この道しかない」と心を決めた魁夷氏の強い意志が表現されており、そのあとに続く傑作のスタート点となりました。
また日本のみならず、ヨーロッパを旅して研鑽を積んだ魁夷氏は、装飾性を帯びた構図においても自然らしさを失わず、見る者の感情とも響きあう独自の心象風景を探求し続けました。
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