2026年2月9日月曜日

10. 「豪雪地の親友と“北越雪譜”」

 現在、日本列島は記録的大雪で覆われ、各地で尊い命が失われています。そこで今回は豪雪地 南魚沼の友人と、南魚沼が生んだ名著『北越雪譜』(鈴木牧之)の「吹雪」を紹介します。



私は宮崎出身で千葉在住50年、70歳まで雪国の大変さに関心がありませんでした。それが6年前に南魚沼市在住の関川さんとFBを通じて「大事な兄弟」のように身近に感じるようになりました。そして4年前からヴァイオリニスト山内達哉氏の「南魚沼市内の小学校コンサート」へ毎年関川さんと行くようになり、益々「南魚沼は大事な第2の故郷」と思うようになりました。山内氏は私の宮崎実家を譲渡した方で、「関川さんと山内さんと私の出会い」は本当に不思議なご縁です。



新潟県は豪雪地ですが、田植えの季節から11月の紅葉の秋までは、関東と殆ど変わらない気候・景色で、夏はフェーン現象で関東よりも高温となります。ところが西高東低の真冬になると、大陸寒気団による雪雲が谷川岳連山で阻まれ、南魚沼地方は連日大雪となります。これは有史以前から続く厳しい冬現象ですが、大雪は空中のミネラル分を含み、雪解け水は「日本一美味しい南魚沼産米」を育みます。またその豊かな雪解け水を集めた魚野川は集積されたコメを胴高船が運び、またその名の通り鮭・マスが沢山獲れる豊かな恵みの川でした。

こういう江戸時代の暮らしぶりを、江戸中期に塩沢宿で越後縮問屋・質屋を営んでいた鈴木牧之は「北越雪譜」を発表し、当時のベストセラーとなりました。そしてこの本は、昔も今も変わらぬ厳しい南魚沼の豪雪暮らしぶりや、その中で育まれた互いに支え助け合う村人たちの温かい心などが余すところなく描かれています。

それは物質的には豊かでも、お互いの心の交流が薄くなり孤独になっていく一方の現代人に「大事なことを忘れていないか?」と問いかけています。

その中から最初に「吹雪」を紹介します。晴天だったのに急に吹雪になり遭難する若夫婦の悲しい話ですが、舅姑や村人たちの温かく優しい人間模様に胸が熱くなります。

 

北越雪譜より「吹雪」(現代語訳:田村賢一 元六日町小学校教諭)

吹雪は、樹木に積もった雪が風に吹かれて飛び散るさまを言いますが、その美しさゆえ落花になぞらえて花吹雪とも言い、古い歌にもたくさん詠まれています。しかし、これは雪の少ない国での話です。雪の多いこの越後では、雪を巻き上げる旋風のことを吹雪と言っています。雪の季節の一番の苦しみで、このために死者が後を絶たず、毎年悲しい話が伝わります。その例の一つを紹介して、吹雪を愛でる人々に豪雪地の吹雪の恐ろしさを話しましょう。 

 私(牧之)の住む塩沢からそれほど遠くない村に、一人の百姓がいました。実直な一人息子がいて両親にも良く仕えていました。22歳の冬、2里(約8km)先の村から嫁を迎えましたが、温順な性格で容姿も良く、そのうえ機織りの技術にも優れていました。

そのために夫の両親からも愛され、夫婦仲も円満で、翌年の九月には珠のような可愛い男の子が生まれました。家の中は春が巡って来たような喜びに包まれ、産婦も日ごとに元気になり、子供も十分な母乳を吸って日に日に成長していきます。長寿を願う名前も付けてやりました。この家の人々はみな親切で正直、しかも、農業と機織りに精を出して働きましたので、小農ながらも生活は安定していました。両親は孝行息子を持ち、よい嫁を迎え、可愛い孫をもうけたと村人の羨望を集めていたのでした。 

 ところが、人の運命とは分らぬものです。この家に思いがけない災難が襲ってきました。

 さて、子供が生まれてしばらくたったある日のこと、連日の雪がやんで久しぶりに眩しいほどの青空が広がりました。可愛い子供を実家の親にも見せたいと思っていた嫁が夫に、

「久しぶりに良く晴れたので、子供をつれて実家に行きたいのだけど、やらせてもらえますか」と言います。傍らで聴いていた舅が、

「そうだ。それはいい。向こうの両親がどんなに待っているかわからない。せがれも一緒に行きなさい。お母さんに孫の顔を見せて喜ばせて、ついでに、うんと自慢してきたらいい」

 嫁はすっかり嬉しくなって、姑にもこのことを話しました。姑は早速、土産の品を用意し始め、嫁は嫁で髪を結い、着物を着換えて綿の入った木綿の帽子も上手にかぶって用事を懐に抱き入れようとします。姑がそばから、

「乳をよく飲ませてからにしたがいい。道中では腹を空かせても飲みにくかろう」という言葉にも、初孫を慈しむ心がこもっていました。

 夫は衰、笠、藁のすねあて藁くつを履き、土産物を背負って両親に挨拶をして夫婦揃って出発しました。これが親子の終の別れになりました。そして返らぬ悲嘆の種になったのでした。 

 家を出ると夫は妻を従えて道を急ぎます。夫が、

「今日は、珍しくいい天気になったもんだ。よく思い立った。あちらの両親は、まさか三人そろってやってくるとは思ってもいないだろうから、孫の顔を見たらどんなに喜ばれるだろう」と言います。

「父さまはいつぞや来られたけど、母さまはまだ赤ん坊の顔を見ていらっしゃらないから、どんなに喜ばれるでしょう。もし暗くなるようでしたら一晩泊って良いですか。あなたも泊ってくださいな」

「だが、そうしてもいられまい。両親が心配して待っているだろうから私は帰る」

 夫婦でこんなやり取りをしながら歩いていきます。途中で子供が泣きだしたので乳首を含ませて、なおも道を急いで行きました。

美佐島という野原にさしかかった時です。空がにわかに曇ってきたのを夫が見て「これは吹雪になる。どうしようか」とためらっているうちに、たちまち激しい吹雪になりました。

地を吹き抜ける風は雪を舞い上げて、白龍が山の峰を登るような勢いです。先ほどまでの好天は、まるで嘘のように天地が荒れ狂って、寒風は肌を貫く槍と化し、凍った雪は体を射るようなすさまじさです。夫はあっという間に蓑、笠を飛ばされ、妻は帽子を引きちぎられて髪は乱れ、雪は遠慮容赦なく目や口、襟、袖、果ては裾にも吹き込んできます。 

たちまち全身が凍えて呼吸が苦しくなり、下半身は雪の中に埋まっていきました。

夫婦は声を限りに、「ホーイ、ホーイ」と泣き叫びましたが、通る人もなく人家も離れているので、助けに来てくれる人とてありません。次第に凍えて枯れ木のように強風に吹き倒され、夫婦とも頭を並べて雪の中で息絶えてしまいました。



この吹雪は夕方にはやみ、あくる日は晴天になりましたので、近所の人四、五人がこの場所を通りかかると、雪の中より赤ん坊の泣き声が漏れてきます。恐ろしさのあまり逃げ出そうとする人もいましたが、勇気のある人が声のするあたりを掘っていきました。

間もなく女の髪が現れました。「さては昨日の吹雪で行き倒れになったものに違いない」とみんなで掘っていきますと、夫婦が手を取り合って死んでいました。幼児は母の懐にしっかりと抱かれて、しかも母の袖に頭を包まれていました。雪にまみれずに、凍死を免れて両親にはさまれるようにして、また、声をあげて泣きだしました。雪中の死体なので、まるで生きているようでした。見知っている者がいて、夫婦であることが分かりました。 

幼児を雪から守り手を放さずに死んでいる、この若夫婦の心の内が思いやられて、涙を落とさぬ者はありませんでした。幼児を母の懐からそっと抱き取り、二人の遺体は蓑に包んで、夫の家へと背負っていきました。夫の家では、夫婦して嫁の家に泊まったものとばかり思っていたのに、この変わり果てた姿に一瞬声を失って立ち、やがて二人の遺体に取りすがって激しく泣き出しました。とても涙なしには見られぬ気の毒な光景でした。

仲間の一人が、懐の中に抱き入れていた幼児を取り出して、泣いている姑に声をかけて渡すと、涙にぬれた顔を孫の頬に押し当てて、嬉しいやら悲しいやら、一層激しく泣き出したということです。

吹雪が人の命を奪うのは、おおかたこのようにしてです。連日の好天も一瞬のうちに吹雪に変わるのは雪国の常です。そして吹雪の力は木を倒し、家をも押しつぶします。吹雪の為に雪国の人々は、どれほど苦しめられるか枚挙にいとまがありません。

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