私が「現役40年間で最も尊敬する技術者の塚原敏夫さん」と20年ぶりに再会しました。塚原さんは現役時代、前人未到の最新制御技術を数々開発し、出光の制御計器室の新設・リプレースには殆ど関与し、共同開発の横河電機が世界の制御技術会社に成長させた共同開発・立役者でもあります。
5~6年前から潰瘍性大腸炎に悩まされて68歳で退職しましたが、体調の良い時を見計らって大好きな北海道ドライブで「全道 道の駅」を走破するなど、何事にも前向きでチャレンジングな人です。しかし昨年心臓病手術のダブルパンチで入退院を繰り返し、小康を得て初めて外出したマックランチの再会でした。
「塚原さんは、まだまだ活躍し日本を元気にする人です。長期戦になると思いますが、北海道が待っていますので、じっくりと養生し健康を取り戻してください。暖かくなったらまたマックランチしましょう!」
塚原さんは昭和44年入社、出光石油化学徳山工場電気計装課に配属、4年後の昭和48年7月7日、出光歴史上最大のエチレン装置大火災事故が発生しました。
【市販本:失敗百選】「出光徳山エチレン火災」:誤操作による計器用空気線バルブの閉止により、全ての関連計器がフェイラーポジションとなり装置は緊急停止した。アセチレン水添塔も運転停止となったが、すぐに計器用空気が回復した為、再立上げを行った。その時の判断ミスと水素調節弁の不良のため、水素の流入・停止が繰り返された。その結果、エチレンの水添反応が起こり反応器内が高温になり、エチレン自身の分解反応に進行し塔内が高温高圧になった。そのため出口配管が開孔しエチレンが噴出、大火災を起こし88時間火災が続いた。
入社4年目の塚原さんは、目の前で爆発ファイヤーボールを見る恐ろしい大事故でした.しかしエチレン供給停止による徳山コンビナート全社停止の早期復旧・供給再開の為に、火災の中で復旧作業開始という厳しい企業責任・使命の重さを思い知らされました。それ以来、計装制御の安全設計、最適制御、新技術開発・導入に知力を尽くす最新技術開発人生が始まりました。(原発事故後の安全確認・審査が遅々として進まず13年以上もかかり、国民に30~40兆円の損失を与えている原子力委員会、関係官庁・国会議員の怠慢・無責任を思うと、塚原さんの爪の垢でも飲ませたくなります。)
この事故後、千葉にエチレン装置建設の計画が立ち上がりましたが、カナダ産の安価なエチレンが世界中に供給され計画は伸び伸びとなり、その時間的余裕を利用して、塚原さんは横河電機と共同で画期的な次世代型DCS(デジタル コントロール システム)を開発、昭和60年完工の千葉エチレン装置に初めて導入しました。その後このDCSは当たり前の制御システムとなり世界中に普及しました。
出光佐三店主は、入社式で必ず「卒業証書を捨てよ。学校で学んだことだけでは実社会では通用しない。謙虚に現実から学び自分を鍛えよ!」と、大学卒を戒めて訓話しました。懸念された通り有名大学卒の技術者はプライドが高く頭でっかちで、非常災害時などには判断力がないため役に立ちませんでした。(私もその一人です) むしろ工業高校出身の技術者が的確な判断をして対処し、また色々な困難な技術的問題にも柔軟な発想で独創的な新技術を輩出してきました。私が出光勤務40年間を振り返り、最も優れた技術者として尊敬するのは千葉工業高校出身の塚原敏夫さんです。
「昭和60年完成の出光千葉エチレン」
昭和48年の徳山エチレン大火災のあらゆる教訓を盛り込み、S60年に完成した千葉エチレン装置は、分解炉の前に4万Kwhのガスタービン発電機を設置して必要な電力を供給できる自立型プラントです。それだけでなくガスタービン排熱を分解炉で利用する徹底した効率化・省エネを図り、当時世界最効率の新鋭エチレン装置でした。
「昭和50年代の石油化学プラントの計器室」
現場の制御機器と1対1でパネル計器が設置され、2~3人のボードマン(制御監視担当)が常時監視し手いました。 またスタートアップや装置停止時には、この計器群を手順に従って緻密にマニュアル制御して行うため、10年以上の習熟した社員でないと安心して任せられません。またプラントが異常事態になった時は、そのベテラン・ボードマンでも対処できない為、交代勤務のボス=直長が全責任を負って操作します。そのため直長は「夜の工場長」と言われます。
「S60年完成時の千葉エチレン装置計器室」
それまで全世界の石油・化学プラントは「パネル計器方式」で、DCS(デジタルコントロールシステム)を全面的に取り入れた計器室は世界初でした。社内でも「S48のエチレン大事故のような大事故の時、こんなテレビ画面でコントロールできるはずがない!」と大反対する幹部が多い中、塚原さんは根気よく説得し、模擬機を使って納得させ、世界初の完全DCS化を成し遂げました。
私は、完成した直後のS60年、初めてこの計器室を見学した時「まるでNASAの宇宙ステーション制御室だ!」と感動しました。そこで色々確認作業をしていて、気さくに説明されたのが塚原さんでした。
「千葉エチレンの緊急停止装置(シャットダウンシステム)」設計思想
◆緊急時、通常感性から緊急時感性に感性フェーズ(段階)を上げなくてはならないのが誤操作が起こりやすい。
◆緊急時の操作は誤操作が致命傷になるので「➀シンプル イズ ザ ベスト、➁フール プルーフ(誤操作しても作動しない)」の設計思想が重要。従って重大災害・事故の時はマスタースイッチ一つで全装置が安全に停止するシーケンス システム にした。また各系・ユニット装置を個別に停止できる第2・3段階の系停止、ユニット停止のメインスイッチを設置した。(50年前の徳山エチレンの大火災は、系ごとの切り離しができなかったため数日間火災が止まらなかった)」
◆マスタースイッチの上位に大地震時の自動緊急停止(=250gal)を設けた。S60のエチレン装置完成直後、千葉沖大地震(震度6)が発生したが、正常に動作して緊急自動停止して安全性を実証できた。
◆世界中が大騒ぎした2,000年問題(特に製油所のK副所長は神経質で全計装担当を大晦日に招集して待機させた)も、塚原さんはスタンドアロンのDCSを使って何回もシミュレーションして全く問題ないことを把握していた。全世界が危惧したが全く問題は起きなかった。
「DCS更新(全取り換え)状況」
青作業服は横河電機の技術者。(出光はグレイ)45年前に設置された制御室の設計思想はそのまま継承されていますが、今も斬新で使いやすいDCSです。塚原さんの設計思想が、未来を予測した素晴らしい先見の明だったことが実証されています。
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