2024年8月3日土曜日

5. 勇気と力を与える命の詩人

 人の長い一生には浮き沈みがあり、時にはどん底で神からも見放されたのかと絶望感に打ちひしがれる時があります。そのような時に不思議と心に響き生きる力を与えてくれる一編の詩があります。 
人生折り返し点の40歳、私は胃癌を宣告され絶望の淵にありました。2年前に大好きだった姉が40歳でこの病に侵されて3年後この世を去っていました。『今度は私の番か!』 絶望の中で覚悟を決めたとき、この “二度とない人生だから” の詩に出会い生きる力を与えられました。『充実した今日一日を生きるだけで幸せではないか』、『普段あたりまえと思っている事が、本当は二度とない大事な出会いなのだ』 と気付かされたのです。
 その後、胃全摘出手術、1年後には腸閉塞で再手術して散々な3年間でしたが、『二度とない人生、一瞬一瞬を大事に!』 と前向きに過ごしてきました。そして完治して31年、古希を過ぎた今も元気に生き、この詩に力を貰っています。

 『二度とない人生だから』  坂村真民

二度とない人生だから
一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を傾けてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
踏み殺さないように心してゆこう
どんなにか喜ぶことだろう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど心豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさの露にも
めぐりあいの不思議さを思い
足を留めてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる月しずむ月
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの星々の光にふれて
わが心を洗い清めてゆこう

坂村真民(19092006)は、97年の生涯を教育と禅と詩の創作に打込んだ 『癒しの詩人』です。 真民は、詩集 『二度とない人生だから』(サンマーク出版)のあとがきでこう述べています。
二度とない人生だから」「一回きりの人生ならば」 二つを並べてみる。
まだ人生を知らない若い人は後者を選ぶだろう。でも人生の辛酸をなめ生き抜いてきた人は前者を取るだろう。前者は長く深く生きる生き方であり、後者は太く短く生きる生き方である。私は生まれつき、体も心も晩生(おくて)の人間だったから、前者を選び「詩と真実」を求めて生きてきた。

虚弱児だった真民は、19188歳の時校長だった父親を亡くして貧困のどん底に落ち、5人の子供を抱えて生きる為に苦闘する母の内職を手伝いながら育ちました。  国民の義務だった徴兵検査では 「筋骨薄弱第二乙」と不合格となり、コンプレックスに苛まれる青春時代を送っています。 しかし『筋骨は虚弱でも気骨、確固たる信念の強い心を持とう』 と短歌を作り始め、やがて教師の仕事の傍ら、詩と禅に打込みますが、40代に無理が祟って病臥するようになり、失明寸前の眼病に苦しみます。 それを奇跡的に乗り越え100歳近くまで現役の詩人として活躍しました。
こういう厳しい人生の中から生まれた真民の詩は『人はどう生きるべきか』 を命題に、人間としてのあり方を深く掘り下げ、人間として大きく、深く、強く生きよ と語りかける人生の応援歌です。そして今もなお、人間関係や仕事上の悩み、あるいは闘病に苦しむ人達に生きる勇気と力を与え続けています。

『念ずれば 花ひらく』

念ずれば花ひらく
苦しいとき 
母がいつも口にしていた  このことばを
わたしもいつのころからか 
となえるようになった
そしてそのたび わたしの花が 
ふしぎと
ひとつひとつ ひらいていった 

真民は、詩集『念ずれば花ひらく』(サンマーク出版)のあとがきでこう述べています。
この詩が生まれた時、私は眼を患い、絶望の底にあった。 街頭のどんな大きな字も全く見えず、心も体も暗い世界に落ちていた。眼科医で順番を待っていた時、母の事を思い、母の労苦に報いることなく、このような病気になった事を深く思い悲しんでいた。 その時生まれてきたのが、この詩であった。 そうした絶望の淵から生まれ出たことを思う時、この詩は神から授けいただいたのであることが、後になって分かった。
念という字は『今と心』 という字からできている。つまり、いつもそう思うという事である。ひとつの事をいつも思い続けていると、50兆あると言われる体の全細胞が、遺伝子がそうなっていく。そのことは現代の科学者が実証している。

私達も、それぞれが自分の夢や目標をしっかりと持ち、その実現に少しでも近づくように努力を積み重ねていきたいものです。 まさに、念ずれば 花ひらくです。
【参考】『念ずれば花ひらく』坂村真民:著(サンマーク出版)
    『二度とない人生だから』坂村真民:著 (サンマーク出版)

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