2024年8月3日土曜日

5. 都城盆地の誕生ものがたり

        「ふるさとの山に向かいて言うことなし、

           ふるさとの山はありがたきかな」 (石川啄木)

 私は都城市山田町で生まれ育ち「都城・霧島大好き人間」です。 



物心ついたころより毎日、「天孫降臨の高千穂の峰」を仰ぎ見、都城市へは約10km。「あの美しい高千穂の峰や、火山の総合デパートと言われる霧島連山、この広大な都城盆地はどうやってできたのだろう?」と子供心に不思議に思って育ちました。・・そして先日、金御岳に初めて登り、南北40km東西15kmの広大な都城盆地と、そのはるか向こうの霧島連山を俯瞰した時『ひょっとしたら都城盆地は巨大な湖だったのではないか?』という印象を抱き、調べてみると、まさに想像通りの太古の昔に巨大湖が存在したことが分かりました。https://www.youtube.com/watch?v=kLJEYsycohw&t=37s



 金御岳から見る霧島連山は遥か向こうで、都城盆地に浮かぶ小さな島のように見えます。それもそのはず、この広大な都城盆地は、かって巨大な湖でした!



かって日本列島は大陸にくっついていました。
3000万年~2000万年前に太平洋プレートの沈み込みによるマントル対流で、日本列島が大陸から切離され、南日本は時計回りに、北日本は反時計回りに捻じ曲げられてくっくき、現在の日本列島が形成されました。その後も日本列島は3つのプレートの動きで大変化を遂げました。

 約200万年前、九州山地から鰐塚山地が分離する地殻変動によりその間に湖が形成され、その後 周辺地域で相次いだ大規模火山噴火の噴出物によって次第に埋められていきました。当初は南側の標高が低かったため川は南へと流れ志布志湾に注いでいました。約11万年前の阿多カルデラ噴火=阿多火砕流、また約3万年前の姶良カルデラ噴火=入戸火砕流によって南側の標高が高まり、再び巨大な湖が形成されました。その後、その北端部を大淀川に侵食されて排水され、跡に残ったものが都城盆地です。



 都城盆地を掘削するとこのような地層が現れ、盆地は大昔は大きな湖だったことが分かります。そして度重なる巨大火山噴火で埋められていったのです。
4600年前・・霧島火山帯で最大級の噴火「御池火山噴火」では大量の軽石が都城盆地に降り注ぎ、地元では『ボラ』と呼ぶ「霧島御池軽石層」ができました。水の浸透性が良すぎて農作物が育たない地層です。
7300年前・・種子島西方の「喜界カルデラ大噴火」が発生し火山灰「喜界アカホヤ火山灰層」ができました。これも水の浸透性が良く農業には向きません。この地層の下の縄文人骨とその上の縄文人とでは明らかに異なるDNAで、「喜界カルデラ大噴火」で南九州に住んでいた縄文人は全滅したことが分かっています。
30000年前・・「姶良カルデラ巨大噴火」が発生、南九州は壊滅的被害がありました。この時錦江湾ができ、巨大火砕流は最大で厚さ100mのシラス台地を形成しました。都城盆地は2030mのシラス層の上にあると言えます。



 約30,000年前に発生した「姶良カルデラ巨大噴火」では大火砕流が発生し大地を覆いました。これをシラス台地と言い、垂水地区では厚さ100mにも達しています。もちろん生物は死に絶え何千年も不毛の地だったことでしょう。その凄まじさは錦江湾としてのこり、敷根から国分~重富の断崖絶壁がカルデラ壁として巨大噴火の凄まじさを今に伝えます。



九州は巨大カルデラ噴火が集中しています。
阿蘇(過去4回発生=27年前~9万年前)、阿多(11万年前)、姶良(3万年前)、喜界(7300年前)と比較的新しい火山噴火です。
又このほかにも、小林カルデラ(52万年前)、加久藤カルデラ(34万年前)
さらにさかのぼると、日本列島生成期の尾鈴カルデラ海底巨大噴火(約1500万年前)があり、日向市の馬ケ背などの巨大柱状節理を形成しています。


0 件のコメント:

コメントを投稿