粉飾決算・経営破綻の "東芝" や ”はれのひ” 、少し前の "カネボウ"(解散)"ヤオハン"(破綻)"山一證券"(倒産)など沢山の経営者が本来の企業の社会的責任・役割使命を忘れ 、目先の利益や虚偽実績作りや有望事業切捨て・人員削減などで、逆に会社存続危機や競争力衰退に陥らせています。 経営者は是非この吉谷さんのようなトップリーダーの役割責任を自覚し、会社の発展だけでなく社会発展の牽引者となって欲しいと思います。また若い人達も、自分が目指す将来像として参考にしてほしいと思います。 そして若い皆さんも立派な指導者に成長して、次世代の手本となる活躍をして『若者が目指す存在』 になって欲しいと思います。
吉谷所長が最後の勤務として58歳で赴任された時の第一声は、『事故の後処理で冷汗を流すよりも、事故未然防止の為に10倍の汗を流そう!』 でした。 そして文字通り先頭に立ち、身体を張って『無事故・無災害達成』
『部下後輩育成』 『重要経営課題推進』 等を指導されました。 退職されてから20年になりますが、その頃指導されたことが昨日のように鮮明に蘇ります。真の指導者だった由縁だと改めて感じます。 指導的立場にある方、また指導者を目指しておられる方々に是非参考にして欲しいと思います。
1.赴任最初の指示: 『“仕事の見える化”
を即実行せよ』
当時千人以上(定修時3~4千人)の大工場内でTPM (全員参加の生産保全 : Total Productive Maintenance)を展開していました。この活動の基本である『中期行動計画・実績のリアルタイム掲示板』
が2年以上設置されないままになっているのを、赴任草々、『活動版を1か月以内に完成させよ。多忙は理由にならない』
と指示して完成させ、活動を軌道に乗せられました。
特に遅れに遅れた重要課題に対して、『何を何時までにやり遂げなければならないか』
を具体的かつ明確に示して全員を強力に指導し、『リーダーはかくあるべし』 を身をもって示されました。
2.赴任半年後のSDM(定期全停止保全工事: Shut-Down Maintenance)
安全大会での訓話
『事故の後処理で冷汗を流すよりも、事故未然防止の為に10倍の汗を流そう!』『“お土産は笑顔が良いのお父さん!” 家族は皆さんの安全作業で元気に笑顔で帰宅するお父さんを待ちわびている。その家族の願いを胸に刻み、全員で無事故・無災害を達成しよう!』
また、SDM朝礼体操で作業員の中に入り込み、末端の作業員の肩もみを所長自ら毎朝実行されました。
3.同
SDM工事中 酸欠ヒヤリ事故発生時の訓戒
『事務所前の池の錦鯉が死んでいるのを誰も気付かず放置している。
そのような感度の鈍い人間にどうして酸欠トラブルが未然に防げようか? 常に生死を左右するような危険が付きまとう現場で、二次三次下請けの末端作業員が安全に作業できる環境を確立・保証する最大責任は我々にある!』
トラブルが起きると私達はその事象だけに眼を奪われ、本質的な問題を掘り起こさずに表面的対応で完了にしてしまいがちです。
『池の鯉の酸欠死』の例えは実に分かり易い例えでした。 (その後私達の仲間が自主的に池の清掃・水循環システム等の環境整備・保全を実施し池は復活しました。 今は保全事務所増設で池はなくなっています。)
4.1996年8月
重大トラブル続発で非常事態宣言
『高波による出荷桟橋陥没』
『豪雨による変電所建屋雨漏れトラブル続発』 『工事用ケーブル支柱鉄筋打込みで埋設制御ケーブル切断』 等の重大トラブル発生に歯止めがかからない状況を見かねて、全係長に対し次のように指示され、重大事故事例集を編纂し全所員に徹底されました。(私が編集委員となって取り纏めました)
『君達は定型的な事故報告書で一件落着としていないか?
このままでは “喉元過ぎれば熱さを忘れる” であり、何回でも同じトラブルを繰り返す。 現場を熟知したベテラン係長の君達が体験した重大トラブル時の身も竦むような恐ろしい思いを文章で残し、部下後輩に徹底せよ!
』
5.同年
真夏のタンク内清掃・塗装工事に対して
吉谷所長着任の2年前、タンク清掃・塗装工事中に溶剤爆発死亡事故がありまた。
50℃を超える灼熱地獄の内部塗装工事を短縮する為に、厳禁していた電動スプレーを使用して火花引火し爆発したものでした。着任最初の夏、吉谷所長は再発防止の為に次のように訓話されました。
『ただ禁止するだけでなく、50℃以上になる真夏の灼熱の中で終日作業をする末端作業員の身になって安全を考えよ。
クーラーの効いた部屋の机上で考えた安全対策は表面的で何の役にも立たない!』
そして実際に真夏の灼熱のタンク内に入り、その作業環境改善の為に強制換気量を増やし、作業員にも直接外気を送り、快適に作業できるよう改善されました。また作業員一人一人にお礼を言って握手・激励し記念撮影して配布され、『100の名講釈よりも、心のこもった1つの実践』 を身を以て示されました。
6.1997年7月 2年間の大改革を成遂げて勇退される時の訓話
『2年前の赴任前は事故が多発する大変な事業所だった。
正直この事業所だけは来たくなかった。それが皆の努力のお蔭で2年後の今、事故は殆ど発生しなくなり、TPMも見事優秀賞を獲得した。中でも僕の最大の誇りは、所員のみんなが大きく成長し、今回この事業所から副所長2人と課長6人を輩出した事で、所長としてこれほど嬉しいことはない。
所長名利に尽きる。 みんな本当に良く頑張ってくれた。有難う!』
私もこの時課長を拝命した一人で、2年間 『君の話は分からん。日本語で話せ!』 と、常に厳しい指導・鍛錬を受けましたが、その心の奥に熱い思いがあった事に気付き涙が止まりませんでした。 これらの吉谷所長の行動や指導・訓話は、20年を経過した今も私達の心に深く焼き付いています。
私もこの時課長を拝命した一人で、2年間 『君の話は分からん。日本語で話せ!』 と、常に厳しい指導・鍛錬を受けましたが、その心の奥に熱い思いがあった事に気付き涙が止まりませんでした。 これらの吉谷所長の行動や指導・訓話は、20年を経過した今も私達の心に深く焼き付いています。
平成24年に福岡市在住の吉谷さんを夫婦で訪ねました。現役時代と変わらぬ元気なお姿で、大きな目玉と笑顔と爽やかな語らいで温かく迎えてもらいました。『膝を痛めて大好きなゴルフはできなくなったけど、朝は西公園を散策し、ホテルカフェのモーニング・サービスを採って生活のリズム・健康維持して、博多のジェントルマンとして磨きをかけているよ。』と現役さながらの爽やかさでした。そして西鉄バスターミナルまで送っていただき、姿が見えなくなるまで手を振って別れを惜しんで戴いたことを思い出すたびに涙が出てきます。
0 件のコメント:
コメントを投稿