2012年大ヒットした映画
“レ・ミゼラブル” が、先日BS放映されました。
150年前発表の人類不朽の名作が、ストレートに現代の私達の心に響き、手に汗を握り、涙なしには見ることができないのは何故でしょう? それは、この作品が格差と貧困にあえぐ19世紀初頭のフランスの人々の物語でありながら、『絶望的な環境にあっても、より良い明日を信じ、今日を懸命に生き抜く人々の姿』 をリアルなまなざしで描きだし、それが色々な悩みを抱え悩むあらゆる時代の人々の心に、生きる勇気を与えてくれるからではないでしょうか。
物語は、飢えた姉の子供達の為に1個のパンを盗んだ罪で19年間の刑を受け、終身仮釈放の足枷を負わされ、生きる術を奪われた人間不信のジャン・バルジャンが愛に目覚める場面から始まります。 自分を助けてくれた神父を裏切って銀の食器を盗み逮捕された時、『いや、それは私があなたにあげた物です。』
と許して銀の燭台まで与えるミリエル司教の“無償の愛” を知るのです。
目覚めたジャン・バルジャンは、自分が遭遇する“社会最下層の悲惨な人々” に無償の愛を与え続けながら必死に生きます。
そしてもう一人の主人公はコゼットです。薄幸の母フォンティーヌが養育費送付の為に娼婦に身を落とし胸の病で絶望しながら死んだ事も知らず、悪どい安宿主に預けられていた幼いコゼットは、左の挿絵のように女中として酷使されます。この挿絵は、“レ・ミゼラブル(悲惨なひとびと)”
を余すところなく表現しています。物語ではジャンバルジャンに救われますが、この当時はこういう悲惨な状態の沢山の子供たちが酷使され、人知れず死んでいったのではないかと思います。 そして今もアフリカやシリア・イラクで犠牲になっているのは一番の弱者の子供たちです。
またもう一人の重要人物が、獄中で生まれ、『この世を支配し律するのは法律だけだ』 という信念で、ジャン・バルジャンを執拗に追い詰めるジャベール警部です。 フランス文学者の鹿島茂 明大教授は、作者ビクトル・ユゴーが伝えたかった事は、次ぎの事だと述べています。
またもう一人の重要人物が、獄中で生まれ、『この世を支配し律するのは法律だけだ』 という信念で、ジャン・バルジャンを執拗に追い詰めるジャベール警部です。 フランス文学者の鹿島茂 明大教授は、作者ビクトル・ユゴーが伝えたかった事は、次ぎの事だと述べています。
愛を受けた事のない惨めな人々(レ・ミゼラブル) を救うには、ジャン・バルジャンに象徴される 『だれか』
が、見返りを要求しない無償の愛を最初に与えなければならない。かってその『だれか』 はイエスであったが、イエスへの信仰が衰えた現代にあっては、その 『だれか』 は、一人ひとりのあなた(自分)
しかいないのだ。
現代の日本は、この時代とは比べ物にならないほど裕福な生活を得ていますが、心が満たされていない為か、身の毛がよだつ残酷な事件や、いじめによる自殺という悲惨な事件が後を絶ちません。混迷を深める現代に生きる多くの人に是非観て欲しい映画です。
参考: 「レ・ミゼラブル」 (新潮文庫)、 映画パンフレット
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