2024年9月5日木曜日

3. 「スイカ事件」と洋一さんの教え

  あれはジッとしていても汗が噴き出す真夏のことでした。 私は入社3年目の25歳、職場で起きた小さな事件です。当時の私は、東洋一の大製油所全体に電気・蒸気・冷却水(海水・工業用水)・計装制御用圧縮空気・飲料水などの用役を供給する動力課に勤務していました。その仕事性格上、24時間・365日間、間断なく運転する必要があり8時間交替の 『4直3交替制』 でした。1日を『1勤(8:001600)、2勤(16002400)、3勤(2400800)、もう1チームはシフト休み』 という勤務で、夫々を4日間勤務して休み、次の勤務時間に移るというものでした。


ある暑い夏の2勤の初日、自宅が農家の泉水さんが大きなスイカを4~5個持ってきました。田中洋一さんがリーダーで、総員12名のメンバー全員がゲップが出る程食べても、まだ1個余りましたので、明日の為に冷やして残しておこうという事で、マジックで『田中直所有、無断で食べるべからず』 と大書して、飲料用井戸水砂分離機フロー水のトレンチの中に保存しておきました。


さて次の日、舌なめずりしてトレンチカバーを開けるとスイカが蒸発しています さあ、曲がったことの大嫌いな洋一直長が、人間離れしたギョロ目を更にひん剥いて
怒りました。事実を確認するために、ゴミ箱を見るときれいに食べられたスイカの皮にマジックの文字が残っています。 『私の直で頂きました』とは、シフト申送りミーティングでも記録帳にも一言も述べられていません。・・こうした事実が一つ一つ明らかになるにつれて皆も怒りがこみあげてきました。なかでも洋一直長の怒りは凄まじいほどでした。 

 私が恐る恐る 『たかがスイカ1個、そんなに青筋立てて怒らなくても・・・』 というと、『冗談じゃない。食べたことが問題じゃない。あれだけマジックで書いておいたのだ。食べたのなら何か申し送りがあって当然ではないか。仁義を知らぬやり方だ!』 と、益々火に油を注いだような怒りようで手が付けられません。 このままでは2勤から3勤への申し送りが険悪になるのは必定で、そういう葛藤状態に耐えられない私は、こっそり3勤の独身寮友人に電話しました。すると律儀な木村君が直ぐにマイカーで大きなスイカを2個届けてきました。『1個はお詫びのしるしです。』 と首をすくめて謝ります。

 その日の申し送りは、3勤の面々が心から申し訳ないという顔をしており、2勤の仲間は、先程の逆上も忘れ、気の毒に思ったのかスイカの話題はついに出ませんでした。 

 これだけの他愛もない小事件なのですが、なぜか古希になった今でも、時折鮮明に蘇えります。あの頃の動力課仲間は兄弟のような人間関係を他職場から羨ましがられ 『仲良し集団』と揶揄されることもありました。結束力が強くバカなこともやりますが、自らの失敗は素直に認め反省する、実に人間臭い集団でした。

 ただ今になって思うと、あの時 『連絡するな。奴らがどんな顔をして出社してくるか見ようじゃないか』 といった洋一直長の言葉が、非常に大切な意味を含んでいたのだな・・と思います。 

【私たちは日頃、相手の立場になって考える半面、緊張・葛藤を避け、丸く収めようという傾向が強いのではないだろうか・・。これはその場は一時的に上手くしのげても、本当は大きく成長する機会を自ら放棄しているのかもしれない。もしスイカ事件も真正面からぶつかっていたら、あるいは 『食べ残すくらいなら、次の直にお裾分けするくらいの度量が欲しい』 くらいの反論は出たに違いない。】 ・・・と.

あの小事件から45年が経過します。 私達は人生の半分以上は職業人生で、その間 睡眠時間を除く生活時間の半分以上を職場で過ごします。 その中で色々な出来事・体験が積重なり、より深い人間性が形成されていくのだな・・・とシミジミ思います。いわば意見が対立する場面や葛藤状態こそ重要な成長の機会であり、そういう場面を忌避したり逃げたりするのは自らの成長の機会を放棄することになりかねません。


恐らくスイカ事件が45年たっても鮮明で忘れられないのは、そういう大事な事を教えてくれた事件だったからに違いありません。 

如何だったでしょう? 読者の皆様なら、こういう場面に遭遇した時どうされますか?



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