2026年3月4日水曜日

3. 「真に働く」を貫く(長谷川さん)

百年に一度の傑物と言われた出光佐三店主は、明治44年6月 門司で出光商会(出光興産の前身)を創業しました。

その基本理念は、神戸高商の恩師:内池廉吉博士の教え『消費者本位=生産者から消費者へ直結した流通・販売』でした。当時は日露戦争直後の成金万能の時代で、「金銭の奴隷になるな」と理想を掲げての創業は、死線を彷徨する苦しみの連続だったとあります。そして漸く事業が安定した昭和15年に創業30年間貫いてきた経営理念を紀元2600年を迎えて店員諸君と共に』として纏め、全社員に徹底しました。その骨子は、人間尊重、大家族主義、③独立自治、黄金の奴隷になるな、⑤生産者から消費者へ】です。この精神的基盤があったからこそ、戦後無一文になった出光に帰還した1000人の社員が一致結束して戦後復興に当たり、「日章丸事件」のような世界を驚かす偉業を次々と達成しました。 

そして昭和32年世界最新鋭の徳山製油所が完成します。当時3年はかかると言われた大建設工事ですが、店主は「人が結束して真に働けば10カ月で完成する!」と目標を掲げ、それに向けて出光社員が猛烈に働き、それに触発されて現場の下請作業員も懸命に働き、ついにはライセンサーUOPの技術指導員までもが突動かされ、本当に10カ月で完成し世界を驚かせました。そしてこの仕事の取組み姿勢が出光技術陣の原点となりました。その後、千葉・兵庫・北海道・愛知・沖縄と次々に製油所が誕生しましたが、出光技術陣の「一致結束して真に働く姿勢」は確実に受継がれて行きました。 そして店主の経営理念をしっかりと咀嚼して身に着けるために、全職場で紀元2600年を迎えて店員諸君と共に』をテキストとした自問自答会が継続的に開催されるようになりました。

しかしこの基本理念は、出光創業30年間の流通・販売事業苦闘がベースであり③独立自治、黄金の奴隷になるな、⑤生産者から消費者へ』は、私達技術系社員には頭では理解できても中々実感できませんでした。私は「出光技術者として手本・目指すべき先輩がいる筈」と思ってきました。目の前の仕事をこなすのは勿論大切ですが、『人間として尊敬でき、人生の師匠となる先輩を探し当て、いつも目標にして研鑽すること』 が、私には一番大切なことでした。

自由気儘な学生から社会人になると、初対面の職場の人間関係、上司関係、お客様との信頼関係、初めての仕事、健康な私生活維持・・・全てを自己責任で切抜けていかなければなりません。それだけでなく身の回りに想定外の出来事や大事件が起きたりして、何も手につかず呆然と立ち尽くし悩み苦しむことが屡々あります。 そういう学生時代には想像もしなかった厳しい現実、不安や悩みの多い時期に必要不可欠なのが、心から信頼し相談できる友人や先輩や恩師の存在です。

私は入社3か月目に独身寮同室の4年先輩が不審死する衝撃がありました。また2年後 中央訓練所での新入社員教育でお世話になった寮監さんがガス爆発で殉職されました。訓練棟でガス漏洩発報、寮母さんを安全な場所に避難させて、一人で点検に行きドアを開けた瞬間に大爆発した尊い悲惨な事故でした。・・・社会人生活は、そういう想定外の大事件が突然、何度でも襲ってくるものです。そういう時にパニックにならないよう、常日頃から人生の師匠に学び、『自分は何のために働き、生きているのか・・』を、常に自問自答して心の鍛錬をしていく必要があります。

 今回は、出光技術陣の最大の危機を救い「出光技術者のあるべき姿」を示された長谷川さんの紹介です。

1.長谷川さんの新人時代

佐三氏の出光商会創業から60年後、長谷川さんは昭和43年に入社、出光の原点:潤滑油部門でスタートしました。


当時は千葉製油所内に高性能潤滑油ベースオイル精製プラントを建設中でした。期待の優秀な新人 長谷川さんは、その新装置重要機器の超高圧水素ガス圧縮機(200気圧≒20MPa≒200/㎠)のメーカー工場立会検査に派遣されました。 国内でも類を見ない最新鋭圧縮機でしたので、メーカーも取扱いに慣れておらずフラッシング不足で、性能検査中に機械内の残留油(潤滑油など)が断熱圧縮で気化爆発して火災が発生したのです。立ち会っていた出光関係者3人は大やけどを負い長期入院を余儀なくされました。

以来、長谷川さん自身のミッション、ライフワークは『安全・安心のプラント運転技術確立・維持向上』となりました。現場復帰後は安全環境部門のスタッフとなり、常に最新の国内外事故事例を入手し、毎朝各現場朝礼で全員に紹介して啓蒙・安全意識の高揚に努力されました。 長谷川さんは 『大事故原因の8割以上は人的要因・ヒューマンエラー』  という厳しい現実を力説し、現場の意識改革を推進されていました。

昭和47年度入社したばかりの私は『長谷川さんは、20歳半ばなのに課長・係長よりも説得力がある。小心者の私には、4年後あのような重要な仕事を使命感持って所員に啓蒙することはとてもできない・・』と、いつも畏敬の念で仰ぎ見ていました。

 

2.長谷川さんの中堅時代の活躍

私は、昭和54年6月に本社人事部異動発令を受け、挨拶に行ったときの長谷川さんのアドバイスは今も心に鮮明に残っています。 『今までは異動して新しい仕事に就いたら “守破離” を3年で完結せよと言われてきた。時代変化のスピードが速くなったこれからは、それを2年で完結するつもりで頑張れ!』 と・・


昭和54年、長谷川さんは出光創業70周年・千葉製油所操業20年に向けた『業務改革・意識改革にアタックするルネッサンス活動=A70活動』 の初代事務局に抜擢され、北山さん・菅原さんと共に所員を牽引しました。そして40年後の今もエンドレスに続く業務改善・改革活動の基盤を作られました。

長谷川さんの重要ミッションは、創業者の佐三店主が指導された 『“ひとり一人が経営者” を工場現場での実現すること』 です。上位下達・指示待ち・マニュアル人間で保守的な工場勤務者に対し、自ら考え工夫改善・改革しながら限りなく自己変革し成長する人間への脱皮活動推進です。長谷川さん達事務局の役割は、縦割りの組織に小集団活動で横串を差し、織物のような強固で創造的な仕事集団をつくる事でした。特に日頃目立たない大人しく真面目な所員にスポットライトを当て、小集団活動のリーダーにしたり、所内発表させるように現場の課長・係長に配慮・指導を求め 『ひとり一人が自分の持ち場の経営者であることを実感する活動』 を定着させました。 (ただ当時の製造部長は元海軍出身で秩序や上意下達を重視し『改革派は下剋上、秩序を乱す紅衛兵運動だ』 と阻害され続けました。)

 

その後、兵庫製油所運転課に新任課長として赴任された長谷川さんは、従来の課長と全く違いました。毎週2回行われる課内会議では、『聴きたいことがあったら何でも質問しなさい。職場・製油所の事でも、本社の事でも何でも答えるよ』 と言って、あとはニコニコしながら課員の質問・発言があるまでいつまでも待つのです。質問がないと無言の時間が続くことになりますが気にする様子はありません。むしろ気になって色々考えだすのは部下の方です。そうやっているうちに課員からの主体的な発言・質問が増えていき活発な課内会議になっていきました。

また個人面談や活動目標面接などで最初に質問されるのが 『君のミッションはなんだ?』 と考えさせることでした。 これは何歳になっても答えづらい質問です。(古希の私も、自分が今 生きるミッションは何だ? と自問自答しますが、中々答えられません・・・汗)

こういう運転課員が主体的に自分の頭で考えことを第一義的に重視する姿こそは、創業者出光佐三店主が理想とする『一人一人が自分の現場の経営者』の実現でした。

 

3.長谷川さんの微笑ましい家族エピソード

長谷川家は当時珍しいほどの子沢山(6名)で、6人目が生まれた時『給与明細の家族手当欄が1桁足りない』と人事部で大騒ぎになり、この時から6桁(10万円越え)に変更になりました。・・この6名が兵庫製油所の家族会に来所した時の話です。

上の3名は徒歩で先に到着し、奥さんは自転車の前後に2名乗せ背中にもう一人を背負い汗を流しながら到着されました。『子供6名を育てるのは本当に大変だな!』と思ったものです。その子供たちは家族会の中でもひときわ活発に楽しく遊んでいました。 さて会が終了して家族を見渡すと4番目の子がいません! しかしそれからの行動が見事でした。

『お母さんたちは此処を動かないで!』と母と幼児二人を残し、上の3人が3方向に散らばり、あっという間に迷子の4番目の子を見つけて連れてきました。『長谷川さんが職場で指導されている “自ら考え自ら行動する“ ということは、このことか!家庭でも実践されているんだ!』と改めて感動した一コマでした。


 長谷川さんは、そのあと北海道製油所副所長、九州液化瓦斯基地社長、平成15年9月M.0の十勝沖地震で発生した大タンク火災の大混乱を収拾する切り札として、出光技術陣トップの製造部長に就任されました。

 

4.技術部門最大窮地で救世主となった長谷川さん

入社以来、接した先輩方は 店主の教えを実践すべく常に奮闘努力されていました。私が遭遇した会社の一番の危機は、バブル崩壊で約3兆円という会社開闢以来最大の有利子負債を抱え倒産寸前となった時です。当時の経営陣はシェア日本一を目標に邁進し莫大な投資をした直後のバブル崩壊で、多額の借金を負い経営危機に陥ったものです。しかし店主の理念に心酔し研鑽してきた出光社員の総合力は見事でした。僅か2年でこの危機を乗り越えて一部上場を果たし、経済・官界からは奇跡と呼ばれました。


この間 製造部門では、超エリートの独断型製造部長が、人件費削減目的で『操業分業分担 =運転リーダー・制御ボードマンだけを正社員とし、残り大半の現場操作員は転籍・分社化する』を、現場役職者の強い反対にも拘らず強引に進めていました。極限のコストカットを求められる経営危機でしたが、これは根本の経営理念に反する余りに安直な人件費削減策でした。

昭和五十年後半からの高度成長終焉不況、バブル崩壊後の超氷河不況期に、他社が大量解雇・人員削減を実施する中「社員が資本」の出光技術陣は、退職補充なし(運転員新規採用ゼロ)を約二十年間続け、世界一少数精鋭の運転PE(プロダクション・エンジニア=スタッフ業務もこなす多能技術者)を実現しました。「操業分業分担」はその血の滲むような努力を踏みにじるものでした。


かって店主は、もっと苦しかった終戦後、無一文になった出光の社員 1000 人を『社員は家族だ!』と一人も馘首せず、幹部自らタンク底にもぐって残渣油を回収したという『極限危機での家族主義の実践』示していました。・・えてして「頭の良すぎるエリート」は目先の金銭に囚われたコストの奴隷になってしまいます。(現在、この手の自意識だけは強く理念なきエリートが日本の中枢=国会、官公庁、大企業の幹部を占め、今日の日本の大混乱や危機を引起こしているのはご承知の通りです。)


これに対し長谷川さんは断固反対の信念を貫き通し行動されました。

そんなことをしたら世界一の少数精鋭の和が分断されチームワークが失われる。 現場の強固な一体感こそが出光の高度な安全安心運転や独創的な改善・改革の源泉だ。  この誤った方針では出光理念の “一人一人が経営者” の精神を捨てることになる。大災害時に果たして一枚岩のチームとして機能できるか?』 と・・・。

長谷川さんがおられなかったら、恐らく出光の製造現場の和の力は失われ、他社と変わらないセクショナリズムや対立闘争の場になっていたことでしょう。 しかしこの時の製造部長は聴く耳がなく、部長方針に反対する役職者の多くは冷遇され異動、長谷川さんは九州の小さな関係会社に出向となりました。(ひとりの権力者が多くの有意の方々の人生を狂わせる・・企業とは恐ろしい一面があります。)

 

そういうさなか、平成15年9月マグニチュード8.0の十勝沖地震が発生、長谷川さんが危惧した通りの緊急事態となりました。

工場から200km沖合が震源地であったため、長周期波により北海道製油所石油タンク群の浮き屋根が大きく波打ち破壊されて出火、3万トンのナフサタンクで大火災となりました。


この時の現地責任者の 所長は、海外勤務経験もある超エリートで情け容赦ない合理主義のコストカッターでした。工場守護神社や地元の樽前神社の例大祭も、南北海道最大の「港まつり」参加さえも無駄とばかりにカットし「地元と共に発展する」 の社是はすっかり忘れられていました。それゆえ自然災害原因の大火災なのに、地元の同情は全くなく、消火活動で仮眠も満足に取れないほど頑張っている出光を、メディアや市民は連日厳しく追及しました。 

そういうなか所長は『火災はコントロールされているからタンクが壊れて港に火災が広がることはない』と発言して火に油を注いでしまいました。 確かに火に炙られたタンク側壁は蛇腹のように縮み裂けることはなく、その通りなのですが「消防車の放水が全く効果ない大火災がコントロールされているとは何事か!」と大反発を受け、二度とメディアの前に出られなくなりました。住民を大不安に陥れている最中に誠に無神経な発言でした。

 

本社もメディアに厳しく追及され、たまりかねた天坊社長は 『今回の火災の根本原因は地震という天災だ。いわば出光も被害者で全国から社員を集めて災害対策・復旧に不眠不休で頑張っている。何故そのように出光の責任ばかりを追及するのか』と抗弁しました。現場で頑張っている社員たちは『社長が私達を応援してメディアと戦ってくれている!』と百万力を得た心強い感動を覚え、益々頑張りました。

ところが、かの製造部長『いや、これは人災だ。私も経営陣の一人として責任がある』 とメディア発表し折角の社長発言を打消しました。その為『事故隠しではないか!』とマスコミの追及は増々激しくなりました。・・今でもあの時の製造部長は、何の目的で、何故あのような発言をしたのか・・? と理解に苦しみます。

こういう四面楚歌の状態を打破すべく、長谷川さんが九州の子会社から呼び戻され製造部長となり陣頭指揮を執ることになりました。そして現場対応は勿論、総括課長(現副社長)のメディア対策、現地の新所長を中心とした結束が効奏して漸次収束に向かい、地元の信頼を回復していきました。

 

そして長谷川新部長は、前製造部長が強引に進めていた『操業分業分担』は出光根本理念に反する非現実的施策であるとして、即中止決定されました。

私はあまり霊魂や超常現象を信じる方ではありませんが、この時ばかりは出光佐三店主が技術部門全社員に対して『君たちのやっていることは出光の進む道ではない!』と鉄槌を下されたのが、あの大タンク火災だったのではないか・・と強く感じました。そして本来の出光に戻すべく長谷川さんを遣わされたのだと確信しました。

長谷川さんは、普遍的真理 『人の和こそが安全安心の基本であり、偉大な成果を生む源泉である』 を出光の製造現場に定着させた出光技術陣の救世主だった私は今でも感謝しています。


しかし偉大な佐三店主死去後の出光は、宗家2代目社長の顔色をうかがう風潮が強くなり理念と現実の乖離が進んでいました。「生産最優先の製造現場」で出光理念を実現しようと奮闘される長谷川さんのような骨のある真の出光らしいリーダーは、逆風の中で孤軍奮闘の苦しい戦いの連続でした。のちに退職された長谷川さんが『もう出光の事は考えたくない』と言われたのが強く印象に残っています。

 

5.長谷川さんの第2の人生

長谷川さんは勇退後、元校長だったお父さんが退職後取り組んでおられた農業(甲府名産の干し柿)を継ぎました。まず地元農業大学で半年学び、老舗の農家に弟子入りして技術を磨き、現在 毎年3千個(いずれ1万個を目標)の高級干し柿を生産をするまでになられています。



私は退職後、真っ先に心から尊敬する長谷川さんの山梨の自宅を訪問しました。そして昔と変わらない、気さくで暖かい笑顔で心から歓迎してもらい感激でした。

 3種類の干し柿をいただきましたが、その甘さ、適度な柔らかい食感、こんな美味しい干し柿は生まれて初めてでした。

  ものすごい集中力と弛まぬ努力、いかにも長谷川さんらしく、感動・感動の連続でした。

 そして『長谷川さんこそ私の生涯の心の師匠だ!本当に素晴らしい先輩と巡り合えた!』と、心から感謝しています。

2026年3月3日火曜日

3. 安倍さんの遺言を引継ごう!

 不世出の大宰相、安倍元首相が凶弾に倒れて3年が経過ました。今思い返しても深い悲しみと無念を感じます。当時の世界の首脳、特に安倍さんと真反対の独裁者からも寄せられた「痛切な弔意・哀悼」に、安倍さんが果たしてこられた世界危機打開へのリーダーシップの敬意と感謝、その偉大な指導者を失った絶望感がにじみ出ています。(本文の最後に掲載しています)

 安倍さんを失った3年間で日本は、思想信条が安倍さんとは真反対の「引籠り無能総理=石破首相」が無為無策で外国の信用を失い孤立・混迷を深めています。

 時あたかも参議院選真只中、いまこそ腐りきった自民党・公明党・立憲民主党は見捨て、安倍さんが指導し、やり残した「戦後見失った日本人の誇り、世界平和に向けての重大な役割」を、私たち国民一人一人が、引継ぎ担う責任があります。そしてその道標は、2015年8月14日の戦後70年首相談話』に遺言としてしっかりと残されています。これからは私たち自身が安倍さんの志の実現に向けて力強く前進していきましょう!

 

安倍首相 戦後70年談話』に思う 2015年8月22日

 2015年8月14日、安倍首相は『戦後70年首相談話』を発表しました。

 明治維新から150年、戦後70年の日本の歴史に基づき、『近代化を進め、世界平和を希求しながらも、世界を覆う白人国家による植民地化・経済ブロック化の包囲網の中で(孤立無援の東アジア解放・独立)戦争の道に進み、国内外に多大の犠牲を強いた事に痛惜の念を覚える。』と客観的な歴史観に基づいた納得度の高い談話でした。従来の村山首相談話などの 『日本が、ある日突然 軍国主義の怪物国家になり近隣諸国に理不尽な侵略を始めた』 という短絡・自虐的な首相談話等とは真逆で、またその内容は単に日本に留まらず、世界や全人類が現在・未来に対して背負うべき普遍的役割責任をも包含する格調高いものでした。

安倍首相は、かねてから『美しい日本を取り戻す』、『戦後レジームからの脱却』 を掲げてきました。新聞に掲載された談話全文を何回も読返し『この難しい大事な時期に、日本が素晴らしい首相を得ている事は本当に幸運であり有難い』 と心から感謝の念を強くしました。 

私達は本談話を基に、日本や世界の歴史を深く理解し、自分が果たすべき役割・責任を担い実践していく事が重要なのではないでしょうか。

 誠に僭越ながら、今回のブログは首相談話の心に残るフレーズを掲載しました。本来全文を通して読まないと安倍首相の正確な趣旨は伝わらないと思いますが、備忘録・抄録として活用していただければ幸甚です。

【安倍首相 戦後70年談話 要旨】

●戦後70年を迎えるに当たり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならない。

●百年以上前の世界には、西洋諸国を中心にした国々の広大な植民地が広がり、西洋中心の植民地支配への危機感が日本近代化の原動力となった。日露戦争は多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた。

●第一次世界大戦で一千万人以上の戦死者を出した悲惨さに、戦争違法化の潮流が生まれ日本も足並みをそろえた。しかし世界恐慌後の経済のブロック化で打撃を受けた日本は孤立感を深め、力の行使による解決を試み、国内政治システムはその歯止めたりえなかった。

●日本は次第に「国際社会が築こうとした新しい国際秩序への挑戦者」 となっていった。進むべき針路を誤り戦争への道を進み、国内外の数多くの人々が犠牲となり、70年前に敗戦した。何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を与えた事実の前に断腸の念を禁じ得ない。

●これ程までの尊い犠牲の上に現在の平和がある。これが戦後日本の原点だ。

●二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。 事変・侵略・戦争、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、全ての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国はそう誓った。

●自由で民主的な国を作り上げ、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきだ。 そう誓って堅持してきた70年間に及ぶ平和国家としての歩みに静かな誇りを抱きながら、この不動の方針をこれからも貫いていく。

●国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに永劫(えいごう)の哀悼の誠を捧(ささ)げる。

●わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わび)の気持ちを表明してきた。その思いを実際の行動で示すためアジアの平和と繁栄のために力を尽くしてきた。こうした歴代内閣の立場は今後をゆるぎない。

●戦後600万人を超える引揚者が無事帰還でき、日本再建の原動力となった。中国に置き去りになった3000人近い子供達が彼の地で無事成長し再び祖国の土を踏めた。また米英蘭豪などの元捕虜の皆さんが長年にわたり日本を訪れ互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている。 その寛容の心によって、日本は戦後国際社会に復帰できた。

●戦後70年にあたり、我が国は、和解の為に力を尽くして下さった全ての国々、全ての方々に、心からの感謝の気持ちを表したい。

●日本では戦後生まれの世代が8割を超えた。 あの戦争には何ら関わりのない子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないが、それでもなお、日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない。

●我が国は、20世紀の戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去をこの胸に刻み続け、そうした女性たちの心に寄り添う国でありたい。女性の人権が傷つけられない21世紀とする為に世界をリードしていく。

●我が国は、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を胸に刻み、如何なる国の恣意にも左右されない、自由で公正で開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄をけん引していく。繁栄こそ平和の礎だ。

●我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値をゆるぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」 の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく 


【世界の首脳が寄せた追悼の辞】 Will 9月特集号より

〇故エリザベス女王 (英国王室)

 「安倍晋三元首相が突然、悲劇的な死をお迎えになられたという報に接して、私達家族は深い悲しみに暮れています。 2016年にイギリスをご訪問なさった際に、安倍首相ご夫妻にお会いできたことはよき思い出です。安倍氏が日本を愛し、イギリスとの絆をさらに深めたことは明らかでした。このような困難に際して、安倍首相のご家族と日本皆様に、深いお悔やみを申し上げたく存じます。」 (弔辞)

〇ウィリアム王子(英国王室)

 「安倍晋三元首相が亡くなられたことを知り、深く悲しんでおります。本物の政治家であり、献身的リーダーでした。2015年に訪日した時、私に与えて下さった暖かさ、寛大さを決して忘れないでしょう。私の思いはご遺族と日本の人々と共にあります。」

〇ドナルド・トランプ(前アメリカ大統領)

 「安倍晋三氏がどれ程優れた指導者だったかを知るものは、まだ少ないですが、歴史は公平であり、やがて誰もがそれを知るようになります。安倍氏には独特の、しかも飛び抜けた統率力があり、素晴らしい祖国である日本を愛し大切にしてきました。安倍氏の不在は大いなる悲しみを生むでしょう。彼のような人物が現れることは決してありません。」

〇バラク・オバマ(元アメリカ大統領)

 「友人であり、長年一緒に仕事をした安倍晋三元首相が暗殺された事に、衝撃と悲しみを覚えます。安倍元首相は、日本および日米同盟の双方に尽くしてこられました。日米同盟を強化するために行った活動や、広島と真珠湾を一緒に訪れた感動的な経験、そして安倍明恵夫人が私とミシェルに見せてくれた優しさをずっと忘れないでしょう。ミシェルと私は、この痛ましい瞬間に、日本の人々に深い哀悼の意を表します。」

〇アンゲラ・メルケル(前ドイツ首相)

 「かっての長年の同僚である安倍晋三氏に対する恐ろしい暗殺の知らせに、非常に驚愕し失望しています。私達はお互いに信頼を寄せて、緊密に協力し合ってきました。私は安倍氏と一緒に仕事をするのが楽しみでした。私の気持ちは安倍氏、昭恵夫人、そして彼の家族とともにあります。」

〇ジャスティン・トルドー(カナダ首相)

 「安倍晋三氏の暗殺は、信じられないほどの衝撃的な出来事で、私は深い悲しみに包まれています。世界は高い志を持った人物を失い、カナダは親しい友人を失いました。奥様の明恵さんと日本の皆さまと共にご冥福をお祈りいたします。 本当に寂しくなりますよ、安倍さん」

〇ナレンドラ・モディ(インド首相)

 「親愛なる友人である安倍晋三氏の悲劇的な死に、言葉では尽くしかねる衝撃を受け悲しみに暮れております。安倍氏は世界を代表する政治家であり、卓越したリーダーであり実務家でした。安倍氏は日本と世界をよくするために人生を捧げました。」

〇蔡英文(台湾総統)

 「台日関係の発展のために尽くした安倍晋三元首相の貢献に感謝します。安倍元首相が、かってピアノで弾いた東日本大震災の復興支援曲 『花は咲く』 が、困難に立ち向かい、支え合って生きていこうとする気持ちを描いているように、台湾と日本も努力を続け、もっと多くの花を咲かせていきたいと願っています。」

〇ウラジミール・プーチン(ロシア大統領)

 「尊敬する安倍洋子様、昭恵様  あなたの御子息で、夫である安倍晋三氏のご逝去に対して深甚ある弔意を表明します。犯罪者の手によって、日本政府を長年率いて露日国家化案の善隣関係の発展に多くの業績を残した傑出した政治家の命が奪われました。私は晋三と定期的に接触していました。そこでは安倍氏の素晴らしい個人的ならびに専門家的資質が開花していました。この素晴らしい人間についての記憶は、彼を知る全ての人の心に永遠に残るでしょう。」

〇習近平(中国国家主席)

 「安倍元首相は在任中、中日関係の慶全を進めるために努力し、有益な貢献をした。突然の死を悲しみ惜しんでいる。新時代の要求に合わせた中日関係の構築について、重要な共通認識に達した。」


 『世界葬』 の様相を呈している偉大な政治家の『国葬』に対して、肝心の国内で冷ややかな反対論が過半数を超えたことは誠に情けなく「日本人は不見識で理解不能」 のそしりを受けても仕方がない恥ずかしい事です。

反日新聞や低劣なテレビは、きっぱりと見切りをつけ、是非良心的な月刊誌(正論、WiLL,anada等)の 『追悼特集号』 を購読し、国内外論客の安倍評価・足跡をいま一度知って欲しいと思います。

 安倍元首相は、前人未到の多大な足跡を残されましたが「拉致被害者全員救出」「憲法改正」の志半ばで倒れた無念さは計り知れません。「殺害された日にも、拉致被害者救出のシンボル青ピンをしていた。ピンをしていない彼の姿を筆者は見たことがない」(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版711日) 

先年逝去された 『知の巨人 渡辺昇一氏』 は、この歴史的談話を次のように絶賛されています。この未来志向の談話があれば、新たな首相談話は不要である。これからの日本人は大手を振って国際社会への貢献を果たすべきだ!』


現在 世界は混迷を深め、ロシアによるウクライナ侵略と核戦争・エネルギー・食糧危機、独裁国家中露の連携、中国の軍拡と台湾侵攻・日本存立危機、北朝鮮の核開発加速、対する同盟国アメリカ社会分断化・弱腰・トランプ嵐・衰退、そして安倍元首相亡き後の日本の混迷・・今こそ私達日本人は、一人一人が戦後GHQ洗脳呪縛から目覚め、「しっかりと自立し、自らの頭で考え行動する 『本来の日本人』 として生まれ変わる最後のチャンス」です。

以前から日本人の国際認識・安全保障感覚は、『ダチョウの平和=砂に頭を突っ込んで身に迫る危機を見ないようにして安心している』 と揶揄されています。 平時ならいざ知らず、獰猛なライオンやオオカミがまさに飛び掛かろうとしている危機的状況下の昨今「専守防衛、憲法9条の戦力放棄では、あっという間に猛獣の餌食になってしまう」 ことは、ロシアのウクライナ侵略で日本人全員が思い知ったはずです。しかしそのことを何十年も訴え脱却させようとして命をかけて戦ってきた安倍さんの死を嘲笑う品性下劣な朝日・毎日・東京新聞とその愛読者たち、そして安倍さんを支持しながらも声を出さず憲法改正などの国家存立危機の重要課題に向き合わない国民たち・・

私達日本人は、この危機的状況を『満身創痍・瀕死の病床』と捉え、自由や人権や平和を踏みにじろうとする人類の敵から我が身や同朋を守るために、安倍さんの「70年談話」を胸に刻み、必死の努力を開始し、仲間と連携し、世界の同志と心をひとつにして戦っていこうではありませんか。

3. 出光佐三氏に学ぼう!

  2012年夏に発刊された 『海賊と呼ばれた男(出光佐三)』 が、今なお沢山の読者を獲得し、若者から 『こういう経営者のいる会社で働きたい』 と人気が続いています。
その一方で、2015年の東芝の粉飾決算~東芝解体、三井不動産・旭化成建材のマンション杭施工不良、2017年神戸製鋼・東レのデータ改竄、日産の無資格検査員問題、更には新幹線の台車亀裂放置走行・制作時の底板肉厚不足等々、目を覆いたくなる低次元の不祥事件が続きました。 『安全・安心・高品質の日本は、どこに行ってしまったのか? これからの日本は大丈夫か?』 と、全国民が日本の現状に危機感を感じました。 

  2014年8月、32年間も虚偽の慰安婦報道を続けてきた朝日新聞が誤報であったことを認めました。 しかし『朝日新聞の長期間の誤報道で、日本国や国民の国際的名誉を著しく損なわれた』事には一片の謝罪もなく、サンフランシスコに慰安婦像が建立される等、いまだに悪影響が拡散しています。 こういった誤報道やプロパガンダ報道が多く良識・良心不在の反日新聞としか言えません。 朝日新聞社は名門大学卒が多く目的のためには根拠不在情報でも構わない。』という報道体質がはびこっています。(参照:『徹底検証=森友・加計事件』(小川栄太郎)、『逆説の日本史』(井沢元彦 これは朝日新聞社が非難する戦前の軍部粉飾報道や、中国・北朝鮮・韓国の反日思想誘導と全く同じです

 こういった非常識で醜い諸企業の姿が常態化している事が、『"海賊と呼ばれた男” のような会社で働きたい』 という若者の声の背景にあります。  こういう純粋で瑞々しい若者に応えるべく、勇気と責任を持って社会を正すべきだと思います。
ところで、かの出光佐三氏は、会社の存在意義、採用・若手育成を、どう考え対処されたでしょうか? 戦後の大変な苦境を乗切った後、1957年(S32)に 初めて徳山製油所を建設し、その運転技術者として、都会の裕福に育ったオボッチャンではなく地方の工業高校卒、また貧しくて進学できない優秀な中学卒を大量に採用し、『出光学校』 で2年間高等教育を与え、希望者には定時制高校に通わせました その後、1963年千葉、1970年兵庫、1973年北海道、1975年愛知と矢継ぎ早に新製油所を建設しましたが、この中卒・工高卒者が中心となって建設し、運転を立ち上げました。
また1966年、当時世界一のマンモスタンカー出光丸(21万t 竣工披露では、これからの日本を背負う若い人達に世界最高のものを見せてやりたい!』 と、全国津々浦々から15,000名もの中学生を招待し見学させました。
『僕の事業目的は、社員が真に働く姿を社会に示し、人々から尊重される人間を作る事だ。 石油業はその手段に過ぎない。』 
『卒業証書を捨てよ。新人に大事なのは仕事の基本をしっかり学ぶ事であり学歴は関係ない。 だから僕は丁稚奉公からスタートしたんだ。』 (出光佐三氏)
しかしいまの世の中はコスト・人件費削減最優先で、派遣や中途採用多用で新規採用を極力抑え、即戦力・早期育成の掛声のもと若手社員を追い立てています。
私が退職した20年前、わが愛する出光も創業100年を経て、佐三氏の根本経営理念「白紙の力」を見失ったようになっていました。全国3千人しかいないのに「高専卒就職希望者なら誰でも良い」と、仕事内容と全く無関係の建築・土木・都市工学等までプラント運転員として採用し、高専卒割合80%以上と目指すようになってしまいました。私は退職前の3年間、優秀で志が高く人物的には魅力的な学生が多い全国13万人(高専卒の40倍以上) の工高卒の優秀な学生を採用するように方針転換を人事部門に訴えつづけましたが・・力及びませんでした。
  企業が新卒採用・育成を避けることにより、工業高校によっては学科閉鎖や他校との合併に追い込まれ、深刻な 『日本の ものづくり衰退、震災復興・土建業種後継者不足』 に拍車をかけています。 従って近視眼的な学歴偏重企業は社会的責任を果たしているとは言えません。
恐ろしいのは、短期的には頭数を揃え辻褄を合わせても、志の低いやる気のない新人を大量採用して中々期待する戦力に成長せず、技術レベルやモチベーション維持が困難となり、『S40年代後半の技術力不足による石油コンビナート大火災事故多発のような危機的状況』 に陥る事が懸念される事です。 さらには 『他社の高専卒同期は課長・係長になったのに一生交替勤務か・・』 と悩む中堅社員が増え、モチベーション低下で企業風土が一変し、やがて企業存続が難しくなる事態になることが懸念されます。

『鶏口となるも牛後となるなかれ』 という格言があります。 『牛後ばかりを採用し、牛後の職場にしていないか?』 という厳しい自省と視点が人事部門には不可欠です。 
 
石油・化学・電力・鉄鋼・ガス等の製造基幹産業では、交替勤務業務は全て工業高校卒です。これは学歴偏重からではなく複雑・高度化されたプラントを安全に運転し、想定外の非定常操作を含めたあらゆる状態への対応が出来る一人前の運転員育成には、ベテランの指導を受けながら最低10~20年間の習熟訓練・育成期間が不可欠 だからです。 かって高度成長期に初歩的ミスによる大火災・爆発事故が頻発したのは、この育成期間が不足し未熟な若い運転員が大半だったからであり、習熟とともに重大事故は減少しました。 こういう歴史から交替勤務業務は、製造業に不可欠の基幹業務であり、約40年間を交替勤務に従事する事に使命感と誇りを持って取組む人材が必要で、工高卒業生が最適任である。 という認識が、世の中では一般的です。こういう社会的ニーズに基づき全国の工業高校数・学生数は決定されています。 大事なのは、こういう現場ニーズや国内教育環境を熟知した者が、企業の戦略的採用・育成・人事を担当しているかどうかです。

バブル崩壊から約20年が経過しました。各社とも世代交代の真最中で、高度成長期最後の戦士達が大量に退場していく中、20年前のデフレ不況の就職超氷河期に就職し頑張ってきた優秀な若者が今や各社の中心的存在となり、新たな時代が到来しました。 その40歳前後の中心的社員が、20年前にどんな若者であったかを紹介したいと思います。 これから社会人となる人、入社直後の若い人は 『目指す姿』 として是非参考にしてほしいと思います。














 平成1桁後半当時、各社ともバブル狂乱で抱えた不良債権で経営危機に陥り、中でも拓銀や山一証券等の大手金融会社が相次いで倒産して、銀行の貸渋りで経済界は大混乱、全ての会社は新卒採用中止している状況でした。前出の出光佐三氏が生前Speculation (投機)は絶対やるな!不労所得は会社も人間もダメにする!』と戒め、危惧していた未曾有の経済危機が到来しました。実は出光も同じで、「シェア1位を目指すチャンス」と放漫経営に陥り、すぐのバブル崩壊により倒産寸前危機となりました。創業者の根本理念「消費者本位」を忘れた天罰でした。

 それまで、1970年代のオイルショック・高度成長終焉による各社人員整理にも「社員は家族」の経営理念で馘首せず運転員採用停止を20年続けました。さらに団塊世代大量退職による大量世代交代到来を見越して毎年20~30人の高専卒採用を継続していました。 超氷河期の時代背景から各校トップクラスの優秀な学生を採用でき、向上心も使命感も高く、短期間で一人前に成長していきました。
また職場の先輩達は育成意欲が高く、緻密な修得課題表を与えて、毎日口頭試問し実技訓練を繰返し、『星取り表 掲示板』 で修得進捗状況が職場全員にリアルタイムに一目で分かるようにし、 また上司・先輩は多忙な業務の合間にも修得課題レポートを確認し、コメントを記入して、木目細かくフォロー・激励していました。
 ある程度の実力が身に付くと、『この操作を一人でやってこい!』 と、重要な操作を次々と任せ自信をつけさせました。 しかし指示後 『手順通り正しい操作を間違えないでやっているか?』 と、ハラハラしながら物陰から見守っていました。 若手もまた、その先輩達の思いをヒシヒシと感じ頑張りました。 先輩達は仕事以外でも独身寮に頻繁に顔を出し、町に繰り出して痛飲したり、町内の草刈や祭りに参加したりと、公私にわたって面倒を見ました。

こういう指導をされた若手は、当然ながら成長著しく、画期的な創意工夫・改善を行い、当時取組んでいたTPM活動で、日本プラントメンテナンス協会上席コンサルタントの大島名誉教授(東工大)や佐山名誉教授(岡山大)の前でも堂々と改善事例を発表し、先生方から 『入社2~3年でこんな素晴らしい仕事をしているのか?』 と絶賛されるのが常でした。
こういう優秀な若手と面倒見の良い先輩が一体化した工場に対して、前出の大島・佐山名誉教授からは 『世界一の精鋭集団だ!』 と絶賛されました。 しかし残念ながら重質油分解装置がなかった為に競争力が低く、2003年工場閉鎖となり全所員は他工場に配置転換となりました。
入社数年で愛する職場と仲間を失い、見ず知らずの人間集団の中で新しい仕事をゼロから覚える・・・想像を絶する苦労があったと思います。  それから10年、今や新たな職場で高い信頼を得、早くもリーダー格・中心的存在となって活躍しています。
 まさに 『艱難辛苦、汝を玉にす』 の言葉通りです。
しかし先日、その一人から以下の便りがありました。

世代交代は、私の職場でも現在大きな課題となっています。 この1、2年でベテラン社員は殆どいなくなります。60歳代勤務延長組やキャリア採用組に頼らざるを得ない状況で若手育成に苦労しています。 最近の若者は、育ってきた環境や価値観の違いが大きく、思うように成長していないのが実態ではないかと思います。』 

 の危機感は、私が大学で感じた『向上心・覇気のない若者』と一致します。
いま職場の中核で信頼厚い平成一桁入社 中堅社員の若い頃と、今の若者と何が違うのか?  最大の違いは 『ハングリー精神』 です。 そして 『少数化で多忙すぎる先輩は自分の事で精一杯で、若手を育成指導する余裕もマインドも薄くなってきている』 という現実です。

平成1桁世代は一流大学を出ても就職できない超氷河期の真只中だったので、文武両道に優れたトップクラスの高専卒が全国区で採用でき、その後輩も 『あの先輩が選んだ会社なら間違いない』 、『早く世の中に役立つ人間になりたい!』 と目的意識、使命感がしっかりした優秀な若者が入社してきました。

 20年続いたと言われるデフレ不況の中で高専の学生意識は変化しました。全国約1万人の向学心の高い学生の約70%が国立大学進学(大学3年編入)するようになり、就職組は30%(1学年3千人)程度となりました。  その中には経済的理由で進学できなかった優秀な学生もいますが、勉学意欲が低く自由気儘な5年間を送った学生も少なくありません。 もしこういう学生が大量入社すると育成に大変な苦労をすることでしょうし、将来の経営を危うくする事が危惧されます。

今の若者は家庭でも学校でも過保護に育てられて、変化やプレッシャーに弱く、自立心も向上心も進取の気風も低い傾向があります。 携帯・スマホ・ゲームの刹那的な楽しみに熱中して、人生の目的意識を持たず、他者との交流、コミュニケーションが苦手で、自分の狭い世界に閉じこもり満足する傾向が強くなっています。
こういう若者に接する先輩が 『早期育成』 の掛声だけで知識やスキルを詰込もうとしたり意識改革しようとしても、『馬耳東風、暖簾に腕押し、豆腐に鎹・・』 。 私が退職後取り組んでいる大学キャリア講師でも同じで、90分1コマのキャリア教育では如何ともしがたく途方に暮れました。 恐らく前出の40歳中堅社員も同じ思いで若手育成に悩んでいるのだと思います。
これは根本的には、小学・中学時代の家庭教育や学校教育で、人生目的・目標意識を育む徳育が等閑にされ、根本的に不足している事に起因していると思います。 本当はそこからやり直さないと解決できない大きな問題です。 

しかし、だからと言って目の前の若者の問題を放置するわけにもいきません。 
 大事なのは『君はこれから10年後、20年後どうなっていたいのか? 会社40年間・人生80年間で何を目的として、何を目標に、どう生きていくのだ?』 と、常に問いかけて夫々の人生のビジョンを考えさせ、目的・目標を持たせる事が一番大事な事ではないでしょうか? 賽の河原の石積みのような作業ですが、『何時かは、その大事さに気付くだろう』 と信じながら、今日も学生に自分の将来ビジョンの大事さを問いかけています。
 学歴偏重会社となってしまった元在籍会社の現行採用・育成方針は根本的に間違っています。創業者佐三氏が経営の根底に置いたのは「入社させたからには社員は大事な家族だ」ということです。 崇高な理念に向かって徹底的に愛情鍛錬し、また若手社員自身が、入社したからには、自分自身の輝かしい将来ビジョンを描き、その実現に向けて地道に努力していくのみ!』 と肝に据え、突き進むしかありません。 まさに出光佐三氏が愛した仙厓和尚の禅画 『布袋図』 の教えの通りです。
  ”目先の指だけを見るな。 指さす先にある月(目指す姿)を見よ!” 



3. 日本国民への遺言 (山田さん ➀)

 私が尊敬する山田治男さんは、令和2年4月6日 97歳で永眠されました
 山田さんに最初にお会いしたのは47年前です。販売支店長から千葉副所長として赴任された山田さんが着任早々取り組まれたのは、所員500名との個別面談でした。毎日17時過ぎから3~4時間、一人20~30分の面談を約4か月間続けられました。当時人見知りだった私が『500人と話すのは大変でしょうね』と尋ねると、『所員は僕の息子のようなものだからね。みんなと話すのが楽しみだよ。』『ドアを開けて挨拶した瞬間に、ほぼその人が分かるよ』と、にこやかに話されたのが今でも印象に残っています。
  35年前に退職されたあと「小学生登校班の見守り隊」を皮切りに、市原市青葉台地区の福祉活動を牽引され、特に一人暮らしのお年寄りの交流・介護支援の福祉活動は、沢山の協力支援者を得て発展しています。そして特定非営利法人『市原市青葉台さわやかネットワーク』として、保健・医療・福祉/社会教育/まちづくり/子どもの健全育成等の幅広い活動 (=赤ちゃんからお年寄りまでいきいき!) が全国に紹介され、老人福祉のモデルケースとして全国から見学者が訪れるようになりました。
 その山田さんが、終戦後70年訴えてきた事は日本人のあり方」です。

かって僕はシベリアに3年間拘束され、人間生活とは到底思えない極限のシベリア抑留生活 (奴隷生活)を体験した。日本が忠実に守ってきた日ソ相互不可侵条約を、ソ連は日本の敗戦直前に一方的に条約を破り宣戦布告もなしに侵略し、60万人をシベリアへ強制労働力として連れ去った。 
先年中国の南シナ海諸島の占拠を国際司法は 『違法』と判決』したが、中国は『その判決は紙くずだ!』 とあざ笑った。これが世界の国が考える条約、国際法への認識で、いざとなったら紙切れで何の頼りにもならないと思っていなければならない。
 シベリアの冬は零下30度以下で、まともな食事も与えられない劣悪な奴隷生活で約6万人の日本人が死亡した。死者への尊厳は踏みにじられ、まるで餓死した家畜のような粗末な扱いだった。あの思いだすのも嫌な悲惨な境遇に再び日本人が陥らない為にはどうしたらよいか・・正しいことが当たり前に考え実行される日本にするにはどうしたらよいか・・をいつも考えて訴えてきた。 
しかし我が国民は、北朝鮮に拉致された100名以上の奪還や北朝鮮の核ミサイルの危機に殆どが関心が薄く、中国の日本併呑工作 (=日本を2050年までにチベット、ウイグル、内モンゴル自治区と同じ“日本自治区” にする陰謀の進行) 全く危機意識がない。
 野党もメディアもこの日本をどうしようというのか。また国会議員・官公庁や企業の不祥事が頻発する現代日本を見ていると、国民は大事なこの日本を本気で守り発展させる気があるのか?  僕は90歳を超えたが、このままでは死ぬに死にきれない』 と語調が強くなりました。 

 そして『平和ボケした大人はあてにできない』 と、退職後から現在も続けられているのが『新時代を担う子供たちへ=青葉台小学校での “シベリア抑留体験の語り部』です。

この語り部活動は30年以上継続されており、昨年2月には何と千葉県日教組教研集会で300人の教職組合員に『平和教育』 として講演されました。 恐らく彼らが意図した講話とは正反対の内容・結論だったと思いますが、全員静かに傾聴し、後日地元小学校教員から 『誰がこの国を守るのか と考えさせられました』と感謝されたそうです。

 今回は、その山田さんの講演後記 (H29出光OB誌より) を紹介します。

『この国を守るのは誰か』  (山田治男)

私は昭和20年1月に関東軍に入隊、終戦直前の8月中旬になって突然参戦してきたソ連軍と交戦、数日後に敗戦となり捕虜となりシベリアに抑留されました。そして平和の尊さについてシベリア抑留生活の体験を語り部として語り継いでいます。

 厳しい世界情勢の中、いつしか70年間も続いた平和の尊さを忘れた平和ボケの日本人が多くなっています。

 このため要請があれば進んで語り部として、毎年地元の青葉台小学校や姉崎高校、市内公民館、先には自衛隊習志野空挺部隊や、去る2月11日建国記念日に千葉県教職員組合青年教研集会 (千葉県教育会館大ホール・300名) で『平和教育』について講話しました。

 その内容は、『ソ連軍が日ソ不可侵条約を無視して、一方的に参戦したこと、ジュネーブ条約を無視した60万人の捕虜・強制労働生活の実態』 です。

体感温度マイナス30度以下の極寒の重労働、粗末な食料や民主化と称する共産主義教育、東京ダモイ(帰国)後のソ連宣伝を目的とした洗脳・日本人同士の論争等・・・古代の奴隷生活と同じ悲惨で屈辱的な捕虜生活は、戦争・敗戦によるものです。 このような戦争を回避し、平和維持の為の参考例として欧州の小国スイスについて話しました。

 スイスは、ドイツ、フランス、イタリア、ロシアなどの大国に囲まれ、人口700万人、面積は九州とほぼ同じです。過去には強国間の戦争に巻き込まれた反省から、永世中立国として世界中に宣言しています。 しかし日本のように平和を憲法9条任せや人任せにはしません。 ①男子は全員兵役義務があり、②主に精密兵器を輸出し、③世界各国の機構本部や赤十字・オリンピック本部等を設置し、各国首脳や経済要人が結集・交流するダボス会議を毎年開催しています。

 そしてスイス国民には、『自国を守るのは自分達だ』 という国防教育が徹底され、また国旗を大切にし、公共機関はもちろん、各自宅にも常に国旗を掲げています。このように日頃から精力的に努力し平和を自らの手で守っているのです。  若者への応援歌: 4. スイスと ウイリアム・テルに学ぶ

 この例を発表し『我が国を守るのは、私達日本人一人ひとりである』 との誇りと自覚を促しました。

 このような内容を話したのは、『入学式や卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱を拒む先生の多い日教組教研集会』 での講演会だったからです。会場の正面には『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンが掲げてありました。そのような異様な会場でしたが、全員静かに聴いて、最後は花束を頂戴して会場を後にしました。彼らも本当の戦争、戦争捕虜の恐ろしさを知り、口先で平和を唱えれば平和が来ると信じていることに少しは疑問を持ってくれたと思います。

 後日、地元青葉台小学校の参加者から、『誰がこの国を守るのか を考えさせられました』 と、好意的な感想を貰いました。
戦後 70年以上経過し、戦争体験者も少なくなっていますので、私は体力の続く限り、語り部として、要請があればどこへでも出かけて語り継いでいきたいと思っています。

 最後に『日本を取り囲んでいる 中国、ロシア、アメリカは、過去どういう残虐な大量殺戮を行って成り立った国家、民族であるか』の資料を提示します。 
 習近平主席が『中国5000年の偉大な歴史』豪語しますが、その実態は『歴代の王朝が権力維持の為に数千万人を粛清・虐殺した血塗られた歴史』で、近年 共産主義政権になり、その規模・残虐性は人類史上類を見ません。
 かって文化革命時の毛沢東は、『一人を殺したら殺人犯だが、一千万人を殺せば英雄となる』 と凄まじい考えを述べています。鄧小平は、毛沢東独裁の反省から集団指導体制に改革しましたが、今回の全人代会議で習近平は、毛沢東体制への回帰方針を明確にしました。
 
  今年の中国全国人民代表会議で、習近平の終身主席への道を賛成2970 反対0 と全会一致で採択し反対派を封殺しました。反対は絶対に許さない これが 『中華民共和国』の正体です。そして『人類最悪の4000万人の大量殺戮を行った毛沢東を目指し、終身独裁を憲法に書込ませた習近平』は、実質 ”皇帝” となりました。そういう共産党軍事独裁中国の脅威 を前にした私達日本人は、どう国民・国土を守り、平和な日本を将来も維持し発展させていくか を、国民一人一人が自分の切実な問題として真剣に考えるべき時です。
【 世界の残虐な大量殺戮 上位20 】
(出典:『殺戮の世界史:人類が犯した100の大罪』 マシュー・ホワイト) 
順位
事 件 名 (発生年)
死者数
第二次世界大戦 (193945
6600万人
チンギスハン侵略戦争 (1206~27)
4000万人
毛沢東:大躍進・文化大革命 (1949~76)
4000万人
英領インドの飢饉 (1820世紀)
2700万人
明王朝の滅亡 (1635~62)
2500万人
太平天国の乱 (185064
2000万人
スターリン大粛清 (192853
2000万人
中東の奴隷貿易 (7~19世紀)
1850万人
ティムール (13701405
1700万人
10
大西洋の奴隷貿易 (1452~1807)
1600万人
11
アメリカの原住民虐殺 {1492以降}
1500万人
12
第一次世界大戦 {191418}
1500万人
13
安禄山の乱 {75563}
1300万人
14
新王朝 (9~24
1000万人
14
コンゴ自由国 (18851908
1000万人
16
ロシア革命の内戦 (191820
900万人
17
三十年戦争 (161848
750万人
18
元王朝の滅亡 (134070
750万人
19
西ローマ帝国の滅亡 (395455
700万人
20
中国の内戦  192737194549
700万人
 ヒットラーのユダヤ人虐殺は合計575万人、この表では20位にも入りません。
 なお、ホワイト氏が指摘する日本の虐殺は島原の乱(37,000人)のみで比較にもなりません。東西軍合計20万人が戦った関ヶ原合戦の死者はこれ以下だったとしています。 私達日本人は世界の中で類を見ない、最も戦争・虐殺に縁のなかった平和な民族だと言えるでしょう。(毛沢東も周恩来も鄧小平も話題にしたこともない『南京虐殺20万人』 が、日本人にできる訳がなく、天安門事件以降の民主化運動弾圧から目を眩ます為の捏造事件です。 )

 しかし私達日本人が考える平和常識は、世界の常識ではあり得ません。
 山田さんのシベリア抑留は、上表7番目のスターリン大虐殺2,000万人の中の出来事です。 
 その更に上を行く中国は、権力体制を確立し維持するためには、何千万人を平然と虐殺する価値観・歴史を持った民族であることを片時も忘れてはなりません。
 左の図は1949年中華人民共和国が独立宣言した時の版図と周辺国です。当時『内モンゴル、チベット、ウイグル』 は独立国で、世界が朝鮮戦争に注目している間隙をぬって侵略し併合しました。そして大量の中国人を送り込み、悪逆な民族浄化・宗教弾圧を進めています。 
 かって日本が国家予算をつぎ込んでインフラ・教育等の充実を図った朝鮮併合とは真逆の侵略・圧政です。

 そして留まる事を知らない中国の覇権野望は日本へ、太平洋へと向かっています。
 平成7年、当時の李鵬首相は、『日本という国は40年後には無くなってしまうかもわからぬ』と発言しました。その後、 日本国が『日本自治区、東海省 と記述された"2050年極東マップ”』が、中国国内で拡散されています。(左図)
 

 私達日本人は、『歴代中国体制の中で、現共産主義政権 (毛沢東⇒習金平)は史上最大の危険な独裁体制だ』という事をしっかり認識して、山田さんの魂の叫びを心に刻み対処していく事が必要です。そして、国民一人ひとりが自分の最重要な生存の問題として、日本の安全保障・平和を真剣考える必要があります。