2024年5月9日木曜日

9. 帰ってきた白鳥と 親友の思い出

  南国房総の市原市大堰に今年も白鳥が飛来しました! 

昨年1月初旬に飛来、3月24日に北国へ去ってから 約300日ぶりの再来訪です。昨年は3羽でしたが、子供が独立したのか今年は仲睦まじい夫婦だけです。私は早速食パンの初餌やりしながら『昨年と同じように、村田君と一緒に白鳥に会いたかったな・・』と、しみじみ思っています。

村田和男君は高度成長期の最終段階の昭和50年に入社、65歳で退職するまで47年間、難しい化学プラント・PP装置運転と後輩育成に従事しましたが、体調を崩し令和3年秋退職しました。前向きな彼は退職後も、防犯パトロールや公園清掃などのボランティア活動に積極的に参加。毎朝のラジオ体操と、白鳥が飛来してからは、私と二人で朝の餌やりを約3カ月続けました。(いったん始めたら、雨が降ろうと雪だろうと、餌を待つ白鳥の為に止めるわけにはいきません!)

昨年3月末に白鳥が北国に帰ると『来年もまた会えるかな』と本当に寂しそうでした。彼は明るく振舞っていましたが、がんを患いかなり進行していました。『大丈夫!必ず帰ってきてまた白鳥に会えるよ!』私は励まし続けましたが、昨年末 帰らぬ人となりました。


新年とともに飛来した白鳥

餌やりしながら、「お、安藤さん、1年たっても忘れずに、姿見ただけで寄ってきたよ!」と隣で歓声を上げる彼の姿を感じています。



1年前(令和4年3月)の頃の白鳥親子

このころ子供白鳥はほぼ成鳥で、一番貪欲にえさを奪っていきました。3月下旬になると、時折羽ばたく姿を見せるようになり、北帰行が間近いことを伺わせました。



大雪の日にも中央でラジオ体操する村田君
何をするにも笑顔で穏やか、会社時代や自治会活動でも常に率先垂範、怒った顔を見たことがありません。



約3か月間、白鳥の餌やりを続けた村田君
白鳥が奪い合いをしないよう、3羽夫々の白鳥の目の前にコントロールするのが得意でした。餌やリは村田君に任せ、私は撮影専門。飛来2か月目ころには、一斤6切り(120円)の食パンをほぼ完食するまでになりました。



令和4年元旦のラジオ体操記念撮影
前列左の村田君は、令和3年秋に退職して参加開始で4か月目です。それまではみんな面識がありませんでしたが・・もう10年来の友人のような存在でした。本当に不思議な男です。


2月3日節分のラジオ体操村田君は左端
真中の鬼はラジオ体操普及員の川崎さん。節目節目に手作りのコスチュームで盛り上げます。




令和4年建国記念日に、千葉に再び大雪!
もちろんラジオ体操に来た人は少なく私を入れて5名。急遽体操をやめて雪だるまつくり。
村田君「ちょっと小さすぎます。もっとでかいのを作り子供たちを喜ばせましょう!」
大病を患っているとは思えない、いつも明るく元気溌剌な村田君です。(右端)


雪だるまの身体が完成!
「もう雪だるまの頭はムリ!」後期高齢者直前の4名は悲鳴を上げ、唯一60歳代の村田君だけが「エーッ!完成させましょうよ!」と元気一杯でした!(青のニット帽)




白鳥が去ったあと、ラジオ体操後に村田君が会いに行って可愛がっていた「合鴨」(鴨とアヒルの合いの子)
「身体はアヒル、羽毛はカモ」・・何とも愛くるしく「村田君にそっくりだな!君の孫か?」と冷やかすと、まんざらでもない顔をしていました。

今年の元旦ラジオ体操
天国から村田君の「オッ! みなさん、今年も頑張ってるね!」という声が聴こえます。



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