2024年7月3日水曜日

9. 退職後も研鑽を積むOBたち

 1017日はOB千葉懇親会、130名が参加しました。

大先輩の高田順甫さん(S31年入社)は、90歳前後で足元がおぼつかないのですが、乾杯前の挨拶は力強く(長く)元気でした。みんなコップを持ち疲れ、机の上に置いて乾杯はまだか未だかと・・(笑) 長い徳山建設の話に「ここは千葉ですよ・・」と苦笑しながら、徳山を経験したかなりの参加者が「久しぶりに徳山の話を聴いた」と懐かしみながら乾杯を待ちました。



 元勤務した出光は大半が体育会系社員、仕事は真面目で厳格、アフター5は朝まで飲明かす宴会好きな社員ばかり、50数年前入社した時「大変な会社に入社した!」と驚きましたが、数年たつと私もその真ん中で楽しんでいました

かっては300名以上が参加していた千葉のOB懇親会ですが、今回は世話人以外は110名、7080歳の方々が大半で、品よく静かな懇親会でした(OB会というより老人会か??) また今年の新入会員は30数名いる筈なのに、新規参加者は70歳前後の2名(70歳の山田忠さん、66歳の長さん)のみで「あの宴会好きのOBは何処に行った?」と不思議に思いました。

1.15年前の同僚との再会に感激!

 まず受付で、私が15年前の60歳退職前に勤務した千葉人事課で一緒に働いた同僚二人と再会し感激でした。当時から二人とも人格円満で優秀、課長よりも重要な役割を果たしていました。そして私は「彼らは将来、必ず幹部になる!」と確信しました。そして現在千葉事業所の人事課長と総務課長です。いずれ経営幹部になるのは確実ですが、15年前と変わらぬ屈託のない笑顔とフレンドリーさに感激しました。

2.OB会の新規参加者が少なくなった背景

 「なぜ参加者が少ないのか? なぜ70歳以上の高齢者ばかりなのか?」 ・・退職前の50歳代研修で使った資料を確認し納得しました。私達S47年度生は高度成長ピークの会社歴史最大の大量採用でした。しかし1・2次オイルショックで経済鈍化のS50年以降新工場建設はなく運転員採用停止が約20年続きました。その47年度生が70歳を超え、採用停止期間に細々採用していた大卒・院卒の少数退職者の時期に入ったという事です。という事はOB会も高齢化していき、いつまでもS37~47入社の高齢者がOB会の主力だということ・・嬉しいやら悲しいやらです。

 出光の戦後歴史は、外地での事業を全て失い1,000人の引揚者を一人も馘首せず、そのあと奇跡的な事業拡大してきたことが下の年表で分かります。これは日本経済の高度成長、その後の不況と見事に重なっています。産業を支えるエネルギー事業として当然なのですが・・

 高度成長期採用の私達には「オイルショック、バブル崩壊後の倒産寸前の経営難、リーマンショック、団塊世代退職後の大量採用・・」等々、とんでもない試練が待受け、それを全社員一丸となって乗り切っていきました。まさに出光佐三店主の『艱難辛苦 汝を玉にす』『24時間思考を停止するな!』を肝に命じながらの現役生活でした。

 S48年から始まる1・2次石油ショック後、各社がコスト削減でベテランを大量解雇し若手に切替えていくなか、出光は「社員は家族」とリストラはせず、S55年から20年以上採用を停止し退職者の自然減で乗切っていきました。このため大量採用組のS44~54年入社の中堅社員は他社の120~150%は働き、世界最少数で運転するスキルを身に着け、スタッフ業務も取り込んでいきました(出光では「運転員」ではなく、PE:プロダクション・エンジニアと呼びます)

 このS47,50大量採用の団塊世代が60歳定年を迎えたころ、リーマンショック後の経営危機で再び5年間採用停止しました。私は採用再開の平成16年に出向解除され本社製造部勤務、大量採用の企画推進を担当しました。しかし社長説明用に作成する資料はことごとくK製造部長に阻まれて没! 下の資料はその時の1枚目=概況図です。(経理部横滑りの部長でコスト意識しかなく、コストを圧迫する大量採用には冷淡でした)「どこが ”人が資本” だ! これでは工場長期停止が目の前だ。勝手に人手不足で生産不能になってくれ!」と57歳で辞表を出しました。
 しかし人事部次長(現社長)からの慰留・異動要請があり「人員不足対応で、60歳退職希望者を65歳迄勤務延長する意識改革研修」を4年間のべ46600人に行いました。K製造部長の壁を突破できず社長の目に触れなかった資料は、そのまま退職予定者への説明資料としました。その結果受講生は自分の存在の重要性を理解し、65歳迄勤務が当たり前となり、中には70歳を超えて勤務する人も増えました。「本当に会社経営を支えているのは一般社員の使命感だ!」と痛感しています。
 出光佐三氏が豪語する「出光には定年制がない」の当時の実態は60歳の肩たたきでしたが、漸く「定年制がない」が実態として軌道に乗ってきたのを心から喜んでいます。

3.「85歳迄は若者育成だ!」(木原さん)

 手前は、私が新入社員時代の教育担当だった木原徳三さん。入社10年目の私が人事部から兵庫の計装係に現場復帰した時の係長でした。いつもニコニコ、怒ったことのない優しい上司、まさに「徳の人=徳三さん」でした。
 退職後は、職業訓練所(今はポリテクノセンターと名を変えています)で「ボイラー技士、危険物取扱者」の国家試験突破の講師を27年間続けておられる、84歳の生涯現役の実践者です。

4.一流の人は、何をやっても一流

この仏像は、真ん中の白髪頭の長尾潔さんが制作されたものです。7年前から仏像師に弟子入りして研鑽されています。どう見てもプロの仏像で、只々「すごい!」の感嘆の声しかありません。
 長尾さんの故郷は私の隣町「小林市」で九大卒業、現役時代は石油化学の優秀な技術者で重役を務めました。 「一流の人は、何をやっても一流になれる」という事を、今も実践し研鑽を続けています。

5.ひときわ盛り上がった芸術家たち
 左から『田中省三さん、森田龍彦さん、芦田尊資さん』

 田中省三さんは、現在仏像制作に取り組んでいます。かって省三さんがポリプロ係長のころ、私は電気係長で故障機器の修理・保全を指揮しました。ポリプロ装置で多かった電気トラブルはVVVF制御の押出機。 初期投資節減のためドイツ製で、取説も読めずまごまごしていると「仕事の鬼の省三さん」の厳しい叱咤が飛びました。


それから30年経過した今の省三さんは、まるで仏様のような穏やかな笑顔で、不思議に思ってその印象を伝えたところ、おもむろにスマホから自分が制作した仏像を見せてくれました。
「こういう仏像を彫っていると心が穏やかに落ち着きます。特にこの地蔵菩薩が気に入っています」と画像を見せてくれました。

 そういう話をしていたら集まってきたのが元石化のプロ級芸術家二人です。

『芦田尊資さん』

プロ級の作陶家(市民大学講座で講師を務める)&水彩画家です。美しい蝶を絵付けした大皿、水墨画で描いた中尊寺金色堂は見事で見とれました。



『森田龍彦さん』

日本画の滝の前を飛翔するカワセミは見事です。 また千代紙人形の大家でもあり、女性的な繊細な感性を持たれています。


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