2024年7月4日木曜日

8.自己奴隷に陥った独裁者

    「銃を持つ女を尻目に花見かな」 (加藤典男:産経) 

 丸2年続いたコロナ禍自粛から解放され、ようやく訪れた3年ぶりの花見やGWでした。しかし残念ながら、美しい桜も、チューリップも、芝桜も、ツツジも、薔薇も、藤棚も・・今年は随分色あせて見えて、上記の句のように達観できず、中々花見を楽しむ気分になれません。ウクライナ市街が破壊し尽くされ、無残な虐殺や身内を殺され悲嘆にくれる人々・・

そして祖国防衛の為に女性さえも真剣な眼差しで銃撃の訓練をして姿に、「美しい花々を愛でる日本の心」にブレーキが掛かっています。

かって父母や恩師・先輩達から聴いた、終戦間際のソ連軍の残虐行為、殺戮、婦女暴行、略奪・・・が、77年経過した現代において全くそのままに行われているのです。のみならず、「あれはウクライナが流しているフェイク映像だ。ロシアは正義の戦いを行っている」 と、真逆のプロパガンダで自国民を騙し、核の使用も辞さない姿勢で増々エスカレートさせています。「好転しない戦局に苛立ったプーチンは、破れかぶれで世界を道ずれに核のボタンを押すかもしれない」 という恐怖が世界中を覆っています。

「プーチンの暴走を止められるのはプーチンしかいない」 

「プーチンは何故 妄想に取憑かれ理性が働かないのか?」

世界中が不思議に思うところですが・・・産経新聞(5/13版)に モンテーニュ「随想録」第3巻3章の次のような紹介がありました。

 「人生は不同な、不規則な、そして多様な運動である。絶えず自分に従い、自分の傾向に囚われて、そこから逸れることも、それを曲げることもできないというのは、自分の友たることではなく、ましてや自分の主人たる事でもなく、自分の奴隷たることである。」 

 「私が今それを言うのは、私自身が自分の魂の厄介さから容易に抜け出せないからである。」

 人間性の本質を見抜く達人であり、自分自身に対しても容赦ない観察の目を向けるモンテーニュにしても、自分自身の魂の厄介さから抜け出せず、人間や世界を柔軟にとらえることが困難と告白しているのです。 ましてやプーチンは、中学時代から100万人の兵よりも、優れた一人の工作員が大きな力を発揮する」と捉え、ひたすらKGB入局・掌握を目指し、権力集中してきた類を見ない独裁者です。自己中・自己愛の塊のプーチンが、その集大成の 「ロシア版図拡大妄想(独りよがりの歴史観)の奴隷になっている」 と捉えると、これを転回させ諦めさせることは不可能に近いかもしれません。しかしこんなサイコ男の誇大妄想で世界が滅びるのでは堪ったものではありません。

 そういう絶望的な状況ではありますが、この産経コラムで桑原聡氏は「無力な私達にでもできる小さな一歩を踏み出そうではないか」と、宮沢賢治の一節を紹介しています。これは賢治が、市場経済で貧困に苦しむ農民を救おうと苦闘し到達した人間愛・人類愛の思いで、大正15年に発表した「農民芸術概論綱要」の序論に示されています。

 『世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない』

 『自我の意識は、個人から集団社会、宇宙へと次第に進化する』 

(「世界全体を幸福にすること」を信じて生き、発信していけば、やがてその思いは共有化され、宇宙にまで広がっていく)

 『われらに要るものは、銀河を包む透明な意志と巨きな力と熱である』

 このコラムは次のように結んでおり、全く同感です。

 小さな存在の私は、大層なことを考えたり、絶望することでなく、時折賢治の言葉を思い出し、自分の持ち場で、この言葉に沿った小さな行動を起こせればそれで十分ではないか。凡庸な人間の小さな行動も、積もれば高き山となり、きっと宇宙に届くはず。そう信じたい。         

参考:産経新聞「モンテーニュとの対話127」( 文化部 桑原聡)

0 件のコメント:

コメントを投稿