2025年5月2日金曜日

17. アクアライン=奇跡の日本技術

 房総半島は、かって「陸の孤島」と呼ばれ、首都圏にありながら文化的発展から取り残されていました。戦後 東京湾千葉側の遠浅の海は埋立てに最適で、日本最大のコンビナート地帯となりました。しかし太平洋側に折角の美しい海岸を持ちながら袋小路の道路は帰路が大渋滞で、都心に住む人は『二度と房総にはいかない!』と大不評でした。私が昭和47年市原市姉崎の工場に勤務し始めたころは、週末海へ行楽に来る東京ナンバーの車で大渋滞、まさに「陸の孤島」でした。

 それを一変させたのが、1997年に完成した『東京湾アクアライン』です。

東京湾を横断して都心部と千葉 房総半島とを結ぶ全長約15kmの「夢の架け橋&海底トンネル』で、その中間には「海ほたる」が浮かびます。360°を海に囲まれた「海ほたる」は、全長650mの人工島に建設されたパーキングエリアです。約9.5kmのトンネル部と4.4kmの橋りょう部のアクアライン中間に『東京湾に浮かぶ豪華客船』をイメージして建設されました。5階建ての建物は、13階までの駐車場、45階の商業施設とで構成されています。
 計画当初は夢物語と相手にされなかった東京湾アクアライン計画」ですが、建設を推進した立役者は「国会の暴れん坊」と恐れられた富津市出身の浜田幸一(ハマコー)議員です。建設費は1kmあたり1,000億円で、わずか15kmほどの道路建設費用が約15,000億円もかかりました。川崎市から海ほたるパーキングエリアまでは海中道路、海ほたるPAから木更津市は海上道路となります。

東京湾の海底はヘドロ層の軟弱な地盤で、地震も頻繁に起こるなど海底トンネルとしては悪条件が重なっており、人類を初めて面に到達させた米国の「アポロ計画」になぞらえて、技術者たちから「土木のアポロ計画」と呼ばれました。平成元年(1989)着工され平成9年末(1997)完成しました。工事に用いた鋼材は約46万トン、セメントは約70万トンが使用され、総工費は約14,000億円にも達しました

この巨額の建設費を早く回収しようと、当初アクアラインの通行料4,000円としましたが高すぎたため、通行する自動車数が少なく大赤字となり国会などでも問題となりました。この点を指摘されたハマコーは、「全て私の責任です。しかしあと100年後したら、必ずこの事業の意義が分かるときがくる」と述べました。

 そして森田健作氏が平成21年(2009)にETC利用者は通行料800円にする」と掲げて千葉県知事に当選しました。これを契機にアクアラインの利用者・交通量は爆発的に増加。1日の平均交通量が平均1万台だったものが4万台となり、今では年間4,000万台から5,000万台が利用する大動脈となりました。
ハマコーの国会答弁の「100年」を待たずして、わずか12年半で「アクアラインの先見性」が実証されました。


「海ほたる」から房総半島側を望む。
海のど真ん中に、このようなこの世のものとは思えない未来の道路・複雑なサービスエリアを作る日本人の英知に驚きます!


「海ほたる(サービスエリア)」全景
 房総側約5kmの橋梁は、ここから約10kmの海底トンネルになります。右上の海に浮かぶ島=白いタワーは、海底トンネルの中間排気塔=「風の塔」です。この右奥に羽田空港があります。

海底トンネル10kmを堀った、世界最大のシールドマシンの巨大掘削歯。直径14mもあります。

 


トンネル掘削のシールド工法・原理図
 この工法が確立してから、日本のトンネル掘削技術は世界一となりました。ドーバー海峡の英仏連絡トンネルを日本が受注して完成させたのも、この技術があればこそです。(ただアクアラインで最も難しい砂地の海底トンネル完成後、それ以上の難しいトンネルの受注がなく、技術の発展が止まっていることは勿体ない事です。)

アクアライン最上階の展望デッキ

ここで広い東京湾を眺めていると、日々のもやもやは吹き飛んで壮大な気分になります。わざわざ「海ほたる」にきて時間を過ごすだけの人も増えています。


海ほたる展望デッキから西側「風の塔」を望む

その右側が羽田空港で、2~3分おきに離着陸する旅客機を見ているだけでも時間を忘れます。

 

海ほたるから房総側の橋梁部を望む夜景。まさに「巨大な海ほたる」の絶景です。

 

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