注目の映画「名もなきもの」を夫婦で観ました。かって熱狂したボブディランが目の前にいるような錯覚を覚える凄い映画でした。
私は貧乏学生でしたが、彼の初自作LP「フリーホィーリン」と「時代は変わる」は、食費を切り詰めて直ぐに買い(55年前レコードプレーヤーも持ってないのに!)、今も大事な宝物です。
「ボブディラン?
なにそれ?」と言っていた私の奥さん、いつもは必ず途中で居眠りするのに、あの衝撃的な音楽とストーリーに目をらんらんと輝かせて感情移入していました。 私は冒頭、貧しい若者がヒッチハイクしながら、入院中の憧れのウディ本人の前で歌った『ウディ・ガスリーに捧げる歌』を聴いた途端に涙が止まりませんでした。映画の最後も、旅立つ前のウディと最後の時を過ごす場面でした。お別れの曲を吹いたハーモニカを返すディランに、無言で「これはおまえにやる」と、無言で押し返すウディにまたまた涙が溢れました。
映画「名もなき者」主役のティモシー・シャラメは、偉大なボブディランを演じ切る為に5年半、ボイストレーニング、ギター、ハーモニカを練習し習得し魂の演技でボブディランになりきっています。劇中のディランの歌声は全てシャラメで、さらに「天才としての野心や自信や壊れやすい心」まで見事に演じきっており、ボブディラン本人も賛辞を送ったそうです。一つの役に5年半もの時間をかけた名作品を見られる機会はめったにありません。ぜひ皆様方一人でも多く観てほしい名作です。
「風に吹かれて」https://www.youtube.com/watch?v=sEAgwzKszEg
何回見上げなければいけないのか
空を見ることができるまで
いくつ耳があればいいのだろか
人々の泣く声がきこえるには
どれだけの死人がでればいいのだろうか
彼がその死に気づくまでに
答えはさ 風の中にある
答えは風の中にあるんだよ
how many times must a man look up
before he can see the sky?
how many ears must one man have
before he can hear people cry?
how many deaths will it take till
he knows that too many people have died?
The answer, my friend, is blowin'
in the wind
The answer is blowin' in the wind
ウクライナやガザやウィグル、習近平が着々と東南海支配・台湾併合準備し、金正恩は国民の貧困には目を向けず核開発やミサイル開発・配備に邁進する・・こういう現実を見ると、人間の愚かさは60年以上経過しても全く変わっていないと痛感します。
1.時代背景とプロローグ
1960年代は冷戦激化、キューバ危機による核戦争直前の脅威、ケネディ暗殺、ベトナム戦争激化など、世界はどうなるのだろうと世界中が不安を抱えた時代でした。この映画は、その中で平和を願い、歌を通じて力強く歩いていった人たちが描かれています。
『1961年のニューヨーク。一人の青年がギターを片手にヒッチハイクでマンハッタンにたどり着いた。彼の目的は、敬愛するフォークシンガー「ウディ・ガスリー」に会うこと。人気絶頂にありながら難病ハンチントン病で入院しているガスリーを見つけた彼は、ガスリーの為に作曲した「ウディ・ガスリーに捧げる歌」を弾き語りし始めた。その場にいたのはガスリーの親友で任期シンガーのピート。シーガー、彼は近青年の類まれな才能を見抜き自宅に招いて、養子のような生活が始まる。(以下映画に譲ります)
2.自作品の初LP「フリーホイーリン」
1963年にリリースされたボブディラン2作目のスタジオ・アルバムで、全て彼のオリジナル作曲・演奏・歌唱です。ディランを一躍有名にした「風に吹かれて」を始め、「北国の少女」「戦争の親玉」「激しい雨が降る」「くよくよするなよ」ほかを収録しています。ジャケット写真にボブディランと一緒に写っているのは、当時のガールフレンドだったスーズ・ロトロ(映画ではシルビイ・ロッソ)です。場所はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ、ジョーンズ・ストリートが西4番ストリートに突き当たるあたりで、ここから数ヤード離れたアパートに2人は一緒に住んでいました。
この高校生のような若者が、中年オジサンのような皺枯声で、胸に突き刺さる言葉を投げかける歌は、世界の終末危機を感じていた人々の心に深く共感を呼び、とくに「風に吹かれて」は、ジョーン・バエズやPPMなどのカバー演奏により、瞬く間に世界中に広がりました。
(いまもこのCDは大人気でアマゾンですぐ手に入ります)
3.「風に吹かれて」
1962年にディランは、「風に吹かれて」の背景についてこう語っています。
「僕は今でも、最も大きな犯罪のひとつは、不正を目の前にして、それが不正だと分かっていても背を向けてしまう人々が存在していることだと思う。僕はまだ21歳だが、今までにも多くの戦争があったことを知っている・・21歳以上のあなた方は僕以上によくわかっているはずだ。」
(彼が続けて言いたかったことは・・この歌の中の質問に答えを出す最良の方法は、自分自身に尋ねてみることだ。人々は、まずこの風が何を意味しているかを探らなければならないと思う・・)
4.「戦争の親玉」
彼の作品の中で、この曲だけはストレートに「戦争の親玉」を非難しています。当時のディランは、こう述べています。
「僕は今まで、このような曲は書いたことがなかった。僕は人々が死んでしまえばいいと願う歌なんか歌わないんだが、この曲だけはどうしようもなかった。この曲は非常に攻撃的なもので、僅かな望みにすがることへの反動であり、こんな世の中で自分は一体どうしたらいいのかという気持ちを歌ったものだ。」
日本ではヒットしましたが、当時非暴力の反戦運動が主流だった米国では、その過激さゆえあまり受け入れられなかったようです。しかし悲しいことに、60年の時を超えた今も、20歳の若者が訴える血の叫びは戦争の親玉(プーチン、習近平、金正恩、兵器商人 etc.)には届かず何も変わりません。(83歳となったボブディランや同志のジョーン・バエズは、いまも平和への願いを歌い続けています。)
「戦争の親玉」
おい、戦争の親玉ども 大砲を造る奴ら
戦闘機を造る奴ら 爆弾を造る奴ら
壁の後ろに隠れている奴ら
お前らの本性などお見通しだ
お前らに知らせておいてやる
破壊行為以外 お前らは何もしないよな
お前らは小さなおもちゃのように
俺の世界をもてあそぶ
お前らは俺に銃を握らせ 俺の視界から身を隠す
そして銃声が響いたら 古えのユダのように
お前らは嘘をつき欺いている一目散に逃げていく
世界大戦は勝てるんだと俺に信じさせる
だけどお前らの視線も お前らの考えも
小便水のように透けて見えてやがるのさ
お前らは自分の引き金は固定しておきながら、
他人には平気で発砲させ自分は後ろで眺めている
死者の数が増えたなら お前らは屋敷に身を隠す
若者たちの遺体から血が流れ出し
泥の中に埋められていく その間にも
お前は最悪の恐怖を振りまいた
お前の恐怖が世界中の子供たちに振りまかれたんだ
まだ生まれてもいない、名前さえついていない
俺の赤ん坊を脅かしている
お前らに赤い血が 体に流れる資格は無いぜ
俺が身の程知らずな口をきいてる事はわかる
お前らは俺をまだ若造だ 学が無いと言うだろう
確かに俺はあんたより若造さ
だけど神様もお前らの事は許さないはずだ
一つ訊きたい事がある そんなに金って大切かい
金があれば許してもらえると思っているのかい
お前らはきっとわかるだろう
お前らの死が代償を払う時
魂は買い戻せないと お前らが稼いだ金でも
お前らは死ねばいいのさ
もうじきその時がやって来る
薄暗い午後に 俺はお前らの棺桶についていく
お前らが葬られるところを眺めて
お前らの死を確かめるまで
お前らの墓の上で見張っているんだ
5.「時代は変わる」
さあ呑気にほっつき歩いてる皆
ちょっとこの辺に集まるんだ
もうすぐ大きな波が訪れる
それをまず認めるんだ
巻き込まれることは避けられない
受け入れるしか道はない
そして胸に手を当てて考えろ
今その人生を守りたいか
もしそうなら、行動を起こせ
今からだ さもないと、
なす術もなく沈んじまうぞ
時代は変わるんだ
ああ、予言者気取りの物書さんたちも
よく聞いておくんだ よくその目に焼き付けておけ
こんな機会は人生に2度はない
おっと話題にするのは早い 辛うじて世は回れてる
まだ、誰がこれに名前を付けるのかも分からない
そら負け犬が巻き起こす大番狂わせが始まるぞ
時代は変わるんだ
さて偉い議員の皆々様 あんたがたも気をつけるんだ
いいか、ドアの間には立たない方がいい
かといって、立てこもるのもお薦めしない
ぼさっとしてたら怪我しちまうぜ
表を見てみな
あんた方に災いをもたらす争いが繰り広げられてる
もうすぐその窓も壁も恐ろしい悲鳴をあげ始めるぞ
時代は変わるんだ
なあ、この国の親御さんたちも覚えておくんだ
いいか 自分が理解できないのに口を挟むもんじゃない
もう息子達だって世話を焼いてやる子供じゃない
あんた方の語る生き方は奴らにとっちゃ古すぎる
もうその手を貸せないのなら道を譲って見守ってやれ
時代は変わるんだ
時は来た いま一つの終わりが始まる
そらドンくさかった奴にもう追い抜かれるぞ
今この瞬間も、あっという間に昔に変わるんだ
順位だ序列だなんて物は 無くなったも同然で
ああついに王者も引きずり降ろされどん底に落ちる
時代が変わるんだ