2024年4月3日水曜日

1. 日本人にかえれ (出光佐三)

  『日本人にかえれ』 (ダイアモンド社:発行) は、戦後自信を失い迷走する日本人に、『日本人の原点に戻り、誇りを持って堂々と生きよ!』 と出光佐三氏が激励している名著書です。佐三氏86歳の昭和46年6月に刊行され、今も色褪せることなく多くの人に読まれています。

 「百年に一度の傑物」 と尊敬される佐三氏が示す日本人の進むべき道、戦後77年を経ても日本の心を見失い定見なく混迷する私達現代人に、明るい展望・不動の道筋を与えてくれます。佐三氏は大著 「わが六十年間」 全3巻を筆頭に数多くの名著を残されましたが 「日本人にかえれ」は、それらのエキスが凝縮され、日本人座右の一冊として一生大事にしたい名著です。

1.「日本3千年の歴史を基に建設にかかれ」

この本は単なる企業経営哲学でなく、神代から 江戸・明治・大正・昭和の時代背景、国際情勢を、佐三氏独特の慧眼で俯瞰した 『日本人の原典、人間学の指南書』 です。 冒頭の書き出しで、日本開闢以来初の大敗戦で国民全体が腑抜けになっている中で、佐三氏は微動もせず終戦2日目に『愚痴を言うな、日本三千年の歴史を見直せ、そして建設にかかれ!』 と檄を飛ばします。
 その言葉通り、出光は主事業の海外資産を全て失ったにも拘らず、引揚者千名を 『家族を馘にはできない。乞食をしてでも全社員で乗り切る!』 と、牧場・漁業・印刷業・ラジオ修理業、そして下請け業者でさえ拒否したタンク底油回収作業・・・に全社員を率いて取組み乗越えました。このことが他社に類を見ない社員の堅い絆と、その後の驚異的な発展の基盤を作りました。

310万人が戦死、日本中が瓦礫と化し、呆然自失した日本国民への占領政策は苛烈を極めました。当時貴族院議員だった佐三氏は『占領軍は、日本再起にとどめを刺し、日本の亡国化、日本解体を目指した。日本精神は完全に否定され、一夜漬けの憲法を押付けて一日にして議決させ、国民の意志は完全に無視された。これが何の民主主義か!』と憤激しています。しかし77年経過しても、国民の大半は押しつけ憲法を後生大事に疑問も抱かず、憲法は一字一句変更なく、憲法改正の国会議論すら始まっていません。

2.三島事件と出光佐三氏

この国民の情けない精神的堕落を覚醒させようと、昭和45年11月25日に起きたのが『三島由紀夫事件』でした。陸上自衛隊市谷駐屯地バルコニーで訴えた決死の檄文にはこうあります。

『・・われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善に捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずに胡麻化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた・・(中略)・・生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

三島と同じ思いだった佐三氏は、なんと三島由紀夫の葬儀で弔辞を述べられています。(本書のP173ページ)

『・・あなたは日本民族を三千年の伝統を誇る尊い日本人に返そうとして、死をもって教えんとなさいました。しかも日本民族独特の武士道に則り、切腹という尊い道を選ばれました。日本人はこの尊いお姿に接して愕然として目覚めました。日本の青年は自問自答しつつ本来の日本人にかえらんとしていますから、どうぞ安んじてお眠りください・・』


3.青年への期待

佐三氏は今後の日本を青年に託し『戦後、大衆、政治、教育、産業、文化は退廃し、日本精神は虚脱した。 頼むは純なる青年のみである。青年よ、明治時代を凝視しつつ新しい日本を作れ!』 と期待し 「日本人にかえれ」 を刊行し、10年後に96歳で逝去されています。 この名著発刊から50年、佐三氏没後40年経過しましたが・・果たして世の中は佐三氏の期待通り進んでいるでしょうか?  果たして青年は佐三氏が期待されるような存在だったでしょうか?

出光では昭和45年2月に入社12年目の中堅社員教育があり、研修生からの質問が出光の根本から乖離していることに驚いた佐三氏は、すぐに人事部長を呼び出し『一体君たちは何を教育しているのだ。これから若い者は僕が教育する! 』と大変な剣幕で激怒、2か月後の4月に第一回目の店主室教育がスタートしています。 前出の中堅社員教育受講者は再招集・再教育され『君たちは出光のガンになっている。これから帰店したら 我が45年間“ や 出光50年史を心眼を開き 眼光紙背を徹す姿勢で研究し実践せよ!』 と叱咤されたそうです。(OB会報第59号:H20年10月、吉田保之氏随想より)

この本が編集されるころ、私は大学3年で大学紛争真只中、『占領軍に捻じ曲げられた戦後教育』 で育った全共闘世代です。 S46年6月に出光内定し、送付された佐三氏の書籍3冊のうち 『マルクスが日本に生まれていたら』 を読みましたが、よく理解できず反感が大きく途中で投げ出してしまいました。 そして出光入社後も製造現場を主体に40年間を過ごし「日本人にかえれ」は、どこか遠くの掛け声に聞こえていました。

4.日本の教育環境の堕落と危機 

製造現場で技術面の仕事に打ち込むことが『真に働くこと』と思っていた私でしたが、40歳代になって長女の高校進学で大変なショックを受けました。千葉県一の進学校に合格したことを無条件に喜んでいた私たち夫婦は、入学式で全身にバケツで冷水をかけられたようなショックを受けました。式次第の冒頭『国歌斉唱、一同起立!』の号令がかかったのに先生方は誰一人起立せず「君が代」を歌わないのです。 生徒はどうしたら良いか分からず、シーンと静まり返った中でピアノ伴奏だけが鳴り響いています。今まで見たこともない異様な入学式でした。『これが東大合格者を何十人も出す千葉県立高トップの進学校なのか! こういう先生達から学び、東大に進学し、霞が関で日本中枢の国家公務員になっていく日本は、一体どんな国なのか?』と、愕然としました。これは全国の有名進学校となるほど顕著となる風景だと聴きます。

それ以来、初めて『日本の常識、戦後の歴史教育』に疑問を持ち、色々な本を読み漁り、それまで常識と思っていたことが全て逆であったことを知りました。 そして 『南京事件や従軍慰安婦問題』 が、全て朝日新聞の捏造報道で始まり世界に拡散していったことを知り衝撃を受けました。(日本の新聞なのに、何故日本を貶めるようなひどい事をするんだ!・・と)

またマッカーサーやフーバー元大統領やフィッシュ元上院議員などが 『第二次世界大戦は狂人ルーズベルトの陰謀により引き起こされ、米国民50万人が無用の血を流した。ルーズベルトが参戦しなければ、ヒットラーとスターリンの独裁国同士が戦い、双方が滅亡し、その後の世界を二分した共産主義の台頭も冷戦もなかった。』 と終戦後総括していることを知りました。

 ルーズベルトは、英国支援でヨーロッパ戦線に参入したいのにドイツが挑発に乗らず、参戦反対の強い米国論の為に、裏口から参戦しようと日本を追い詰めました。 それは「日本移民禁止、日本経済を止める石油・鉄屑禁輸」でしたが、それを受けても米国との開戦は避けたい日本に対し、実質的な最後通牒「ハルノート」を突き付けたことです。これは東京裁判のパール判事などが「ハルノートのような通牒を受取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも、合衆国に対して開戦せざるをえないだろう」と言われるひどい内容でした。
更にルーズベルトは事前に真珠湾攻撃の情報は入手していたにもかかわらず、ハワイ司令部には警告せず見殺しにしたことが分かっています。 それどころか
ルーズベルトは、開戦前から『日本の戦後処理はカルタゴ滅亡を手本に、近代技術を徹底破壊し、農業しかできない太平洋小島国に没落させる』ことを戦争目的にしていました。その遺志通りGHQWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)で徹底的に思想教育し、日本人を骨抜きにすることに成功しました。

昭和26年のサンフランシスコ講和条約締結で独立国となった後も更に浸透し、佐三氏が終戦直後に警鐘を鳴らされた占領軍が目指した、日本再起にとどめを刺し、日本の亡国化、日本解体』は定着。 いまや日本人自身が『誇りを失い、強国に媚びへつらい、無責任で権利だけ主張し、政府・体制批判だけに明け暮れる国籍不明の情けない国に転落』しています。一番の危機は、日本人の心の荒廃です。

5.私達国民全員の課題 「日本人にかえれ」

退職後大学キャリア講師を10年間、学生約千名と接しながら古希を迎え、初めて85歳の佐三氏が言われた 『青年は素晴らしい。青年よ、明治時代を凝視しつつ新しい日本を作れ!』の真意が分かってきました。

終戦後25年経過し高度成長期を築いてきた優秀な12年目社員を 『君たちは出光のガンだ!』と中堅社員教育で叱り飛ばした佐三氏の本当の思いは『国家に示唆を与えるべく真に働き続けた僕の人生も残りわずかだ。僕の真意を引き継ぎ、純粋な若者を育てるのは君達だ。性根を入れてこの大仕事に真正面から取り組め。あとは任せたぞ!』という叱咤激励だったに違いありません。そしてそれは 「日本人にかえれ」 が日本人全員に向けて書かれており、読んだ夫々が自らの課題として受け止めるように遺言されたのだと思います。 

6.日本人精神の原点は 『古事記・日本書紀』

佐三氏が凝視せよと言われる『素晴らしい明治時代』 を作ったのは、江戸時代の藩校や寺小屋で幼い頃から学び『清廉潔白、感謝報恩、滅私奉公、一致協力、互譲互助』 など人間の基本を鍛錬し身に着けた人たちです。

その明治の頑張りで世界の五大国の仲間入りし、第一次世界大戦で欧州が壊滅した時に日本は戦場とならず、濡れ手に粟の巨利を得たことが、大正時代の金権主義や昭和初期から傲慢無知の軍部を生み、第二次世界大戦大敗北の原因となりました。

その未曽有の戦禍、敗戦で腑抜けになる逆境にありながら、再び立ち上がり苦難を乗超え、高度成長を達成したのは、教育勅語や尋常小学校教育で学び 不撓不屈の精神で頑張った戦前・戦中派の父母とその教えを受けた子供達です。まさに佐三氏の言われる『逆境に楽観せよ、順境に悲観せよ』を歴史が証明しています。  

 ならば 『自己中心・視野狭窄・強権追従の現代人はどうすればよいか?』 ・・まずは、1300年間日本人が大事にしてきた 『古事記・日本書紀』 を歴史教育に復活させて心の糧とし、聖徳太子の十七条の憲法、特に一条の『和を持って貴しとなす』に立ち返り「真の日本にかえる」ことが不可欠です。そして傲慢を極める中国に対して対等外交を宣言した『日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す。恙無しや』の独立不羈の精神を取戻すべきです。しかし左傾化が定着した文科省・学校教育(日教組)にこれを期待したり、改革を望むのは 『百年河清を待つが如し』です。その間に日本人の心は完全に消滅してしまうでしょう。

日本人として目覚めた一人一人が、今すぐ始められることを開始し『日本人の心の復活』を推進していくことが必要です。 私は退職後、出光興産に40年間お世話になった者として、佐三氏の「日本人にかえれ」の教えを、世の中に少しでも広げる役割を担いたいと取り組んでいます。『日本の将来を危惧し、同じ問題意識を持たれている全国の方々と連携していきたい』と、次のような活動が展開できないか模索しています。

➀ 「古事記」を愛読する人達の輪を広げる。 ⇒『現代語訳 古事記』:福永武彦、 『漫画古事記1~7』:久松文雄

➁ 全国に子供歴史塾開設、子供会・学童保育などで『古事記』等の勉強会展開 ⇒『尋常小学校国語・歴史・修身』『中学歴史(令和書籍)』 『学問のすすめ』:福沢諭吉、『言思四録』:佐藤一斎、『魔法の糸(米国道徳読本)』、『啓発録』:橋本左内、中江藤樹、二宮尊徳

③ 公開SNSで「日本人にかえれ」情報発信 (FB、YOUTUBEHP等)


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