2024年4月3日水曜日

3. 出光佐三= 百年に一度の偉人

 私達は、自分が生きてきた長さでしか歴史の年月は実感できません。     

10歳の人には10年前は大昔であり、10年先は遥か遠い未来に思えます。 しかし加齢と共にその物差しが長くなり、遠い過去と思っていた事が、実はすぐ身近に起きていたことを知ります。

 私は10歳の頃、太平洋戦争は、はるか遠い昔の出来事で、江戸時代や明治維新などの話とあまり区別が付きませんでした。 しかし71歳になったいま考えると、自分が誕生するわずか5年前に、広島・長崎に原爆が投下され一瞬にして数十万人が死亡し、東京大空襲などで全国の都市が焼け野原になった歴史的大国難があった訳です。両親が話してくれた戦争の恐ろしさを、「またか」 と聞き流していた愚かさを悟ります。 東日本大震災・大津波が一瞬にして2万人を命奪い瓦礫の山と化した惨状が日本全土を覆っていたわけです。

76年前、太平洋戦争敗戦で日本は焦土と化し約300万人が戦死しました。


国民の殆どが家族を失い住む家を失って、その日をどうやって生き延びるかで四苦八苦していたとき、会社資産の全てを失いながら、海外からの引揚者800名を含む従業員1000人を一人も馘首せず、仕事を探して生計が立つようにしました。

 そして更には世界中をアッと言わせた 『イラン石油輸入=日章丸事件』 を見事成し遂げ、日本奇跡の経済成長の元を創り、『100年に1人出るか出ないかの大人物』と言われた経営者がいました。その名は出光佐三氏で終戦時60歳。普通なら隠居して悠々自適の第二の人生を開始する年齢です。

 今日本の平均的定年は60歳。豊かな現代でも、『年金破綻、年金満額支給開始の65歳まで特に不安』 と自分の後半生をどうやって生きるか心配です。 そういう初老期に、会社資産を全て失い1000人の生活を背負う事になった訳です。

 『海賊とよばれた男』 (百田尚樹:著 講談社)は『戦後建設は死ぬより苦しいものと覚悟せよ』 と檄を飛ばした出光佐三氏後半生を描いた驚愕の史実小説です。 大混迷で強いリーダー不在の現代、あらゆる階層の人に読んで欲しい本です。 上下2巻の大著ですが、次から次から襲い掛かる困難を中央突破する迫力と面白さに一気に読了する事ができます。

 詳細内容は小説に譲り、佐三氏の年齢に沿って年表を整理してみます。

1945年(60歳)8月15日 太平洋戦争終結 (8月16日 瞑想)  

    海外資産全てを失う。二百数十万円の借金。

 

        8月17日訓示 「①愚痴を止めよ、②今から建設にかかれ」

            800人の引揚者 「一人も首は切らない」と宣言し全員収容

1946年(61歳)ラジオ修理業(全国50店⇒後に石油販売拠点)タンク底作業

1949年(64歳)元売指名⇒1951年 日章丸就航(戦後初の自社運行船)



 1953(68歳) イラン石油輸入(日章丸事件)

     英国海上封鎖の中、イラン国有化石油を世界で初めて輸入

1957年(72歳)徳山製油所竣工⇒1963 天皇皇后両陛下徳山視察

1963年(78歳)千葉製油所竣工(1月)⇒新潟豪雪にもかかわらず、

              石油業法の生産調整=供給不足に抗し石油連盟脱退

 

1967年(82歳)千葉製油所2期⇒世界初重油直接脱硫装置完成

1973年(88歳)北海道製油所竣工

1975年(90歳)愛知製油所竣工⇒国内最後の新設製油所

1981年(96歳)逝去 【昭和天皇御製】 

「人の為 ひと世つらぬき尽くしたる 君また去りぬ さびしと思う」  

①出光佐三氏が経営の根幹とした 『人間尊重、家族主義』 の真髄は、終戦時「家族をクビにはできない」と800人の引揚者を一人も馘首せず、生活費と手紙を送り『仕事は必ず探す』と約束し実践した事ではないでしょうか。 この時、丁度60歳です。

②そして意気消沈していた日本人が再び自信と誇りを取戻した『イラン石油輸入の日章丸事件』。会社にたった1隻しかなかった外航船を経済封鎖中のイランに差向け、『例え拿捕・撃沈されても日本人の心意気を全世界に示す』と決断・実行したのが68歳です。

③72歳で当時国内最大の徳山製油所を作り、6年後千葉製油所建設。 しかし石油業法で生産枠を50%に制限され、冬の大雪時に消費者が困窮しているのを見かねて石油連盟を脱退。国や業界を相手に一歩も引かず『消費者本位』を貫いたのが78歳です!

96歳で逝去された時、昭和天皇は店主を偲び和歌を作られました

  『人の為、ひとよ貫き尽したる、君また去りぬ、さびしと思う』

『共に戦前戦後の未曾有の国難を全身全霊で生抜き指導し、日本人の誇りを取戻し繁栄を築いてくれた戦友の死がさびしい』 という昭和天皇の深い悲しみが溢れています。 (歴代の天皇が一般人の死を悼んで和歌を詠まれる事は例がないそうです。)

【”出光宗家の乱” を憂いて】  2017年3月7日 店主命日に寄せて   

こういう創業者 出光佐三氏に心酔し、人生の師と仰ぎ、社員全員が一丸となって取組んできた100年実践の歴史を持つのが出光興産です。

最近石油需要の激減に伴って業界再編が不可避となり、出光経営陣が2年に亘って進めてきた昭和シェルとの合併方針に対して、2016年6月末の株主総会で、突然出光宗家が反対を表明しました。 名誉会長(出光創業家二代目)が、沈黙を破って漸く文芸春秋11月号でその主張を公開しましたが、その主張骨子は、『親父のやってきた遺産を守りたい』 のみで、国内の石油需要激減やエネルギー供給体制の再編・強化の国家的使命感や気概は微塵も感じられません。世界が混乱し、経済低迷が20年以上続く現代日本に、出光佐三氏が命を懸けた戦後日本の復興と同じやり方が通用するはずがありません。

 もちろん今の経営陣は『骨の髄まで出光魂で、出光らしさを体現する選び抜かれたトップリーダー』です。今回の合併方針も2年以上前から取組み、その経過を公表し、世の中から共感を持って受け止められていますので、株主総会で 宗家から『反対』 表明される事態は、恐らく経営陣だけでなく現役社員、また社外の出光をよく知る方々にとっても青天の霹靂だったことでしょう。

宗家は 『企業文化が違う』 と言っていますが、本音は発言力低下を阻止したいだけで、佐三氏が生涯をかけて取組んだ『無我無私、国民の為に』は二の次になっています。というのも既に出光は独自路線の試験管から飛び出し、2005年に石化ポリマー分野で三井化学(株)と出光とで(株)プライムポリマー社を、2006年には石油ガス部門で三菱液化ガス(株)と三菱商事(株)と出光の3社でアストモスエネルギー(株)を設立し、夫々業界トップの販売会社となっているからです。 

この『経営陣と宗家の対立』を、泉下の佐三氏はどう思っておられるでしょうか。 恐らくこの事態を最も憤慨し、こう檄を飛ばされるのではないでしょうか。

『僕は日本国民の為に死ぬ気で働けといったが、会社や資本家(出光家)の為に働けと言ったことがあるか! 石油業界のジリ貧・混乱で一番迷惑するのは国民だ。 日本の為になるのなら、昭和シェルだけといわず、コスモ、JX(日石Gr) とだって合併して、世界の混乱から日本のエネルギー供給を守れ。 日本の為なら率先して出光が捨て石になれ! 混迷する世界の中で出光人の進む道は、これ以外にあるか!』

西郷隆盛『子孫に美田を残すな。男は命を懸けて国事に尽くせ!』      

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