2024年3月2日土曜日

4. 『 虹を見るように歴史を見よう!』

       大学キャリア教育で一年生に『高校で一番面白くなかった学科は?』 と質問すると、大抵の学生は『歴史です』と答えます。 何故かと聞くと『色々な出来事や年代等を覚えさせられる学科だから。受験の為に仕方なく勉強するが全く面白いと感じない』と回答します。自分の国の歴史に興味がなく、世界各国の成立ちや文化に興味がないのは、先人の苦労や努力や知恵から学んでいないということで悲しいことです。しかしこういう状況を作ったのは私達大人です。渡部昇一氏は本当の日本の歴史は虹のように美しく、ワクワクするような面白いものだ!』と教えてくれます。

それではまず、歴史とは何でしょう?

年表に書かれている事件や事実が歴史なのでしょうか?そうではありません。まず『本当の歴史を見る目』を持たないと正しい歴史は見えてこず、歴史の面白さも歴史教訓も得ることはできず、日本人としての立脚点も定まりません。

そこで今回は、2017年4月17日に逝去された『知の巨人 渡部昇一氏が推奨される重要な歴史視点=二つの比喩』(出典:「渡部昇一の少年日本史」致知出版社)を紹介します。冒頭部の紹介しかできませんので、是非購読されることをお勧めします。きっと一家の宝物になると思います。 

1.『歴史は虹のようなもの(オーエン・バーフィールド)

 「歴史的事実(水滴のようなもの)」「歴史(虹)」は区別してみるべきです。水滴をいくら集めても虹にはならないように、歴史上の事実や事件をいくら集めても、それは歴史にはならないのです。歴史というものは、水滴のように限りなくある歴史上の事実や事件を適切な角度と距離をとって眺めることによって浮かび上がってくるものなのです。雨が上がったからと言って、どちらを向いても虹が見えるものでもない。視線の方向が重要で、また虹をもっとよく見ようと思って近づき過ぎると虹は消えてしまいます。
 とてつもない方向を見ている人や、個々の事実だけに密着・執着するだけの人には虹の見える距離がないので、とても虹は見ることが出来ません。

繰り返しますが、虹というものは無限の歴史的な事実や事件の中から、ある国民の目にだけ七色に輝いて見えてくるものなのです。そういう歴史を「国史」(=国民の歴史)と呼びます。そしてそのような歴史の虹を見る為には、正しい歴史観を持つことが大切です。

2.『群盲 象を撫でる』(仏教)

  昔、ある王様が大勢の盲目の人に象を撫でさせ「象はどのようなものだったか」と答えさせたとい逸話があります。象の腹を撫でたものは太鼓のようだといい、尾を握ったものは杖のようだと言い、耳を撫でたものは笊(ザル)のようなものだと言い、牙に触った者は角のようなものだと言い、鼻に触った者は太い綱のようなものだと答え・・という風に続きます。 いずれも正しいけれど、同時に正しくない。局所的に正しいと確信したこと、しかし局所的に正しいことは本当はとてつもなくトンチンカンということもあります。それよりはザッとでもよいから、象のスケッチをしたら象の形は良くわかるし、その傍に象使いでも書き添えたら象の大きさまでわかります。 

このような姿勢で歴史を見ないと、正しい本当の歴史は見えません。

如何だったでしょうか?

こういう渡部昇一氏の指摘通り、歴史教科書や新聞・TV報道、中国・韓国の反日報道、ひいてはGHQが押付けた戦勝国歴史観の立脚点では、本当の日本歴史の虹や、正しい象の姿は見えるはずがありません。

しかし、この小論文では『正しい虹の姿』を詳しく述べるわけにいきませんので、是非 渡部昇一氏の次の2冊を購読されることをお勧めします。

   『渡部昇一の少年日本史』 致知出版社

   『読む年表 日本の歴史』 WAC

大学講師を始めて7年、大半の学生がこういう状況であることに危惧し『一体今の中学や高校でどんな歴史教科書が使われ、どういう授業が行われているのか?何故面白くないのか?』 が気になり、毎年最新の教科書を購読するようにしています。ところが個人が購入しようとしても大きな書店にもなく、ネットでは購入できず、大きな公立図書館でさえも 『義務教育で重要書籍であるはずの教科書』 が置いてありません。 私は、学校が教科書選定する期間の 6~7月に、神田の三省堂本店で期間限定販売している事を突き止め、数年前から ようやく購入できるようになりました 。こういう 『一般社会人が容易に歴史教科書を購読・閲覧できない環境への無関心』 こそが、日本人が歴史の真実に関心がなく 疎く、近隣諸国の虚偽やデマローグの歴史攻撃を受けても反論できず、自信喪失して反省ばかりしている国民性を作ってきているのではないでしょうか?

また、実際に歴史教科書を手にすると膨大な無機質の歴史事実が羅列されているだけで、時代背景やその時代の庶民の生活や価値観、代表的人物像など、歴史としての骨格や血や肉がなく、『成程、これでは面白くないし読みたくもない』 と納得します。 何故日本国民は、こういう状態を放置し無関心なのでしょう?

学校教育、文科省が期待できないなら、ぜひ私達は、この 『渡部昇一の少年日本史』を各家庭に1冊常備し、『日本人の誇りある虹が見える歴史本』 として、子供・孫と読み親しんでいきたいものです。

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