2024年4月3日水曜日

1. 126代連綿と国民と共に "八紘一宇”

 今上陛下は初代神武天皇から数え第126代目、2月23日に天皇誕生日を迎えられます。また2月11日は皇紀2684年の建国記念日でした。しかし新聞もTVも殆ど触れず、国民も関心がなく、近所でも国旗掲揚はありません。「国の歴史を忘れた国民は滅ぶ」(歴史家トインビー)・・「何とも恐ろしい日本の現状だ!」と思っていたら、2月15日の産経新聞「直球&曲球」で「皇統を守る国民連合」会長の葛城奈海さんが「神武天皇が東遷に向けて出発された宮崎のゆかりの地を会員と巡り、八紘一宇の塔を訪ねた」とのコラムがあり、本当に心強く嬉しく思いました。


日本書記によると、天照大神が地上に遣わした天孫:瓊瓊杵尊の曾孫にあたるカムヤマトイワレビコノミコト(のちの神武天皇)は、日本全土を平和に治める都を求めて、日向美々津港から東遷の旅の出られ、各地で歓迎され、稲作を広めながら河内国(大阪)に入りました。


しかし豪族「長髄彦」の激しい抵抗に遭い、兄 五瀬命を失いながらも平定し、2月11日奈良の橿原で初代天皇となられました。その時の神武天皇の建国の詔(理念)が「八紘一宇」です。

「八紘 (あめのした) を掩 (おお) いて宇 (いえ)と為むこと、またよからずや」 (世界のすみずみまでも、ひとつの家族のように仲良く暮らしていける国にしていこうではないか)

 この詔を編入した日本書紀が完成したのは720年、国民を「おおみたから」と呼んで慈しみ、自分より他人を思いやる利他の精神、絆を大切にするこころや家族主義のルーツが、実に1300年以上も前に示され、いまも私達日本人の人生観・基本的価値観として脈々と生きています。

 戦前は、この神武天皇による建国の日は、全国民が祝う一番大事な祝日「紀元節」でした。それが大戦後GHQにより「日本の歴史を全て消し去る占領政策」で180度転換させられました。2300年前の古代 秦の始皇帝も驚く野蛮な「焚書坑儒」を日本人に押付け隷属化を図ったのです。GHQの全くの素人9名に僅か1週間で作成させた憲法を押付け、日本の重要な文献・書籍を7000点以上回収・発行禁止、20万人以上公職から追放、WGIP言論統による国民の反日洗脳、皇室継承宮家の廃絶、神道の廃止・・を実施しました。

 「八紘一宇の塔」は昭和15年に建国2600年記念事業として完成しました。しかし敗戦後の昭和211月、GHQの命令によって「八紘一宇」の文字は削り取られ、四角の塑像のうち「武」を象徴する「荒御魂像」が取り除かれ、「平和の塔」「平和台公園」の名前に改めました。その後、塔は粗末に扱われて荒廃し、一時ロッククライミングの練習場にされました。その記録写真を見るたびに「国の歴史を忘れた国民は滅ぶ」の言葉を思い出します・・


 その後、復元と保存の機運が起こり37年になって「荒御魂」像が、40年には「八紘一宇」の文字が復元されました。昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーは、この「平和台公園」がスタート地点となっています。・・私は昭和40年日向学院高校に入学しましたので、完全復活した「八紘一宇の塔」しか見ておらず、以来60年、この塔を見るたびに先人の苦労に感謝し、日本人としての誇りを感じます。そして次世代にしっかりと受け継いでいかなければ・・という思いを新たにします。

1.世界各国の歴史
 下の歴史一覧表に示す通り、日本は神話の時代から初代神武天皇そして126代今上天皇に至るまで途切れることなく続いている世界に2つとない歴史を持つ国です。現在、世界で「Emperor(皇帝)」と呼ばれる人物はたった一人だけです。それは日本の天皇です。世界に王はいるものの、皇帝は天皇を除いて残っていません。国際社会において、天皇のみが「キング(king・王)」よりも格上とされる「エンペラー」と見なされます。

 海外で仕事をされる方は、必ずこの表を持っておくべきです。国の成り立ち、歴史・アイデンティティを論ずるとき、この一枚があれば言葉にしなくても一目瞭然です。


 なお、中学校の歴史教科書でこの表が掲載されているのは、自由社の「新しい歴史教科書」だけです。2002~2020年度まで19年間使われていたにもかかわらず、2019年の検定で「誤りが多い」という理由で一発不合格になっています。「テニオハ」レベルの指摘や、他の教科書の同じ記載を問題なしとする中での「一発不合格狙撃ち」です。文部科学省は左翼に支配されていることを証明しています。「国民が学校教育、とりわけ歴史教育に無関心な国情」を、左翼(後ろに中韓)は巧みに利用して洗脳を定着・延命させていることに、私たち国民はもっと危機感をもって対処すべきです。

 よく「中国5000年の歴史」といいますが、中国王朝はほとんどが異民族に支配された王朝、その個々の王朝は長くて300年、王朝末期になると異民族が攻め入り別王朝をたて、前の王族や側近たちは残らず粛清・虐殺される・・そういう情け容赦ない冷酷な世界です。「Enperor of China」は存在しないのです。「Enperor of Shin(秦の始皇帝)」Enperor of Kan(漢の皇帝)」Enperor of Gen(元の皇帝)」・・が正しく、夫々は全く関係のない途切れた別の王朝です。

 現在の中共は、発足僅か70年の独裁国家。毛沢東や習近平は、優秀・忠実な側近でも自分の地位を脅かすものは情け容赦なく殺戮する歴代最悪の独裁王朝です。
 また上から5番目の「アメリカ合衆国」は、1776年独立後わずか250年の新興国です。高邁な独立宣言の「すべての人間は生まれながらにして平等であり・・」は、白人のキリスト信者だけが対象で、黒人や黄色人種は含まれていません。その証拠に、初代大統領ワシントンは400人の、独立宣言起草舎で第3代大統領のジェファーソンは600人の黒人奴隷を所有していました。(その白人の人種差別感覚で平然と原爆2発落としたのです)
 元々ヨーロッパの食い詰め23男の貧乏移民が辿り着いたアメリカで、先住民に食料を与えられながらも、次の年から土地を奪うために先住民を殺し始め、何千万人ものインディアンが虐殺された・・という恐ろしい人種差別の国です。東京大空襲や2度の原爆投下で国際法で禁止された非戦闘員の女・子供を無差別に殺戮する米国・・それが「和をもって貴し」「重要なことは議論して決めなさい」の民主主義の「17条の憲法」で1300年も前からで国を治めてきた日本に対し「野蛮な日本人に民主主義を教えてやる」とは、何とも笑止千万です.

2.神武天皇と3兄弟の東遷話合い




宮崎神宮社務所の正面玄関に掲げられている絵画です。宮崎神宮のご祭神 神日本磐余彦天皇(第一代・神武天皇)が、皇兄である五瀬命、三毛入野命、稲飯命等と、ご東遷に向けた軍議を練っている様子が写実的に描かれています。はるか向こうには霧島連山が描かれています。左手のキリッとした三角錐の山が「天孫降臨の高千穂の峰」です。
 八紘一宇の塔の裏手の小高い丘に建つと、正しくこの通りの絶景が望めます。若き頃の神武天皇やご兄弟は、この山々を見ながら、東征、都の東遷を話し合われたのだ! と、あたかも神武天皇ご兄弟の会議の場に臨席しているような気分にさせられます。

3.日向美々津港から出航される神武天皇一行



これは宮崎神宮境内に展示されている復元船です。
その立派な設計と意外な大きさに驚きます。もっとも宮崎から瀬戸内海を経て大阪湾まで、軍勢を乗せて遠征するのですから、このくらいの大型船でなければ東征など不可能ですね。当時の造船技術にも感服し納得です。


4.奈良の豪族 長髄彦との戦い



難波をへて白肩津(大阪日下)に停船したとき、奈良の長髄彦の軍勢が待ちうけており激戦となります。兄 五瀬命は手に矢を受け負傷し「私は日の神の御子として、日に向かって戦うのは良くないのだ。それで賤しい奴に痛手を負ってしまった。今から遠回りをして、日を背に負うて戦おう」と誓い、紀伊半島を回り熊野方面から攻めることになります。この途中、五瀬命は亡くなります。その悲しみの中さらに軍勢を進めると、苦戦を見かねた天照大神は、道案内人として八咫烏を遣わしたので、一行はその導きによって大和の吉野川のほとりにたどりつき、長髄彦の軍勢を打ち破り、服従しない人たちを撃退して、橿原の宮において天下をお治めになりました。

5. 神武天皇 建国の詔



その時の建国の詔(理念)が「八紘一宇」です。
「八紘 (あめのした) を掩 (おお) いて宇 (いえ)と為むこと、またよからずや」 (世界のすみずみまでも、ひとつの家族のように仲良く暮らしていける国にしていこうではないか)

 この詔を編入した日本書紀が完成したのは720年、国民を「おおみたから」と呼んで慈しみ、自分より他人を思いやる利他の精神、絆を大切にするこころや家族主義のルーツが、実に1300年以上も前に示され、いまも私達日本人の人生観・基本的価値観として脈々と生きています。

6.「橿原神宮の建替え」建国2600年を記念(昭和15年)



神武天皇が即位され、日本の国が建てられてから2600年を迎えた昭和15年(1940)、国を挙げての奉祝記念事業として宮域拡張整備、および皇紀2600年奉祝紀元節大祭が斎行されました。

7.「八紘一宇の塔 完成」建国2600年を記念(昭和15年) 

戦後は「平和の塔」と改称されましたが、建国2600年を記念して昭和15年建設時の正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」で、通称「八紘一宇の塔」と呼ばれました。建設後に「八紘台」と呼ばれた台地上にあり、神武天皇が大和に東征するまでの皇居と伝えられる皇宮屋の北方の丘です。 



 紀元2600年の記念事業として昭和145月に着工、昭和1511月に竣工しました。造形は臼杵出身の彫刻家「日名子実三」。御幣を四方からみたイメージモデルを日名子氏が作成し、それをもとに設計施工されました。
 基柱の高さは礎石から36m、正面中央には秩父宮殿下の御染筆を拡大した「八紘一宇」の文字が刻まれ、基柱の四隅には民族の結束と向上をあらわす篝火台がおかれ、その下には武人・工人・農人・魚人として仮の姿を見せた神霊(荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂)が配されています。総工費は当時の金額で67万円、全て寄付金でまかなわれました。

8.戦後の荒廃・・八紘一宇の塔がロッククライミング練習場に!

敗戦後の昭和211月、GHQの命令によって「八紘一宇」の文字は削り取られ、四角の塑像のうち「武」を象徴する「荒御魂像」が取り除かれ、「平和の塔」「平和台公園」の名前に改めました。その後、塔は粗末に扱われて荒廃し、昭和30年前後はロッククライミングの練習場にされました。その記録写真を見るたびに「国の歴史を忘れた国民は滅ぶ」の言葉を思い出します・・僅か10年前は、日本を家族を守るためにこの学生たちと同年代の若者が命を懸けて戦っていたのに・・本当に教育の荒廃とは恐ろしいものです。
 その後、荒廃を見かねた市民により、復元と保存の機運が起こり、昭和37年に「荒御魂」像が、40年には「八紘一宇」の文字が復元されました。



 また昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーは、この「平和台公園」がスタート地点となっています。私は昭和40年日向学院高校に入学しましたので、完全復活した「八紘一宇の塔」だけしか知りませんが、以来60年この塔を見るたびに先人の苦労に感謝し、日本人としての誇りを感じます。そして次世代にしっかりと受け継いでいかなければ・・という思いを新たにします。(写真は高校時代の私)

9.「マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人!」発刊:桜の花出版会)

 昭和20830日、連合軍(GHQ)司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ち「神も恐れぬ占領政策、復讐の東京裁判」が始まります。日本人は「日本の歴史を全て消し去る占領政策」180度転換させました。2300年前の古代 秦の始皇帝も驚く野蛮な「焚書坑儒」を押付け隷属化を図ったのです。GHQの全くの憲法素人9名に僅か1週間で作成させた憲法を押付け(占領下で有無を言わせず国会承認させ)、日本の重要な文献・書籍を7000点以上回収・発行禁止、20万人以上公職から追放、WGIP言論統による国民の反日洗脳、皇室継承宮家の廃絶、神道の廃止・・を実施しました。



日本に初めて足を踏み入れたマッカーサーは格好つけていますが、沖縄戦で苦戦し、特攻隊の攻撃を受けた恐怖・緊張で、厚木に降り立ったとき失禁した話も伝わります。濡れた左足の付け根側を隠すために、この方向以外の写真は全て没収されたという事です。(真偽のほどは分かりませんが・・フイリピンの敗戦で数万人の米兵を置き去りにして、自分と家族だけ米軍高速魚雷艇で脱出したマッカーサーなので、十分あり得る逸話です。

F・ルーズベルトの当初、その後を継いだトルーマンの戦争目的・占領政策は「2550年日本を統治し日本人を骨抜きにして、アメリカの先住民(インディアン)のようにしてしまおう」という意図でした。ところが19506朝鮮戦争が勃発します。朝鮮半島で直接ソ連・中国共産軍と対峙したアメリカとマッカーサー、この時初めて日本の主張が正しかったことに気づきます。すなわち「満州を共産圏に渡さないことが東亜の安定の生命線になる」という事です。そして日本が行った戦争は侵略戦争ではなく、自衛のための戦争であったと身をもって知るのです。

朝鮮戦争で中共軍は、大量の捕虜となった旧国民党軍を、後ろから「逃げたら撃ち殺す督戦」で脅し突撃させ、その大軍に押戻されたマッカーサーは、共産主義から自由主義圏を守るため武器弾薬増強を求め、核攻撃も辞さない態度で臨みます。しかしトルーマンはソ連との全面戦争を恐れマッカーサーを解任、戦争中にアメリカに呼びもどされたマッカーサーは 1951年5月3日に上院の軍事外交合同委員会で、ヒッケンルーパー議員の質問に対し次の発言をして、日本の大東亜戦争が自衛の為であったことをはっきり証言しています。

『日本は8,000万人の膨大な人口を抱え、それが4つの島にひしめき合っていることを理解しなくてはいけません。その半分近くが農業で後の半分が工業に従事していました(中略)  日本は絹産業以外は固有の産物は殆どないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他じつに多くの原料が欠如している。そしてそれらのものすべてがアジアの海域には存在していたのです。

もしこれらの原料が断ち切られたら,1,000万から1,200万人の失業者が発生することを彼らは恐れていました。(実際にABCD包囲網=米・英・中・瀾で経済封鎖された) 従って彼ら(日本人)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(自営)の必要に迫られてのことだったのです。』

そしてマッカーサーはトルーマン大統領との会見で「東京裁判は間違いだった。やるべきではなかった」と述べています。

ハワイオアフ島の「アリゾナ記念館 ビジターセンター」には、このマッカーサーの証言内容、および「山本五十六が本当は対米戦争を避けたかった」という資料が掲示されています。私は10年前に恐る恐るアリゾナ記念館を訪問・見学し「アメリカでは、当時日本が追い詰められた世界情勢も公平に展示され、当時の日本軍に敬意を表している」ことに本当に驚きました。そして「戦後70年、日本の政治家メディアは、なぜこんな大事な事を日本国民に知らせないのだ」と激しい怒りを覚えました。

日本では、占領中は仕方ないとしても、サンフランシスコ講和条約で独立を回復した後も、メディアはマッカーサーの上院での証言を知りながら全く報道してきません。そのため日本人はこんな大事な全く知らないまま、戦後80年を経過しても「侵略戦争で世界に迷惑をかけた」という自虐史観から抜け出せません。

碩学の渡部昇一氏は、著書「歪められた昭和史」P154160で、戦後日本を貶めたメディア、特にNHKに対しこう提案しています。

【戦後国内唯一の放送局NHKは、GHQ作成の真相は こうだの虚偽報道を流し続け、日本人に自虐史観を植え付けた。 国民はゴールデンタイムに「マッカーサーの上院軍事外交合同委員会での証言」を報道するよう求めるべきだ。それに応じなければ、全国民が受信料不払い運動をやればよい】

世界ではむしろ「白人が侵略・支配して収奪、植民地化していた世界を、負けると分かっていながら戦い解放してくれた。日本が戦わなければ、白人による世界の植民地支配は今も続いていた」というまっとうな評価をする知識人が増えています。

「めざめよ日本人。世界の中で胸を張って堂々と生きよ!」

「メディア(特に朝日新聞・NHKを)を信用するな! 歴史に疑問を持ち、自ら納得できるまで調べ、真実の日本歴史・日本人らしい生き様を知り、誇りをもって堂々と生きよう!」

(参考図書)

「マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人」(桜の花出版)

「歪められた昭和史」(WAC):渡部昇一

「決定版 日本史」(扶桑社新書):渡部昇一

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