2024年3月3日日曜日

3. 就活ポイントと生涯現役(50年前の私)

                          令和5年3月3日
 大学3年生にとって春休みは就職活動の正念場です。 
 各企業の人事部門は4月から入社式・新入社員教育・職場配属等で最多忙期となる為、その前の3月が次年度採用スタートとなり本腰を入れて採用選考を開始します。就活中の学生もGW明けからは正念場を迎えます。これは50年前の私達団塊の世代からほとんど変わっていません。
 私は大学1・2年生のキャリア教育のほか、某工学系大学3年生の就活支援講座として、SPI基礎講座・ES対策・面接対策・企業説明会等を担当してきました。その中で、学生さんに常に強調してきたことは次のことです。皆様の就活中の子供さん・お孫さんに紹介し参考にして戴きたいと思います。

〇 志望企業を考えるとき大事にしたいのは『この企業に入社すれば、自分が活躍したい分野のスキルを20歳代で徹底的に鍛えられるか否か?』です。まさに自ら『鉄は熱いうちに打て!』 です。
 20代は自分を鍛え抜き、社会で活躍する実力を養い向上させる人生最大の修練の時期です。孔子は『15志学、30而立、40不惑、50知天命、60耳順、70従心』 としており、20歳代は言及がなく、あの孔子でさえ迷いと悩みと鍛錬の中にあったようです。
少子高齢化のこれからは、”生涯現役=専門性を持ちいつまでも活躍する” ことが当たり前の世の中になってきます。そういう時代に唯一頼りになるのは 『自分自身の知力・気力・体力』です。 企業は社員の一生を保証できる訳ではありません。特に世界規模の政治経済激変が頻発する現代では、有名な大企業でもアッという間に経営危機に陥ったりして当てになりません。唯一頼りになるのは、自分の力(気力・知力・体力、人的ネットワーク)です。
 
〇希望の企業に採用内定されることを目標とするのは勿論大切です。 しかし一方で学生の皆さんも、
  ➀ この企業は自分が全力で働く価値のある企業か? 
   ➁ 社会に貢献する理念と実態があるか? 
   ➂利益だけを最優先で求める会社ではないか?  

の視点をしっかり持つことが重要です。あくまで就職活動する主役は自分自身です。企業の採用部門は、ありのままのあなたを見て、この企業で一緒にやっていける人物か否かを判断するのが仕事。だから自分を飾ることはない。自分が何を大事にして頑張ってきたか、この企業で自分のどういう力をどう生かしたいのか、をありのままに正直に表現することが一番重要です。

 今の学生には余り参考にならないと思いますが、以下は私の就職活動です。
47年前の昭和46年の今頃、私も必死で就職活動していましたが、最後まで決まらず、就職担当の恩師:贄田先生(現在94歳)泣かせの学生でした。
電機メーカー5社(東芝、日立、三菱、東京サンヨー、ビクター)をことごとく不合格。重役面接までは行くのですが、志望動機を聞かれ『御社はチッソ水俣のような公害を出さないからです』 と答えていました。当時の私は『企業は社会の公器の筈。地域住民の健康や幸福を阻害し企業利益最優先の企業は存在価値がない』 という事を価値基準の一番目に考えていました。

ところが企業面接では、『うちもカドニウム電池で住民と揉めているが、それでもいいかね』などと言われたりすると『それなら嫌です。不採用にしてください』と答え不合格を繰り返していました。今考えると危ない左翼学生と判断されていたのでしょう。
同窓生が一発で電機メーカー採用を決めているのに『余計なことを言う安藤は電気関係は無理だ』と判断した恩師は『石油の出光からも求人があるけど受けてみないかね』と薦めました。『エッ?ガソリンスタンドで働くんですか?』と怪訝に思いましたが『どうせだめだろうから受けてみるか』と軽い気持ちで受験しました。

私の出光一次面接は、当時宮崎出張所だった宮崎市江平町の橘通り沿いにあるガソリンスタンドで受験者は一人だけでした。面接官の山路さんに『遅刻欠席は何回ぐらいありますか?』と私が聞くと『10年間1回もない』と当然顔で答えられました。大学では遅刻常習犯の私は『こりゃ私には出光は務まらない!』と愕然としました。
筆記試験は平和台公園近くにあった厚生寮の応接室で、山路さんは仕事があるので試験中2時間ほど事務所に戻ると言われます。部屋には出光関連の書籍や辞典などがおいてあり『山路さんがいなくなると私はカンニングするかもしれませんよ』 と言うと『見たければその部屋の本は何を見てもいいよ』と屈託なくニコニコと答えられました。『何といういい加減な会社だ!』 と思いながらも、そこまで信用されると不正はできるものではありません。
 そして上京して重役面接となりましたが、あんないい加減な一次面接筆記試験だったので合格できるとは思っていません。『せっかく交通費会社負担の上京だから、ついでに上高地でも行ってくるか・・』と、面接用の学生服とは別に、登山道具一式持参で上京しました。  
そして重役面接で『わが社(出光)を受験する動機は?』といつもの定番の質問があり、何も前知識のない私は答えに窮しました。苦し紛れに『いつも夜行で通る出光の徳山工場の夜景が綺麗で、このような会社なら公害は出さないはずだと思って受験しました。』と答えた所、10数名の重役がみんな大笑い!
『君は一生の仕事を夜景で決めるのかね!』
 そんなつもりで言ったのではないのですが、真っ赤になって答えに窮した私を見て、重役の爆笑はさらに大きくなりました。 『こりゃまた不合格か・・贄田先生に合わせる顔がないな・・』と落胆した私は、気分を取り直す為に予定通り上高地に直行しました。
そして前々から憧れていた大正池に写る穂高連峰、焼岳、河童橋、明神池、梓川の芽吹き始めた化粧ヤナギのまぶしい新緑・・その素晴らしい大自然に『下界の人間の営みの何と小さくてつまらない事か!』と、すっかり元気を取り戻しました。 
 そして横尾にテントを張り、明日は憧れの槍ヶ岳に立てる! とワクワクしていた夜中、暴風雨となり止む無く引き返しました。
ところが帰宅してみると『出光合格』の通知。半信半疑の入社となりました。後で考えると『地元と共に発展する、公害のない公園工場』を目指す出光は、私のあの『工場の夜景が素晴らしい!』の一言で合格させてくれたのかもしれません。
それから30年後、何と今度は私が採用に関与する人事課長となっていました。そして出光40年勤務後、人事経験を活かして大学キャリア講師を10年やっています。
『君は 夜景で一生の仕事を選ぶのかね!』と大笑いしながら採用してくれた出光は、50年後の今思いかえしても、何ともおおらかで懐の深い不思議な有難い会社でした。

3 件のコメント:

  1. 安藤さんにそんな過去があったとは驚きですが
    真っ直ぐな心が今にも通じているのですネ

    教え子の方がきちんと自分を見つめて
    会社に入ってくれると良いですね

    私は何となく、私の大学に来た求人の中で
    良さそうなところと選びました
    就職担当の教授からは大きな声で面接で
    答えるようにとの指示だけでした

    今振り返るととても良い会社に入ったと
    思います

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  2. コメント有難うございます。こういう問題児だった私が、大学生の就活担当でよいのか・・と一抹の不安はありますが、「反面教師」にしてもらえればいいんではないかと思います。現代の若者は、あの頃の私よりもはるかに真面目で有能で、これからの活躍が期待できます。

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  3. 初めてコメントを記します。
    それというのも懐かしい「平和台」の写真を見たからだと思います。
    子供の頃、近くに住んでいまして当時は宮崎は新婚旅行のメッカと言われていまして、平和台のも大勢きていました、男性は背広、女性はピンクのスーツというのが定番で、悪ガキだった当方は冷やかしでよく石を投げていました。
    平和台にはご存知ように「八紘一宇」という文字がありますが子供のころはどういう意味か全く知りませんでしたが、いつだったか記憶にありませんがいろいろな意味が合うのだ、と知しりました。いつ頃建てられたのかは詳しくは知りませんが、当方の両親が石を運んだ、というようなことを話していましたのでそんなに古いものではないのかも知れません。
    長尾

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