2024年2月3日土曜日

3. 出光佐三氏に学ぼう!

  2012年夏に発刊された 『海賊と呼ばれた男(出光佐三)』 が、今なお沢山の読者を獲得し、若者から 『こういう経営者のいる会社で働きたい』 と人気が続いています。
その一方で、2015年の東芝の粉飾決算~東芝解体、三井不動産・旭化成建材のマンション杭施工不良、2017年神戸製鋼・東レのデータ改竄、日産の無資格検査員問題、更には新幹線の台車亀裂放置走行・制作時の底板肉厚不足等々、目を覆いたくなる低次元の不祥事件が続いています。 『安全・安心・高品質の日本は、どこに行ってしまったのか? これからの日本は大丈夫か?』 と、全国民が日本の現状に危機感を感じています。 

  2014年8月、32年間も虚偽の慰安婦報道を続けてきた朝日新聞が誤報であったことを認めました。 しかし『朝日新聞の長期間の誤報道で、日本国や国民の国際的名誉を著しく損なわれた』 事には一片の謝罪もなく、ついにサンフランシスコに慰安婦像が建立される等、世界中にその悪影響が拡散しています。 加えて昨年の森友・加計学園の根拠・証拠のない安倍批判報道等・・・ 良識・良心不在の報道としか言えません。 朝日新聞社は名門大学卒のインテリ社員が多く、目的のためには嘘の情報でも構わない。』 という現実無視の犯罪的報道体質がはびこっています。(参照:『徹底検証=森友・加計事件』(小川栄太郎)、『逆説の日本史』(井沢元彦 これは朝日新聞社が非難する戦前の軍部粉飾報道や、中国・北朝鮮・韓国の反日思想誘導と全く同じです

 こういった非常識で醜い諸企業の姿が常態化している事が、『"海賊と呼ばれた男” のような会社で働きたい』 という若者の声の背景にあると思います。  こういう純粋で瑞々しい若者に応えるべく、私達は勇気を持って、しっかりと襟を正すべきだと思います。
ところで、かの出光佐三氏は、会社の存在意義、採用・若手育成を、どう考え対処されたでしょうか? 戦後の大変な苦境を乗切った後、1957年(S32)に 初めて徳山製油所を建設し、その運転技術者として、都会の裕福に育ったオボッチャンではなく、『地方の工業高校卒、また貧しくて進学できない優秀な中学卒を大量に採用し、『出光学校』 で2年間高等教育を与え、希望者には定時制高校に通わせました その後、1963年千葉、1970年兵庫、1973年北海道、1975年愛知と矢継ぎ早に新製油所を建設しましたが、この中卒・工高卒者が中心となって建設し、運転を立ち上げました。
また1966年、当時世界一のマンモスタンカー出光丸(21万t 竣工披露では、これからの日本を背負う若い人達に世界最高のものを見せてやりたい!』 と、全国津々浦々から一万五千名もの中学生を招待し見学させました。
『僕の事業目的は、社員が真に働く姿を社会に示し、人々から尊重される人間を作る事だ。 石油業はその手段に過ぎない。』 
『卒業証書を捨てよ。新人に大事なのは仕事の基本をしっかり学ぶ事であり学歴は関係ない。 だから僕は丁稚奉公からスタートしたんだ。』   (出光佐三氏)
しかしいまの世の中はコスト・人件費削減最優先で、派遣や中途採用多用で新規採用を極力抑え、即戦力・早期育成の掛声のもと若手社員を追い立てています。 また全国3千人しかいない高専卒の就職希望者なら誰でも良いと、仕事内容と全く無関係の建築・土木・都市工学等までプラント運転員として採用し、高専卒割合を80%以上としている企業があります。 その裏返しとして優秀で志が高く人物的には魅力的な学生が多い全国13万人(高専卒の40倍以上) の工高卒は採用を避けています。  こういう企業姿勢で、工業高校によっては学科閉鎖や他校との合併に追い込まれ、深刻な 『日本の ものづくり衰退、震災復興・東京オリンピック需要の中での土建業種後継者不足』 に拍車をかけています。 従って近視眼的な学歴偏重企業は社会的責任を果たしているとは言えません。
恐ろしいのは、短期的には頭数を揃え辻褄を合わせても、志の低いやる気のない新人を大量採用して中々期待する戦力に成長せず、技術レベルやモチベーション維持が困難となり、 『S40年代後半の技術力不足による石油コンビナート大火災事故多発のような危機的状況』 に陥る事が懸念される事です。 さらには 『他社の高専卒同期は課長・係長になったのに一生交替勤務か・・・』 と悩む中堅社員が増え、モチベーション低下で企業風土が一変し、やがて企業存続が難しくなる事態になることが予想されます。

『鶏口となるも牛後となるなかれ』 という格言があります。 『牛後ばかりを採用し、牛後の職場にしていないか?』 という厳しい自省と視点が人事部門には不可欠です。 
 
石油・化学・電力・鉄鋼・ガス等の製造基幹産業では、交替勤務業務は全て工業高校卒です。これは学歴偏重からではなく複雑・高度化されたプラントを安全に運転し、想定外の非定常操作を含めたあらゆる状態への対応が出来る一人前の運転員育成には、ベテランの指導を受けながら最低10~20年間の習熟訓練・育成期間が不可欠 だからです。 かって高度成長期に初歩的ミスによる大火災・爆発事故が頻発したのは、この育成期間が不足し未熟な若い運転員が大半だったからであり、習熟とともに重大事故は減少しました。 こういう歴史から、交替勤務業務は、製造業に不可欠の基幹業務であり、約40年間を交替勤務に従事する事に使命感と誇りを持って取組む人材が必要で、工高卒業生が最適任である。 という認識が、世の中では一般的であり、こういう社会的ニーズに基づき全国の工業高校数・学生数は決定されています。 大事なのは、こういう現場ニーズや国内教育環境を熟知した者が、企業の戦略的採用・育成・人事を担当しているかどうかです。

 バブル崩壊から約20年が経過しました。
各社とも世代交代の真最中で、高度成長期最後の戦士達が大量に退場していく中、20年前のデフレ不況の就職超氷河期に就職し頑張ってきた優秀な若者が今や各社の中心的存在となり、新たな時代が到来しました。 そこで今回は、この40歳前後の中心的社員が、20年前にどんな若者であったかを紹介したいと思います。 これから社会人となる人、入社直後の若い人は 『目指す姿』 として是非参考にしてほしいと思います。















  平成一桁後半当時、各社ともバブル狂乱で抱えた不良債権で経営危機に陥り、中でも拓銀や山一証券等の大手金融会社が相次いで倒産して、銀行の貸渋りで経済界は大混乱し、殆どの会社は新卒採用中止している状況でした。前出の出光佐三氏が生前、Speculation (投機)は絶対やるな!』 と戒め、危惧していた未曾有の経済危機が到来した訳です。

 こういう中で20年後の大量世代交代到来を見越して、この会社は毎年20~30人の高専卒採用を継続していました。 超氷河期の時代背景から、みんな各校トップクラスの優秀な新人達で、向上心も使命感も高く、短期間で一人前に成長していきました。
また職場の先輩達は育成意欲が高く、緻密な修得課題表を与えて、毎日口頭試問し実技訓練を繰返し、『星取り表 掲示板』 で修得進捗状況が職場全員にリアルタイムに一目で分かるようにし、 また上司・先輩は多忙な業務の合間にも修得課題レポートを確認し、コメントを記入して、木目細かくフォロー・激励していました。
   ある程度の実力が身に付くと、『この操作を一人でやってこい!』 と、重要な操作を次々と任せ自信をつけさせました。 しかし指示後 『手順通り正しい操作を間違えないでやっているか?』 と、ハラハラしながら物陰から見守っていました。 若手もまた、その先輩達の思いをヒシヒシと感じ頑張りました。 先輩達は仕事以外でも独身寮に頻繁に顔を出し、町に繰り出して痛飲したり、町内の草刈や祭りに参加したりと、公私にわたって面倒を見ました。

こういう指導をされた若手は、当然ながら成長著しく、画期的な創意工夫・改善を行い、当時取組んでいたTPM活動で、日本プラントメンテナンス協会上席コンサルタントの大島名誉教授(東工大)や佐山名誉教授(岡山大)の前でも堂々と改善事例を発表し、先生方から 『入社2~3年でこんな素晴らしい仕事をしているのか?』 と絶賛されるのが常でした。


こういう優秀な若手と面倒見の良い先輩が一体化した工場に対して、前出の大島・佐山名誉教授からは 『世界一の精鋭集団だ!』 と絶賛されました。 しかし残念ながら重質油分解装置がなかった為に競争力が低く、2003年工場閉鎖となり全所員は他工場に配置転換となりました。
入社数年で愛する職場と仲間を失い、見ず知らずの人間集団の中で新しい仕事をゼロから覚える・・・想像を絶する苦労があったと思います。  それから10年、今や新たな職場で高い信頼を得、早くもリーダー格・中心的存在となって活躍しています。
 まさに 『艱難辛苦、汝を玉にす』 の言葉通りです。
先日、その一人から以下の便りがありました。

世代交代は、私の職場でも現在大きな課題となっています。
この1、2年でベテラン社員は殆どいなくなります。
60歳代勤務延長組やキャリア採用組に頼らざるを得ない状況で若手育成に苦労しています。 最近の若者は、育ってきた環境や価値観の違いが大きく、思うように成長していないのが実態ではないかと思います。』 

 の危惧は、今私が大学で感じている 『向上心・覇気のない若者』 と一致します。
いま職場の中核で信頼厚い平成一桁入社 中堅社員の若い頃と、今の若者と何が違うのか?  最大の違いは 『ハングリー精神』 です。 そして 『少数化で多忙すぎる先輩は自分の事で精一杯で、若手を育成指導する余裕もマインドも薄くなってきている』 という現実です。

平成一桁世代は一流大学を出ても就職できない超氷河期の真只中だったので、文武両道に優れたトップクラスの高専卒が全国区で採用でき、その後輩も 『あの先輩が選んだ会社なら間違いない』 、『早く世の中に役立つ人間になりたい!』 と目的意識、使命感がしっかりした優秀な若者が入社してきました。
 20年続いたと言われるデフレ不況の中で高専の学生意識は変化しました。全国約1万人の向学心の高い学生の約70%が国立大学進学(大学3年編入)するようになり、就職組は30%(1学年3千人)程度となりました。  その中には経済的理由で進学できなかった優秀な学生もいますが、勉学意欲が低く自由気儘な5年間を送った学生も少なくありません。 もしこういう学生が大量入社すると育成に大変な苦労をすることでしょうし、将来の経営を危うくする事が危惧されます。

今の若者は家庭でも学校でも過保護に育てられて、変化やプレッシャーに弱く、自立心も向上心も進取の気風も低い傾向があると言われます。 携帯・スマホ・ゲームの刹那的な楽しみに熱中して、人生の目的意識を持たず、他者との交流、コミュニケーションが苦手で、自分の狭い世界に閉じこもり満足する傾向が強くなっています。
こういう若者に接する先輩が 『早期育成』 の掛声だけで知識やスキルを詰込もうとしたり意識改革しようとしても、『馬耳東風、暖簾に腕押し、豆腐に鎹・・・』 。 大学でも同じで、90分1コマのキャリア教育では如何ともしがたく途方に暮れる日々です。 恐らく前出の40歳中堅社員も同じ思いで若手育成に悩んでいるのだと思います。
これは根本的には、小学・中学時代の家庭教育や学校教育で、人生目的・目標意識を育む徳育が等閑にされ、根本的に不足している事に起因していると思います。 本当はそこからやり直さないと解決できない大きな問題です。 

しかし、だからと言って目の前の若者の問題を放置するわけにもいきません。 
 大事なのは『君はこれから10年後、20年後どうなっていたいのか? 会社40年間・人生80年間で何を目的として、何を目標に、どう生きていくのだ?』 と、常に問いかけて夫々の人生のビジョンを考えさせ、目的・目標を持たせる事が一番大事な事ではないでしょうか? 賽の河原の石積みのような作業ですが、『何時かは、その大事さに気付くだろう』 と信じながら、今日も学生に自分の将来ビジョンの大事さを問いかけています。
 これは、かの学歴偏重企業の若手社員にも同じです。 その会社の採用・育成方針は根本的に間違っていますが、入社させたからには社員は大事な家族です。 崇高な理念に向かって徹底的に愛情鍛錬し、また若手社員自身が、入社したからには、自分自身の輝かしい将来ビジョンを描き、その実現に向けて地道に努力していくのみ!』 と開き直り、突き進むしかありません。 まさに出光佐三氏が愛した仙厓和尚の禅画 『布袋図』 の教えの通りです。
  ”目先の指だけを見るな。 指さす先にある月(目指す姿)を見よ!” 



3. 禍を福とした経営トップ(裕治さん)

退職して10年、学生時代の同窓生と再び会う様になり、出光で過ごした有難さを痛感します。一つは 組合を必要としない経営理念=家族に対立闘争の組合は不要という事です。ある同窓生が国鉄の国労・動労と不毛の対立闘争に苦しんできた話を聴くたびに 『出光で仕事ができてよかった!』と感謝します。
もう一つは本来 雲の上の存在である経営トップを身近に感じながら、自分の持場で誠一杯頑張れた事です。偉大な経営トップの真の苦労を知らないのに、 “末端の元社員” が紹介するのは誠に恐れ多い事ですが、40年間お世話になった出光への感謝のしるしとしてお許し願いたいと思います。

尊敬する出光裕治さんが千葉製油所長として赴任された時、大先輩から 『一番創業者(出光佐三氏)に似ている方だ!』 という話を聞きました。『こういうところがそうなのかな?』とまず思ったのは、社員食堂で若い一般社員のテーブルに自ら行かれ、楽しく談笑されながら昼食をとられる姿でした。それまでの所長は課長がいつも取巻き、自ら一般社員と気さくに食事される姿は見かけませんでした。また豪華な所長社宅は使わず、製油所前の出光クラブ3階の研修室を改造して、そこで3年間単身赴任生活を始められました。20時までは出光クラブで偶々居合わせた社員と一緒に食事・談話され、時間が来ると自室に戻っていかれました。

そういう和気藹々とした日常が続いていた昭和59年に大事故がありました。SDMが終わり通常運転に入ったばかりの重油脱硫装置の反応塔ベントバルブが壊れ高温高圧(15Pa150kg/㎠)の重油が空高く噴出し、風に流されて10kmも離れた木更津まで市街地や工場地帯を汚染しました。 『地元と共に発展する』 が社是なのに、地元住民に大変な迷惑をかけるという大トラブルが起きたのです。
それからの千葉事業所はまるで戦場でした。お詫びの挨拶まわり、住宅の洗浄・清掃、洗車の為のSS応援、洗濯物等の賠償等々、考えられるあらゆる対応の分担を決めて、全所員や近隣事業所の社員が約1か月間休日を返上し一丸となって対応しました。
そして事故対応が一段落したとき、裕治所長の慰労訓話が全所員の胸を打ちました。以下はその要旨です。

『今回は前代未聞の大事故だったが、みんな本当によく頑張って乗り切ってくれた。非常事態の時の出光社員は、一致団結して他社では考えられない凄い力を発揮する。 今回のみんなの団結力と頑張りは特に素晴らしく 僕は一生忘れない。しかし ここで終わりにせず、もう一歩進んで考えてみて欲しい。』

『こんな辛く酷い目に合うのだったら、毎日少しずつひどい目にあったらどうか。毎日の努力の積重ねで大事故が起こらないようにするのが本当の仕事だ。』

『今回の事故の根本原因は、SDMで新品に取換えたバルブの材料が間違っていたことだ。そのため高温高圧に耐えきれずに壊れて重油を郊外にまき散らす結果となった。メーカーの昌立バルブは取引禁止にしたが、地元住民はそれで許してはくれない。あれは出光さんの構内で起きた大迷惑事故だとしか見ない。』

『私達は、構内で行われる工事だけに目を光らせるだけでは、その職責を果たしたことにはならない。構内で使われる材料、部品の生まれ、工事環境、作業員の仕事の質まで目を光らせ、正しい設備管理を行い、正しい仕事をするのが、真に働く“ ということではないのか』

 そしてそれまで約1年間準備を進めてきたTPM活動を徹底して見直し、本格的に取り組むことになりました。そしてこの活動は北海道製油所から愛知製油所そして全製油所・工場へと展開され、国内でも特筆すべき装置産業の模範活動となり、日本プラントメンテナンス協会(JIPM)から『出光興産のTPM』が出版され、全国でTPM推進教科書として使われました。その後社長となられた出光裕治さんは、日本プラントメンテナンス協会の会長となられ、全国全業界へのTPM展開・定着を推進されました。

社長になられた裕治さんが語られる訓話は、分かりやすく全社員の心を打ちました。それは退職し古希となった私にとって、いまも珠玉の人生指針です。

(平成六年度入社式社長訓話) 
出光では 皆さん自身が会社なのです。 会社がそこにあって皆さんがそれに貢献するのではなく、自分たちが会社を作っていくんだという意識でとらえて欲しい。従って、自分で学び取り、問題意識を持ち、課題を取り上げ、挑戦し、仕上げていく。これが大事な事です。

(平成七年新任役職者研修訓話) 
役職者は上ではなく下を向いて仕事をしなさい。 出光役職者の役割使命は、『どうしたら下の者が持てる力を最大限発揮できるか』 を突き詰めて考え、その環境を作ることだ。役職者の目的は部下を成長させること。その結果として業績や成果がついてくる。 間違っても目的と結果を逆転させてはいけない。

2024年2月2日金曜日

5. 永遠の愛に生きたデーケン先生

敬愛するデーケン先生が、令和2年9月6日旅立たれました。

デーケン先生はドイツ生まれです。12歳の時に眼前で町が破壊され友人や祖父が目の前で無残に死んでいき、占領軍のソ連兵が東ドイツの全ての成人女性をレイプしていく様を見て、絶望感に打ちひしがれていました。 そういう時に図書館で出会った本 『長崎の26聖人殉教者伝(12歳のルドヴィコ・茨木)』です。その生き方に感動し、日本への憧れを募らせ、遠い日本にわたり布教活動を始め、ついには日本に帰化されました。そして自分の人生体験から『死生学=より良く生き、より良く死を迎える』を提唱し、日本人として61年間 私達のより良い生き方を導いていただき、88歳で天寿を全うされて天に召されました。 以前書いた『デーケン先生の “永遠の愛”に学ぶ』を再紹介し、先生への心からの感謝、追悼として捧げます。

 『デーケン先生の “永遠の愛” に学ぶ』    2012年8月

アルフォンス・デーケン先生は、死生学・ホスピスの第一人者です。『死を見つめて人間らしく生きる』という重いテーマに取り組んで講演会を重ねられていますが、その実、5分に1回は ほのぼのと暖かいユーモアと笑いに包まれる素晴らしいお話です。 

先年、自殺願望の9名の若者が、座間市の殺人鬼の誘いに乗って命を無くすという悲惨な事件がありました。 世の中にはあのような想像を超えた危険な人物がいる事を覚悟しなければなりませんが、その前に『自殺したいほど苦しい人々』 は、是非デーケン先生の書籍に触れ、その珠玉の言葉に耳を傾けてもらいたいと思います。 

先生は1932生まれの80歳ですが、『私は、日本人53歳です。』と自己紹介されます。1959年日本に憧れて来日。上智大学講師・教授・司祭として、また厚労省や文科省の顧問として活躍され、こよなく日本人を愛して生きてこられた、明るく若々しい友好的な先生です。 いつも珠玉のように感動的で含蓄のあるお話で、終始限りない愛でみんなを包んでくれます。 そのお話の中から私が感動した言葉を紹介いたします。

 死を見つめることは・・ 自分にいただいた 「いのち」 を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を絶えず問い直し行動していくことです。

私達は、死について学べば学ぶほど、もっと深く生きることについて考え出すようになります。 

私は大腸ガンで大腸の一部を手術し4ヶ月間心が揺れ動きましたが、『人生の危機は自己の価値観を見直すために与えられる神からのプレゼントだ』 と改めて痛感しました。

親の死、配偶者の死、友人の死、自分自身の大病・・「大きな苦しみを受けた人は、恨むようになるか、優しくなるか」のどちらかです。 そういうときに 死を真正面から見つめたら、“本当に生きる、人間らしく生きる”ことを考えるようになります。

自分が必ず死ぬ存在だという認識に立てば、誰でも『生きている時間の尊さ』に気付き、少しでも意義のある人生を送りたいと考えるのではないでしょうか。

人にはそれぞれの個性があり、その人なりの死生観があります。私は自分自身の老いも死も、ユーモア感覚で受け止めて、最後まで笑顔と感謝を忘れずに生きたいと願っています。 

ユーモアと笑いは、愛と思いやりの大切な表現方法のひとつなのです。

職場や学校で、誰か一人が腹を立てると、途端に緊張した雰囲気になります。しかし、笑いながら同時に怒り出すことは不可能です。

私は現代社会のギスギスした人間関係を、こうしたユーモアと笑いの効用で、少しでも暖かく和やかなものにしたいと、いつも考えています。 

『私は、日本人53歳です。27歳で来日して今80歳ですからね。』

『大変なデータがあります。何と日本人の死亡率は100%で、いずれみんな死にます。』

深刻なテーマを語りながら、200名を超える受講生を5分に1回笑わせ、『気がつくと 明るく前向きな力強い生き方が深く心に刻みこまれている・・デーケン先生はそういう不思議な先生です。 

『死生学の創始者』、『日本ホスピスの第一人者』、『上智大学の名誉教授であり司祭』 etc..毎週水曜日の公開入門講座(無料)では、昼の部と夜の部をこなし、その後も個別相談に応じ『アーメンの後はラーメンです』 と、受講生と一緒にラーメンを食べながら気さくに付き合われる。80歳という高齢を微塵も感じさせず、精力的に若々しく色々な活動を展開されています。

『デーケン先生のこの活力の源泉は、何なのだろう?』

『来日して日本に骨を埋める決心をされたのは何故?』

 本当に不思議なデーケン先生ですが、著作を読んで疑問が溶けてきました。まず8歳の時に、大好きな4歳の妹が白血病で他界したときの強烈な体験です。

『幼い4歳の妹が一人一人に別れの挨拶をしながら 「天国で会いましょう」 と言って旅立った。 天国での再会を信じる信仰は、永遠に対する希望の根源である事を、4歳の幼い命が教えてくれた。』

と、毎回この体験を話されます。

『そして12歳の頃、昨日まで一緒に遊んでいた隣の親友一家が、翌日に空爆で黒こげになった姿を目の当たりにしたことは強烈でした。『70年近く経過した今でも目をつぶるとその残酷な光景がまざまざと甦ります・・・』

『ドイツ人同胞のナチスがホロコーストの残虐を行い、それを開放する目的でやってきたソ連兵が、スターリンの許可の下で東ドイツの殆どの女性をレイプした という事実はショックでした。73年経過した今でも心の傷を負ったまま結婚できず一生を終える女性が何と多いことか・・・』

そういった、理不尽に悩むデーケン少年を突き動かしたのが、図書館で出会った本 『長崎の26聖人殉教者伝(12歳のルドヴィコ・茨木)』です。その生き方に感動し、日本への憧れを募らせ、遠い日本での布教活動を始め、ついには日本に帰化して80歳にして日本人53歳です。このルドヴィコ・茨木の話をされるとき先生は「日本人は偉い。私にはデーケンと感じました」と笑わせてくれます

 

<ボランティアで『命の相談電話』 をしている受講生の質問に答えて>

 

(質問) ・・最近自殺前の相談が増えており、中にはビルから飛降りる寸前に携帯電話を掛けてくる人がいます。電話を掛けながら最後に聞こえたドスンという鈍い音が耳から離れません。 『もっと何か出来たのでは・・思い留める事は出来なかったか・・』 と後悔・自責にかられます。

 

(デーケン先生の話)・・大変な重要な仕事をされていますね。自殺寸前の人を思い留らせるのはとても難しい事です。そのような場面では『その人の為に祈る』ことです。 聖書に『祈りは無駄にならない』と書いてあります。 本当は、もっと若い時期に大事なことを教えてあげる学校教育が必要です。『私達の命は父母・神様からいただいたもの。自分が死んだら、自分だけに留まらず父母兄弟や友人達周囲の人を一生不幸にします。』ということを幼い時から繰り返し教えてあげることが日本の教育には必要です。

 詳しくは、次のデーケン先生の著書を是非読んでみてください。

『第三の人生』(南窓社)

『ユーモアは老いと死の妙薬(死生学の薦め)』(講談社)

『良く生き、よく笑い、よき死と出会う』(新潮社)

5. 大人にも必要な新道徳教育

                 (追記) 2016年2月14日
 小・中学校で新道徳教育が始まっています。
 前文部科学大臣の下村博文氏等が、教育環境を再建しようと、心血を注いで練り上げて出来た内容で、既に2014年3月から全国小中学校に配付され、文部科学省のホームページにも内容が一部掲載され、全国普及に向けて着々と準備されてきました。

 私の初孫が今年度 小学生となり、学校での勉強をとても楽しみに登校するようになりました。 孫が宿題で教科書を音読し、学校で学んだ事を祖父母にも一生懸命教えようとする姿を見ていると、初等教育の重要さ素晴らしさを痛感します。 そして私も孫と一緒に学びたくて新しい教科書を購入しようとしました。 特に中国・韓国から散々攻撃されている 『歴史認識』 が、日本の教科書でどう扱われ記述されているのか・・・他人事でなく、一日本人として、また孫の為に、もう一度勉強し直そうと思ったからです。
 しかし、新道徳教科書や社会科・歴史教科書だけでなく、全ての教科書の閲覧、入手が極めて困難であるという、日本の驚くべき劣悪教育環境 【=義務教育中の子供がいる家庭でしか、教科書を入手したり確認することができない!】 という現実を初めて知りました。

 72万冊もの蔵書を誇る千葉県第5位の市立図書館でさえ、閲覧できる小・中学校の教科書は一冊もなく、教科書の購入計画は全くないということです。一般の書店は取り扱っていない為予約購入も出来ず、学校指定の書店で注文しなければ入手できないという事です。 しかしそこでも学区指定の教科書しか注文できない為、各学年の教科書の数多い出版社(約20社)を比較閲覧しようと思うと実質不可能で諦めざるをえません。 『日本人の歴史認識形成で、最も影響力の大きい小・中学校の教科書』 の入手困難さを痛感しました。 
 
 他方、そういう劣悪な教育環境を必死で建て直そうと、コツコツと地道な努力を積み重ねてきた人々がいます。そういう人たちのたゆまぬ努力で、新道徳教育がスタートし、育鵬社の『新しい日本の歴史』 のような、客観的な歴史事実を基盤とし 是々非々のバランスのとれた優れた歴史教科書” が10年以上かけて作られました。 しかしこれを採用した学校は全国でまだ私立中学の 僅か数校のみです。 
 もっと沢山の大人が、日本の小・中学校の教科書に関心を持ち、公立図書館に全出版社の教科書を置く様に求め、更には全家庭で教科書を置き(または文部科学省のホームページで全教科書を閲覧できるようにして) 、『日本の若者だけでなく、全国民が正しい歴史認識を持った国際人になる教育環境』 を一日も早く整えたいものです。

【キャリア基盤となる新道徳教育』   2014年3月7
安倍政権の4つの基本政策のひとつ “教育の再生” 具体策として、20144月から新たな 私たちの道徳 が始まります 。 既にご覧になった方もおられると思いますが、文部科学省HPで新しい教科書を閲覧し、その素晴らしい内容に感動しました。
従来の教科書心のノート は、話合う 為の適切な題材が少なく、授業がやりにくい』 と言われていましたが、民主党政権は無為無策で 『 “心のノート” は意味がない』 と、それまでの無料配布を取りやめたのはまことに無責任でした。
 

 しかし今回の新道徳教科書は、誰でも興味を持つ多分野の偉人・先駆者の題材が豊富で、しかも簡潔にまとめられており、『こういう話についてどう思いますか?』 といった展開ですので、先生も授業がやり易く、児童同士の話し合いも盛り上る事でしょう。
例えば、小学1年生の  () たすけ合って生きる  の章では、百歳を超えても現役医師として活躍されている日野原重明先生の話しが紹介されています。

『たすけあって 生きる』  日野原 重明

地球上では、みんなが たすけ合って 生きています。
皆さんには、何をするにも、誰とでも仲よく 一緒にして、また人の為に
何ができるかを いつも考えて、よいことを行ってほしいのです。
あなたは 「いのち」 をもっています。 でも体の中のどこに命があるのかと
聞かれると、なかなか答えられないでしょう。
しかし、命とは、次のように説明すると、よりはっきり分かると思います。

あなたは、朝おきてから 何をしましたかと 聞かれると、
顔を洗った、朝ごはんを食べた、学校に行って勉強をした、給食を食べた。 
午後は、運動場でボール遊びをやった。家に帰ったら、おやつを食べた。
宿題をした。夕ごはんを食べた。 
それからテレビを見て、そして夜九時から朝六時まで寝た。

あなたが持っている時間、あなたが自分でつかえる時間、
それが、あなたの命なのです。
その命、あなたの使える時間という命を、これからは人の為にも
使ってみようと考えてみませんか。
命を自分の為だけに使わないで、人の為にも使うこと、
それがあなたの命を 本当に使うということになるのです。 
そのことを あなたに しっかりと考えてほしいのです。

こういった充実した中身の濃い素晴らしい内容の道徳教科書が、わずか1年で出来る訳がなく、恐らく大勢の方が5~6年以上をかけて地道な努力を積重ねてこられたのではないかと思います。 是非私たち共有の宝として大事にしていきたいものです。
各学年の教科書冒頭にあるように、学校だけでなく家庭でも地域社会でも一緒に学び、話し込んでいける内容です。 いやむしろ、私たち大人全員がもう一度この教科書を通じて勉強し直し、子供や孫と話し込んで一緒に学ぶ必要があると感じました。 この教育を受けていない若者達にも是非必須で学んで欲しいものです。  従来から大学キャリア教育は中々学生に浸透しないと感じていましたが、小中学で道徳教育を受けておらず人としてのベースが未熟な為だと思います。
今回は、この新道徳教科書 『私たちの道徳』 の内容構成を紹介します。
是非皆様方も次のURLから、詳細内容をご一読確認されることをお勧めします。

1.冒頭の 『“私たちの道徳” 教科書の使い方』 についての記述
 (1). 学校で・・①道徳の時間、②そのほかの授業、③休み時間や放課後に、
      読み物を読んで考えましょう。 友達と話し合ってみましょう。
 (2). 家で ・・家の人に書いてもらい、話し合ってみましょう。
 (3). 地域で・・いろいろな人とはなしあってみましょう。

2.成長に応じた話合いの重要テーマ
1,2)・・あいさつ、生活習慣、命を大切に、約束・きまりの大切さ、
      友達と仲よく、暖かい心で親切に、働くことの大切さ 等
3,4)・・自分を高めて、最期まで努力、勇気、正直、長所、礼儀、
      思いやり・親切、友情、命をいとおしむ、きまり、協力 等
5,6)・・節度・節制、責任、誠実、明るい心、進取の心、長所・短所、
      礼儀、真心、謙虚、信頼、感謝、思いやり、命を愛おしむ、
      大いなるもの、いじめ、法やきまり、権利と義務、役割と責任、
                公平・公正 等

3.取り上げられている逸話目次
 【 ◇各学年で紹介されている偉人 一流の人 □ こころに残る話

 (1,2)
 ◇二宮金次郎(篤志家)  ・・・小さな努力のつみかさね
 ◇ファーブル(昆虫学者)・・・いきものにやさしく
 □「手のひらに太陽を」 ・・・生きているって素晴らしい

  (3,4)
 ◇澤 穂希(サッカー選手)・・夢は努力してかなえるもの
 ◇高橋尚子(マラソン選手)・・やろうと思ったことは最後まで頑張る
 ◇リンカーン(米大統領) ・・正直に明るい心で
 ◇牧野富太郎(植物学者)  ・・自然や動植物を大切に
 ◇葛飾北斎(浮世絵師)   ・・美しいものを感じ 追求する
 ◇天野 篤(心臓外科医)  ・・ぎりぎりまで全力を尽くして命を救う
 ◇石川啄木(歌人)     ・・ふるさとを愛する心を大事にして
 ◇ラフカディオ・ハーン(文学者) ・・日本の文化を愛し 帰化して小泉八雲
 □「茶道・華道」       ・・誰に対しても真心をもって
 □「幸福な王子」     ・・相手をおもいやり親切に
 □「雨のバス停留所で」  ・・社会のきまりを守って
 □「みんな待っているよ」 ・・協力し合って楽しい学校、学級

 (5,6)
◇ワンガリ・マータイ(ケニア国連大使)・「もったいない」の環境活動を世界展開
◇内村航平(体操選手) ・・希望と勇気が 夢や目標に近づく力になる
◇豊田佐吉(発明家)  ・・母に楽をさせようと 世界初の自動織機発明
◇森 光子(女優)   ・・15歳でデビュー89歳まで生涯現役
◇向井千秋(宇宙飛行士)・・地球を外側から見たいという目標に努力
◇ヘレン・ケラーとアニー・サリバン   ・・三重苦障害を乗越え世界の障害者に勇気を与
◇イチロー(野球選手) ・・夢に向かって 確かな一歩を積み重ねる
◇池田菊苗(科学者)  ・・小さな感動が旨味(グルタミン酸)の大発見に
◇中谷宇吉郎(科学者) ・・雪の結晶研究で作物の被害対策に貢献
◇相田みつお(詩人)  ・・「あなたに巡り合えて本当に良かった・・」
◇ジョージ・ワシントン(大統領)・・友情を咲かすには幾度か困難克服が必要
◇野口英世(黄熱病研究)・・「人類の為に生き 人類の為に死す」
◇宮沢賢治(童話作家) ・・自然をこよなく愛した人
◇毛利 衛(宇宙飛行士)・・美しい地球 生命宿る地球を大切に
◇奥村土牛(日本画家) ・・101歳の傑作も『未完成、芸術に完成はない』
◇福沢諭吉(教育家)  ・・社会の一員として守らなくてはならないこと
◇マザー・テレサ(修道師)  ・・インドの貧困や病気に苦しむ人々を生涯救済
◇千住 明(作曲家)   ・・いじめている君へ
◇小川笙船(赤ひげ)   ・・200年前 貧しい病人を治療する養生所開設
◇坂本龍馬(幕末志士)  ・・「世界に目を向けなくては いかんぜよ
◇新渡戸稲造(国際連盟次長)・・「私は日本と世界の懸け橋になりたい」
◇クーベルタン(オリンピックの父)・スポーツを通し平和でより良い世界実現
◇三枝成彰(作曲家)   ・・・常に真面目に努力を積み重ねなければ
                             「自分の道」は見つからない。成功者は皆努力家
□「礼儀正しく真心をもって」・・心と心をつなぐ挨拶、江戸しぐさに学ぶ
□「相手の立場に立ち親切に」・・思いやりの心で、相手の思いに寄添う
□「ああ無情:レミゼラブル」・・相手の心に寄り添うこと、分かりあう事から
□「支え合いや助け合いに感謝して」
□「その思いを受け継いで」・・おじいちゃんの最後の思いを抱きしめて
□「命てんでこ」 ・・かけがえのない命を守る為に(田老中2年生の作文)
□「剣道」    ・・日本人が大事にしてきた 「人をつくる道」
□「米百俵」   ・・「今日の満腹より、将来の人材育成」 長岡藩の実話
□「自分を見つめ 豊かに生きる」

なお、中学校の 『私たちの道徳』 には、日本とトルコの100年を超えた友好の絆 『 海と空 ―樫野の人々― 』 が取り上げられています。 次のタイトルをクリックすると内容を確認できます。
  4. 真心の人間愛と友情 「海難1890」  

以上のように、安倍政権が力を入れている 『道徳教育の充実』 は、実に核心をついた重要政策であり、政権発足1年で新教科書を制定・配布する迅速さに、私達は本当に『素晴らしい国のリーダーを得た』 と思います。 
 ソチ・オリンピックで限りない感動を与えてくれた羽生結弦選手や浅田真央選手等、幼いころから世界一になる夢を持って努力を積み重ねている素晴らしい若者達が沢山います。 そういう夢や目標をまだ持っていない子供たちも、こういう多分野の多彩な偉人伝を読み、考えていく中で、必ずや『自分の夢、目標』 をつかんでいく事でしょう。
その一方で、女性や子供等の弱者を狙った通り魔や誘拐監禁等の凶悪犯罪、いじめや自殺問題、老人を狙ったオレオレ詐欺などの人心荒廃、 またスマホゲームに熱中する夢も気力も失った若者達の増加等々、『これからの日本はどうなるのか・・・』 と本当に心配な毎日ですが、この『私たちの道徳』 を学校で、家庭で、地域社会で大事にして話しあい、共有化していく事で、必ず改善されていくだろうと確信します。

このように待望の新道徳教科書ですが、最大の問題点は 教育現場の先生方(日教組)が、道徳教育に反対の立場を取り不熱心なことです。 これでは小中学生に配布しても授業では扱われず普及しない可能性があります。

私たちは、学校現場の実施状況に関心を持つだけでなく、PTAや、先生方と勉強会等を企画・提案・実施していくなど、学校・家庭・地域社会・自治体・政府が一体となってしっかりと定着化を推し進めていきたいものです。

【追記】
市の教育委員会で決定している教科書出版社が適切か否かを確認しようと思い、市教育センターに問い合わせたところ、『7月の2週間だけは教科書選定期間として全社の教科書を展示していますが、その期間以外は展示しません。』 という事です。 こういう短期間で、教育委員会は本当に適切な教科書の選定議論・作業が出来ているのでしょうか? 
そこで私も約3か月間待って、ようやく全社の教科書を比較閲覧することが出来ました。 そして危惧した通り、殆どの歴史教科書が自虐的記述である事に本当に驚きました。 
『この内容では、若者が日本の歴史を恥じ、誇りを持てないのも無理はない!』 
『これで学んだ若者は、中国・韓国の捏造・歪曲主張に とても反論できない!』
『この教科書を作っている人達は、日本人の本質や歴史真実を本当に理解しているのであろうか? 純粋な子供たちに教科書がどのような影響を与えるか、真剣に考えているのであろうか?』 

 最近、教科書会社10社による校長・教員4000名への不正行為 【= 検定中は禁止されている新教科書の開示、個別面談、謝礼金授受、(教科書変更便宜供与)】 が発覚しました。 正直、『やっぱりそうだったか!』 という思いです。 最初に問題になった三省堂や数研出版だけでなく、業界最大手の東京書籍が691件 教員2245人に(我が千葉県は東京書籍!)、教育出版が247件 教員1094人 等、名だたる教科書出版社 殆どに不正行為が蔓延し、またかって 『聖職』 と言われた教職員の著しいモラル低下が判明しました。
 『こういう教職員に子供の教育は任せられない!』 と思うのは私だけでしょうか?

 しかし私自身も今迄そういう教育環境に気付かず放置したままでした。
 小・中学校の教科書は、私達の感受性や精神を磨き、歴史認識を形成する、最初の最も重要な教育媒体です。 しかし最優先で所蔵すべき公立図書館に一冊もないとはどういう事なのでしょう? またそのことに関心もなく不便を感じない私達は一体どこの国籍人なのでしょう? その事に今迄気付かなかった私自身、不明をいたく恥じ入り、赤面する次第です。

5. 若い人に観て欲しい名作映画

     10代後半から20歳代は悩みや迷いの多い 疾風怒濤の青春時代” です。
この時期に、多くの人が映画や小説の名作に触れて解決の糸口や一筋の光を見出します。 そして 『青春時代を彩る名作』 として心に刻み、人としてのあるべき姿や人生を生き抜く力を得ています。今回はそういった時代を超えた名作映画』 を紹介します。 
これらの作品は、40年も50年も前の作品もありますが、いつみても感動を新たにするのは、永遠の名作たる所以でしょうか。 最近は、ゲオやツタヤ等の大型DVDレンタル店で古い名作映画ソフトが簡単に安価に借用できますので、是非ご鑑賞をお勧めします。







家族
友情
人間
 愛
ベンハー
ローマ帝国支配時代のユダヤ貴族ベンハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯が交差。ベンハーは旧友の酷い仕打でハンセン氏病となった母妹を救う為にイエスに会いに行くが・・
レ・ミゼラブル
モンテ・クリスト伯
主人公エドモン・ダンテスが無実の罪で投獄されて十余年を過ごした後、脱獄して巨万の富を手にし、モンテ・クリスト伯爵を名乗って自分を陥れた者達に復讐を開始するが、終章に思いもよらぬ展開が・・
サウンド・オブ・ミュージック
ナチ勢力が支配を強めていくオーストリア。トラップ家の家庭教師となったマリアは、厳しく育てられた大佐の子供達に愛情と生きる喜びを教える。 次第に子供達も心を開きマリアと大佐は恋に落ち結婚する。一家は祖国への忠誠を貫き山を越えてスイスへと亡命する。
アメージング
・グレース
1790年代末、英国政治家ウィリアム・ウィルバーフォース(ウィルバー)は長年奴隷廃止の為の法案を議会に提出、300対1で否決され続けて実現できず、夢の中でも奴隷達が苦しむ姿にうなされる。失意のウィルバーは体調を崩しアヘンチンキを服用するようになっていた。
エデンの東
旧約聖書逸話 『カインとアベル』 を題材に、父に愛される優秀な兄と愛されず鬱屈する弟の心の葛藤を描く。








青春
恋愛
人生
ロミオとジュリエット
モンタギュー家のロミオは、友人達とキャピレット家のパーティに忍込み一人娘ジュリエットに出会って二人は恋におち修道僧ロレンスの元で秘かに結婚。ロレンスは二人の結婚が両家の争いに終止符を打たせるきっかけになる事を期待するが・・  シェークスピアの3大悲劇のひとつ
シラノ・ド・ベルジュラック
17世紀フランス。青年隊のシラノは豊かな才能と強い正義感を持つ武勇者だったが、大きな醜い鼻ゆえに従妹のロクサーヌへの恋心を胸に秘め、イケメンのクリスチャンの代役に終始。死の間際に真実が・・
ローマの休日
ヨーロッパの王女がローマ訪問中、王女であることが嫌になって失踪する。 新聞記者ペックと出会ってローマ中を自由に遊びまわり、そのふれあいの中で成長し本当の王女らしくなっていく。
ある愛の歌
大富豪の父と葛藤するオリバーと、父親に大切に育てられた娘ジェニーが父の反対を押切り結婚する。オリバーは法科大学院卒後弁護士となり輝かしい未来が開けたが、ジェニーが突然病魔に襲われる・・
タイタニック
20世紀最大の海難事故として知られる豪華客船タイタニック号の悲劇を、ラブストーリーの要素を交えて描いた超大作
愛と死を見つめて
大学生の河野誠は入院先の病院で清純な大島道子と出会う。 高校を卒業した道子が軟骨肉腫再発で入院。 二人は文通を続け誠は時間を見つけ見舞いに行く。しかし道子は病状悪化し命を守る為に顔半分を失う手術を決意する。大手術の果てに顔を半分失うも病状は安定し、道子は元の明るさを取り戻そうとしていたが・・
理由なき反抗
酔った17歳のジムが警官に捕まり集団暴行事件容疑者とされる。彼は、そこで美しいジュディと、まだ子供のようなプラトーと知合う。間もなく三人は許されるが、この出会いは、やがて彼らの持つやり場のない苛立ちを露呈する事件へと結びついてゆく・・ 





戦争
革命
平和
戦争と平和
19世紀前半ナポレオンのロシア遠征とその失敗、アウステルリッツの戦い等の歴史的背景を精緻に描写しながら 18051813のロシア3貴族の興亡をピエール・ベズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを描いている。 (ピエールはトルストイ自身を投影しているとされる)
禁じられた遊び
1940年フランス郊外、ドイツの爆撃から郊外へ避難するパリ市民の行列。5歳の少女ポレットは逃げた愛犬を追いかけ、それを追う両親は戦闘機の機銃掃射で命を落とす。死んだ愛犬を抱き避難の列から外れて彷徨うポレットは郊外に住む11歳の少年ミシェルと出会い一緒に暮らすこととなったが・・
ビルマの竪琴
日本敗戦に終わったビルマに歌う隊と呼ばれる日本軍部隊があり、竪琴のうまい水島上等兵がいた。水島は敗戦を信じず戦い続ける日本兵の説得に出たが隊へ戻らなかった。 あちこちに打捨てられている日本兵の死骸をイギリス兵が丁寧に葬っているのを見て、ビルマに留まり日本兵の霊を慰める事を決心したのだ。
ドクトル・ジバゴ
ロシア革命前後の動乱期、純真な心の医者ジバゴが、ララとトーニャの2人の女性への愛を通して波瀾に満ちた人生の軌跡を描く壮大な叙事詩。美しい ララのテーマも忘れがたい。




恩師
師弟
いつも心に太陽を
サッカレーはロンドンの下町にある学校に赴任する。生徒達の多くは家庭が貧しく色々な問題を持つ不良少年ばかりで新任教師を素直に受入れず反抗する。 サッカレーは彼達の心を開くため一人の大人として見ようと決意する・・・
二十四の
小豆島の寒村を舞台に、女学校を出たばかりの女性教師と小学1年生12人の生徒が、戦争に突進む歴史のうねりに否応なく飲込まれていく苦難や悲劇を通し、戦争の悲壮さを描いた作品
チップス先生さようなら
伝統校ブルックフィールドで半世紀以上教壇に立ったチップス先生。昔のスタイルを守りながら洒落た会話で生徒を楽しませてきた。悪戯盛りの教え子達との刺激に満ちた毎日、聡明な妻と語り合った日々。学校を去り様々な思い出がチップス先生の胸に蘇る。イギリスらしいユーモアとウィットに溢れ、世代を超えて親しまれる名作



社会
正義
十二人の
怒れる男
父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、証拠や証言は圧倒的に不利。 陪審員の大半は少年有罪を確信していたが、陪審員8番だけが無罪を主張する。彼は固定観念に囚われず証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求し、熱意と理路整然とした推理により少年の有罪を信じ切ってた陪審員達の心に変化が訪れる。
生きる
(黒沢明)
無気力、無感動な人生を送ってきた定年間際の地方公務員の男が、自分の余命があとわずかだと知ってから、公僕としての自分の仕事に、人間として自分は何をすべきかに目覚める。そして何よりも「本当に生きる」ことに目覚める・・   黒澤映画の最高傑作と言われる。