2024年2月1日木曜日

5. 古希過ぎたら毎日が一期一会

 大事な人には意識して会わないと二度と会えなくなる”  を痛感します。

 先日、病院診察待ちしていたら、高校同窓の五十嵐君から『学友の森田君が逝去したらしい』と電話が入り本当に驚きました。

 S43年日向学院高校卒業後、私は50年間、学友と全く交流を絶ち『安藤は行方不明』となっていました。たまたま連絡を取った都城の五十嵐君から、2018年5月に卒業50周年同窓会を開催する話を聴き、古希の前年にようやく同窓生と再会しました。 言い出しっぺは英人君で「最初で最後の同窓会になるから、何が何でも開催しよう!」と宮崎市の料亭「杉の子」に20名が集まりました。

しかし同窓会3時間でじっくり話せるのは精々数人です。そこでその4時間前に、高校途中編入組=地方出身者6名だけが宮崎観光ホテルロビーに集まりプレミーティングを行いました。そこに学院中出身の森田君が唯一人参加していました。交流の長い五十嵐君が誘ってくれたのです。

事前会合は大正解で、在学時代から話したことのなかった森田君とも話が出来『森田君はこんなに魅力的なナイスガイだったのか!』と初めて知りました。以来メールのやり取りが始まり、1年後帰省するおり『もう一度宮崎在住の仲間を集めて会おうよ!』と8名で宮崎観光ホテルでランチ同窓会を開催しました。・・その時、森田君は50年来の知己・親友状態で「有機農法事業、中国への事業展開」を熱っぽく語ってくれました。そしてコロナ禍が始まり、2020年4月の「手作りマスク」のメールを最後に連絡が途絶え「どうしているのかな・・」と案じていました。

彼はこの直ぐ後に脳梗塞で倒れ、3年後の昨年12月に還らぬ人となっていました。「もう一度会ってあの熱っぽい話を聴きたかった・・」そう思いながら、貴重な彼との交流や写真を反芻しています。(合掌)

2019年9月古希同窓会
「50年行方不明の私」が高校同窓会幹事を引き受け、東京で3回、宮崎で1回企画実施しました。
これは古希同窓会二次会の喫茶タイム。宮崎観光ホテル1階のカフェーで再び盛り上がりました。左端が私、その隣が森田英則君、その前が五十嵐君です。


2018年夏、事務所での森田社長 温かい笑顔に、彼の優しい性格がにじみ出ています。


同じく2018年夏、メール添付の写真です。
宮崎市内のハウス栽培農家の主人に有機農法のアドバイスをする森田君です。宮崎県下の農家から、大きな信頼を得ていたようです。・・彼の最後のメールです。

2020428日 森田君より>
『簡単な自作マスク』 の紹介、よい情報ですね、ありがとうございます。幸い宮崎では感染者が少ないのですが、世界ではとても多くの感染者が増えています。でもマスクの発想はありがたいと思います。私も中国訪問での仕事が中断してしまして、このままコロナが続けば収入の減少となり大きな痛手です。色々と報道されていますが真意の所はいかに? それにつけても早く終わるのを祈るばかりです。 今、日本の仕事を軌道に乗せるべく邁進しています。また、連絡ください。 森田】


2019年5月12日 卒業50周年同窓会プレ会合 崎観光ホテル)

左から「河野義和君」自称日向学院の裕次郎

その右「森田英則君」有機農法指導者 その右「五十嵐可久君」都城木材㈱社長 その右「弓削俊章君」弓削建設会長


同窓会会場「杉の子」で。 中央が森田君、その左隣は高山君「お坊ちゃん学校の日向学院中」出身にしては、この二人は超然とした硬派で、在学中は近寄りがたい雰囲気がありました。


同窓会二次会のパブ(学友のお姉さん経営)。 中央が私、左が森田君、右隣は高山君 学生時代真面目なガリベンタイプの学友は、気が合うのか奥のボックスに集まっていました。私は当時とっつきにくい田舎出身の変人で、都会的なお坊ちゃんが多い中高一貫組は苦手だったのですが・・気が付くと、その中高一貫組硬派二人が隣に座っていました。特に英語力抜群で超然としていた高山君曰く「クソ真面目な学院中生と6年付き合ったので もう結構! と思っていたけど、安藤君が参加するので、それなら参加するか」と参加したよ」と嬉しいことを言ってくれました。


20199月古希同窓会(宮崎観光ホテル)手前が大橋君(元東郷メディテック社長) 中央は森田君、その右が藤沢君


2018512日「3年B組同窓会」全体写真に森田君の姿が見えませんが・・この時トイレでした。右下の写真にしっかり写っています。


折角の「卒業50周年記念同窓会」でしたが、東京で仕事のある友人は参加できず、とても残念がっていました。そこで私が帰郷後声をかけて「東京分科会」を立ち上げ、その後3回の会合を開きました。場所は麻布の蕎麦銘店「更科本店」この夏、神父となった野口君を探しました。そして50年ぶりに再会!

左上写真の前列左から 岩切君・・新宿の大きな外科病院長 浦元君・・上智大特任教授 野口君・・星美学院神父 牧野君・・元動燃勤務(原子力発電技術者)

<後列右から>

英千代・・元出光人事、大学キャリア講師

高山君・・元日本ロビーインダストリアル

英人君・・元旭化成 医療機器 佐藤君・・元安田信託
なお最下段は、当時岩切君が住んでいた三田の高層マンション自宅を訪問。(やはり東京の大病院長は、庶民離れしたすごい生活です!)


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