2024年2月1日木曜日

6. 芸術に生きる学友・富夫君と作品群

国立新美術館「二紀展」 開催中!(101830日)

 高校同窓の河野君から今年の「二紀展」の招待状が届きましたので早速出かけました。彼は元母校の美術教師の傍ら、2002年から120(1900×1300)クラスの大作を制作し出展しています。「二紀展」は「二科展」と並ぶ国内最大級の美術展です。「戦前の旧二科会の活動を第一期とし、戦後新しく第二期の紀元を画する!」という壮大な構想で発足し発展してきました。



76回の今年は、1階から3階まで出展者900を数える大展覧会で、その主張通り独創的で見事な作品のオンパレードで見飽きることはありません。 勿論学友の河野富夫君の作品「ラプソディ in南郷2013(旧都城市民会館5)」が素晴らしく目を引きました。いつもの1階 第6展示室奥の指定席で、その温かい色調と幻想的な世界がひときわ目を引きます。





今年は隠し絵の「平原綾香」が格別に素敵でした。またお孫さんと沢山の恐竜たちが一緒に登場しています。「遠くから楽しみ、近寄って隠し絵を楽しむ」何度も楽しめる実にユニークで楽しい作品です。

「芸術の候」、皆様も是非足を延ばして見られては如何でしょうか?

「国立新美術館」・・7東京メトロ千代田線乃木坂駅下車徒歩5分



「芸術に生きる学友・富夫君と作品群」    記:令和5年10月10日
高校卒業後50年間、顔を合わせることのなかった学友との再会は、誠に驚きの連続です。同じ高校で3年間共に過ごし、ある程度分かったつもりでいた学友が「彼は高校時代、本当はこういう事を考えていたのか!」と初めて知ることばかりでした。また「夫々が卒業後どのような人生を送ったか・・」を垣間見ることができ、自分の残りの人生充実の糧にすることができます。「ああ、自分も、あるいはこういう人生も送れたんだ!」と・・

今回は、高校卒業後美術家の道を歩き、約40年間母校の美術教師だった「河野富夫君」の半生と作品群を紹介します。

 彼はS40年学院中入学、当時は成績順に座席が決められ、常に右端の最前列で学年トップの秀才だったようです。私は高校からのつきあいで、3年間同クラスでしたが、彼はガリベンには興味のない哲学者然としていました。高校時代の成績上位は、努力家の下村君, 甲斐君, 河野修君、英人君、重文君らが占め、富夫君は私と同じようにアップダウン激しく、超然とした雰囲気を持つ大人しい性格だったので3年間話したことはありませんでした。・・そして私は宮大工学部へ、富夫君も宮大教育学部に進学し、キャンパスで数回すれ違ったくらいでした。その富夫君と再会したのは学院卒業50周年記念クラス会でした。「学院で美術の先生をしていました」という自己紹介にビックリ! ・・その彼は退職後2010年、2019年と2回脳梗塞で入院し、利き手の右が使えない後遺症のなかで今も制作活動を続けています。今回はその不屈の画家「河野富夫画伯の作品群」を紹介します。

1.「アントニウスの誘惑」シリーズ  1998年~2009

富夫画伯は、宮崎日日新聞社が創設した宮崎県美術海外留学賞の第一回受賞者で、199719981年間イタリア留学派遣、ローマ歴史遺跡やルネッサンス美術などを学びます。そして「聖アントニウスの誘惑」を主要テーマとする取組み沢山の作品を生み出しました。「聖アントニウス」は有名な聖人で、その修行中にしばしば悪魔の誘惑にさらされて信仰心を試されました。西欧ではよく取り上げられる題材で、空想的な魔物や魔女が登場しますが、富夫画伯は、あたかも自分が聖アントニウスの試練を受けているような強烈さで私達に迫ってきます。

富夫君が描く「聖アントニウスの誘惑」は、悪魔の誘惑というよりも、この世の破滅を見せつける悪魔の脅迫のように感じます。あのおとなしい富夫君のどこにこんなエネルギーが秘められていたのでしょう!2009年のシリーズ最後の作品では、この世を亡ぼした悪魔は、全てを天空に巻き上げて拡散させます。よく見ると竜巻の中に色々な悪魔や恐竜や蛇などが混ざって瓦礫を食い荒らしているように見えます。


2002年 どんなところにも目に見えない生きものが沢山いる。野原に行けば草むらや石ころの陰にひそんでいる。ローマのコロッセオを歩いても、石柱の下にアーチの暗がりにそれらが息づいていた。ここではコロッセオのいたるところに感じられた見えない彼らに、聖アントニウスの誘惑の場面を借りて演じてもらった。」

 



2003年 「ローマのコロッセオとたくさんの生き物を組み合わせて画面を構成したいと思っています。巨大建築は構造的に生き物を感じさせます。建物の崩壊は生き物の死を連想させます。コロッセオの空間に満ちた生き物たちは、建物のエネルギーの変容かも知れません。」 



2004年 「ものは常に変化している。頑強に構築されていた、不動のように見えていた塔もまた、今変容しようとしている。その一部は翼となり天に広がり、一部は水となり滝となって地上に降り注ごうとする。不変を期待する自分と変化を待つ自分があって、どちらともつかないものの内側にあるものを描きたかったのかも知れない。」


2005年 「青い空の下、海が割れて巨大な艦橋が現われる。やがてそれは暴発しありとあらゆるものが吹き出してくる。それらは相手を求めて追いすがり追い越し待ち構えて飲みつくそうとする。攻撃をかわしたものは逆に相手をつかみ、果てへ飛び去ろうとする。・・・それらの荒々しいものたちをキャンバスに閉じこめたいと思う。」


2009年 「中庭のまわりに数本の糸杉が植えてある。数十年毎日目にしていたものだが、ある日その木肌が気になった。凹凸のある節くれだった表面はある形状を見せている。ゆるやかに時計まわりにラセンをえがく。数本の糸杉がすべてラセンをえがき頭上で大きく枝を広げる。電子顕微鏡の世界でなく気象衛星の画像でなくほんの身近なところにラセンがあった。」
 

2.脳梗塞を乗り越えて  2010

 201060歳となった富夫君は脳梗塞で入院。 同じころ発生した宮崎の口蹄疫は、日本一の宮崎牛を約30万頭も殺処分する非常事態となりました。自身の不安に追打ちをかけ、誕生後60年間過ごす宮崎が未曽有の大危機です。公私ともに極限の絶望の中で、右手が使えず 慣れない左手で描きあげた渾身の傑作がこの絵です。日向灘で巨大なクジラが「こんなことに負けるな!」と大きなジャンプをしてエールを送っています。彼はこの絵で自分自身や宮崎を鼓舞するだけでなく、あらゆる人々を「フェニックス(不死鳥)のように何度も生き返れ!」と元気づけてくれています。・・当時、彼はこの絵を次のように解説しています。


2010みやざき(堀切峠)」100F1,620×1,303
「自分の身の上に起きた出来事と宮崎に発生した口蹄疫の惨状を重ね合わせてこの半年を過ごした。生まれたばかりの子豚が眠ったように死んでいる。新聞の写真を見たとき、気持ちを抑えきれず紙面を破り取りちり箱へ投げ入れた。不安感がこみ上げてくる夕刻、左手で描きなぐるままにできていたのがこの絵のラフスケッチだった。おのれと宮崎の再生を込めて紺碧の日向灘をバックにしたフェニックスの風景を描いた。」 

3.平安への祈り 「ラプソディ・イン南郷」シリーズ 201120018

 2010年 脳梗塞の衝撃、宮崎口蹄疫、2011年新春早々新燃岳が大噴火、3月東日本大震災・大津波・・社会不安は増々大きくなっていきます。しかしその前年、人生の不安を乗り切った富夫君の心は微動だにしませんでした。彼のメインテーマは「大好きな南国宮崎の青島海岸、南郷亜熱帯植物園とそこの潜む妖精たち」になっていきます。・・彼には常人にない霊能力があるのでしょうか。・・彼はかってローマの地でこう述べています。

 「どんなところにも目に見えない生きものがたくさんいる。野原に行けば草むらや石ころの陰にひそんでいる。ローマのコロッセオを歩いても、石柱の下にアーチの暗がりにそれらが息づいていた。ここではコロッセオのいたるところに感じられた見えない彼らに、聖アントニウスの誘惑の場面を借りて演じてもらった。」

この常人にない眼差しが、南国宮崎の穏やかな大自然に向けられていきます。それが「ラプソディin南郷」の連作です。

2011「ラプソディー・イン・南郷」150F



「広い太平洋を見下ろす丘の上にある小さな亜熱帯植物園、そこに何かがあると思ってスケッチに行った。彼らは枝を伸ばし葉を茂らせ思い思いの色彩を身につけて「生」を謳歌していた。その生命力に沿うように鉛筆を滑らせ絵具を流していく。気持ちとは裏腹に指先はぎこちない動きをするが、彼らの生きる力は少しずつ画面の上に再構成されていく。渡しはキャンバスのプリンティングの中に動物を追いかけイメージを定着させる。」


2012年 「プリンティングでキャンバスを覆ってしまうと、下書きの植物たちは消えてしまい取り留めのない絵の具の模様がだだっ広く広がっているだけ。その前に立つとこれから先どうなるかと不安に襲われる。しかし、何者かがすぐにうごめき始める。アイチアカの根元に潜むのは獣脚類の仲間か?葉陰にたたずむ耳の長い人影は妖精?それともウサギのお化け?彼らは続々と亜熱帯植物の吐き出す熱気のようにキャンバスの中に満ち溢れてくる。」


2013年 「描き続けていくとますます上手くなっていくと思っていたが、そうでもないことに気付いた。中心になる植物の周りに脇役の羊歯が繁茂している。主役を引き立てるには面倒でもこの雑多に見える面々をしっかりした植物に仕立て上げなくてはならない。庭先から最適な個体を選び出し根こそぎとってきて、キャンバスの隣に据える。何度も描き直しながら名脇役へと育て上げる。役者がそろったところで幕が上がり舞台が始まる。」


2014年 「モチーフは突然向こうからやってくる。初夏のある日、良く知っている道路沿いの海外にマッコウクジラが漂着したニュースを聞いた。朝早く出かけた。それは朝日の逆光の中波打ち際に横たわっていた。時折大きな波が巨体を揺らす。スケッチを進めるうち足下に波が打ち寄せ、逃げそこなって転倒した。起き上がると全身が油にまみれ、動物の臭いに包まれる。クジラの何かに追われるように車を走らせて帰った。彼の昇天の図を描いた。

4.「 旧都城市民会館レクイエム」 シリーズ 2002年~2009

富夫君は、2019年再び脳梗塞に襲われます。2010年1回目の時は宮崎口蹄疫と次の年に東日本大震災が発生、今回は次の年に『新型コロナ』が世界中を危機に陥れています。・・今思うに、感性の鋭い富夫君は、この人類未曽有の危機を事前に感じ取り、2度の脳梗塞になったのではないでしょうか。・・幸い2度目は比較的軽く心機一転、その頃老朽撤去が決まった「旧都城市民会館」が、彼の新たなモチーフになります。

 旧都城市民会館は1966年に建設され、当時日本発の建築運動「メタボリズム」(新陳代謝を意味する)の中心的存在だった菊竹清訓の代表的建築物です。旧都城市民会館は世界的にも有名で「存続か撤去か」で20年以上もめてきましたが、具体的活用案がなく市民アンケートでも83.5%が解体に賛成で撤去が決定しました。・・市民に愛されながら撤去されていく貴重なモニュメントに、富夫君は限りない哀惜を込めて描き続けています。 


 2019年、間もなく撤去される前の市民会館です。人間の構築物が撤去される・・それは植物や動物たちの永遠の生命の輪廻と混ざり合うこと・・そういう暖かい眼差しで富夫君は見つめています。


2020年 この年から、コロナ禍が全世界を恐怖に陥れます。しかし2度の大病を乗り越えた富夫君は微動だにしませんでした。「命あるもの、いつかは命が尽き、形あるものは、いつかは大自然に戻る・・」彼の眼には、そういう悠久の時間を超えたいのちの営みが、混然一体となって見えているようです。


2021年 左の大木に溶け込んでいる美人は歌手の平原綾香。富夫君が脳梗塞から蘇りリハビリを続けているとき、たまたま宮崎で公演があり3回も出かけたという事です。そしてその天使の歌声に生きる力を呼び覚まされたと言います。それ以来、彼の絵画には、色々な場所に平原綾香が顔を出しています。



2022年 近代都市の都城市も、太古の昔は大木生い茂るジャングル、やがて人間が移り住み、都城市民会館ができ、撤去され、そして未来へ・・すべては悠久の大自然の中にある・・そういうことをこの一枚は教えてくれます。ここにも左下に愛してやまないお孫さんが、コロナ予防のマスクをつけて登場・・元気に遊びまわる筈の子供たちも我慢の生活でした。

5.「2023二紀展」開催のお知らせ

   河野画伯が2002年から出展している「2023二紀展」が国立新美術館で開催されます。「二紀会」とは、戦前の美術界の頂点であった「二科会」が戦時下の1944年に解散し、戦後再結成する際に、主張の異なる9名が分離独立して創立したものです。旧二科会の活動を一期とし、戦後新しく第2の紀元を画するという主旨のもとに毎年秋に展覧会を開催しています。現在は「美術の価値を流派の新旧に置かず、また具象、非具象を論じない」という主張を掲げて、全国で活躍する多くの美術家から共感を得て、毎回100点以上の斬新な作品が展示される一大美術展となっています。

2023年は、10月18日~30日の間、「国立新美術館」で開催されます。勿論河野富夫画伯も出展しますので、ぜひご来展戴きたいとお誘いいたします。


 

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