2024年2月1日木曜日

6. 輝き続ける義和君の ”人生讃歌”

  長い人生で高校3年間は、社会飛翔前の「サナギの時代」です

「自分は一体どういう人間か? どう生きるか? 大学で何を専攻し将来どんな仕事をやるか? 」そういう悩みは尽きません。周囲を見渡すと脇目も振らず受験勉強に励む学友だけ、私はボンヤリしていて、あっという間に3年が経過しました。そういう印象に残ることが少ない私の高校時代ですが、ひときわ輝く学友がいました。それが「日向学院の裕次郎=義和君」です。


彼は入学当時から存在感があり、まるで都井岬の野生馬のように自由奔放で存在感があり、大きな旋風を巻き起こしては私達を驚かせました。当時の彼は
「日向学院に嵐を呼ぶ男」で、本人も裕次郎を意識して行動していました。(写真のサングラス男が義和君、その右が私)

石原裕次郎は、生涯を心優しく自由闊達に生き、光り輝く国民的大スターでした。そして50年後の同窓会で再会した「学院の裕次郎」の人生も目を見張るようなエピソードに満ちています。今回はその一部を紹介します。(なお50年前であり微妙な話もありますが、本人から掲載了承は貰っています。) 

1.エピソード 「真夜中に女子高の円形校舎屋上に登頂!」

串間中出身の義和君は、野生馬のように奔放で行動的でした。近くの宮崎女子高へ通学する女生徒を寮のベランダから眺め品評会。「今のは80点。今度は今一だ。これは〇〇〇がクサル」などと、およそミッションスクールにはふさわしくない、当方は真っ赤になるような品定めでしたが・・・


そういうことに驚いていたら、ある朝 「昨夜 谷川君と二人で女子高の円形校舎屋上に登ってきたよ」というので、私達寮生友人みんなビックリ仰天です。「おい義和君、バレたら退学ものだぞ!」しかし彼はケロリンタンです。「昼間ここに登ったら、全校の女生徒を眺められたのに・・と残念だったよ」ムムッ!この男は本当に大物だ!

2.エピソード 「英語詩暗記宿題に真向から反抗」

 2年一学期の授業で、スマイルマークそっくりの英語東後先生が 『H・W・ロングフェローの英詩 A PSALM OF LIFE(人生の讃歌)を次の授業まで暗記してきなさい』 と宿題にしたのを『そんなこと何の意味があるんですか!』と、義和君が真向から異議を唱え大激論が始まりました。 


中高一貫組35名は中学3年間、米国人のマックリンデン先生が担任して県の英語弁論大会で上位独占してきた英語力抜群の生徒たちです。「そんな簡単な宿題に反抗して・・」と迷惑顔です。
 他方地方から高校転入の私は、ピコ太郎の PPAPPen-Pineapple-Apple-Pen )レベルの英語力・・「義和君頑張れ!」と内心応援です。しかし教師の名誉にかけて頑張る東後先生が「覚えてもみないのに何故意味がないといえるのですか。まず覚えてから抗議しなさい!」と一歩も引かない姿勢を見せ、それ以上食い下がっては先生の顔をつぶすと悟り「わかりました!」と義和君は引き下がりました。・・そして次の日、彼は見事「4行9節の英詩」をスラスラと暗唱して見せました。彼は自身の美意識からガリベン嫌いで、納得できないことを率直に述べていただけで、本当は抜群の頭脳の持ち主でした。(私は残念ながら半分くらいしか暗唱できませんでしたが・・)

この場面は50年以上経過した今も深く印象に残り、高校・大学の全テキストはとっくに処分しましたが、この英詩 A psalm of life が掲載されている高2英語Reader だけは捨てきれず、今も大事に保管しています。義和君の思い出とともに・・この文末に全文を掲載していますので、ぜひ皆さんも味わってみてください。

【なお、1年生から担任だった西島先生は、試験の点数や成績しか眼中にない初老の偏屈な数学教師で、高校スタートから腹立たしく暗い授業でした。雑談で自分の奥さんを「うちの飯炊きは」と蔑称で話されるのにはみんなウンザリでした。自由奔放で型にはまらない義和君には特に風当たりが強く、何でもないことで毎日文句をつけぶつかり合っていました。「義和君もよくめげないな・・」と感心しましたが、若い数学教師の丹生先生が、義和君を陰で援護してくれたそうです。(丹生先生はのちに教頭になられました)。 西島先生は2年生時、脳溢血で倒れられ担任は国語の大川先生となりました。人格者の大川先生が「入院中の西島先生をお見舞いに行こう」と希望者を募りましたが、みんな顔を見合わせるばかり・・自主的に大橋君ら寮生が見舞いに行くと、西島先生は涙を流して喜ばれたそうです。】

3.エピソード 「仮装用女性服を 宮女高教頭先生宅へ借りに行く!」


 毎朝学生寮ベランダから眺める宮女高通学生の中で抜群の美形が、寮近くの宮女高教頭先生の娘さんで、下宿生も何人かいることを突き止めた彼は、なんと教頭先生宅を堂々と訪問。「体育祭の仮装行列で使うので女性服を貸してください」と交渉したのです。何しろ品行方正で有名な日向学院の生徒の依頼ですから教頭先生も娘さんたちも快く受諾してくれました。それが今も残る女装の義和君です。あのヤンチャ坊主が中々の美形です!(後述しますが、彼は社会人になってからもっと美人で素晴らしい女性と出会い一目惚れ。その直後プロポーズして結婚しました。)

4.エピソード④ 『足が長くスタイル・運動神経抜群!」

「学院の裕次郎」を自認するだけあって、彼は足が長くスタイル・運動神経抜群でした。体育祭の200m走は後続を20m以上離してブッチギリ。サッカーもラグビーも彼がボールを支配すると試合にならないので、束になって彼にパスができない様に壁をつくりました。俊足の彼は中学時代から陸上競技選手、高校でも毎年県大会出場しました。 

・・高校時代のエピソードは、まだまだ沢山あったと思います。そいう規格外の義和君の社会人生活はどうだったのか・・2年前の50年周年同窓会で一番興味ありました。そして聴いた話は私の想像以上の波乱万丈人生で感動の連続でした。(次からは、その談話記憶です。)

5.エピソード⑤ 『東京に就職後すぐ視力を失い退職』

 就職後偶然にも山手線で、かってのクラスメートと(藤沢君高山君?)ばったり出会い、お互いに『東京で会うなんて奇跡だね!』と、その時のやり取りを50年たってもはっきりと覚えているそうです。電車の中で突然『義和君、まだ暴れているの?』と話しかけられ『いや、今は暴れていないよ』と答えると『ああ、やっぱり義和君だったんだ。目つきが前と全然違うよ!』と返ってきました。そして電車の中で先ほどから義和君に似ている人がいるが、本当に彼だったら声を掛けると大変だと思い、声を掛けられなかった。しかし、目つきが昔の義和君でなかったので、恐る恐る声を掛けたんだ・・』

東京で会社生活を送っているときに、彼は突然視力を失いました。回復の兆しがないため串間の自宅に帰郷し療養することになりましたが、この時は『いったい、オレのこれからの人生はどうなるんだろうと、暗澹たる気持ちだった』 ということです。 自宅で療養すること半年、視力はすっかり元通りに戻りました。 私が推察するに 『あの天衣無縫の自然児の義和君は、鋳型に嵌まった大都会のサラリーマン生活が窮屈すぎて、無意識のうちに身体が拒否反応を示していたのだろう!』と思います。

6. エピソード⑥ 『奥様との運命の出会い」

視力が回復した彼は、その後宮崎でホテルの仕事に就きました。


そういうある日、お客さんを観光案内して
堀切峠の「フェニックスドライブイン」に立ち寄った時、対応した女性があまりに素晴らしい応対をしてくれました。彼女に「すぐ戻るから」と言い残し、お客様を空港に送った後、彼女がまだそこにいるのを願いつつ急いで引き返しました。そしてドライブインで再び彼女を確認すると『僕と結婚してくれ!』 とプロポーズしました。 その女性はあまりの突然の結婚申し込みに返事もできず、目を白黒させていたそうです。 
 

出会った瞬間に結婚することを心に決めた。それが今の僕の妻だ。40年経過したが僕の目に狂いはなく素晴らしい妻だよ! 

・・そう語る彼は本当に幸福そうでした。 おそらくこれからも一生そういう思いながら奥様を愛し続けることでしょう。 (何と素晴らしい人生でしょう!)


7. エピソード⑦ 『LEMAN HOTEL支配人に、そして今』


その後南宮崎に1973年オープンのLEMAN HOTEL の支配人となりました。色々な独創的企画でホテルは順調に伸び、「ホテルマンとして充実した仕事人生を送った!」と、40周年となった2013年9月に 区切りとしてホテルを閉鎖しました。その後は要請に応じ 経営者団体や官公庁で講演や指導を行って、宮崎市の発展に貢献しています。

A Psalm of Life(人生讃歌)   

               Henry Wadsworth Longfellow

Tell me not, in mournful numbers,

Life is but an empty dream!

For the soul is dead that slumbers,

And things are not what they seem.

 

Life is real! Life is earnest!

And the grave is not its goal;

Dust thou art, to dust returnest,

Was not spoken of the soul.


Not enjoyment, and not sorrow,

Is our destined end or way;

But to act, that each tomorrow

Find us farther than today.

 

Art is long, and Time is fleeting,

And our hearts, though stout and brave,

Still, like muffled drums, are beating

Funeral marches to the grave.

 

In the world’s broad field of battle,

In the bivouac of Life,

Be not like dumb, driven cattle!

Be a hero in the strife!

 

Trust no Future, howe’er pleasant!

Let the dead Past bury its dead!

Act,—act in the living Present!

Heart within, and God o’erhead!


Lives of great men all remind us

We can make our lives sublime,

And, departing, leave behind us

Footprints on the sands of time;—

 

Footprints, that perhaps another,

Sailing o’er life’s solemn main,

A forlorn and shipwrecked brother,

Seeing, shall take heart again.

 

Let us, then, be up and doing,

With a heart for any fate;

Still achieving, still pursuing,

Learn to labor and to wait.

 

悲しげな調子で言わないでください、

人生は儚い夢だ!と。

眠っている魂は死んでいるも同然、

その魂が見るものは真実ではない、

 

人生は現実だ! 人生は本質だ!

そして人生のゴールは墓場ではない;

塵から生まれ、塵に還る、

魂のことではない。

 

最終の目的地、進む先は、

喜びでもなく、悲しみでもない、

行動すること、今日の行動が明日を導き、

明日の行動がそのさらなる明日を生む。

 

芸術は長く、時の流れは速い、

我々の頑健で勇敢なる心臓も、

常に、重苦しい太鼓のように、ビートを刻む、

それは墓場へと向かう葬送行進曲。

 

この世界の広い戦場で

人生の野営地で、

黙って追い立てられる家畜になるな!

戦い、英雄となれ!

 

未来を信じず、今を楽しめ!

過去は死んだ過去に埋葬させよ!

行動あるのみ 生きている現在に行動せよ!

心に勇気を、頭上に神を抱いて、


偉大な人々の人生は教えてくれる

我々も人生を昇華できると、

死んだときには、

時の砂の上に残した足跡を残せることを

 

その足跡を、ひょっとしたら他の誰かが、

人生の大海原に船を進め、

侘しく難破した仲間が

見つけ、勇気を奮い起こすことだろう。

 

やらせておくれ、奮起して励もう、

どのような運命が待ち受けようが勇気を持って;

必ずやり遂げ、絶えず追い求め、

力を尽くし、待つことを学ぼう。

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