2025年8月14日木曜日

17. 千葉の魅力④ 「木更津は歌の街」

 私は50数年前、宮崎県都城市の山奥から近代的な京葉コンビナートに就職しました。 中々大都会になじめず、休日には千葉・東京方面でなく、木更津方面に足を延ばしました。特にお気に入りは木更津駅の西口から木更津港までの繁華街で、「狸の証城寺」、「お富さん」の主人公「切られ与三郎」の墓のある「光明寺」、粋な黒塀が続く高級料亭街、川崎へのフェリーが頻繁に行きかう木更津港など、散策するだけでワクワクする楽しい街で一日があっという間に過ぎました。

しかし今の木更津市は大きく様変わりしました。かってフェリーで京浜地区に通勤していた人たちが、東京湾アクアライン・高速道路を使い、従来半分以下の30分で行き来できるようになりました。また金田海岸には、関東最大規模の「木更津アウトレット」ができて、京浜地区の沢山の若者でにぎわうようになりました。これに伴い木更津港や木更津駅西側の繁華街も寂れていきました。かって沢山の高級料亭が軒を連ねていましたが今は見る影もありません。木更津ファンの私としては悔しく寂しい限りです。

しかし今また様相が変わり、アウトレットや観光だけでなく、京浜地区に勤務する人たちのベッドタウンとして木更津・君津地区は人気が高く、大自然の中で子供たちをのびのび育てたいという若い人たちが永住するようになりました。 

1.    狸の証城寺ばやし」(作詞:野口雨情、作曲:中山晋平)

木更津駅西口から歩いておよそ10分たらず、市内を流れる矢那川のほとりに、狸ばやしで有名な證誠寺があります。「狸ばやし」とは、和尚さんに負けまいと連夜腹つづみを叩き続け、ついには腹の皮が破れて死んでしまったという大狸の話で、日本三大狸伝説の一つにも数えられています。
毎年
10月の第3土曜日に「狸まつり」が催されます。市内の児童が独特の衣装とメイクで大狸、小狸、和尚さんに扮し、おなじみの童謡にあわせておもしろおかしく踊る、何とも微笑ましいまつりです。県内外から文学愛好者を始め、多くの見物客が訪れます。

【童謡 こどもの歌 全集】証城寺のたぬきばやし

証城寺は、山のたぬきが化けて脅かすので、なかなか和尚が居着かなかった。新しくやってきた高僧も、一つ目小僧やろくろ首に化けた狸に驚かされて逃げ出してしまった。次にやってきた豪傑和尚は、怖がりこそしなかったか、腹鼓をしてからかう狸を追い回しているうちに大けがをしてしまい出ていった。

次にみすぼらしい姿の和尚さんがやってきた。この和尚は狸の化けたおばけにも驚かず、たぬきの腹鼓を聞いても自分も一緒になってお腹を叩き出す始末。しかしこの和尚さん、あんまりお腹を叩きすぎたため倒れてしまう。翌日から和尚さんは腹鼓を練習しはじめた。

ある満月の夜、狸が寺に集まってきて和尚さんと腹鼓合戦を始めた。和尚さんの腹鼓が良い音をだすので、狸の親分も負けじと頑張るが、たたきすぎてお腹が破裂してしまった。心配した和尚さんは狸の腹に薬をぬって介抱してやった。

その後も狸と和尚さんは腹鼓合戦をつづけているうちにすっかり仲が良くなり、満月の夜に集まっては腹鼓を打っているという 

2.「お富さん」で有名になった光明寺の「切られ与三郎墓」

 光明寺は1335年に建てられた日蓮宗のお寺です。池上本門寺第三世日輪上人によって開山され、現在は木更津市を代表するお寺です。本堂をはじめ、七面道や庫裏、客殿、鐘楼などで構成されており、入口は切妻づくりや桟瓦葺きの薬医門が見られます。

 この寺は境内に「切られ与三郎の墓」があることでも有名です。与三郎とは、木更津の名を全国に知らしめた人気歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」の主人公です。与三郎のモデルとなった人物が木更津の紺屋で修業していたことから、境内に墓が建てられました。現在も公演の前には歌舞伎役者が訪れ参拝しています。

 また本堂前には、樹齢400年超と見られる大きな黒松があり、舞鶴のように見えるその姿から「舞鶴の松」と呼ばれています。この黒松は、木更津市の銘木百選第一号に指定されています。

お富さん(春日八郎) Otomisan Kasuga Hachiro

3.「木更津甚句」 と 「やっさいもっさい祭り」

 「木更津甚句」は、安政年間(184559)木更津出身の落語家・木更津亭柳勢が江戸の高座で演じたのがきっかけで大流行しました。その後、大正時代に木更津生まれの芸者若福が新橋鳥森のお座敷で唄って再び流行したものです。

「やっさいもっさい」とは、木更津市を代表する踊りです。毎年814日には、木更津港まつりのイベントのひとつとして「やっさいもっさい踊り」が木更津駅西口の「富士見通り」で行われます。

元々は木更津甚句の囃子言葉の一種で、「そこのけそこのけ」という意味があります。矢那川の上流にある船着場の「矢崎」「森崎」(やさきもりさき)が訛って「やっさいもっさい」となったとする説が有力です。また、掛け声の「おっさおっさ」とは、これも木更津甚句の囃子言葉の一種で、「おお、そうだよ」と同調する意味があります。

19601970年代の木更津市周辺には、新日鉄君津製鉄所(現 日本製鉄君津)ができた等の理由により、昔からの木更津住民だけでなく、新たな住民が増えつつありました。そのような状況の中、従来の木更津住民と新しい住民との交流の場として、歌詞にもある「みんながおとなりどうし」を合言葉に、1974年から、木更津港まつりの一企画として開始されました。唄デュー・エイセスが担当しました。

ハー木更津照るとも東京は曇れ 

可愛い男がヤッサイモッサイ ヤレコリャドッコイ 

コリャコリャ日に焼ける


ハー 沖の洲崎に茶屋町よ立てて
上り下りの ヤッサイ モッサイ ヤレコリャドッコイ

コリャコリャ船を待つ


ハー 狸可愛や証城寺の庭で 

月に浮かれて ヤッサイ モッサイ ヤレコリャドッコイ

コリャコリャ腹鼓



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