2024年4月3日水曜日

3. 青春の蹉跌と名曲 「人生とは?」

企業退職後10年間、大学キャリア講師に携わりました。
 想像していた以上に純朴で、内向的で、殻に籠っている学生達に危機感を抱きながらの大学講師でした。 干渉を嫌い孤独でバーチャルな世界に逃避しがちな現代学生を見ていると、卒業後、厳しい不自由な社会人生活に耐え切れず、早々に退職する者が後を絶たない現実が理解できます。しかし、それでは折角の『二度とない人生』を意味のない逃避の人生にしてしまいます。今回は、そういう迷える若者に是非参考にして欲しい作曲家『船川利夫の人生』と、名曲『出雲路』ほかを紹介します。
 誰しも自由気儘な学生から社会人になると、仕事に、職場人間関係に、自分の将来に、人生の意味等々、深刻な悩みやストレスに次々に遭遇します。 私は新入社員時代、どん底の精神状態で悩み苦しんでいた時期に、船川先生の『複協奏曲』 と『出雲路』に出会いました。この名曲と巡り合わなかったら、ささくれ立った荒んだ心のまま齢を重ね、優しさも思いやりもない嫌な人間になっていたと思います。

50年前に就職して最初の仕事が石油精製工場の保全工事、1年後に運転業務(三交替勤務)となりました。入社3か月の右も左も分からない時期に、独身寮同室の優しい物静かな4歳年上の先輩(大学卒 交替勤務)が不審死を遂げ大変なショックを受けました。いつも寂しげで「どこか具合悪いのですか?」と訊いても寂しい笑いを返すだけの物静かな先輩でした。その前夜の特に沈んだ様子に胸騒ぎし、両隣室の先輩に相談しましたが「そういうことは良くあるよ」と軽く受け流された翌日の突然の旅立ちでした・・山口から駆付けたお母さんと妹さんの泣きはらした顔が今も忘れられません。
【自分は楽になっても、残された家族・友人は一生悲しみを抱えることになる・・嫌なら辞めれば良かったのに・・会社・仕事は命を懸ける程のものではない!】と思いながら、その後『人は何の為に働き、何故生きるのかをいつも考えるようになりました。 
入社式以来『人間尊重、家族主義が社是だ』と叩き込まれてきた私は、それ以後、実態の伴わない建前だけの会社に対する不信、職場の人間不信で人を寄せつけず、いつも険しい目をしていたようです。そういう扱い難い新入社員の私を救ってくれたのが、以前ブログ紹介した『現場の神様=洋一さん』です。この上司は『あいつは他のチームでは無理だ。 私が3年間預かってまともな人間に育成する!』と、自分の部下にして厳しく鍛えてくれました。 まさに救いの神、導きの師匠でした。

しかし毎日の仕事には、正直生涯をかけて打込むほどの魅力を感じることはなく、独身寮の大先輩が紹介してくれた邦楽のレコードに魅せられ尺八を始めました。 その尺八指導の先生が、レコードの名曲の作曲者で邦楽界の第一人者の船川利夫先生でした。この先生に5年ほど師事して邦楽にのめり込み、一時東京文化会館(小ホール)で演奏する機会があるなど、プロになりたいと思った時期もありましたが、ある演奏会(2000人の観客)の前座舞台で大失敗して自分の限界を知り、サラリーマンに徹する事になり、40年勤め上げて今に至っています。
そして今でも、この船川先生の名曲を聴くと、もがき苦しんだ若き日々と、全てを忘れて『出雲路』『飾画』『箏四重奏曲』 などを必死に練習することで救われ、人間らしさを取り戻していったことを、まざまざと昨日のように思い出します。

1.組曲『出雲路 

出雲路(船川利夫) - YouTube

  尺八:横山勝也、箏:羽賀幹子/藤田都志、17弦:菊地悌子
 作者の膚に染みついた出雲の香りに、しばし酔いしれてください。東京の雑踏の中に一人取り残された作者の孤独を救ってくれる故郷の出雲路、『あの懐かしい出雲がほしい』 という心の声が聴こえてきます。それは私達が故郷を想う心と同じです。
 
(1) 清水寺の暮色
松並木に続いて、鬱蒼とした老木の生い茂る道を登っていくと、小高い丘の中腹に清水寺がある。鐘楼の鐘が鳴るころ、木陰を伝うそよ風が静かに暮色を運んでくる。
 (2)  
      社日神社の境内に笛が流れ、町には神輿が練り歩く。人々は祝い酒を飲み安来節を唄う。ざわめきの中にふと哀愁が漂う。
 (3) 宍道湖の夕映え
 静かな日の黄昏、宍道湖に夕映えが訪れる。空も水も金色に輝き、一陣の夕風にさざ波がきらきらと砕け散る。秋ならば陽はつるべ落としに一刻の饗宴はたちまち終わりを告げる。初夏ならば天地の運航に自分をまかせ、暫し我を忘れる。


2.『箏四重奏曲』 

箏四重奏曲(船川利夫) - YouTube

 箏:羽賀幹子、尺八:宮田耕八郎、ビオラ:菅沼準二、チェロ:高橋忠男
1965年さわらび会(代表:羽賀幹子)の委嘱作品。本来 尺八と箏3人による四重奏曲ですが、作者は楽器構成にはこだわらず、この演奏ではビオラとチェロを使っており、邦楽器の可能性を拡大しようとした意図がうかがわれます。
(1) MODERATE
  大らかな旋律と力強く躍動する細かい旋律からなる主題が絡み合って動きます。各パートへの旋律移行と対比は、暖かい母の眼差しの元で無邪気に遊び惚ける子供の情景なのでしょうか。それとも複雑な人間の心理を暗示するのでしょうか。
(2) LENT
  静かな、息が長く憂いに満ちた旋律が続き、その寂しさに泣きじゃくる子供をあやすような歯切れの良い中間部、そして元の旋律に戻ります。
(3) ALLEGRO
   さあ、遊ぼうよ! さあ、踊ろうよ! もう悲しい事なんかいいじゃないか。  さあ! さあ、踊ろうよ!

3.『複協奏曲』 

複協奏曲(船川利夫) - YouTube

      指揮:福田一雄、 尺八独奏:船川利夫、箏独奏:羽賀幹子、 他33名 
 1963年の作曲で、若き船川利夫のひとつの頂点と言われる作品です。箏と尺八という二つの邦楽器を対等に扱って、夫々の協奏曲を一つにまとめたという意味で、この題名になっています。 しかし作者は、自己に内在する二つの相反する性格、あるいは現実批判と理想追求の矛盾、そうした二面性をこの曲でさらけ出すことによって、何かを求める 「祈り」 を捧げようとする意味で、この複協奏曲を作曲したとのことです。 
確かに箏独奏の語る所と、尺八独奏の歌う所とは、全く趣を異にします。それぞれのカデンツアは互いに無関係であるとも言えます。しかしながら、それを3部の箏群と17弦、2部の尺八群、及び横笛とファゴット、それに和洋とりまぜた打楽器という大編成の合奏の中に、あるいは埋没させ、あるいは浮き上がらせ、不調和と調和とを混在させています。作者は、自分の心の祈りを野放図にうたい上げるという態度で作ったと述べています。そういう心の葛藤と祈りは現代人の私達に共通の思いであり、心に染み透る名曲です。
尺八独奏は船川先生自身の演奏です。 船川先生は、かって大江賢次が、『ハムレットとドンキホーテが同居している』 と評しています。普段はとても無口で、どんな会合でも人の話にじっと耳を傾けておられました。「不完全な自分をさらけ出すのを好まない」 という先生の姿勢を知らない人は、「彼は孤独で無口な人だ」 と評する人も多かったといいます。しかしこの作品の尺八カデンツアでは、立板に水の如く実に雄弁に自身の内面を語り尽くしています。

4.交響詩 『海』  指揮:福田一雄他 http://www.musicon.co.jp/mp3/umi.mp3
 1965年の作曲。先生はこの作品に作曲活動の生命をかけたと言います。この前年8月、台風接近の予報にかまわず、太平洋の怒涛に惹かれて犬吠岬にでかけました。

白々と明け行く海、どこか不気味な力を秘めている・・・
やがて明け放たれた海は青く青く澄み、そよかぜに海鳥の声も明るい

不気味な風が吹き、うねりが出始め、海鳴りが腹に響く
うねりはやがて岩壁に荒れ狂う怒涛となり、
風は稲妻を従えて大暴風雨と化す
ああ、天地も引裂かれ滅尽するか・・狂う波・・狂う風・・海の狂乱・・
 風は止む・・ 
 暴風雨は海の彼方に去ったのか、静かな海に帰る・・
 静かに・・ 静かに・・・

船川先生は、1931年 島根県安来市に生まれ、16歳から都山流尺八を松田垂山に師事して24歳で師範昇格。 その頃 邦楽を通じて恋仲だった良家のお嬢さんの両親に大反対されて傷心の上京・・筝曲家古川太郎 (宮城道雄の高弟)に師事、筝と作曲を研鑽されます。 作曲は洋楽の乗松明弘(山田耕作の高弟)にも師事。 その間 寝食もままならない程の大変な苦労をされ、 初期の溌剌とした作風から、内向的で寂しく自己の内面にのめり込んでいく心の変遷を経て名曲 『出雲路』(1960) 、『飾画』(1963) を生みます。
古典芸能界特有の愛憎渦巻く異様な世界で下積みの辛酸を耐え忍ぶうちに、人間に対する不信と憎しみが 異常なまでの自己への執着となり、無力な自己への苛立ちと執着を経て狂信的な祈りとなり、大作 『複協奏曲』 (1963へと昇華していきます。 
この大曲の成功を得て作曲家としての社会的地位と生活を得て、『箏四重奏』(1965 この頃結婚)、交響詩『海 (1965) へ、主観的自我の世界から客観的な自我の世界へと展開していきます。
船川利夫先生は、数々の名曲を生み「現代邦楽の至宝。邦楽と洋楽を融合させ新たな音楽の可能性を切り開いた革命児」と惜しまれながら2008104日 永眠されました。
皆様方も、この日本の至宝、大作曲家の作品を、是非ご堪能ください。。

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