2024年3月1日金曜日

5. 美しきふるさと(霧島、高千穂峡)

 「ふるさとの山に向かいて言うことなし、
ふるさとの山はありがたきかな」 (石川啄木)
 「幾山河越え去り行かば さびしさの
果てなむ国ぞ 今日も旅行く」 (若山牧水)
自由気儘な学生生活から、厳しい社会人となって故郷を離れて思うのは、懐かしい故郷の父母、友人、そして幼いころから遊び親しんだ故郷の山河です。これは明治の文豪・詩人も、現代の私達も若者も変わりません。
私の故郷は宮崎県都城市山田町、名峰霧島の麓です。もの心ついたころから、嬉しい時も悲しい時も、天孫降臨伝説の神々しい高千穂の峰を見て育ちました。小学5年生の学年遠足=韓国登山のバス車中で宮交ガイドさんが歌った 『思い出のスカイライン』 は、今も大好きな人生を支える愛唱歌です。

峠越えれば高原の 山の青さが目に染みる
歌おうよあの歌 思い出の
   山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う
   ああ霧島の山にきて わが青春ははるかなり
・・・ああ我 人と求めゆきて 涙さしぐみかえりきぬ
  ああふるさとの山にきて わが青春よここにあり
・・・山のあなたのなお遠く 幸いすむと人の言う
  スカイラインの思い出に わが青春よ悔いはなし

今回は、私の青春時代の懐かしい故郷の山河を、私の拙い色鉛筆画で紹介します。機会があったら是非読者の皆さんにも訪問して頂きたいと思います。

1.『真名井の滝 (高千穂峡)』
日本人の祖先が南西諸島や大陸から渡ってきたのは約4万年前です。
 そのはるか昔の27万年前から4回、阿蘇で破滅的巨大噴火がありました。 中でも9万年前の4回目は凄まじく、300㎦の大量のマグマを噴出し、大火砕流が九州全域を覆い、全ての生物を焼き火山岩で覆いつくしました。その火山灰は北海道東部でも15cmに達しており、日本列島の生物は壊滅的被害を受けたことでしょう。 
 阿蘇山の中心部から30kmも離れたこの高千穂にも大量の火砕流が襲って五ヶ瀬川に沿って流れ下り、その厚い堆積物が溶解凝結岩となり急冷して柱状節理が生じました。 
その凝結凝灰岩を五ヶ瀬川が再び侵食し形成されたのが高千穂峡です。高さ80100mにも達する絶壁が7kmにわたって続く渓谷を下から見上げると、阿蘇の破滅的大噴火のすさまじさを痛感します。最後の巨大噴火から5万年、気の遠くなるような生物の輪廻を繰り返して、大地は再び生命で満ち溢れ、美しい大自然を取り戻しました。
そして4万年前、この地に初めて踏みこんだ日本人の祖先は、この世のものと思えない美しく神々しい絶景や自然の造形に神の存在を感じ、美しい神話を作りだし語り継いでいったのに違いありません。中でもこの『真名井の滝』は、神々の住む天空から地上を潤すために降り注いでいるような神秘的な雰囲気を漂わせています。

高校時代に 『ずば抜けた秀才で努力家 剣道有段者=文武両道の畏友』 がいました。その彼が高千穂出身でした。彼は大学卒業後、旧国鉄に入社。親方日の丸体質改革=国鉄民営化を推進し、『赤字脱出は極めて困難!』 とされていたJR九州の中心的存在となって、革新的な経営改革を断行し、九州新幹線の早期開通、七つ星トレインなどのユニークな企画等で経営を立て直しました。その後JR九州専務を経て、万年赤字体質だった九鉄工業社長就任。ここでも社員と一丸になり会社を立て直し、リゾート開発や県庁所在地ターミナル駅の多機能化・ショッピングセンター化等を推進して、九州の発展基盤つくりに大きく貢献しました。
 その彼の活躍を思い浮かべながら『真名井の滝』を描きました。 
そして 『数万年に及ぶ高千穂の風土が育んだDNAが彼の中に脈々と流れ、天が真名井の滝で地上を潤したように、この社会を発展させ物心両面で潤わせたい!』 という思いが、彼を突き動かしてきたのではないかと思い至りました。

2.「思い出のえびの高原の冬」
手前は白紫池、その向こうのひときわ高い雪山は韓国岳(1700m)です。
この景色の思い出は大学時代のスケート旅行です。
真冬のえびの高原・白紫池(標高1300m)の天然スケート場へ友人と2回行きました。当時は貧乏学生で交通手段は単車、温泉宿に泊まる経済的余裕はなく、えびの高原にテントを張ってシュラフで野宿しました。 しかしあまりの寒さに一睡もできずガタガタ震えながら夜を明かし、冬山の厳しさを知りました。それでも下手なスケートを楽しみ、このような高原の雪景色風景に感動しました。

また行ってみたい大好きな風景ですが、残念ながら最近は温暖化のために白紫池は結氷しなくなっているそうです。40年前までは20cm以上の結氷があり、数百人がスケートしてもびくともしなかったのですが・・・
こんなところにも地球温暖化の影響が出ていることに悲しくなります。

都城市側からの天孫降臨の「高千穂の峰」

物心ついてからこの形を見て私は育ちました。「山」という文字の原型となったのでは?と思えるほど均整の取れたこの高千穂の峰は、私にとって日本一の名山です。

1 件のコメント:

  1. 私のふるさとには貫一お宮の松が廃線になった
    線路脇にあります
    尾崎紅葉の後を長田幹彦さんが大正時代に
    ふるさと置戸町を舞台に続金色夜叉を書いた
    のが、その由来です
    続金色夜叉ではまだふるさと置戸町は少しで
    続金色夜叉の終編の上巻からは置戸町が
    具体的に登場しました
    その下巻に詳しく書かれていそうですが
    古書店のネットでもなかなか手に入りません
    図書館に関係していた高校の同級生もそこまで
    眼にしていないようです
    父の納骨、一年祭などで今年はこれから二回
    帰省する予定なので、ふるさとの知人から
    下巻を読める機会はないのかを確認しています
    ふるさとは遠きところからでもしっかりと
    見守りたいと思います
    ありがとうございました
    善き機会をいただきました‼️

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