2024年1月2日火曜日

12. 日本一「静内の20間道路桜並木」

 「日本一の桜並木」紹介です。 2005年苫小牧の「北海道石油共同備蓄㈱北海道事業所」の総務課長に着任早々、東京本社の故 鈴木社長が突然訪れ「静内の日本一の桜並木を見たい」と言われるので、門傳係長と同行することになりしました。 車中「初対面の社長とどう接したらよいものか・・」と戸惑いがありましたが・・元自衛官で人格温厚な門傳さんのお陰で何とか乗り切れました。(この時は、三名とも、ここから7㎞先の『凌雲閣』の事は全く知らず、桜並木を見て満足して帰りました。)



 


北海道中部南端、襟裳岬の少し手前の日高・静内牧場は明治3年に開設され同22年に宮内庁ご用達の御料牧場となりました。そして一番奥に『凌雲閣』が立てられ、大正・昭和天皇陛下が皇太子時代に行幸されています。

その『凌雲閣』至る20間道路の両脇には、付近の住民の方々が山々から掘り出して移植した蝦夷山桜が7kmにわたって続く「日本一の桜並木」です。見ごろは4月下旬とまだ先ですが、ぜひ一度は訪れて見事な桜並木を堪能して頂きたいと思います。かっての軍馬牧場が今は競走馬(サラブレッド)の大牧場となり、日本一の桜並木・広大な牧場・歴史ある凌雲閣・・本当に感動します。


襟裳岬の少し手前の日高・静内牧場は明治3年に開設され同22年に宮内庁ご用達の御料牧場となりました。それまでの大原野を切り開く苦労は、20年前に話題となった映画『北の零年』につぶさに描かれています。この大牧場も元々は原生林で、大木を切り倒し、根株を掘り起こす気の遠くなるような重労働を経て、この牧場が作られていったことを思うと、先人たちの努力に頭が下がります。 



20間道路の両脇には、住民の先祖が山々から掘り出し移植した蝦夷山桜が7kmに渡って続く桜並木となっています。明治の初期から現代まで、地元の方々が如何にこの牧場を誇りに思い大事にしてきたかが良く分かります。桜の種類は 北海道原産の蝦夷山桜。吉野の桜に似て花弁は小ぶりで葉も一緒に芽吹き、友禅染めの着物のような優雅な桜です。ぜひ満開の季節に訪れて欲しい『日本一の桜並木』です。




何処までも続く20間道路の桜並木。ただ一直線になんと7km! 両脇には広大な牧場!『これこそが北海道!』とそのスケールの大きさに、ただただ驚くばかりです! そしてこの桜は、この地域の住民の方々が山から掘り出して植えていったという逸話に、この地域の方々が、この牧場をいかに誇りに思っているかが分かります。



広大な静内牧場。明治時代に御料牧場として、また陸軍の軍馬飼育訓練用として開発された牧場のスケールの大きさに圧倒されます。牧草地の向こうの木立の中にある桜並木が、7km続く20間道路です。



牧場では、サラブレッドがのんびりと草をはみ、軽快に疾走します。・・上司の理不尽に怒りを押し殺し、または冷や汗掻きながらの我がサラリーマン人生40年間を振り返ると、このノンビリした馬君が羨ましく思えました。

百間道路の最奥にある「凌雲閣」

 明治42年の完成当時、当牧場は御料牧場として20年を経過し、宮中御料馬の生産、北海道産馬の改良の本務の他、日露戦役中には陸軍の軍馬を拠出していました。したがって皇族や高位高官の訪問が多く 貴賓の迎賓館として建てられました。翌年に韓国皇太子李艮殿下御臨場が予定された事が、この客舎の実現に拍車をかけました。この目的から高い格式が建物の各部各所で取入れられ、高雅な二層の御殿造りとなっています。当時如何に重要であったかは 「凌雲閣」(りょううんかく)と名付けに十分想像ができます。その後、数多くの名士高官が訪れ、特に大正・昭和天皇陛下が皇太子のときに行啓され、宮中から遠く離れた牧場としてはまことに稀な事と言えるでしょう。

 この凌雲閣を見ると、「韓国(朝鮮)が、日清戦争により歴上初めて中国(清・明・元・宋・唐・漢・・)から独立でき、植民地化 (Colony))ではなく日本と対等な立場の併合(Annexation)”だったことが分かります。世界中どこを見ても植民地化した国の皇帝・皇太子を尊重し、ご来訪を祝い豪邸を立て、本国王室の嫁を出すような紳士的な国は歴史上存在しません。

 しかし独立を助けられた韓国皇帝が「日本は、ロシア・フランス・ドイツ三国干渉に屈服し弱い!」と、何とロシア大使館に逃げ込み保護を求める事態になり、やむなく日露戦争へと突入します。もし日露戦争に負けていたら・・韓国は間違いなくロシア植民地化されロシアの一部となって純粋な朝鮮人はいなくなったでしょう。

 日露戦争後も朝鮮は事大主義で、独立心なく中露に擦り寄り、日本にとっては「大国ロシア(今は中朝)から突き付けられた匕首」です。日本はやむを得ず国家安全保障の為に1910年韓国を併合します。三国干渉の教訓から、世界各国の容喙を挟まないように慎重な外交を重ね、韓国併合に反対する国はありませんでした。そのあと30年間、日本は毎年国家予算20%を朝鮮に注込みインフラ等を整備し、世界の最貧国から日本並みの近代化を実施しました。現在使われているハングル文字も、400年ほど前に考案されましたが広がらず忘れられていたのを、日本人が再発見し、新設の小学校で教え広めたものです。

小学校建設 1910   40(識字率 10%未満 

      1943 4271識字率 60%以上

鉄道網建設 1910年 延べ100km 1943 6,000km

工業化推進 併合前農林水産業約80工業生産約18

       併合後農林水産業約43%、工業生産約41

電力網整備 鴨緑江に当時世界最大級の水豊ダム建設(現在も稼働) 最大出力は黒部ダムの2倍。

 こういう歴史的真実には目を向けず、礼節・恩義を忘れ、真逆の主張「戦前7奪された」「慰安婦・徴用工の賠償をしろ」と80年たってもたかり続け、経済で困った時は泣着き、政権末期になると選挙対策で反日に走る・・その無節操さには本当に呆れます。歴代大統領の反日政策により「朝鮮戦争は、朝鮮が日本と戦った独立戦争」と嘘を教えられ、反日感情はますます定着しています。(それなら「何故 朝鮮半島は南北に分かれているのか?」と考えないのでしょうか?)

 同じように「日本と併合となった台湾の人々が、今も日本人より日本を愛してくれている人間性」の爪の垢でも煎じて飲んで欲しい。私の中学3年の恩師は、戦前台北師範学校を卒業し、生前何回も台湾を訪れ、教え子の私たちに台湾の素晴らしさを語ってくれました。)

「新冠レコード館と名馬ハイセイコー像」





 この静内の20間道路桜並木の途中にある新冠もまた競走馬の牧場が広がります。名馬ハイセイコーやオグリキャップもここで育ちました。また98万枚のレコードが収拾されている世界一(?)のレコード館もぜひ訪れたい場所です。デジタル音源では味わえない柔らかな奥行きのあるレコード録音に時間を忘れてしまいます。一日過ごしても飽きないレコード館です。玄関前のハイセイコー銅像が迎えてくれます。

「日本一の桜並木=静内への地図です」

例年5月上旬が静内桜の見ごろですが、今年は暖冬で開花が早まっていますので「新ひだか観光協会」もしくは「新ひだか町役場」に、令和6年度の開花予測を確認してから旅行計画を立て、来訪された方が良いと思います。



「2024年桜前線予測」(3月21日気象庁発表)



「新ひだか観光協会」





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