2024年4月1日月曜日

5. 永遠の母の愛 (グエルチーノ画)


 2015年6月に上野の国立西洋美術館で開催されたグエルチーノ展は、本当に感動的でした。
 グエルチーノ? 日本では聴きなれない名です。 かってはイタリア・バロック美術を代表するイタリア美術史上 最も著名な画家でしたが、19世紀半ばに印象派等の新表現法が登場すると、否定され忘れさられていきました。 最近再び評価され始め、特にイタリアを中心に大展覧会が数多く開催されています。
 グエルチーノ(1591-1666) は、20歳頃からイタリアの地方小都市チェント、ボローニャを拠点にして活躍し、その作品の多くはチェント市立絵画館に展示されています。 これまでヨーロッパ以外では展示の機会が少なく、日本では初めての美術展で、44点の油彩画大作が展示されました。 
 日本開催の背景は、2012年5月にこの地方を襲った地震です。 チェント市は大きな被害を受け、チェント絵画館は倒壊寸前になり、消防士が必死に展示品を搬出し、奇跡的に全作品が救出されました。 絵画館は現在も閉鎖され、無数の鉄骨支柱で辛うじて倒壊を免れている状態です。 
世界各地で開催されているグエルチーノ展は、チェント絵画館の復興資金となりました。 

1.『復活し聖母のもとに現れたキリスト』 1628-30
 この絵は、天才グエルチーノの最高傑作です。 今回の展示品44点は全て感動的な名作ばかりですが、その中でも群を抜いて存在感があり、その場を離れられない程に印象深く魅力的な作品です。 聖母子の表情、イエスが纏った布の立体感・質量感、致命傷となった胸の傷の痛々しさ、その傷に恐る恐る触れるマリアの手のためらい・・・ただただ立ち尽くして目が釘付けになり離れません。
 次は、文豪ゲーテが18世紀に、ドイツから遥々とアルプスを越えてこの作品を見る為にイタリアを訪れ、一目見た時の感動を述べた文です。
「復活のキリストが、母のもとに現れたところを描いた絵は非常に私の気に入った。  聖母はキリストの前に跪きながら、えも言えぬ心情を込めて彼を見上げ、彼女の左手は、画面全体を痛めるばかりに気味の悪い胸傷のすぐ下に触れている。 キリストは自分の左手を優しく母の頸のまわりにおき、悲しむ母をいたわりながらよく見つめようとして、体を幾分そらせている。 これはキリストの姿態にあえて不自然とまではいわないにしても何かしら異様な感じを与える。 それにもかかわらず、この像は限りなく気持がよい。 母を眺めている哀愁を帯びた眼差しは独自のものであって、あたかも自分や母のうけた苦悩の思いが復活によって直ちに消しさられることなく、高潔な彼の魂の前に漂っているごとくである。」 (1786年「イタリア紀行」より) 
 またゲーテは 「あの絵を見ずしてグエルチーノが何であるかを知ることはできない」 と述べて絶賛しています。
 悲しむ母を優しく見つめるイエスの眼差し、痛ましい傷跡に涙の止まらないマリアの悲しい表情が心をうちます。 そして 『この眼差しはどこかで見た事がある・・』 と思いました。
 『お腹を悼めて産んだ命よりも大事な子が親よりも先に逝った母の悲しみ』
 『理不尽に娘を拉致され40年近くも苦しむ横田夫妻等、拉致被害者家族』
 『大震災・津波で家族を失った人々・・・』
そういう苦しみを持つ全ての人々に、イエスは、『さあ元気をだして。私が此処にいるよ』 と語りかけています。

2.『聖母子と雀』
 母が指に雀を止まらせて、子と母が一緒に興味深げにじっと見ている・・・という極めて日常的なシーンで、聖母マリアの優しい人間的な母性や愛を描いています。 宗教的にはキリストが握っている糸で繋がっている雀はキリストの受難を表しているという事です。




3.『聖母と祝福をうける幼子イエス』
 マリアに支えられてキリストは、ポーズをとって右手でピース(この世の平安)を訴えつつ前に踏みだそうとしているように感じられます。聖母マリアの幼子を見つめる眼差しは、これから我が子が歩む過酷な運命を知っているためか、何とも言えない緊張感に満ちた厳しい表情です。





4.『聖母被昇天』
 元々は教会の天井画です。下から見上げると本当に天に上るように見えたことでしょう。今回の大地震がなかったら、日本の展覧会で鑑賞することは出来なかった筈です。 イエスの誕生から受難へと続いた苦しみや悲しみから解き放たれ、天国の我が子イエスの元へ昇天する聖母マリアの表情は、穏やかで晴れやかに見えます。マリアが天使たちに導かれながら昇天した日は8月15日です。 天使たちの赤ちゃんのような姿がとても愛らしく描かれています。




  

5.『キリストから鍵を受け取る聖ペテロ』  
  イエスが選んだ十二使徒は、みんな社会の底辺で蔑すまれながら貧しくひっそりと暮らす人達でした。 そのリーダー格のペテロはイエスからもらった名で 『岩』 を意味します。 ペテロは元漁師で イエスから『ついてきなさい』 と言われて網を捨て そのままイエスにつき従ったように、思った事は直ぐ実行する実直で純朴で誰からも好かれる性格でした。 しかし心が弱く、イエスが捕まった時、師を見捨てて逃げ出してしまいました。 町の人が『彼はイエスの仲間だ』 と指摘すると、『私はイエスなど知りません!』 と3回も否定し、自分の心の弱さに泣きます。  そんなペテロですが、イエスが十字架で刑死するのを見、そしてイエスの復活を目の当たりにして心が定まり、その名の通り 『岩』 となって師の教えを広げていきます。 そして最後にはローマに捉えられ殉教の死を遂げます。 
  師を見捨てて逃げるような心の弱いペテロが、何故死をも恐れぬ『岩』 のように強い意志を持つようになったのか・・・ グエルチーノは、その理由を1枚の絵で見事に表現しています。 イエスがペテロに渡している 『金の鍵』 は"天国の鍵" であり、『銀の鍵』 は"地上における権力の象徴" です。 そしてイエスの左手は聖ペテロに教皇の座を示しています。  つまりイエスは『ペテロよ、強い心を持って、地上での布教リーダーとなり神の国を作りなさい。 私の後継者はあなただ!』 と諭しているのです。 イエスを心から慕いながら 『こんなに心の弱い私にはとても無理です・・・』 と尻込みするペテロの声が聞こえてくるような絵です。
 そしてペテロは十二使徒のリーダーとなり、必死の布教に身を捧げていきます。
   ローマのサンピエトロ寺院は、ペテロの墓の上に建てられており、その名誉ある初代法皇は聖ペテロ(セントピエトロ)が叙されています。

6.キリストと重なる 松陰の生涯
  ところで、NHK大河ドラマ 『花燃ゆ』 吉田松陰の最期が、 イエスの受難・復活とダブって見えたのは私だけでしょうか?
  『一粒の麦が地に落ちて死ねば、また新たに芽を出し 無数の実をつける 』 のイエスの言葉通り、松陰の死により松下村塾の若者達が目覚め、松陰の意思を継いで、権力を恐れぬ決死の行動を開始する姿は、まるでイエスの復活で十二使徒が目覚め、殉教を恐れない真の布教活動を開始する姿そのものです。 
 また神童・天才と注目を浴びながら、世の中から受け入れられず早逝する過酷な運命の我が子の為に何もできず、ただ祈るしかない母や家族の苦しみや悲しみに胸を打たれました。 松陰最後の歌は、その親子の情愛を余すところなく表現しています。
   “親思う 心に勝る 親心  けふのおとずれ 何ときくらむ”   
『花燃ゆ』 は、 あまりにシリアスなドラマの為か、大河ドラマとしては史上最低の視聴率だという事ですが、私達にとって大事な問いかけ “あなたの志は何ですか?” を考えさせられる素晴らしい歴史ドラマなので、是非このままの路線を貫いてほしいと思います。  
(参照) 

若者への応援歌: 2. 牢獄でも勉強した男 (吉田松陰)

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