2026年10月15日木曜日

16. 「北の霊年」:血汗涙の北海道開拓史

  私達が北海道に感動するのは、零下20~30度になる厳しい冬、ヒグマが出没する深い原生林に覆われた不毛の大地・・それを僅か3~4代前の明治期の先人達が木々を伐採し、根を掘り耕し、土壌を作り、コミュニティを築いて、今日の美しい豊かな北海道にしてきた血の滲む努力を垣間見るからです。まさに『美しい日本は、祖先が山林を切拓き、田畑を耕し、産業を興し、地域社会と精神文化を育み、時には命をかけて守って下さった長く尊い歴史の国』です。 

私達現代人の役割・使命は、その尊い先祖に感謝し、これから生まれてくる未来を担う子供たちの為に更に発展させていくことです。静内の広大な牧場に立ち『北の零年』を思う時、このことをしみじみと実感し感謝の念を抱きます。

その大事な北海道の大地が、いとも簡単に中国資本に売り渡されていく現実に限りない危機感を覚えます。あの不毛の静内原野を開拓していった明治初期の人々の苦労は、恐らく十勝平野・富良野・美瑛・真狩等も同じです。開拓者の方々の血と涙と汗で築いた並々ならぬ努力の結晶です。

それがいま、農業・酪農の後継者がなく、固定資産税が払えず中国資本に二束三文で売り渡されていく。これは中国新法で有事には中国の反乱拠点になります。微々たる固定資産税収の為に中国人に売り渡し、安全保障の脅威を内包・放置してきたわけです。それが鮮明になった今、これからは国が買い上げて国有地とし、半導体工場やAIデーターセンター建設、その膨大な電力供給源としての新型原発建設、その他の戦略的工場建設地とするのが日本の為に最善です。。そして決定打は『新副首都は札幌に決める!』です。北海道は広大な土地が安価に手に入り日本再生の起爆剤に最適です! 他の3候補地(福岡・大阪・名古屋)はすでに産業・行政が発展しており、副首都建設の恩恵を受けると第2の東京型集中都市の再来で、もう一つの目的「地方経済発展の起爆剤」にはなりません。

安全保障の面でも凶悪な中露朝の三国に睨みを利かす絶好の地で、古くから強力な陸上自衛隊第7師団が守り、万一に備えて日々訓練・鍛錬を積まれています。

心ある方は、高市首相にそのことを強く訴えましょう!

1. 『日本一の桜並木』(幅36m 長さ7km)
 明治の開拓住民が、付近の山から一本ずつ掘り起こした『蝦夷彼岸桜』をメイン通両側に植えていったものです。

7kmも続く桜並木は日本一の規模の桜並木で『20間道路』と名付けられ、静内住民の方々の誇りです。この桜並木の両側には、明治初頭(北の零年)に、この地に家臣団546名が入植し開拓した牧場が、やがて官営となり更に発展した広大な牧場が広がっています。
 私は北海道勤務の3年間、5月の花見の季節になると、必ず家内と訪れましたが、苫小牧の友人・知人達は『知っているけど行ったことはない』という無粋な者が多く、誠に勿体ないと慨嘆したものでした。(こういうところが、大事な北海道の国土の静岡県と同面積を中国人に買い占められている現状を生んでいるのかもしれません。)

2.    『静内牧場』と『日本一の桜並木=20間道路』(中段上の横一列の桜並木)

明治以降の開拓住民が、付近の山から一本ずつ掘り起こした『蝦夷彼岸桜』をメイン通両側に植えていったもので、7kmも続く桜並木は静内住民の方々の誇りです。

3.    『凌雲閣』: 戦前の迎賓館

明治中期、当牧場は御料牧場として宮中御料馬の生産、北海道産馬の改良の本務の他、日露戦役中には陸軍の軍馬を拠出していました。したがって皇族や高位高官の訪問が多く『凌雲閣』は貴賓の迎賓館として建てられました。翌年に韓国皇太子李艮殿下御臨場が予定された事が、この客舎の実現に拍車をかけました。

この目的から格式が建物の各部各所で取入れられ、高雅な二層の御殿造りとなっています。当時如何に重要であったかは 「凌雲閣」(りょううんかく)という命名に十分想像ができます。その後、数多くの名士高官が訪れ、特に大正・昭和天皇陛下が皇太子のときに行啓されました。宮中から遠く離れた牧場としてはまことに稀な事と言えるでしょう。

4.    『日本一の桜並木=20間道路』の最奥部

明治の開拓住民が、付近の山から一本ずつ掘り起こした『蝦夷彼岸桜』をメイン道路両側に植えていったものです。7kmも続く桜並木は『日本一の規模の桜並木』で、静内住民の方々の誇りです。

5.    『ゆったりと自由に育つ静内の馬たち」

この馬たちを眺めていると『せわしない人間よりも、静内の馬たちの方が、落ち着いた幸せな日々を送っている!』と痛感します。

「ふたたび現代の静内の牧場」 明治の開拓者の血の滲む苦労の結果、このように広大な『馬たちの楽園』に生まれ変わっています。

6.   新冠のハイセイコー

この静内の途中にある新冠町もまた競走馬の牧場が広がります。名馬ハイセイコーやオグリキャップもここで育ちました。また98万枚のレコードが収拾されている世界一のレコード館もぜひ訪れたい場所です。デジタル音源では味わえない柔らかな奥行きのあるレコード録音に時間を忘れてしまいます。一日過ごしても飽きないレコード館です。玄関前のハイセイコー銅像が迎えてくれます。

7-1 『北の零年』:2005年封切の映画

 明治3年5月13日に起こった淡路島:庚午事変に絡む処分により、明治政府により淡路島から北海道静内へ移住を命じられた稲田家と家臣の人々の苦労の物語です。

 元々は不毛の北海道を切り開いていったのは、明治2年、明治政府により創設された開拓使の政策により、諸藩や団体・個人による北海道開拓が始まりです。その中でも最も有名なのは、ここ新ひだか町静内への移住で、明治維新前後の徳島藩本家(佐幕)と淡路洲本城代家老であった稲田家家臣団(勤王)や、日蓮宗本門仏立講の渡辺伊平を団体とする兵庫団体の移住がきっかけです。
 維新で功績のあった洲本城代家老稲田家は、本家徳島藩と内乱(庚午事変・稲田騒動)となりました。明治新政府は稲田家の功績から、明治3年10月に北海道静内郡及び色丹島を賜り、開拓を命じ家臣団546名が先遣隊として派遣されました。・・ところが翌年『廃藩置県』この稲田家所領は没収、官有地とされ家臣団は荒野に放置されることになりました。食を失った武士、重課税に苦しむ農民たちの労苦は想像を絶する状況だったことでしょう。
 映画『北の零年』は、この稲田家家臣団(勤王)546人の移住と苦闘の史実を題材にしたものです。
小松原志乃:吉永小百合(主演)
小松原英明:渡辺謙(札幌に向かい行方不明)
アシカリ :豊川悦司(志乃を助ける謎の男)

7-2. 『淡路島から北海道に上陸した稲田家臣団』

 明治3年。庚午事変により、明治政府から北海道移住を命ぜられた淡路の稲田家主従546名。半月に及ぶ船旅の末、静内へと上陸した先遣隊は、家老・堀部賀兵衛と家臣・小松原英明(高橋)を中心に、未開の地に自分たちの国を作るべく理想と希望に燃えていました。

7-3. 『極寒の中で、英明を信じて待つ志乃・多恵』

未開の地に自分たちの国を作るべく理想と希望に燃えていた彼らの前に、様々な困難が立ちはだかります。稲はなかなか育たず、第二次移住団を乗せた船は難破、更に翌年の廃藩置県によって彼らの土地が明治政府の管轄となってしまいました。絶望の中、英明たちは自ら髷を落とし、新政府には頼らない道を選択。そして、英明は妻・志乃と娘・多恵を残し、静内でも育つ稲を求めて札幌の農園へと旅立ちました。

 しかし半年以上が経っても英明は帰らず、人々は深刻な食糧不足に見舞われます。「英明は我々を見捨てた」という風当たりは冷たい・・しかし夫を信じる彼女は、アイヌと共に暮らす謎の男・アシリカや牧畜指導者のダンらに助けられ、危機を乗り越えていきます・・

7-4 映画のワンシーン『集会所』

 厳冬期、薬売りの倉蔵(香川照之)が物資を運んで来た時の様子です。会所前に物資が積まれ、村人は生活必需品を買い求めています。倉蔵は、元稲田家の家臣でしたが、詐欺紛いの手法で荒金を稼ぎ、密かに憧れていた志乃に『お前の旦那は札幌で金持の娘と結婚して裕福に暮らしている』と伝え、「英明は忘れて俺と一緒になれ!」と迫っていきます。

7-5. 『謎の男:アシカリ』

 彼は元会津藩士。函館戦争で戦って生き残り、官軍の追っ手を避けながら、「慣れない静内の地で必死に暮らす志乃親子」を見守りながら、アイヌとしてひっそりと暮らしていました。
 そんなある日、英明が開拓使の役人として日露戦争の為の馬徴用にやって来ます。5年前、札幌に辿り着いたものの病に倒れた彼は、命を救ってくれた有力者の娘と再婚し、今は三原と名乗って新しい生活を送っていました。・・動揺を禁じえない志乃は、英明の立場を思い、ようやく軌道に乗ってきた牧場の馬を差し出す決意をします。
 ・・とその時、人々が英明の行く手を阻み、箱館戦争の残党であったアシリカこと高津政之が馬を放ちました。折しも、イナゴの大群の襲来で稲が全滅。この上、馬を召し上げられては生きる術を失ってしまいます。農民たちの命懸けの抵抗です。その気迫に押された英明は撤退を余儀なくされ、志乃たちは再び希望を胸に自分たちの国作りに挑むのでした。

7-6. 『映画のロケ地となった『夕張市鹿島地区』

 夕張市はかつて大夕張と呼ばれた炭鉱の街です。最盛期の昭和30年代には、12万人近くまで増えた人口も炭鉱閉山後は急速に過疎化が進み、現在6千人弱です。
 その後、鹿島地区は夕張シューパロダムの建設で湖底に沈むことが決まり、最後まで残っていた住民約350人も平成10年にこの地を去り無人の原野となり、映画はその時期にここをロケ地として作られました。夕張シューパロダムは、20年以上の歳月をかけて2015年に完成。鹿島地区は既に新ダムの建設で面積が拡大したシューパロ湖に沈んでいます。

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