2026年9月25日金曜日

16. 駒ヶ岳山体崩壊が生んだ大沼の絶景

 「魅力の北海道」のアンケートで必ずベスト3に入るのが「大沼公園」です。特に若い女性に大人気です。

 「大沼公園」は、1,700m程度の富士山型成層火山だった駒ヶ岳が、約400年前に大噴火し 山体崩壊によって生まれた、大小の湖沼と126の小島が織りなす道南随一の絶景です。もとの成層火山の一部は、現在の山頂部に剣ケ峯1,131m、砂原岳1.113mだけが露出して残っていますが、他のほとんどは、その後に噴出した火砕流や降下火砕物によって覆われています。山頂部には馬蹄形火口がありますが、火砕物によって埋められており、そのなかに昭和4年の噴火時の円形火口と、昭和17年の噴火時のひび割れがあります。

 標高1,131mの優雅な駒ヶ岳を背景に、大沼、小沼、じゅんさい沼の3つの湖が広がります。1958年に国定公園に指定されたこの地は、古くから「湖の松島」と称される箱庭のような風景が特徴です。春には湿地に水芭蕉が白く咲き誇り、夏には湖面を彩る黄色いネムロコウホネの可憐な姿が印象的です。

1.紅葉が始まった初秋の頃の大沼と駒ケ岳

 真っ赤に染まった下界を、大きな駒ケ岳が慈しむように抱きかかえている・・そう思わせる素晴らしい絶景です。何回訪れても、その日だけでも色々と表情を変え、見飽きることがありません。こういう素晴らしい絶景がある日本に感謝です。

2. 大沼公園の紅葉と、夕日に染まる駒ケ岳

 この駒が岳の右側(東側)に、山体崩壊の大半は流れ下り、その時の噴出物で川がせき止められ、大沼・小沼が形成されました。

3. 東側の駒が岳

 駒ケ岳は、大沼側だけでなく東側に回らないと、その生成の凄まじさが分かりません。「優美な駒ケ岳」のイメージが吹き飛びます。そこには、400年経過しても草木一本育たない山体崩壊の凄まじさが生々しく残っています。かって富士山のような均整の取れた成層火山だった駒ケ岳が、1640年の大噴火・山体崩壊で大半が吹き飛び、まるで巨大な滝のように東側に流れ下った様子がわかります。 南側から見る大沼・駒が岳の優美な姿とは全く異なる、恐怖の光景です。

4. 駒が岳は元々富士山型の成層火山

 しかし1640年の大噴火で大規模な山体崩壊が発生、南と東に火山体が崩れ落ちました。南山麓では低地を埋めて大沼や小沼とそれ等の中に点在する島々ができました。また東に崩れ落ちた山体は内浦湾に達して10mを超える大津波となり、噴火湾(内浦湾)沿岸の700人が犠牲となりました。

 この噴火で山頂部には馬蹄形カルデラと呼ばれる凹地ができました。しかしその後の3回の軽石噴火によって凹地はほとんど埋められ、現在は直径約2kmの火口原となり、かろうじて凹地の上部だけが砂原岳などとして残っています。

5. 上空からの駒ヶ岳

この角度の航空写真で見ると山体崩壊の規模の大きさが分かります。噴火湾で10mの津波が発生しましたが、崩壊の正面=出間潤先の沖合ではもっと大きな津波となったに違いありませんが、山体崩壊の方向が太平洋で、対岸がなかったことがまだ幸いでした。

6. 400年前の大噴火


1640年(寛永17年) の噴火は、7月31日に発生した二つの山体崩壊と、それに続く3日間のプリニー式噴火に代表される大噴火です。まずマグマが深部より上昇・貫入。これにより山体が膨張・変形し、南斜面で山体崩壊が発生。この崩壊による岩屑なだれによって折戸川をせき止め大沼・小沼が形成されました。 続いて東斜面で山体崩壊が発生。岩屑なだれにより出来澗崎が形成され、土砂はそのまま内浦湾へ流れ込み大津波が発生、700名あまりが犠牲となりました。

1640年の駒が岳山体崩壊の様子を分かりやすく図示したものです。

7. 駒ヶ岳のジオラマ


このジオラマで、手前の東側に山体崩壊した凄まじさが分かります。山頂の深いくぼみは、昭和4年大噴火した時の火口です。

8. 昭和4年の大噴火

住民は早めに避難したため、人的被害は殆どありませんでした。

9. 九州雲仙岳 眉山の山体崩壊

1792年雲仙眉山で起きた山体崩壊では、有明海の対岸に5m以上の津波が押し寄せ、川をさかのぼって20mにもなりました。熊本側で10,000万人、島原側で5000人の合計15,000人の犠牲者が出、国内最大の火山被害となりました。この大災害は『島原大変肥後迷惑』と名付けられ人々の記憶に残っています。

10. 最も山体崩壊が懸念される富士山


溶岩・火山灰が3,776mも降り積もった成層火山の富士山は、最も山体崩壊しやすいと言えます。実際、富士山は2900年前に大規模な山体崩壊が起きています。

「閑話休題」

私の30歳代は、人事部3年、兵庫電計課2年、国家プロジェクト2年(超重質油分解装置建設PJ)を経て、30代最後は出光エンジニアリング(株)で電気・計装設計担当となり、その最初の仕事が大分県滝上地熱発電所の計装設計でした。(誠に目まぐるしく一貫性のない人事異動でした💦)

昭和50年代の地熱発電開発は、「中東紛争・石油危機で自前のエネルギー開発が急務=政府肝いり事業」で、当初計画では「地熱開発から発電までを出光が事業化し九州電力に売電する」という計画で、九州電力も合意していました。ところが「のど元過ぎれば国策忘れる」で、中東情勢が安定すると再び安価な中東原油一択の火力発電が復活した為、エネルギー多様化は反故同然となりました。そして九州電力は「電気事業法に基づき、発電は電力会社に権利がある」と、手のひら返しで発電事業手に入れました。その結果出光は苦労して探査・開発した地熱の蒸気のみの供給会社となり、約3万kwhの発電事業は九州電力のものとなりました。

それは建設終盤段階の話で、私が関与するようになった初期段階では、皆初めての経験で暗中模索でした。そこで計画・設計を担当する4名で当時最新鋭の「北海道電力(株)の森地熱発電所」の見学調査に出かけました。森発電所は火山のカルデラ盆地に設置された世界的にも類を見ない地熱発電所です。発電した後の余熱で大規模ビニールハウス農業を行う画期的な地熱発電所です。しかしここでも、美味しい発電事業は北海道電力で、手間のかかる地熱開発&供給は「日本重化学工業(株)⇒道南地熱エネルギー(株)」でした。(その話はまた別途とします)

その調査旅行の函館空港から森発電所に向かう途中に心を奪われたのは、優美な駒ヶ岳と美しい「大沼公園」でした。40年前に深く感動すると共に、疑問に思ったのは、「どうやってこの美しい景色が生まれたのだろう? 優美な駒ケ岳に不似合いな、あの鋭い“剣が峰”はどうしてできたのか?」と不思議でした。その後20年を経て苫小牧勤務となり、何回も大沼公園を訪れ、地元の図書館などを訪れて、段々駒ヶ岳の凄まじい火山噴火歴史の理解が進みました。 

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