2025年6月3日火曜日

3. 吉垣克己先生の純粋一途な生涯

 中学・高校時代は、瑞々しい感性や将来の夢を育くむ重要な時期です。
 多くの著名人は、この時期に決意した思い・夢に向かって努力を傾注して偉大な仕事を成し遂げていきます。 また多くの人が、著名人の自伝や青春記などを読んで刺激を受け、自分の夢・将来像を固めていきます。したがって古今東西の文豪の名作に触れる国語教育は、人間形成の上でとても重要な教科です。
 しかし現代日本の受験勉強主体の高校教育、特に国語や歴史教育は、その重要な役割を果たしているでしょうか・・・50数年前の私の高校時代を思い返しても、何とも無味乾燥で面白くもなく、その後の人生には殆ど役に立たない無駄な時間だったような気がします。
 そういう中で、高校3年の古文の 吉垣克己先生』 だけは、何故か今も心に残る素晴らしい先生でした。 その思い出をブログ掲載しましたが、何と不思議なことに、その後1か月間にインターネットで 『吉垣克己』 と検索した方が二人もいて、ご両名からメールが届きました。

 その一人は、吉垣克己先生の三男(元高校国語教師の吉垣滋先生)の娘さんです。なんと克己先生と滋先生の親子が高校国語教師だったわけです。 克己先生は40年前に(享年73歳)、滋先生は2年前(享年72歳)ご逝去されました。孫娘さんは、2年前に滋先生と祖父の克己先生の膨大な蔵書等を整理され、最近何気なくネットで調べて私のブログがヒットしたらしいのです。

 もう一人は、文学好きな現役都立高校生です。古本屋で『新訳 詩抄(著者 土岐善麿)』を買ったところ、「昭和四十六年 吉垣克己」とサインがあり「一体どんな方だろう」とネット検索して私のブログがヒットしたということです。今は知る人も少ない「土岐善麿」という明治~昭和の日本文学大家の著書を買い求める現役高校生がいることに心底驚きました。恐らく2年前に吉垣先生の孫娘さん達が処分された 祖父・父親の蔵書の中の『新訳 詩抄』が東京の古本屋の店頭で売られていたのでしょう。吉垣克己先生のお陰で 多感な文学青年との交流ができた訳です。
このお二人との出会いは、吉垣克己先生が40年を超えて引合わせて頂いたご縁! と心から感動を覚えています。

 吉垣先生の孫娘さんからは、祖父の克己先生が古希を記念して出版された珠玉の 『童謡集』 と、父親 滋先生の自伝的名作 『カラスなぜ鳴くの』 を送って頂きました。素晴らしい内容なので、皆さんにも是非お知らせしたいと紹介するものです。

1.『童謡集』 (吉垣克己:作)  
表紙・挿絵は ご長男:一郎さんの作品です

「時計の中」
小さな銀の うで時計     
お耳にあてて 聞いてみりゃ

時計の中は いい日より    
誰かが かけっこやっている

とても元気な ユニフォウム    
チクタク チクタク 駈けている
   
 
「花」
ばらはきれいな お姉さま    
赤いリボンで 結びましょう

ゆりはやさしい お母さま      
銀の花瓶に さしましょう

ボンボンダリアは 赤ちゃんよ 
かわいい顔です 見てごらん


「天使」
子供がひとり 死にました     
かあさんと別れて 行きました

けれども天使が 下りてきて   
子供をやさしく 抱きました

 よい子よ泣かずに いらっしゃい
 きれいな花の 天国に

 かわいいスミレの 花束も     
 一緒に抱いて 行きましょう

 天使と子供は 夕ぐれの      
 光の中を 飛びました

「お爺さま」
お爺さまは 石が好き    
じっと見てます 窓の中
「石はいつでも 美しい」  
雨にぬれてる 庭の石

お爺さまは 本がすき    
きちんとすわって 読まれます
「百年昔の 本ですよ」   
虫のつづった 古い本

お爺さまは お茶がすき    
お茶をのみます えんがわで
 「うちの番茶も いい香り」  
大きな湯呑みに 梅の花
   
「夏」
夏は何処からやってくる
金魚屋さんのかついでる  
金魚金魚についてくる

夏は何処からやってくる
冷しい風を吹きたてて       
郊外電車にのってやってくる 

夏は何処からやってくる
「いい天気ですね」と 日曜日  
中野のおばさんといっしょに来る
   
「はなの 名」
いちばんはじめに はなのなを     
かんがえたひとは だれでしょう
それは やさしいおじいさんか   
それは きれいなおばあさんか

あなたのなまえは チューリップ  
あなたの名前は パンジーよ
バラに アネモネ ヒヤシンス   
カーネーションに スイトピー

かわいいなまえを 一つずつ    
だれかがはなに なまえをつけました
   
「きつね」
むかしのきつねは ばけました   
かたなをさした おさむらい 
きれいなふりそで おひめさま   
ぎょうれつつくって およめい
ちらちらちらつく ひでりあめ
     
いまのきつねは ばけません    
どうぶつえんの おりのなか
こどもがわいわい さわいでも    
おひるねしていて いいきもち
おひるのサイレン なっている
   
2.『童謡集』 あとがき (吉垣克己先生の生涯童謡作家の系譜)
(10代) 
16歳の頃、詩人の野口雨情氏が延岡で講演され面会することができた。 
声楽家の権藤円立氏の御宅であった。有名な民謡、童謡詩人であられた雨情氏にお目にかかって、直接お話を聴かせていただいたということは、子供ながらに大変うれしかった。そこには作曲家の藤井清水氏もおられた。この頃が私が童謡を作り始めた出発点であった。
その後、九州新聞の新年文芸に応募した私の童謡が、野口雨情氏や西条八十先生の選で入選し,西条先生からは大いに褒められて、少年らしい誇りを感じたものである。
そのころ雑誌の 『赤い鳥』 『童話』 などを愛読していた。赤い鳥に発表される北原白秋氏の童謡は、真先に楽しんで読んだ。
興田準一氏、巽聖歌氏らは、その頃の赤い鳥の優れた投書家であった。あの頃の赤い鳥には、郷愁のような懐かしさを感じる。雑誌 『童話』 の方には、西条先生と、島木赤彦氏が、毎月童謡を発表しておられた。投書家として良い作品を出していた人に、島田忠夫氏、金子みすゞ氏、佐藤よしみ氏などがあって、私はそれらの人の影響も受けた。
(20代)
早稲田に在学していたころ、早稲田の教授であられた西条八十先生の御宅に初めてお伺いした。柏木の御宅の二階の書斎で、先生は詩の話を色々として下さった。若くして亡くなった金子みすゞさんなどの話もあって、先生は金子さんの遺作のノートを見せてくださった。先生はどこか少女のような感じのする方であるとも思った。 少年の日からの憧憬であった先生にお目にかかったあの日の感激は、忘れることができない。その時書いていただいた一枚の詩の色紙は、いまも私の手元にある。そのころ私は、雑誌 『コドモノクニ』 に童謡を発表した。また 『童話文学』 に毎号童謡を発表した。酒井朝彦氏、千葉省三氏、水谷まさる氏等が主宰していた雑誌である。
(30代)
女学校・中学校の教師をしていて、童謡を書いていたが、スランプの時もあった。私は召集されて戦地に行った。戦火の中に火炎木の真っ赤な花が燃えるように咲いているフィリピンの島であった。
(40代)
類型的な過去の物を捨て、新しい現代のものになっている作品を書きたいと思った。子供の日常語を自由律に生かすことの難しさを思った。そして雑誌 『コドモペン』 に投稿した。
(古希を迎えて)
追憶の筆をとれば、まことに感慨深いものがある。
私は今、古希の年に達した。50年の流れにある作品の中からいくつかを拾って、ささやかな童話集を作ることにした。(昭和51年2月1日発行:非売品)

3.「カラスなぜ鳴くの」 (吉垣 滋:作) あらすじ
この小説の主人公は現在 病院長で、高校生の頃は、国語だけが苦手だった秀才:睦朗(むつろう)少年です。 高校国語教師をされていた滋先生の実体験に基づく、2人の国語苦手な医学部志望生徒の個人指導記録小説です。
「苦手な国語を何とかしないと医学部入試に合格できない」 と心配する母親から紹介された国語の烏丸滋先生に弟子入りする羽目に・・そして先生の自宅で個人指導を受けることになります。この滋先生が何ともユニークな先生でした。
滋先生は、 『まず国語の何が苦手だったのか? どうやって理解していくのか? 納得していくのか? ポイントは何か?』 と徹底分析・・・最初はただ言われるだけでしたが、段々楽しく、国語をどんどん好きになって成績もあがり、やがて全国模試で国語全国一になります・・・
そして念願の医学部に合格し お医者さまに、そして今は病院々長に。滋先生が一番信頼するかかりつけ医者になりました。 
高校生・大学受験生で国語の苦手な人は、是非Kindle版でご購読をお勧めします。とても面白くて役に立つ本です。)

 終章で、40年の国語教師生活で感じられた危惧が示されています。

国語テロによる日本語破壊がすすんでいる。
文部科学省を始めとして、有名大学や自治体・報道機関各局等へ、密に送り込まれたテロリストたちは、古文・漢文を消し去り、思考力を停止させるセンターテスト現代文のクイズ・ゲーム化で、ほぼ目的を達した。
♠母国語を軽視し、第二言語に流される日本の風潮を悲しく思う。ことごとく日本色を消し去る日本語教育の愚かしさを警告したい。日本人の多くが、無批判、無自覚の他者追随型の生き方を選択しており、日本人みずからが自国文化を滅ぼす道を歩いている。 この流れは簡単には改まらない。だからテスト・ゲームの国語とは別に、「文芸教科省」を設置し、芸術教科を音楽・美術・書道・文芸とし、感性教育講座を設置すべきだ。

この「カラスなぜ鳴くの」は、平成19年に滋先生が自費出版され、平成31年春、電子書籍化される矢先に逝去されたそうです。 心よりご冥福をお祈りいたします。(合掌)

3. 心の交流が最も重要(橋本さん)

 尊敬する橋本さんは、『一生感動、溌溂人生の達人』 です。
 昭和17年に宮崎県北諸県郡高崎町(当時)に生まれ、高崎中学と泉が丘高校では同級生の南園さん(元日東紡績社長、会長)と共にダントツの秀才。横浜国大の空手部創設者。卒業後は安田信託銀行入社、ロンドン勤務などを経て人事部次長、本社部長、横浜支店長など重責を歴任、退職された後も多方面で活躍され、現在関東地区の宮崎県人会副会長(都城会会長)として長く県人親睦に尽力されてきたリーダーです。
 また若い頃から文学青年で、随筆・小説・論文・俳句・川柳etc. と、幅広い文筆活動もされています。今回は橋本さんの作品の中から、私達に『明るく、力強く、思いやり深く生きよう!』 と力を与えてくれる、川柳と若き頃のエッセイを紹介します。 

1.ウイットに富んだ名川柳
退職後、ご自身の趣味の俳句では何回も芭蕉賞を受賞されています。また川柳が秀逸です。今回はその橋本さん傑作川柳から私の好きな数作品を紹介します。「我が家と一緒だ!」と思わずニンマリです。

可愛い孫をテーマに
 ・なまはげは どんなハゲかと 孫がきく
 ・節分を セップンと読む孫娘
 ・孫が言う 「かしこ」さんから ハガキきた
 ・孫来ると バアバ優しく 変身す
   ・世辞言わぬ 孫に真実教えられ
 ・内情を リアルに暴露 おままごと
 ・スマホ持ち 親も駆け出す 徒競走
➁退職後逆転した妻との力関係
 ・アナタッと 呼ばれた時は 身構える
 ・助手席のカカナビ いつも命令す
 ・傍目には 夫婦円満 俺が耐え
  (妻返句)耐えてきた そういうあなたに
        耐えてきた
 ・天高く 馬より先に 妻が肥え
 
・夫婦岩 大きい方が 妻のはず
 ・不用品 亭主以外は ありません
➂老いたる悲しさ
 ・立ち上がり 用を忘れて 散歩する
 ・耳遠く 小便近く 口達者
 ・マドンナの しわを見つめる クラス会
 ・美人の湯 個人差ありと 書くべきよ
 ・髪の毛の 量で決めてよ 理髪代
 ・花よりも 酒を供えよ 俺の墓
④俳句入賞作(橋本世紀男さん句集「四季彩」2024年2月11日発刊より) 
 ・路地裏に 光集める 黄水仙
 ・駅ごとに 河津桜の 迎えあり
 ・病む人に 頼まれ求む さくら餅
 ・蛍舞う 恋の音符を 紡ぎつつ

2.著書 『21世紀の出立』(近代文芸社1997年)より
 橋本さんの退職を記念して「社内報投稿などの随筆等を纏めて本にして欲しい」と会社から要請され、1997年21世紀への出立』は出版されました。
高校時代から、若手銀行マン時代、中堅・重役へ・・と、橋本さんの瑞々しい感性、社会への鋭く暖かい視線と、将来への警句・・出版から20年以上経過した今でも、私達に新鮮な感動を与えてくれます。その中から若い20歳代の頃の作品をご紹介します。

(1). 小さな出来事
  乗り合いバスが国鉄千葉駅前を左折した後、乗客の間からざわめきが沸き起こった。バスが駅前の停留所に泊まらず通過してしまったのである。東京方面へ通勤する乗客が多いので、この便の乗客の殆どは国鉄千葉駅前で下車する。
「どうして停車しないのか?」乗客の質問に運転手は平然として答えた。
「だって誰も停車ボタンを押さなかったじゃないか」
運転手の態度に興奮した乗客は口々に叫んだ。
「ボタンを押さなくても駅前で殆どの乗客が下りる位わかるだろ?」
「今迄の運転手さんはボタン押さなくてもちゃんと止まったぞ!」
「今日の運航は時間よりずいぶん早いじゃないか。時間待ちしなくてよいのか」
「バス会社に電話して文句いってやるからな」
私達乗客は一つ先の停留所でバスを降り、他の乗客と共にぶつぶつと不満を述べながら国鉄千葉駅まで引き返した。その朝、私は色々なことを考えさせられた。
「次は国鉄千葉駅前です。お降りの方はボタンを押してお知らせ下さい」という社内放送があったのだから、理屈の上では運転手には何ら落ち度はない。ボタンを押さなかった乗客が悪かったといえよう。しかし、今まではボタンで合図しなくてもちゃんと止まっていた・・そこになんとなく割り切れないものを感じ、乗客は不愉快になったのである。
ともあれ、このちょっとしたハプニングにより、運転手を含めて大勢の人間が早朝から不愉快になったのは間違いない。翌朝から、私は必ずボタンを押すことにしている。

(2). もうひとつの出来事
 私の大学生時代の出来事である。
 某大国が核実験をして2,3日後の夕方のことである。午後になり思いがけなく雨が降り出したために、傘の用意のない人が多かった。私はすぐ前を歩いている男子高校生に、「一緒にどうぞ」と傘を勧めた。
 無言でいるのも気まずいので、歩きながら私は高校生に話しかけた。
「先日の核実験で、今日の雨にはきっと放射能が含まれている筈だね。」
「・・・・・・・・・」
「核実験は是非ともやめて欲しいね」
「・・・・・・・・・」
 私が何を語りかけても、彼は全然返事をしないのである。私は何か彼の気に障るようなことを言ったのだろうか。私は妙に落ち着かない気持ちになると同時に、無作法な高校生に対して無性に腹が立ってきた。私よりは背の高い彼の為に、自分一人の時よりは高めに傘を持ちあげている私の右手が、急にだるくなってくるのを覚えた。 私は腹立たしい気分になり口をつぐんだ。
 しばらく歩いて四つ角に来た時、その高校生が突然、
「アワワワワ」と、奇妙な声をあげて走り去っていった。私は一瞬びっくりしたが、少し経ってから、彼が言葉が不自由だったことに気づいた。
 自分の家の近くにきて、言葉の不自由な彼が必死の想いで私にお礼の言葉を述べたのである。・・言葉にならないお礼の言葉を! 私の語り掛けにずっと黙っていなければならなかった彼は、どんなにつらかっただろう。彼にとっては、いっそ雨に打たれて一人で歩いていた方がよっぽど楽だったことだろう。
「アワワワワ」という奇声は、なんという素晴らしいコミュニケーションであったことか。この短い言葉によって、私は彼に詫びたい気持ちでいっぱいになったのである。
 あの高校生は、社会人になって今どうしているだろうか。言葉にならないお礼の言葉を、勇気を出して大声で言ってくれた彼のことだから、きっと人生の苦難にも真正面からぶつかって頑張っているに違いない。

 二つの小さな出来事・・・バスの運転手と言葉の不自由な高校生は、コミュニケーションには何が最も重要であるかを私に教えてくれた。
 人と人との触れあいに最も重要なのは『心』であることを・・

(3). 教育について
 最近、心のいびつな人間が増えている。学校の成績の優秀な人間に、心のゆがんだ人が多くみられる傾向があるのは困ったことである。心の欠陥については、体の欠陥とは違って、本人には中々気づかないから、事は厄介である。
 いまや教育について真剣に考えるべき時期に来ている。我が国の高度成長は、美しい自然や人間精神の荒廃という、余りに大きな犠牲の上に支えられてきたのではないだろうか。断片的な知識を数多く暗記して、ペーパーテストで優秀な成績を上げえたとしても、心のかけている人間が一体何の役に立つだろうか?個性のない、思いやりのないエリートどもが、社会の各部門でリーダーになったとしたら、世の中はますますギスギスしてきて、「砂漠のような」人間関係しか残らなくなってしまうに違いない。
・・・(中略)湯川博士は次のように語っておられる。
「各自が考えて、自分で判断する。そのうえで行動する。という能力を養成していくことが、教育の一番大切な点だと言えます。 今の学習の在り方では、自分で考える習慣はどうもつきにくい。知的には受け身の人間を作ることにもなる。それでは、人のすることに右へ倣えしてやらせることになる。これはやはりなおさねばならない。」

2025年6月2日月曜日

4. 安倍晋三さんの世界観「米国議会演説」

                 令和4年(2022)月8

『不世出の世界のリーダー安倍元首相』が凶弾に倒れました。 誠に無念で悲しみに絶えません。「日本を愛し、命を懸けて日本再生に取組んでこられた安倍元首相」に殺意を抱く、ドス黒い心の闇を持つ者が日本に存在することを空恐ろしく思います。

 安倍さんは、戦後70年を経ても自虐史観から抜け出せない日本人に対し 『美しい国 日本!』 『日本を取り戻す!』 『戦後レジームからの脱却!』 の明確な方向性を示して力強く牽引してきました。また国際政治では『地球俯瞰外交』を展開し、ロシアや中国の世界秩序破壊・侵略・迫害に対して、安倍さんの自由主義世界リーダー復活、3度目の首相・復活期待』が大きくなっていました。そういう世界情勢にお構いなしの悪魔の蛮行で断じて許されず、本当に残念無念です。

 でも悲しんでばかりはおれません。安倍さんの示された日本人の使命を、今度は私たち一人一人が引継ぎ実行していく番です。安倍さんの67年間の人生・偉業を心に刻み、私達に出来ることを考え実践し、みんなで日本を更に素晴らしい日本にしていこうではありませんか!(合掌)

2015年米議会安倍首相演説 何回読んでも涙が止まりません。


 『安倍首相 米議会演説に感涙!』       20151日 

安倍首相による日本首相初の米上下院議会演説に深く感動しました。

演説は、150年に及ぶ両国友好の歴史と、先の大戦を乗越えて、自由と民主主義、国際法秩序による正義と平和を共通目的とした友邦国として、『未来志向の役割と責任』 を高らかに提唱したものでした。

2015年4月29日米国連邦議会での安倍首相のユーモア溢れる簡潔で力強い演説に、米議会500人以上が、拍手35回 スタンディングオベーション14回で共感を示し支持している様子が良く分かりました。 特に大きな拍手は次のフレーズでした。

◇先の大戦で失われた米国の人々の魂に、深い一礼と永遠の哀悼の意を捧げます。

◇戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に刻みました。自らの行いがアジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。

◇私達は、アジア太平洋の平和と安全の為、米国のリバランス(再均衡)戦略を徹頭徹尾支持します。

◇米国が世界に与える最良の資産は、昔も、今も、将来も、希望であり、希望でなくてはなりません。

 The finest asset the U.S. has to give the world was hope , is hope , will be hope , and must be hope.

 ◇希望の同盟、日米一緒であれば、きっとできる。

また議会での好感・共感に留まらず、マスコミや米国ネット等の一般市民の反応は、80%以上が好意的評価だったようです。 国際的に困難な局面の日本に、安倍首相という前向きで力強い素晴らしいリーダーを持った事を、日本国民の一人として感謝し、この上なく誇らしく思います。

  5月1日の産経新聞には、この議会演説に出席した各党幹部議員や傍聴した要人のコメントが掲載されており、安倍首相の演説が米国民の心をつかみ、歴史を直視し、その上で未来志向の関係を重視する姿勢が好意的に受け入れられ、内向きになっている米国をも鼓舞した様子が良く分かります。

 ◇バイデン副大統領(上院議長)・・・アジア諸国に共感を示した事に最も好感を持った。 韓国と中国との歴史問題に首相は日本側の責任を明確にした。非常に率直な演説であり理解されるだろう。

 ◇ベイナー下院議長・・首相が第二次世界大戦で命を落とした米国の英雄に賛辞を送った事に、心から感謝する。未来の世代が、今日という日を日米同盟の誇り高い歴史的な転機として振返る事を願う。

 ◇モンデール元駐日米大使・・・晴らしい演説だった。訪米全体が大成功であり、日米関係の強さが再確認された。Aプラス(最高評価)だ。

 ◇ガードナー上院外交委員会東アジア太平洋小委員長・・日米関係が決定的に重要な時期の歴史的な演説だ。日本との緊密な結びつきは、これまでになく重要。貿易、安保協力の拡大を通じて同盟をより強固にできる。

 ◇マケイン上院軍事委員・・日米が共有する歴史によって和解した事を知らしめる歴史的な演説だった。日本が積極的平和主義の国となり、新ガイドラインが日米同盟の力を強めていく事を歓迎している。

 ◇ローレンス元中将(硫黄島で戦った元海兵隊員)・・演説に深く感銘を受けた。首相が言うように、日本における米軍の存在が、長年にわたり極東の安定を保ってきた。日米関係はより強くなるだろう。

 安倍首相の演説は、多岐な問題に触れながら終始一貫していたのは、戦争の痛ましさと、戦いの中で命を失った多くの英霊たちへの、敵味方ない鎮魂の祈りと平和への誓いでした。 それが かって敵国だった米国の議員や米国民の心に響いたのだと思います。

安倍首相の演説の中で、特に心に残る話と理由を考えてみたいと思います。

1.「アメリカ民主主義と日本」

演説導入の『はじめに』 の後、まずこの話がありました。

首相の名字(abe) をリーンカーンの愛称 『エイブ』 になぞらえたジョークで、米国と日本人に最も人気の高いこの大統領を自らも敬愛している事を述べ、ゲティスバーグ演説の一節が、日本人に民主主義の基礎を教えていることを伝えています。米国民は 『ゲテイスバーグの言葉だけで、米国の歴史で最も悲惨だった南北戦争(米国人同士の戦いで60万人の戦死者。 第二次世界大戦では40万人)とその慰霊を想起するそうです。今回米議会に集まった議員たちはそれが慰霊の言葉と知っており、安倍首相は、明らかにゲティスバーグ演説を意識して演説を構成しています。  

そして演説全体で、『元々150年前から緊密な盟友の日米両国は、あの南北戦争の不幸を乗り越えた北軍・南軍のように、先の大戦の不幸な歴史を乗り越えて、重要な未来志向の同志・盟友として、より緊密に自由と民主主義を担い世界平和に貢献していこう!』と米国民に訴えかけているのです。なんと壮大で心を打つ高潔な志でしょう。

日本の公民の教科書では『人民の、人民による、人民の為の政治 (government of the people,  by the people, for the people)』 の一節が紹介され、この演説が民主主義の本質を表現していると教えられます。 

ゲティスバーグは、米国最大の悲劇であった南北戦争(1861-1865最激戦地で、実はリーンカーンの演説は両軍の戦死者への悲しみと苦痛と感謝を胸に、生き残った者達が、神のもとに自由で民主主義の国を築きあげていこう! と強い決意を誓った鎮魂・慰霊・追悼の演説です。米国では国の形に影響を与えた重要な文章になっています。どの国でも、戦争における戦没者の慰霊の論理が国を維持するために必要です。米国では、この演説の論理構成が死者と向き合うために繰り返され国民に浸透しています。その論理構成は次の通りとなっています。

   戦った人々の自己犠牲への顕彰。(敵への悪意は強調しない)
「この地は、自由と平等の国家を維持するために戦い命を落とした人々が、最後に安らかに眠る場所です。 勇敢な人々は、その生死を問わず、ここで奮闘し命を懸けたのです。 そのことに私達は何もさしはさむことは出来ない。 しかし、彼らがここで行ったことは決して忘れられることはありません」。

   死の意味の定義
「われわれ生きる者の使命とは、ここで戦った人々がこれまで気高く前進させた、この未完の仕事に身を捧げることなのです」

   未来への提言
「そして国民から構成され(consist of)、国民が運営し(operated by)、国民が利益を得る(gain for) 政治 を(世界初の民主主義体制である米国を)、この地上から消え去さらせないためなのです」

南北戦争後 150年を経ても、世界中で更に深刻で悲惨な戦争が繰り返されています。 果たして人類はその危機を乗り越えられるのか、世界中が深刻な不安を覚えています。 

ゲティスバーグ演説には、人類に一縷の希望を与える、大事な真理が示されています。リンカーンは南北戦争を「反乱」と規定し断固闘い抜きました。しかし彼の優しい個性もあり、敵を激しくは糾弾せず、常に和解を唱えました。その高潔な姿勢を余すところなく表現したゲティスバーグ演説は、今みても、本当に清々しいと感じます。その前も後も、戦争は相手を罵る醜いものばかりだからです。

2.『第二次大戦メモリアル』

安倍首相は、一部の米国議員  (&中国・韓国・国内野党)から 『タカ派、軍国主義者』 とレッテルを張られていますが、第二次世界大戦記念館を訪れた時の話で、これを払拭し、温かい心を持ったヒューマニストであることを示し、深い共感を得ました。

「私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。 親愛なる友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げ、とこしえの哀悼を捧げます」 

3.『昨日の敵は、今日の友』

 そして硫黄島で70年前に海兵隊大尉として戦った93才のローレンス・スノーデン海兵隊中将と、日本側の司令官であった栗林忠通陸軍大将の孫である新藤義孝衆議院議員が傍聴席で並んで演説に立会いました。そして全議員に紹介した上で握手を交わすという心にくい演出がありました。 安倍首相は『これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶのでしょう!』と称え、全議員のサプライズと圧倒的共感を得ました。硫黄島で戦没された両国兵士の魂が、きっと癒やされ、報われたと信じます。 

4.『未来への希望』

この結びの『トモダチ作戦』の話には、本当に胸を打たれ、目頭が熱くなり、何回も読み直しました。この話は、全日本国民が感じ、米国に感謝している歴史的事実です。全文を掲載します。

「高校生の頃、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。

    落ち込んだとき、困ったとき、 

    目を閉じて私を思ってください

私は行く あなたの元へ、   

例えそれが あなたにとって一番暗い 

そんな夜であっても  明るくするために 

2011年3月11日、日本に一番暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発事故が襲ったのです。そしてその時でした。米軍は未曾有の規模(2万人)で救難作戦を展開してくれました。本当に沢山の米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。 



私達には、かけがえのないトモダチがいました。被災した人々と一緒に涙を流してくれ、そして何物にも代えられない、大切なものを与えてくれました。それは希望です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望です。希望でなければなりません。

米国国民を代表する皆様、私達の同盟を『希望の同盟』と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっと遥かに良い場所にして行こうではありませんか。 “希望の同盟” 日米が一緒なら、きっとできます。 ありがとうございました。」

トモダチ作戦で日本に派遣された米軍は2万人。これは米国内でも最大規模の救援部隊だったそうです。まだ今ほど国交悪化していなかった中国からの派遣は、20名で2週間のみでした。一部の野党や経済人、マスコミは、経済関係規模が米国より大きくなった中国をもっと重視した演説にすべきだったと主張しますが、この一事からも、『日本が真に信頼でき、共に手を携えて未来を切り開いていく大事なトモダチは誰か?』は、敢えて言うまでもありません。

5.相変わらず、日本を貶める おかしな人々

さてここで気になるのが、相変わらず日本をおとしめる内外の人たちです。 このような素晴らしい演説を前にしても、パターン化した反応しかできない、感受性や知性がない愚かな人々や国は、まともに相手にしない方がよいと思います。

(1)  まず 4月30日版の朝日新聞の第1面の見出しが「侵略おわび文言なし」です。 普通に演説を読めば、この演説の中心テーマは「日米の希望の同盟」です。なぜ日本を無理におとしめるのでしょうか。

朝日新聞をはじめ、日本のメディア多くの記事は、ゲティスバーグ演説との関連や米国での「慰霊の作法」や、未来の話を取り上げず、相変わらず中国・韓国におもねった「おわび話」を取り上げました。一応インテリとされる日本のメディアの記者は、訪問先の米国史の教養がないとしか思えません。なぜ日本のメディアは、自国の政治リーダーの素晴らしく、意義深い発言を取り上げないのでしょうか。無理に「けなす」のではなく、良いことは「良い」となぜ、素直に評価できないのか本当に不思議です。 

(2)  そして中国、韓国の外務省は演説を反省がないと批判しています。なぜ日本の首相が米国議会までいって、彼らに謝罪しなければならないのか。 本当に余計なお世話で、外交的に無礼で、国際感覚が全く欠如している、と改めて痛感します。

 安倍元首相の米国議会演説は、下記 『外務省ホームページ』に全文掲載されていますので、未読の方は是非ご一読をお勧めします。 実に格調高い演説であり、是非中学・高校の国語・英語・歴史教科書の教材にして貰いたいものです。