今年は畏友 萩原君が旅立ち8年、先日 旧職場仲間7人で墓参しました。
萩原君は高度成長末期のS51年入社、先輩20人の職場で最年少状態が30年以上続きました。平成20年代になり世代交代で漸く新人が入社し始め、構造不況下の人件費削減のために10数名となった極めて困難な時代「この難しい状況のリーダーは萩原君しかいない!」 と、先輩達を率いる電気係長に抜擢されました。使命感が強く仕事熱心で人間的魅力にあふれ、甲府出身であることから、私は密かに 『現代の武田信玄!』 と尊敬していました。
その彼が平成28年(2016)11月5日、59歳の働き盛りに突然逝去しました。『何故?まだまだこれからの人生なのに!』 と本当に驚き残念でした。そして告別式の奥様の話で、改めて 『本当に偉大な男だった!』 と驚嘆しました。彼は末期がんで死期を悟り、死後に家族に迷惑のかからないよう 永眠するお寺と葬儀段取と樹木葬を決めて旅立ったのです! 何という見事な覚悟!何という夫婦愛・家族愛でしょう!
かっての同僚が毎年の墓参を申合わせ、今年は7名参加、1名は徳山から単身赴任の新城君です。『私達も潔く思いやり深い萩ちゃんのような人生を目指して頑張るよ!』と誓いながら、心づくしの花々でお墓を飾りました。
『萩ちゃん、今年も来たぞ』 いつもは寡黙で不愛想に見える田村君ですが、本当は優しい心暖かい後輩思いの男です。 職場仲間を大事にする思いは人一倍で、今年も50ccバイクで駆けつけてくれました。そして黙々とパンジーの植え付けをしてくれました。(写真右手前)
此処に来ると、昔のままの楽しい会話ができます。確かに彼は私達とともにいるのを感じます。
萩ちゃんの樹木葬墓標を、心づくしのパンジービオラで囲みました。
『花さん達よ、これから一杯花を咲かせて萩ちゃんを楽しませてくれよ!』
花で囲まれた萩ちゃんを囲み
『いつまでも萩ちゃんと一緒だよ』
『いずれ、オレ達もそちらに行くけど、その時も仲良く楽しく一緒に過ごそう!』
「萩ちゃんを偲んで献杯」
千葉県袖ケ浦市の山寺、曹洞宗 瓦谷山真光寺は、弘治2年(1556年)9月、かって上総の高野山と言われた真如寺の八世、鷹山厳召大和尚により開山されました。「瓦谷山」という山号は、当地に平安時代の瓦や土器が出土したことから来ています。
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