戦後70数年が経過し、混迷から中々抜出せない日本ですが、それでも苦境ながら堅調な企業、国際的にはまだまだ裕福な国民生活レベルです。
そういう中で身の毛のよだつような凶悪な犯罪や理解に苦しむ事件が増えています。特に気になるのは、日本人の美点『弱きを助け、強きをくじく』ではなく『弱きをいじめ、強きにへつらう風潮の蔓延』です。この本は、そういう現代日本のあらゆる年代層に、日本人の大事な原点を考えさせてくれます。“海賊と呼ばれた男”
(出光佐三伝)は、同氏の本作品に続く、『奇跡の戦後日本経済復興編』 に当たります。
私は退職後すぐに 夫婦で鹿児島の知覧特攻平和記念会館に行きました。
知覧の町並みから郊外に出て約10分、道路の両側に石灯籠が立ち並ぶようになると、何とも言えない重苦しい霊気のようなものを感じ、夫婦して厳粛な気持ちになっていきました。
記念館の二千数百人の遺品の中で特に印象に残ったのは、幼さの残る青年達の満面の笑顔の写真と、一人ひとりが家族に宛てた最後の手紙です。
自分の息子達よりも遥かに若い20歳前後の若者が、上官の検閲に触れないように配慮しながらも、家族や国の未来を信じて、このような純粋な気持ちで死んでいったのかと思うと耐え切れない思いにかられました。特に妻は『もしこの時代に生きていたら、私も特攻隊の母親として、命より大事な息子を送出す立場になっていたかもしれない!』と、その衝撃は私の比ではありませんでした。
『こういう若者達の犠牲の上に現代日本の繁栄は成り立っていることを、私達は片時も忘れてはいけない』 この記念館の遺品は、そう語りかけています。
『犬とたわむれる少年飛行兵』
中央で犬を抱いている最年少の荒木幸雄伍長。出撃時は何と17歳2か月! 戦死して少尉。
彼らが出撃した知覧と同じ陸軍の特攻機基地だった万世の平和記念館には、これと同じ巨大な写真があり、小遣い帳には「葡萄糖」「キャラメル」「餅」「映画」「貯金」等の記述があり泣かされます。
知覧記念館には、故障で錦江湾に墜落して戦後引き上げられた零戦が展示されていましたが、その板金の薄さに驚きました。 当時世界一の戦闘機と評価された零式戦闘機は、当時の戦闘機では世界最初の超々ジュラルミン合金を使い、極限まで板金を薄くして軽量化し、航続距離を延ばし旋回性能を向上させましたが、その一方で背後から一発の銃弾が貫通すれば操縦士は即死、燃料タンクに一発当たれば、爆発炎上する構造でした。
操縦士の命を守る防御板や燃料タンク保護板を厚くすれば重くなり、航続距離や旋回能力が犠牲になり戦闘力低下で撃墜されます。『工業力の限界の中で、何を優先させるか』
というギリギリの設計だったのでしょう。
当初世界最高の性能を誇り優位性があったゼロ戦でしたが、その後アメリカは圧倒的工業力に物を言わせ、グラマンやムスタングの操縦席は機銃でも撃抜けない厚板金で守られ、機体も分厚い板金を使い、燃料タンクはゴムで内張りして、銃弾が貫通しても燃料漏れを起こしにくい高防御設計の高性能機を大量に投入してきます。
戦局の悪化と共に熟練操縦士が大量に戦死して未熟な操縦士ばかりになって行き、ゼロ戦は劣勢に追い込まれ、上層部は万策尽きて人間の命を犠牲にした特別攻撃という非情無謀な作戦に突入します。
記念館のそばには、全国から集められた特攻隊員が出撃までの2~3日を過ごしたという、あまりに貧弱な木造三角テント宿舎が残されています。お互いに初対面で、出撃までの2~3日の間に、運命を共にする無二の戦友になります。ここで最後の時を過ごした若者達は、どういう気持ちで何を考え出撃して行ったのでしょう。
それ以来、この思いがずっと脳裏に張り付いて離れませんでした。
2011年9月11日、アメリカ同時多発テロで5000名以上の尊い一般市民の命が奪われました。この時アメリカのマスコミは『これは60年前の真珠湾攻撃と同じだ!』
と報道し、その卑劣さを非難しました。しかし何故日本政府は「それは違う。ルーズベルトが米国民の厭戦を騙し参戦する為に石油禁輸・ハルノートで日本を嵌めた陰謀に抗しきれなかったのが真珠湾だ」と直ぐに世界に発信しないのでしょうか?
太平洋戦争勃発時の日本が、一般市民の無差別殺戮という断じて許せないテロ行為と同列に扱われた事に驚きながら、『この取扱いは理不尽だ。それを言うなら、”非戦闘員の一般市民を60万人以上も無差別爆撃や原爆で殺戮し、朝鮮戦争やベトナムでも同様のことをしたアメリカ軍と同じ” とすべきではないのか、何故日本政府は反論しないのか。 理不尽な非難中傷を受けて黙って見過ごすのか?』 と思いました。
しかし恐らく世界中がアメリカの報道に共感したのではないでしょうか?
そして日本の戦後世代は、『残念だがその通りだ』 と納得した人が多いのではないでしょうか?
自省思考の強い日本人は、他国のアグレッシブな主張に、『そういう一面もある』 と思うと口をつぐむ、”ノン・アサーティブ” な態度を取ってしまいます。 しかしそれでは、諸外国は『日本は全面的に認めた』と誤解してしまいます。 それが『世界一アグレッシブな独裁国の理不尽な主張・行動に屈し続ける弱腰な日本』という印象を与え、益々エスカレートしていく悪循環を生んでいます。
何も同様の低次元なアグリッシブ主張で対抗する必要はありませんが、世界に向かって理路整然と国際常識にのっとった主張をアサーティブ(さわやかな表現)で堂々と主張していく事が必要です。 これは政府・企業だけでなく、日本国民全体がこれから身につけるべき基本姿勢といえます。
この 『永遠のゼロ』 の荒筋は、現代に生きる20歳代の姉弟が、同時多発テロでアルカイダと同じとされた”ゼロ戦特攻隊”
として26歳の若さで散った祖父の最後を知る為に、祖父の戦友を訪ね歩き次の疑問を追い求めます。
『あの大戦は一体何だったのか?』
『家族の為に生きぬくことを最優先に考え、臆病者と蔑まれた祖父が、何故最後に特攻を志願し出撃したのか?』
そして全ての謎が解明されていく最後は、涙なしには読めません。
恐らく、特攻で散った3900名強の若者は、その殆どがこの主人公(宮部久蔵)のような葛藤に苦しみながら、それでも避けられぬ運命として受け入れて出撃して行ったのだと思います。
この特攻隊の生残りの人達も 今や100歳(78+20)近いです。
全日本人が忘れてはならない、『300万人近い戦死者をだした痛ましい歴史』を体験的に語れる人がいなくなりつつある今、是非あらゆる世代に、特に若い世代に読んで欲しい一冊です。
『永遠のゼロ』百田尚樹 :著 (講談社文庫)記・2012年11月10日
海外出張の行き帰り飛行機で読み切っちゃいましたー。
返信削除本当に涙なしには読めず… さらには今の日本(資本主義社会全般?)とも共通する問題点が多く語られていると感じました。
特に、戦時中の軍上層部が語ったという、下記の一説。
「兵士の命は一銭五厘。いくらでも代わりはいる。」
それと、資本論に出てくる下記の一説。
「資本は、社会が対策を立て強制しないかぎり、労働者の健康と寿命のことなど何も考えない。」
現代社会では、さすがに命まで取られることはありませんが…
『永遠のゼロ』に登場した新聞記者の言葉を借りれば、共通項は見出せると感じました。