産経新聞の日曜第1面に掲載される「日曜コラム」を愛読しています。
さださんの「日曜コラム」は、私のスクラップブックにとどめておくのは、あまりに勿体ないので、私のブログ・FB友に紹介するものです。共感の輪が広がることを期待します。R6.12.16 「法律、バカじゃない?」・・弱者軽視の裁判官・検事・弁護士
本来法律は「強者の理不尽から弱者を守る為に、人間として最低限守るべき正義を決めた規範」です。しかし現実の日本では、裁判・法律が「無法者・強者の理不尽をかばい、最低限の道徳・常識を無視し破る犯罪者を弁護し保護する逃げ道」となっています。さだまさし日曜コラム(12/16)「法律、バカじゃない?」は、まさにそのことを痛烈に批判しています。【3年前の2021年2月、大分市の当時19歳の被告はBMW M2 400馬力スポーツタイプを運転。法定速度が時速60キロの市内の県道で車を時速194キロで運転し、交差点を右折してきた車と衝突して運転していた小柳憲さん(当時50)を死亡させたとして危険運転致死の罪に問われた。】
一般道の交差点を時速194kmという尋常ならざる速度で暴走し、衝突事故を起こして相手を死亡させてしまったら当然「危険運転致死罪」が適用されると思う。弁護側の「真直ぐの道路を走ることができたのだから自動車を『制御』出来ていて危険運転ではない」という主張は、誰が聞いてもおかしい。制御できないから事故を起こしたのだろう。
このニュースを聞いた僕のスタッフが思わず溜息をついた。「法律、バカじゃない?」誠に同感! 裁判官・検事・弁護士・被告を乗せてその道路を時速194kmで走ってみてから裁判を始めると良い。当初のこの事故は「過失運転致死罪」として裁かれ、のちに「危険運転致死罪」とされたが、量刑は危険運転致死罪としては短い懲役刑だった。
一方この9月、埼玉県川口市では時速100km超の速度で一方通行を逆走した車が正面衝突で相手を死なせたのに、その道路の法規上の扱いからか「過失運転」で決着している。誠に法律とはややこしいもののようだ。
元裁判官だった方が呟いたことがある。「この人は絶対に善人だが法律上この件ではアウトという事もあれば、こいつは絶対に悪人だがこの件では無念にもセーフってことがあるのですよ」と。
法律は人間が作るものだから過ちもあれば抜け穴もある。したたかに抜け道を潜る悪人もあり、うっかり犯罪の穴に落ちる善人もある。ふと頭をよぎるのが「未必の故意」という言葉だ。広辞苑第七版には
≪「法」行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図・希望した訳ではないが、自己の行為から発生しても仕方がないと認めて行為する心理状態。故意の一種≫ とある。
これを交通事故にあてはめることは難しいのかもしれないが、常軌を逸した速度での運転や,信号無視、飲酒運転などはみな「未必の故意」に当たるのではないかと思うのだ。
また信号無視、逆走などの無法自転車の動きを見ると「死んでも構わない」としか見えないし、歩きスマホで信号を無視し、大きく「わたるな」と書いてある道路を平然と横切る歩行者が事故にあうのも悲しいけれど同じ。
飲酒運転は、一滴でも酒を飲んで事故を起こしたら「危険運転」とすべきだろう。にもかかわらず飲酒事故を起こした人の『呼気のアルコール濃度』によって罪を軽くしようとする動きがあると聞いて呆れた。「法律、バカじゃない?」開いた口が渇く。
R6.10.20 「勧善懲悪の心はいずこ」・・優しさが薄れた日本人
日本人はもう少し優しい人たちだったのでは?と近頃思う。 いやおまえの勘違いだ、元々こんなものだよ、とおっしゃるのも分からないではないけれど、僕はこの国の人々が本来はとても親切な人達であることを信じたいのだ。
だが近頃は日本人の情が薄れたようだ。他人への慮りや温かさ、いわゆる本当の意味での「もてなし」の心を感じることが減った。「サービス」という言葉の原点には主従関係があるけれども、「もてなし」は相互平等の親切からくるものだから、むしろそこに作為が介入したら「もてなし」の心は死ぬ。
この日本人らしい思いやりが、もはや瀕死に追い込まれつつある理由は、おそらく無意識の卑しい「利益計算」だろう。無意識だけに隠すことができない。心根に「これで幾ら儲かるのか」という計算があると人は必ず醜くなる。これが罪悪感の変質につながる。実は前回申し上げたかった教育の『肝』がここだ。
僕はテレビが好きなのでテレビの悪口は言いたくはないが、放送関係者の矜持から「視聴覚教育」という言葉が綺麗さっぱり消え失せたころから、なにやら日本人の価値観はおかしくなった。昔のPTAは子育てに必死で、パンチラで話題になった「ハレンチ学園」に対して、一部から失笑を買っても放送禁止の声をあげた。暴力や性描写に関して真面目で神経質だったが、いまどきはほぼ無関心で、もはや教育放棄だ。
心を育てるのはとても難しい。大人になっても自分自身の心を育てることが一番難しい。だからメディアはそういう者を育てるきっかけになるようなものを伝えること、受け手はそこから感じて反応することがお互いの成長につながる。勿論素晴らしい番組はあるけれども、なかなか出会わなくなった。
面白くないので、実は専ら時代劇だけ観ている。そういうと若い友人から「時代劇の何が面白いのですか?」と聴かれるけれども、まあ一種の現実逃避だ。だが時代劇には、今どきの番組にはないものが常にある。それは『勧善懲悪』の心だ。悪は滅び禅は栄える。そうでなくては世の中、味気ないだろう、というのが時代劇の矜持だ。だからどれ程つまらない時代劇でも安心して観られる。
もしや今の日本人の心に圧倒的に不足しているのは時代劇であり、この『勧善懲悪』の心ではないかとすら思う。「悪は滅ぶ」「善は栄える」これが当たり前でなくなったのでは、世の中がおかしくなる筈だ。私は桃太郎侍に斬られる側なのか、救われる側なのか、そう思いながら己の行いを顧みると結構怖い。ああ、今こそ本当の正義の味方よ出でよ。
R6.8.18
『ああ、日本の8月よ』・・原爆投下の日に思う
「日本人は1年の内、8月だけしか平和について考えない」と皮肉を言われる。確かにテレビ番組を見ていれば成る程と思う。普段は現実逃避のように温度の低い笑いで埋め尽くしているくせに、原爆忌や終戦の日になると突然、真顔で反省やらお詫びやらを口にする。これでは建前にしか見えないだろう。
被爆地生まれとしては、せめて広島の8月6日、長崎の8月9日だけは知っていて欲しい。僕は原爆投下から6年8か月後に長崎で生まれた。当時市内の新生児は全員、「検査すれども治療せず」で悪名高いABCC(原爆生涯調査委員会)で検査された。結果は何でもなかったが、僕の背中のアザが原因で、母は僕を連れて3度通ったという。
子供の頃、原爆の爪痕はまだまだ町中に残っていたし、大好きな叔母や叔父が被爆者だったので、原爆を落とした国が今は日本を守っているという理屈が全く理解できなかった。
子供の正義感は正直なもので、外国に自分の国を守ってもらうという矛盾を呑み込めなかったのだが、これは今でもだ。いや、もう子供ではないのだから事情は嫌になるほどわかっている。なにも今更急に米軍を追い出せだの、自主独立などとは恥ずかしくて言えない。その辺の心はほぼ折れた。日本国首都の制空権の一部を米軍が握っていることは大いに遺憾であるが、正論が通らない事情も理解している。
ああ大人になるってやだね。一般人でも悩むのだから世界も相手にせにゃならん国政政治家は大変だろう。日米安保条約における地位協定一つ触るのが怖いという肩身の狭い哀れな事情は大いに同情するが情けない。しかも経済経済とお金のお話ばかりするから、国民の心根はずんずん卑しくなる。
政治に求めるものは銭勘定だけではない筈。罪を犯してもお金が欲しいなどと、若者の心がお金に対して曲がって育つのも、肉親が殺し合う悲惨な社会も、家庭教育を含めた教育の貧しさの証明ではないのか。もっとも親となる人をきちんと教育できなければ家庭教育もへったくれもないが・・
国の100年後を思うのであれば、最も大切なものは教育であるべきだろう。次が外交・安全保障で、経済は3番目だと思う。目先の政局ばかりに汲々としているから、日本が既に2等国以下になり下がったことにも、この凋落が始まったのも
取り戻せるのも、全ては人々の「心」からだ、という事にも気付かないのだろう。
100年後の日本を明確に示し、夢を語ってくれる人が指導者になってくれるまで、この生命はとても持たんなぁ。ああ愛しき日本の8月よ。
産経新聞の日曜第1面に掲載される「日曜コラム」の愛読者です。
さだまさしさんと私達夫婦は同世代、グレープ時代の「精霊流し」や「無縁坂」からの大ファンです。8月18日「ああ、日本の8月よ」のさださんのコラムに深く共鳴してコメントを送ったところ、なんと丁寧な返信が届きました。その謙虚で優しい丁寧な文面に、私達夫婦は増々さださんの大ファンになりました。
【さだまさしさんの返信】
心のこもったメッセージと、長年私の仕事をフォローしてくださり、本当にありがとうございます。あなたと奥様がグレープの時代からファンだったと知り、本当に光栄です。「ああ、日本の8月」コラムに対するあなたの思慮深い考察に感謝します。教育と歴史は確かに重要であり、教えられていることが完全で誠実な視点を反映していることを確認することが重要です。教育改革へのあなたの情熱と、歴史教科書の比較をまとめるために時間を割いてくださったことに感謝します。機会があれば、あなたが提供してくれたリンクを必ず見ます。この重要な問題に前向きな影響を与えようと取り組んでいる人がいることを知って、励みになります。あなたのサポートとあなたの洞察を共有してくださったことに改めて感謝します。
0 件のコメント:
コメントを投稿