2024年11月6日水曜日

1-11. 国史教科書で青少年の健全成長

幕末の昌平黌塾頭の佐藤一斎は「言志四録」で「學ぶ」について次のように教え、「佐久間象山、吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛、坂本龍馬・・」などの志士に大きな影響を与えました。

少にして學べば 壮にして為すことあり

  壮にして學べば 老いて衰えず

  老にして學べば 死して朽ちず

佐藤一斎が示す「學ぶ」は、複数の大人達が、ひとりの子どもを一人前に引き上げていく営み。教える側の大人が主役です。子は大人達から教育を授かる立場、飽くまで教える側が主体です。 これに対して「学ぶ」は、子が自ら学ぶだけで大人は叱咤するだけ、まさに現代の教育貧困そのものです。これでは国の存亡危機に「無我無私で命を懸ける真の日本人」が育つ訳がありません。

佐藤一斎が少・壮・老年の人々に対して教えた「學ぶ」とは・・

青少年を大人たちがしっかりと鍛え上げれば、その青少年たちは壮年に達した時に為すべきことをしっかり為すことができるようになる。 壮年を老壮たちがしっかりと鍛え上げれば、その壮年は老いても尚衰えることはない。 老境に至ったものを神々がしっかり鍛え上げれば、その老人の魂は死んでも朽ちることはない」

つまり「學ぶ」とは、生涯を通じて、ご先祖様や、そのずっと以前の神々様が築いた哲学をしっかり魂に刻んでいくことです。そして自分の人生を振り返り、世のため人のために、人生最後のお勤めをいかに果たしていくか、そうすることで初めて人の魂は朽ちることなく永遠の存在になると説いています。

 こういう観点から、「現在日本の歴史教科書は、ご先祖様や神々が築いた哲学を、しっかり魂に刻める教科書」になっているでしょうか? 残念ながら真反対の「ご先祖様や神々が築いた哲学を、全く除外・無視した国籍不明の反日・自虐歴史教科書となっています。これでは健全な青少年・壮年が育つわけがありません。

▲戦後日本人は自信を失い、大人の責任「教育」「學ぶ」から逃避

▲昭和27年に占領は終わったのに「なぜGHQ教科書検定基準を守るか?」

▲現代人は「なぜ日本人の骨格を作る歴史教科書に関心がないのか?」

▲育成なしの教育、子供の自主性尊重だけで立派な子供が育つか?

 現代の代表的歴史教科書の重要項目記述を比較しました。【➀反日教科書(学び舎)、➁自虐教科書(東京書籍)、➂推奨国史教科書(令和書籍)】の重要項目比較です。現在の教育環境の危機を、是非感じて頂きたいと思います。

中学歴史教科書の自虐度 濃淡比較

出版社

学び舎反日史観

東京書籍等7社自虐史観

令和書籍真実史観 R6検定合格

採用校

灘・開成・筑大付属等
(東大⇒霞が関官僚)

全国公立中 90%以上
(中高大⇒教師・会社員)

未(R7年度より)

特徴

▲天皇や古事記全く無視
 古墳時代まで考古学

中国・韓国中心の論調
 全て反日、日本否定

▲戦争の原因背景・関連
 全く触れず、
件羅列
 の「暗記型教科書」

▲天皇や古事記全く無視
 古墳時代まで考古学

▲中国・韓国立場の論調
▲自虐史観、戦争の原因
 背景の論拠、資料提示
 薄弱

◎有史以前から連綿と続く、天皇を中心
 とした国政をベースに
とらえている
巻頭「世界各国略年表」で世界歴史を
 俯瞰し「126代の歴代天皇の皇位継承
 図」で日本歴史を貫く皇統を明示

「戦争に至った経緯・背景」を事実
 資料に基づき解説。納得性高い

古事記
・天皇を中心とした建国

<消された日本の起源>天皇記載一切なし、 「古事記・日本書記」「皇統起源」言及なし

「魏志倭人伝で日本歴史登場⇒古墳時代⇒飛鳥時代」が僅か4ページ

<消された日本の起源>天皇記載一切なし、 「古事記・日本書記」「皇統起源」言及なし

「縄文・弥生⇒魏志倭人伝言及⇒古墳時代⇒飛鳥時代」が僅か6ページ

日本最初の公的歴史書「古事記・日本書記」をベースに、50ページに亘り解説P1970
古代からの世界・中国の歴史・考古学と対比し「日本列島誕生~人の起源~世界最古磨製石器(日本35,000前)~世界最古土器(日本16,300前)~三内丸山遺跡~稲作~古墳時代~飛鳥時代」を最新学説と
古事記との対比論証・関連付けて解説

「仁徳天皇」かまどの煙

記述なし

記述なし

 第16代仁徳天皇の治世で大阪平野の開発、治水工事が行われました。これは日本史上最初の大規模工事とされます。
 治世4年の春、仁徳天皇が高台から遠くをご覧になると、人家から煙が立っていません。
民が貧しくて困窮しているのではと心配され「今から3年、全ての課税と役務をやめて、民の苦しみを和らげよ」と命じ、宮中も質素倹約に努め、宮殿の壁が敗れても、屋根が雨漏りしても修理しませんでした。
 三年後民の生活は豊かになり、天皇が高台に登ると頻りに炊煙が立ち上っていました。諸国の民は豊かになったので税を納めようとしましたが、天皇は許さず更に3年が経過した
治世10年の秋、漸く課役を命じました。すると民は昼夜を問わず力を合わせて新しい宮殿を建てました。
 以来仁徳天皇は「聖帝」と讃えられ、歴代天皇は規範とされその聖徳は1700年経った今の皇室に受け継がれています。

聖徳太子の外交

厩戸皇子の誕生」
厩戸皇子(聖徳太子)は仏教に強い関心を持っていました。皇子は589年に随が中国統一すると随に使者を送り、隋から政治を改めるよう助言されました。こののち倭国では冠位12階を制定しました。

「聖徳太子の政治」
地方では豪族同士が争い、大和政権内でも蘇我氏と物部氏が権力を求めて争いました。これを和らげようと女性の推古天皇が即位すると甥の聖徳太子が摂政となり、蘇我馬子と協力しながら中国や朝鮮に学んで大王(天皇)中心の政治を整えました。
冠位12階では才能功績ある者を取立て、
17条憲法では天皇命令に従う事など役人の心構えを示しました

「聖徳太子の対等外交」
589
に隋が成立、593年に初の女性天皇の推古天皇が即位し聖徳太子(厩戸皇子)が天皇に代わって政治を行う摂政の役割を担いました。
600 第一次遣隋使を随成立11年後に派遣。文帝は政治を改めるよう要求、大国の強さと文化水準を思い知らされ、国家存続の為に隋の先端文化と制度を受入れつつも「朝貢しても冊封は受けず」方針を固めました。中央集権国家を作り冠位12階を定め、17条憲法で日本人が大事にしてきた「和の精神の大切さ」を第1条に定めました。
607
第二次遣隋使、国書「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なしや・・」を送り煬帝は激怒
608 第三次遣隋使、国書東の天皇慎みて西の皇帝に申す・・」で対等外交確立

日清戦争

朝鮮政府が農民蜂起鎮圧のため清に出兵を求めたので日本も出兵しました。
1894
日本軍は朝鮮王宮の門を破壊して突入し占領、国王らを監禁して日本のいう事を聴く政府をつくりました。朝鮮政府は清と縁を切り国内の清兵を追払うよう日本に要請しました。

朝鮮では、日清対立の中で政治や経済が混乱し甲午農民戦争が起こりました。彼らは腐敗役人追放や、外国人の排除を目指しましたが、朝鮮政府が清に出兵を求めたため、日本は朝鮮に出兵し日清戦争が始まりました。

わが国は朝鮮や清と協同で欧米露の侵略防衛を考えましたが、ロシア不凍港獲得目的の極東進出に強い危機感を持ち、朝鮮半島に独立してもらう必要がありました。しかし清は弱体化、朝鮮は清の属国のままで改革派と保守派の主導権争いの渦中です。
そのなか農民の東学党の乱が起こり朝鮮王国が清に援軍を求めたので、朝鮮での日清権力均衡の為に日本も出兵し、朝鮮独立を目的とした日清戦争が始まりました。

日露戦争

ロシアはシベリア鉄道を完成させ、義和団事件後も中国東部に軍隊を増強していました。日本は日清戦争の賠償金で軍備拡張し日英同盟を結んだことから日露の対立は一気に高まりました。こうした中で日本はロシアに宣戦布告して日露戦争を始めました。

ロシアは義和団事件後も大軍を満州にとどめて事実上占領し、更に韓国への進出を進めました。韓国での優位を確保したい日本はロシアに対抗し、ここに日露戦争が始まりました。

ロシアは義和団事件後も極東から軍を撤退せず増強し、日本国防上の重大懸念になりました。伊藤博文など大国ロシアとは協調すべきという意見もありましたが、日英同盟でロシア対抗の環境が整いました。しかしその後もロシアの満州占領・軍備増強は続き、日本の独立が脅かされ続けます。日本は「満韓権益交換」の妥協案を出しますがロシアは拒絶。ここにロシアの満州・朝鮮占領植民地化意図が明確となり、国交断絶し開戦しました。

日露戦争後の日本とアジア

日本はポーツマス条約で朝鮮半島優越権、遼東半島租借権等を得ました。続いて韓国の外交権を奪い保護国としました。P198
1919
年京城近くの
並川で3,000人が集まって「独立マンセー」を叫んで反日独立運動が始まり朝鮮全土に広がりました。P212

日露戦争での勝利によって日本は列強としての国際的地位を固めました。国民の中には大国意識が生まれ、アジア諸国に対する優越感が強まっていきました。
 一方、欧米列強の圧迫に苦しんでいたインドなどのアジア諸国では日本に学ぼうという機運も高まりました

 日露戦争後、大韓帝国と保護条約を締結して外交権を取得し伊藤博文が初代総督になりました。日本は対ロシア安全保障の為に朝鮮半島安定が必要で、日本主導で朝鮮の近代化を進めようとしたのです。
 高宗皇帝は「朝鮮が実力を備えたとき当条約は撤回する」旨を要求、伊藤はその一文を加えたので高宗は満足し、日本の保護国となりました。
 大韓帝国は財政破綻(歳入748万円、歳出3,400万円)「約80%の大赤字を日本国家予算約30%で負担する韓国併合」には強い反対がありました。併合反対筆頭の伊藤博文が朝鮮人青年に暗殺された為、一気に併合方針が纏まり、朝鮮は日本統治となり、大漢帝国は消滅しました。ロシアとイギリスは韓国併合を了承し、アメリカと清は異議を唱えませんでした。

世界恐慌と
第二次大戦前夜

1929年になると米国はそれまでの好景気から不景気のどん底に陥りました。そのきっかけは、株価の大暴落で銀行破産、多数の会社が倒産し失業者が1933年に1,300万人になりました(全労働者5,000万人)この不景気は世界中に広がりました(世界恐慌)
英仏蘭は関係国とだけ貿易しそれ以外の国とは貿易制限するブロック経済政策をとりました。

米国は第一次大戦の被害を受けず繁栄が続き世界経済の中心でしたが、1929年株価が大暴落し、取り付け騒ぎが起きて銀行や工場が倒産して失業者が溢れ、更に世界中に広がり世界大恐慌となりました。米国は高い輸入関税をかけ、各国は自国第一政策を追求したので国際連盟や軍縮などの国際協調体制は大きく揺らぎました。
 米国は孤立主義に、英仏蘭は本国と植民地の自給自足(ABCDブロック)経済をとり第、植民地の少ない日独伊はブロック化に反発しながら、夫々の対策を探っていきます。

昭和の初期は世界経済が不安定で、国際的不安が広がった時代でした。昭和4年(1929)に米国で起きた株価大暴落で米国経済は大混乱に陥りました。人々は銀行に殺到し、銀行が連鎖倒産、金融システムが機能不能になりました。そこに誤った高金利政策が拍車をかけ、多くの会社が倒産、失業者が溢れかえりました。この不況は世界中に広がり、10年続く世界恐慌となりました。
 この事態に対して、
世界中に多くの植民地を持つ英仏蘭は、域内の関税を低くし、域外からの輸入品には高い関税を課す自給自足のブロック経済で、自らの経済圏を守りました。これにより世界の国際協調時代は終わり自由貿易は一気に衰退します。
 世界がブロック経済に移行すると、日独伊の世界に植民地のない工業国は大打撃を受けました。独伊は個人よりも国家の利益を優先するファシズム(全体主義)に傾き、外に植民地を求めました。
 日本は資源・材料を輸入し加工品を輸出して成立する国なので、世界恐慌による輸出の激減は深刻でした。この打開のため金本位制に復帰しますが失敗し経済はデフレに陥り、昭和5年から昭和恐慌に突入します。そして昭和11226事件、日中戦争、世界大戦の泥沼へ進んでいきます。

ポツダム宣言と原爆投下

19457月、米英中の首脳が、日本の無条件降伏を求めてポツダム宣言を発表しましたが、日本政府は「ただ黙殺するのみ」と言明しました。
 8月6日に広島に、9日にげ原爆が投下され、8日にソ連が日ソ中立条約を破棄して参戦、ここに至り御前会議で昭和天皇の裁断によりポツダム宣言受諾を決定しました。

19457月、連合国はポツダム宣言を発表し日本に無条件降伏を求めましたが、日本は直ぐには受け入れませんでした
 アメリカは86日広島、9日に長崎に原爆投下。またソ連が米英とのヤルタ秘密協定に基づき、8日に日ソ中立条約を破り満州や朝鮮に進行してきました。漸く日本はポツダム宣言を受け入れ降伏しました。

7月16日米国で人類史上初の核実験が行われ、その威力はTNT火薬15,000トン以上、爆発台21mの鉄塔は瞬時に気化しました。大統領はこの日を境に別人になったと言います。しかし高官たちは原爆を使用しても日本は降伏しないとみて反対でした。すでに東京はじめ66都市を空爆されても戦闘意欲を失っていないからです。しかしバーンズ国務長官だけは原爆使用に積極的でした。ソ連は米国の原爆使用前に参戦すべきだと決断、米国はソ連参戦前しか原爆使用できないと考え、7月25大統領は、日本に二つの原爆投下を命令します。
 7月26日、日本降伏勧告のポツダム宣言が発せられました。当初米国政府案には天皇地位保証の文言がありましたが、発信直前に大統領はその一文を削除しました(スチムソン案「日本国民は天皇を立憲君主制として維持するかどうかを自由に選ぶことができる」を削除)
 大統領に助言する高官たちは、この一文を入れることで日本は確実に降伏するとみていました。日本政府と統帥部は天皇地位保障が終戦の絶対条件でしたが、ポツダム宣言に天皇の地位の記載がないので大論争となりました
 
トルーマン大統領は日本が受諾できない文面を作成したとみられます。原爆を投下する為に、ポツダム宣言は日本によって一度拒否される必要があったのです。

昭和天皇とマッカーサー元帥の会談

記述なし

記述なし

昭和天皇が初めてマッカーサー元帥をご訪問になったのは、昭和20927日です。元帥は当初、天皇が戦争犯罪人として訴追されないよう命乞いに来るのではないかと考えていたようです。ところが昭和天皇は、元帥の想像もつかないことを述べられました。
「敗戦に至った戦争の責任はすべて私にある。将兵・閣僚・官僚などは、私の任命するところだから彼らに責任はない。私の一身はどうなろうとも構わない。私はあなたにお任せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう連合国の援助をお願いしたい」(「侍従長の回想」講談社)
 この昭和天皇のお言葉をマッカーサー元帥は、次のように回想しています。
「死を伴うほどの責任、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私を骨の髄まで揺り動かした」
 マッカーサー元帥は、昭和天皇との会談を経て、皇室を存続させることを強く意識し、本国にその旨の秘密文書を送っています。

 「戦後80年経過しても、変わらない平和ボケ体質の根本原因は何か?」と考えると、GHQの教科書検閲基準そのままの歴史教科書、それに基づく反日歴史教育」があります。GHQは占領7年間、日本人を骨抜きにするために「5つの教科検定基準」を定め、古事記・日本書記など7,000以上の本を禁書として、文科省・学校関係者に徹底・定着させました。

誠実(従順)で変化を好まない日本教育界は黙々とこれに従い、80年経過した今も「GHQの教科書検閲基準」に縛られ、これを学んだ生徒が大学卒業して教師・出版会社員となり、無意識的に「自虐史観を固定強化、条件反射的に拒否反応」するようになっています。占領終了後72年経過しても、現在使われている歴史教科書は、見事に「GHQの教科書検定基準に沿った内容」となっています。

GHQの教科書検定基準」=そのまま現文科省検定基準となりタブー視

天皇に関する用語、

 国家拡張に関する用語

 ③愛国心につながる用語

 ④日本国の神話の起源や、楠木正成のような英雄および道義的人物としての皇族

⑤神道や祭祀、神社に関する言及、などなど 

 教科書は本来、誰でも全教科書実物を手にして比較できるのが当然です。しかし一般人には目に触れないように巧妙な教科書販売システムが構築されており、全部の教科書を手に入れるのはほぼ不可能に近い状態です。従って現在「歴史教科書の全出版社比較書」を目にすることはありません。本来国民にとって一番重要な出版物なはずです。このことを「とんでもないことだ!」と思う日本人が一人でも増え、下の状況を変えていく力となって頂くことを切に願っています。

➀教科書入手が不可能⇒一般書店やAmazonで注文できない

➁公立図書館にも小中高の教科書は置いてない

③毎年の教科書選定は学校関係者だけで行っている

まず、私たち大人が、こういう現状に危機意識を持ち、私達自身が次のような現状打破の行動、支援する努力が欠かせません。

いつでも誰でも、歴史教科書を閲覧できる環境実現(=図書館への常備、ネット・一般書店での販売)」

教科書選定に、学校関係者以外の有識者・一般人が関与し、その選定評価内容を公開する

心ある人が最寄り図書館に「国史教科書(令和書籍)市販本」を寄贈する 

 文科省も、教育委員会も、学校関係者も長年 狎れあいで体に染込んだ仕組みを変える気はありません。まず心ある地方議員が関心を持って教科書選定の仕組みの大改革を行い、一般市民有志が自腹を切ってでも「優良教科書(市販本)を図書館に寄贈して、一般市民の目に触れ、自虐教科書を排除できるようにする」ことから始めるしかありません。

2.中学歴史教科書の自虐度 濃淡比較

 最近の若者に「日本が侵略されたらどうするか?」と聴くと、かなりの若者から必ず「今の暮らしができるなら占領されてもいい。戦争で殺し合うのは嫌だ」という答えが返ってきます。何という脳天気さ、平和ボケでしょう。「侵略」は相手国の尊厳・日常生活・家族・経済・文化・宗教など、アイデンティティ一切を奪い、侵略国に置き換えることです。「今の暮らしが保証されたら・・」など歯牙にもかけられないことは、小学生でも分かることのように思いますが、現代人の思考力・想像力はここまで劣化しています。

強権独裁大国が経済破綻すると、その挽回・固塗のため戦争を始めることは歴史が証明しています。こういう危機から国・国民を守る備えなくして独立国家とは言えません。強権独裁国から侵略された国・民族の悲惨さは、ウィグル・チベット・内モンゴルを見れば歴然としています。民族の尊厳も、言語・宗教の自由も奪われ、奴隷的服従を強いられ同化されていきます。ましてや反日教育で塗り固められた隣国が日本占領したらどうなるか・・戦前の「通州事件」「上海事件」の身の毛もよだつ惨殺、かの民族の残虐さを、現代日本人は知るべきです。

その中韓におもねった日本の反日・自虐歴史教科書に対して、もっと多くの日本人が危機意識を持ってほしいと思います。

 代表的教科書【➀反日教科書(学び舎)、➁自虐教科書(東京書籍)、➂推奨国史教科書(令和書籍)】の重要項目比較です。現在の教育環境の危機を、是非感じて頂きたいと思います。虐さを、現代日本人は知るべきです。

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