ウクライナ無差別虐殺に世界中が恐怖し深い疑問におそわれます。
「同じスラブ民族で 千年来兄弟同然だったウクライナ人に対して、一体なぜあんな残虐なことが出来るのか」「なぜロシアでは、スターリンやプーチンのような冷酷非情な独裁者が君臨でき、大衆はなぜ強権者を熱狂支持するのか」・・と
世界中がロシア侵略を非難する中、キリスト教三大教派の「東方正教会」盟主ロシア正教会のキリル総主教(75)はプーチンの侵攻を支持し、正教会内でも支持を失いつつあります。
プーチンはロシア正教の敬虔な信者です。確かに「ノルマンディー上陸70周年式典(2014)」 での広島原爆映像にガムを噛みながら拍手するオバマ (広島訪問は猿芝居か?)と、即座に十字を切るプーチンを見ると、オバマよりも敬虔なクリスチャンに思えます。 しかし 「何の痛痒もなく兄弟民族を殲滅するプーチンが本当にキリスト教徒なのか? その精神構造が信じられない!」 という思いの方が多いと思います。 従って 「これはプーチン独裁の暴走でロシア市民は支持していない」 とする論者もいます。しかし3月18日の「クリミア併合20周年記念集会」 のプーチン演説に熱狂する20万人市民をみると「ロシア人は私達とは違う価値観・世界観・宗教観があるのではないか・・」という思いに駆られます。
歴史を遡ると、90年前の 「ホロドモール」 (=世界大恐慌時、当時も穀倉地帯だったウクライナの農作物を全てスターリンがモスクワへ収奪して餓死者400万人の悲惨な人為的大飢饉となり人肉食までに至った)。また第二次世界大戦中はソ連・ドイツ双方から攻め込まれ約700万人が虐殺されました。同時に独ソ不可侵条約下で東西からポーランドに攻込み、ソ連は東側を制圧した後2万人のポーランド将校を虐殺しました。いわゆる『カティンの森の虐殺』で、今回のブチャと同じように無抵抗の将校を穴の前に立たせ後頭部を次々と撃ち抜きました。その残虐さは80年経過しても全く変わっていないのです。
またそして近年では2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命、クリミア危機、親ロシア派騒乱など、親欧米派と親ロシア派の対立が高まり2022年のロシアによる全面侵略に発展しました。
「二度とロシアに支配されたくないと決死の覚悟で戦うウクライナ人。元々兄弟なのになぜ兄に従わないのかと無慈悲に大虐殺するロシア人・・」 一体なぜロシアによる非道・ウクライナの悲劇が繰り返されているのか・・この疑問に ロシア研究大家の早稲田大 「三浦清美 教授」が、3月20日産経新聞 「プーチンを神にした帝国(ウクライナ侵攻の深層)」 で、ロシア正教の伝統によって培われたロシア人特有の宗教感覚・統治者観を紹介していました。それによると・・
1.「神の代理人」を欲する国民性」
ロシア人の統治者観は、国の頂点に立つ統治者を 『神の代理人』 として絶対的な統治者を欲するロシア人の伝統的な意識です。帝政ロシアでは、もちろんそれはツァー(専制君主)でした。共産主義のソビエト政権では、労働に応じて報償される理想社会を建設しようとしましたが、ソビエト共産党もまた 「共産主義という宗教をまつる教会」 で、その当然の帰結として、生身の神としてふるまうスターリンが現れました。そしてソビエト崩壊後に新たに登場した『神の代理人』がプーチン大統領です。
2.「西欧と違うキリスト教」
このロシア人の統治者観の起源は、ロシアとウクライナの前身である「キエフ・ルーシ国」がキリスト教を受け入れた988年にさかのぼります。当時の西欧諸国がローマのカトリックを受け入れたのに対し、キエフ・ルーシは東方ギリシャ正教を西欧のキリスト教徒は全く異なる宗教として受け止めました。これが後のロシアの統治者観の土壌となります。
元々キリスト教世界では、キリスト偶像崇拝が当たり前でしたが、後発のイスラムから「人間には不可知の尊い神を形にするとは何事だ」と論難されて、東方教会はその意味を理解し皇帝は神の像を軒並み破壊しました(イコノクラスム=聖像破壊)これに対し偶像擁護派も出て8~9世紀の120年間国を二分する激しい内乱が続きました。
この争いは、結局キリスト教の原点=神としてのキリストは絵に描くことはできないが、人間としてのキリストは描くことができる、むしろ積極的に描くべきだという結論に至りました。その結果、この系譜を受け継ぐロシアでは、西欧のキリスト教徒は違う信仰の感覚を持つことになりました。彼らは思考の上では「キリストは神であり同時に人間である」と理解しますが、感性の上ではキリストが人間であることが迫り、 『神がキリストにおいて人間になられた以上、罪深い人間も自らの救済のために、キリストに見習い神になる努力を惜しんではならない』とします。 従ってロシアの人々は「神の代理人=神と化した人間」を求め、当然の帰結として神の代理人は『キリストに対しては普通の人間で僕として仕えるが、人間に対しては神として君臨する』ことになります。
この統治者観は、選挙で選ぶ現代ロシアにも脈々と息づいており、国民には絶対的な力を持つ神の代理人を求める意識が受け継がれています。プーチン大統領の権力の強大さもまた、その統治者観の上に成立しており、その意味でロシア国民が求める存在であると言えます。
3.「使命感から領土拡大欲」
私達から見れば、明らかに前近代的な領土拡張の為の侵略戦争ですが、ロシアは「NATO拡大を防ぐためのウクライナ攻撃だ」と強弁します。これもロシアの統治者観と深く関係しています。
ロシアの 「統治者は神の代理人」という統治者観は、15世紀半のオスマン帝国によりビザンツ帝国が滅亡する際、ビザンツ教会がローマ教会に吸収合併されたことに怒ったモスクワ大公ワシーリイ2世により形成されました。
それは「千年帝国ビザンツは、正しい東方正教を捨て、カトリックと妥協したがゆえに神がお怒りになり滅亡した。モスクワこそがそのビザンツに代わるキリスト教諸帝国の盟主、古代ローマとビザンツ(東ローマ帝国)に続く第三のローマであり、それは永遠である。その頂点にはモスクワ大公が君臨すべきだ」という考え方です。
第三のローマたるモスクワは正しいキリスト教を貫かなければならないという使命感は、領土拡大への欲望へと容易に変容します。この衝動に駆られて16世紀末には領土は太平洋まで拡大しました。・・この考えによれば21世紀のウクライナも当然モスクワに従うべきだという発想になったのかもしれません。その是非を論じる以前に、現代人ロシア人の意識の底には『神の代理人としての統治者を求める渇望と帝国的国家像への憧れ』があることは間違いありません。
ロシアは一貫して自らを「ローマからキリスト教を受け入れた西欧とは全く異なる世界だ」と認識してきました。その正しいロシア世界を脅かす西欧(NATO)から防衛するという『ロシアの正当な愛国心』に火がついているのだとすると、この紛争は終わりのない泥沼に嵌まりこんでいく可能性が極めて高いと言えます。
他方、何百年もその身勝手な統治者暴虐の犠牲になり、ようやく30年前のソ連崩壊により独立を勝ち得たウクライナ全国民が『絶対にロシアに隷従する悲惨は受け入れられない』と一丸となって必死で戦うのは当然だといえます。
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