2024年10月5日土曜日

3. 吉垣克己先生の純粋一途な生涯

 中学・高校時代は、瑞々しい感性や将来の夢を育くむ重要な時期です。
 多くの著名人は、この時期に決意した思い・夢に向かって努力を傾注して偉大な仕事を成し遂げていきます。 また多くの人が、著名人の自伝や青春記などを読んで刺激を受け、自分の夢・将来像を固めていきます。したがって古今東西の文豪の名作に触れる国語教育は、人間形成の上でとても重要な教科です。
 しかし現代日本の受験勉強主体の高校教育、特に国語や歴史教育は、その重要な役割を果たしているでしょうか・・・50数年前の私の高校時代を思い返しても、何とも無味乾燥で面白くもなく、その後の人生には殆ど役に立たない無駄な時間だったような気がします。
 そういう中で、高校3年の古文の 吉垣克己先生』 だけは、何故か今も心に残る素晴らしい先生でした。 その思い出をブログ掲載しましたが、何と不思議なことに、その後1か月間にインターネットで 『吉垣克己』 と検索した方が二人もいて、ご両名からメールが届きました。

 その一人は、吉垣克己先生の三男(元高校国語教師の吉垣滋先生)の娘さんです。なんと克己先生と滋先生の親子が高校国語教師だったわけです。 克己先生は40年前に(享年73歳)、滋先生は2年前(享年72歳)ご逝去されました。孫娘さんは、2年前に滋先生と祖父の克己先生の膨大な蔵書等を整理され、最近何気なくネットで調べて私のブログがヒットしたらしいのです。

 もう一人は、文学好きな現役都立高校生です。古本屋で『新訳 詩抄(著者 土岐善麿)』を買ったところ、「昭和四十六年 吉垣克己」とサインがあり「一体どんな方だろう」とネット検索して私のブログがヒットしたということです。今は知る人も少ない「土岐善麿」という明治~昭和の日本文学大家の著書を買い求める現役高校生がいることに心底驚きました。恐らく2年前に吉垣先生の孫娘さん達が処分された 祖父・父親の蔵書の中の『新訳 詩抄』が東京の古本屋の店頭で売られていたのでしょう。吉垣克己先生のお陰で 多感な文学青年との交流ができた訳です。
このお二人との出会いは、吉垣克己先生が40年を超えて引合わせて頂いたご縁! と心から感動を覚えています。

 吉垣先生の孫娘さんからは、祖父の克己先生が古希を記念して出版された珠玉の 『童謡集』 と、父親 滋先生の自伝的名作 『カラスなぜ鳴くの』 を送って頂きました。素晴らしい内容なので、皆さんにも是非お知らせしたいと紹介するものです。

1.『童謡集』 (吉垣克己:作)  
表紙・挿絵は ご長男:一郎さんの作品です

「時計の中」
小さな銀の うで時計     
お耳にあてて 聞いてみりゃ

時計の中は いい日より    
誰かが かけっこやっている

とても元気な ユニフォウム    
チクタク チクタク 駈けている
   
 
「花」
ばらはきれいな お姉さま    
赤いリボンで 結びましょう

ゆりはやさしい お母さま      
銀の花瓶に さしましょう

ボンボンダリアは 赤ちゃんよ 
かわいい顔です 見てごらん


「天使」
子供がひとり 死にました     
かあさんと別れて 行きました

けれども天使が 下りてきて   
子供をやさしく 抱きました

 よい子よ泣かずに いらっしゃい
 きれいな花の 天国に

 かわいいスミレの 花束も     
 一緒に抱いて 行きましょう

 天使と子供は 夕ぐれの      
 光の中を 飛びました

「お爺さま」
お爺さまは 石が好き    
じっと見てます 窓の中
「石はいつでも 美しい」  
雨にぬれてる 庭の石

お爺さまは 本がすき    
きちんとすわって 読まれます
「百年昔の 本ですよ」   
虫のつづった 古い本

お爺さまは お茶がすき    
お茶をのみます えんがわで
 「うちの番茶も いい香り」  
大きな湯呑みに 梅の花
   
「夏」
夏は何処からやってくる
金魚屋さんのかついでる  
金魚金魚についてくる

夏は何処からやってくる
冷しい風を吹きたてて       
郊外電車にのってやってくる 

夏は何処からやってくる
「いい天気ですね」と 日曜日  
中野のおばさんといっしょに来る
   
「はなの 名」
いちばんはじめに はなのなを     
かんがえたひとは だれでしょう
それは やさしいおじいさんか   
それは きれいなおばあさんか

あなたのなまえは チューリップ  
あなたの名前は パンジーよ
バラに アネモネ ヒヤシンス   
カーネーションに スイトピー

かわいいなまえを 一つずつ    
だれかがはなに なまえをつけました
   
「きつね」
むかしのきつねは ばけました   
かたなをさした おさむらい 
きれいなふりそで おひめさま   
ぎょうれつつくって およめい
ちらちらちらつく ひでりあめ
     
いまのきつねは ばけません    
どうぶつえんの おりのなか
こどもがわいわい さわいでも    
おひるねしていて いいきもち
おひるのサイレン なっている
   
2.『童謡集』 あとがき (吉垣克己先生の生涯童謡作家の系譜)
(10代) 
16歳の頃、詩人の野口雨情氏が延岡で講演され面会することができた。 
声楽家の権藤円立氏の御宅であった。有名な民謡、童謡詩人であられた雨情氏にお目にかかって、直接お話を聴かせていただいたということは、子供ながらに大変うれしかった。そこには作曲家の藤井清水氏もおられた。この頃が私が童謡を作り始めた出発点であった。
その後、九州新聞の新年文芸に応募した私の童謡が、野口雨情氏や西条八十先生の選で入選し,西条先生からは大いに褒められて、少年らしい誇りを感じたものである。
そのころ雑誌の 『赤い鳥』 『童話』 などを愛読していた。赤い鳥に発表される北原白秋氏の童謡は、真先に楽しんで読んだ。
興田準一氏、巽聖歌氏らは、その頃の赤い鳥の優れた投書家であった。あの頃の赤い鳥には、郷愁のような懐かしさを感じる。雑誌 『童話』 の方には、西条先生と、島木赤彦氏が、毎月童謡を発表しておられた。投書家として良い作品を出していた人に、島田忠夫氏、金子みすゞ氏、佐藤よしみ氏などがあって、私はそれらの人の影響も受けた。
(20代)
早稲田に在学していたころ、早稲田の教授であられた西条八十先生の御宅に初めてお伺いした。柏木の御宅の二階の書斎で、先生は詩の話を色々として下さった。若くして亡くなった金子みすゞさんなどの話もあって、先生は金子さんの遺作のノートを見せてくださった。先生はどこか少女のような感じのする方であるとも思った。 少年の日からの憧憬であった先生にお目にかかったあの日の感激は、忘れることができない。その時書いていただいた一枚の詩の色紙は、いまも私の手元にある。そのころ私は、雑誌 『コドモノクニ』 に童謡を発表した。また 『童話文学』 に毎号童謡を発表した。酒井朝彦氏、千葉省三氏、水谷まさる氏等が主宰していた雑誌である。
(30代)
女学校・中学校の教師をしていて、童謡を書いていたが、スランプの時もあった。私は召集されて戦地に行った。戦火の中に火炎木の真っ赤な花が燃えるように咲いているフィリピンの島であった。
(40代)
類型的な過去の物を捨て、新しい現代のものになっている作品を書きたいと思った。子供の日常語を自由律に生かすことの難しさを思った。そして雑誌 『コドモペン』 に投稿した。
(古希を迎えて)
追憶の筆をとれば、まことに感慨深いものがある。
私は今、古希の年に達した。50年の流れにある作品の中からいくつかを拾って、ささやかな童話集を作ることにした。(昭和51年2月1日発行:非売品)

3.「カラスなぜ鳴くの」 (吉垣 滋:作) あらすじ
この小説の主人公は現在 病院長で、高校生の頃は、国語だけが苦手だった秀才:睦朗(むつろう)少年です。 高校国語教師をされていた滋先生の実体験に基づく、2人の国語苦手な医学部志望生徒の個人指導記録小説です。
「苦手な国語を何とかしないと医学部入試に合格できない」 と心配する母親から紹介された国語の烏丸滋先生に弟子入りする羽目に・・そして先生の自宅で個人指導を受けることになります。この滋先生が何ともユニークな先生でした。
滋先生は、 『まず国語の何が苦手だったのか? どうやって理解していくのか? 納得していくのか? ポイントは何か?』 と徹底分析・・・最初はただ言われるだけでしたが、段々楽しく、国語をどんどん好きになって成績もあがり、やがて全国模試で国語全国一になります・・・
そして念願の医学部に合格し お医者さまに、そして今は病院々長に。滋先生が一番信頼するかかりつけ医者になりました。 
高校生・大学受験生で国語の苦手な人は、是非Kindle版でご購読をお勧めします。とても面白くて役に立つ本です。)

 終章で、40年の国語教師生活で感じられた危惧が示されています。

国語テロによる日本語破壊がすすんでいる。
文部科学省を始めとして、有名大学や自治体・報道機関各局等へ、密に送り込まれたテロリストたちは、古文・漢文を消し去り、思考力を停止させるセンターテスト現代文のクイズ・ゲーム化で、ほぼ目的を達した。
♠母国語を軽視し、第二言語に流される日本の風潮を悲しく思う。ことごとく日本色を消し去る日本語教育の愚かしさを警告したい。日本人の多くが、無批判、無自覚の他者追随型の生き方を選択しており、日本人みずからが自国文化を滅ぼす道を歩いている。 この流れは簡単には改まらない。だからテスト・ゲームの国語とは別に、「文芸教科省」を設置し、芸術教科を音楽・美術・書道・文芸とし、感性教育講座を設置すべきだ。

この「カラスなぜ鳴くの」は、平成19年に滋先生が自費出版され、平成31年春、電子書籍化される矢先に逝去されたそうです。 心よりご冥福をお祈りいたします。(合掌)

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