2024年10月5日土曜日

3.一隅を照らし続けた男たち

世代交代を支え続けた団塊世代に感謝』

 昭和47年4月に社会人(出光人)となり50年になります。人生80年の活動期大半を出光で過ごし、残りの人生は10年前後となりました。その私の会社人生の中で一番印象に残っており、思い返していつも胸が熱くなる 『退職前4年間のラストミッション顛末』 を紹介します。

 私の入社当時は、北海道製油所建設中で、2年後に愛知製油所と石化千葉工場の建設を控え、約1000名の大採用となり、入社式も明治神宮参集殿に収まりきらず白金の迎賓館でした。 私は千葉動力課で約6年間の交替勤務、S54年度新入社員の教育担当を契機に人事部分室勤務となりました。 鬼の上司として有名だった吉田保之さん(のち副社長)から、『君たちは数は多いが “玉石ならぬ石石混淆”だ(玉がない)』 とよく揶揄されました。

その頃与えられた長期課題が、『団塊の世代が退職する頃の出光らしい福祉制度を考えよ』 と気の遠くなるようなテーマでした。店主の膨大な書籍を何回も読み込み、ヒントになりそうなことを片端から切抜きして整理し考察しました。しかし大した提言にはまとまらず、時折チェックされる吉田さんからは、『お茶漬けサラサラだ!』 と酷評されました。一年かけても大した検討・提言はできませんでしたが・・・30年後退職前の4年間のラストミッションとして、まさか私が本当にこの仕事を担当することになるとは夢にも思いませんでした。この中で定年問題を考え、いまも強く印象に残る店主の言葉は、次の二つです。

『定年は心の中にあり。錆びついたと思ったら自ら歯車から外れよ』

『人間の一番の幸福は、死ぬとき“価値ある人生だった” と思えること』

S32の徳山製油所建設に始まり、S50年の愛知製油所で一段落した技術陣採用ですが、出光の製造現場では、S36・37生、S46・47・50生の団塊の世代、とりわけ全国から集められた優秀な工業高校卒の運転・保全員が重要な中心戦力で、高度成長期もオイルショック後の停滞期も、バブル崩壊・リーマンショックの不況期も力強く乗り切れたのだと確信しています。出光佐三店主が「白紙の力」 と言われた彼らは間違いなく 『一隅を照らす出光の宝』 でした。そして10年前から最近までの世代交代期に積極的に勤務延長して、戦力不足補完や後継者育成に貢献し、70歳まで活躍するのが当たり前になってきました。(吉田さん、 “S47生は石石混淆説” は、彼らに対して大変失礼でしたね。)

私にとっての出光は、40年勤務で異動16回 ・転居12回(うち単身3回)、技術部門25年・人事部門15年と、本当に人使いの荒い会社でした。しかし『万事塞翁が馬』です。30年後退職前の4年間のラストミッション 『大量採用計画・円滑な世代交代推進、退職前の第二の人生準備セミナー』 の困難な課題に、この多様な職務経験が最大限活用できました。

今回は、10数年前の厳しい世代交代期を振返り、60歳以降も出光を支え続けた仲間達に感謝するとともに、今後の更なる活躍へのエールです。

1.5年遅れていた運転・保全員採用(平成20年時点)

リーマンショック後の「聖域なき全社コスト削減方針」で各部門人員削減推進の中、運転部門の分社化(操業分業分担)を進めていた製造部は、北海道製油所連続大火災事故の反省から、長谷川部長が分社化を撤回、本来の運転体制続行が決まりました。しかしこの間5年間の採用遅れとなり、今後毎年100~150名の新規採用が10年間は必要な切迫した状況でした。 私は備蓄会社の総務課長から製造部人事企画へ急遽異動となりました。「大量採用再開、長期の人件費大幅UPは、社長や役員会への説明が不可欠ですので、本社に寝泊まりしながら、事務系の重役にも分かりやすい簡潔な人員計画資料を作成・推敲しました。約一年間部内会議で説明を重ねましたが、長谷川部長から交代した新部長は、手を変え品を変え説明しても戦略共有化ができず、私は心身ボロボロになりました。 先の目途が立たない私は、「57歳役職者退職制度」を使い、優秀な後任者と交代すべく退職届を出しました。 

2.「50歳代研修」4年間推進で、勤務延長希望者20%が 70%以上に

 そのとき最期のミッションを与えてくれたのが、当時の人事部木藤次長(現社長)でした。「これから大量採用が続く。 教育・育成すべき団塊の世代が大量退社すると、未熟な運転保全員だけになり事故故障が多発する。 しかし世界一の少数精鋭で運転してきた団塊の世代は、心身ともに疲れ切っており、現状60歳代勤務延長を希望する社員は20~30%程度しかいない。これを50歳代研修で70%以上になるように意識変革してもらいたい」 という困難なミッションでした。 

しかし 「これこそ自分にしかできない仕事かもしれない!」 と受止めて引き受けることにしました。そして人事部教育課で2年、千葉製油所人事課で2年の計4年間、延べ46回(本社10回、北海道2回、愛知4回、徳山10回、千葉20回)合計約600人の50歳代研修を担当しました。『誰しも避けられない60歳以降の歳以降の生き方=充実人生を考える研修』 ですので、次のような具体的内容にしました。

➀肩肘張らずリラックス、同世代が本音で話合う研修

➁徳山以降の事業拡大と人員・年齢推移と人事戦略課題

③今後の大量採用と人員能力パフォーマンス推移と問題点

➃「60歳退職の公的年金受給or勤務延長」の経済比較

⑤生涯現役を生きるOBの具体事例の紹介

⑥「仕事人間から奥様大事へ態度変容」(21時~奥様ノロケ談懇親会)

大半の受講者が「60歳で勇退する」つもりで参加していますので、開講冒頭で『参加者に経営者意識を持ってもらう=夫々が技術陣危機を迎えた製造部長か人事部長になってもらう』ように工夫しました。そして前年製造部でボツになった資料を最大限活用しました。以下は、その時の資料の一部です。OBの方は現役時代を振返る材料に、現役の方は 「人が資本の事業経営と将来を考える一助」 として頂けると有難いです。

3.開講の環境認識共有化 「戦後の事業展開と人員構成の課題」

「私達が今迄生きてきた50数年間を振返るとアッという間ですが、色々な出来事がありました。その背景には終戦後の日本の奇跡的経済復興と、それに伴う出光の発展、そして停滞期、さらに世代交代期が待ち構えています。冒頭のPP図は、私達が共通に歩いてきた歴史を分り易い絵で表現できないかと作ったものです。一番上の帯は日本の経済状態を表します。社員にとって出光の一番重大な歴史は、終戦で全てを失い社員9割を占めた海外からの800名の復員に際し家族の首は切らないと1名のリストラなしで乗切られた店主と大先輩達の歴史です。


 いま100年に一度の世界大混乱期と言っても、この時の苦難からすると全く大した事はないと店主は言われるでしょう。高度成長期に徳山・千葉・兵庫・北海道・愛知と建設が続きましたが、オイルショック後の失速経済で、昭和50年の出光愛知製油所建設以降、国内で新たな製油所建設は全くありません。この高度成長期にS46が600人、S47がが1000人、S50が800人と大量採用しましたが、S55以降は不況定着で10年間採用停止 (工高卒は24年間停止)となりました。 他社が極端なリストラを進める中、馘首のない出光は「勇退補充なし」で乗切り、高度成長期 10,000人 だった従業員を現在6,000人でやれる会社にしました。その間世界一少人数精鋭のPEを達成し安全安定・高効率運転を実現しました。」 

「しかしその優秀なベテラン社員もS47が57歳、S50が54歳と直ぐそこに勇退時期が迫ってきています。そこで5年前から世代交代を睨んだ大量採用が開始されましたが、高度化・複雑化した運転現場の技術伝承は一朝一夕にはできません。世界一少数化された職場でベテラン社員は多忙を極め、折角入ってきた若手社員の指導・育成する時間が確保できない・・タイムリミットはとっくに過ぎている・・という深刻で困難な問題となっています。

更にリーマンショックで採用に歯止めをかけなければならない経営環境で2011年度PEME採用は必要人数の1/3となってしまいました。これが困難な問題を更に深刻にして、2012年度以降この分も増加して毎年100名以上採用しても技術伝承・育成期間がとても間に合わない事態となっています。苦しい経営状況が続く中、業務廃止や効率化など、地道な取組みによって必要人員を減らし、支店体制抜本見直し(本社一括仕切りで640人⇒200人体制へ)や、石油化学の本社機能の再編など、思い切った機構改革が、これから断行されて行きます。一方、人員増強を図る部門=潤滑油、アグリバイオ、資源開発、新規事業部門などは、少数化を進める部門から人員再配置・増強を実施していくことになります。」

4.平成22年中期経営計画 【支店体制等抜本的見直し】

『燃料油販売640名を195名(70%減)で本当にやれるのだろうか?』

7,000人を5年間で2,000人減らしても会社は成り立つのだろうか?』

今まで聴いたこともない大胆な中経に、私達は素朴に不安になりましたが、現在の燃料油需要の激減や石化の韓国・中国・台湾等へのシフト等の経営環境激変で、これぐらいの大改革を断行しないと生き残れないという経営判断でした。支店はなくなり本社一括の販売体制になり、燃料油販売だけでも640名が195名の体制となり、445名が新たな職場への配置転換となります。また事務部門で60歳代勤務を希望する人が多数を占めると、新規採用は今まで以上に困難となるため、高齢化は進行し後継者は途絶えたままとなり若返りは極めて困難です。従って、今の40~50歳代の山がなくなるまで『事務系の60歳代勤務は厳選する(実質的に60歳定年)』と予測されます。今回の新人事制度は、こういう出光の支店経営・事業形態転換に基づくものであり、私達はこの厳しい環境を良く理解する必要があります。

5.平成22年中期経営計画  【製油所・工場の人員体制】

他方、製油所・工場はこの支店とは全く正反対の状態にあります。運転IP委託化方針、そして方針撤回というジグザグで運転保全員採用が5年以上遅れており、2006年から開始された大量採用もその後の経営難で縮小せざるを得ず、最大の団塊の世代S47入社の大量勇退を間近に控え、次の2大方針を堅持する必要があります。

2012年度以降PE採用を毎年100名以上10年間堅持する

S47~55年入社のベテランPEを、少なくとも65歳(厚生年金満額支給)まで70%以上勤務してもらい、戦力ダウンを最低限に抑える

この脅威は人数のみで考えると実感が沸きません。人間の能力、技術対応力で見る必要があります。一つの指標として能力パフォーマンス (各人の成長度ステップと人員の乗数の総和) で評価してみました。各人の成長度は『入社10年で直長クラスになる』 としましたが、現実的には、受持つ装置は大規模でDCS等の要求される技術レベルは高度であり、実際は2倍の20年の育成期間が必要です。

 この1/2の甘い条件で現在(青線)、5年後(ピンク線)、10年後(赤線)の人的能力パフォーマンスを現したのが下のグラフです。「現在(青線)」の右側高いパフォーマンスの山を示す団塊の世代が60歳で退職した場合、10年後には技術力の低い集団となってしまう事が一目瞭然です。従って大量採用するとともに、その『若い団塊の世代を鍛えスキルアップする師匠達』を確保するために、団塊の世代の60歳代勤務は必要不可欠です。しかしベテランは長い三交代勤務に疲れ切っており、60歳以降も働いてもよいという割合は20~30%しかいません。

本社製造部長や課長たちにこういう危機感を説明しても反応はなく、いわゆる 『人事(ひとごと)』 でした。唯一人事部木藤次長は深刻にとらえ50歳代研修で意識改革が必要!』と私にラストミッションを与えてくれました。1泊2日の研修でしたが、勝負は開講冒頭の問題意識共有化であり、この『人的能力パフォーマンス推移表』 が私の切り札でした。これをみて危機感を待たず心を動かさない出光社員はいません。



6.エピローグ

 4年間で延べ46回実施した 『50歳代研修(エバー・フレッシュ・セミナーと命名)』ですが効果は絶大でした。研修冒頭の「出光の事業展開歴史と人員・年齢の変化」の話は、普段聴くことのない話ですが、夫々が『40年間出光で働いてきた自分の役割・存在の重さ』であり、みんな目を見開いて受講しました。一泊二日の研修期間中居眠りする受講生は、600人中1人もいません。その結果、スタート前は20~30%程度だった60歳代勤務延長希望者は、四年後には70~80%となり、最近では70歳を超えて勤務するケースも増えています。

以前は、「出光に定年制はない」と言っても、60歳で退職するのが慣例となっており、実質的には60歳定年でした。そして厳しい環境から20数年新規採用をやめ自然減員を図り、いびつな人員年齢構成課題を先送りしてきた対応から、いよいよ真正面から取り組まざるを得ない重要局面となりました。そして店主が言われていた「出光に定年制はない。錆びついていない限り生涯現役だ!」を実現するドライビングフォースとなりました。更に年齢的に厳しい勤務延長に取組み始めた諸先輩の姿を見て、あとに続く社員も、当たり前のように60歳以降も勤務するようになっています。 彼らこそ伝教大師の 『一隅を照らすは国の宝なり』 を身をもって実践してきた素晴らしい国の宝たちでした。

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