2024年10月5日土曜日

3. 理想のリーダーと芸術 (下山さん)

                     Rev.)   2023年8月9日

戦前ABCD包囲網の経済封鎖で戦争に追い込み、敗戦後の占領政策で日本極悪論で洗脳された日本を、再び世界の舞台へと導き、不世出の指導者として期待され尊敬されてきた安倍元首相が凶弾に倒れて一年以上経過します。

そういう中でロシアのウクライナ侵略、中国の専制独裁・台湾進攻目前、アメリカの内政混乱・・日本を取り巻く世界情勢は激変し、増々危機的状況を呈しています。また核を保有し小型化が進んでいる北朝鮮は、ミサイル開発を高度化し1300発以上の中近距離ミサイルが全て飛来すれば日本は壊滅します。 中国の台湾進攻と連動して必ず朝鮮統一戦争を仕掛けるでしょう。 ・・頼みの米国バイデン政権は国内分断で不確定要素が多く、老人特有の意志薄弱で決断・判断力が鈍く、環境問題最優先で対中国弱腰・接近懸念(いつか日本を見捨てて中国と手を握る)が払拭できません・・

そういう中で、日本は今こそ力強いリーダーのもとで一致結束すべき時です。安倍元首相亡きあと、岸田内閣がウクライナ悲劇を見てなお『中露朝が核兵器増産にひた走るなか、専守防衛・核廃絶・非核三原則などの脳天気な夢物語に執着している・・』と日本の現状に危機感を抱く若者が増えています。これからは日本を取巻く危機的環境に目覚め危機意識を持つ若者が主役になるべき時です。そして今こそ私達一人一人が困難な問題を人任せにせず諸問題の本質を見抜く目を磨き、あらゆる場面で リーダーシップ・メンバーシップを発揮し、国民全員が安心・安全で暮らせる社会となるように、一致協力して努力する事』 が求められています。そこで今回は 『目指すべき理想のリーダー』 がテーマです。

リーダーシップについては、古代ギリシャ時代から色々と論じられていていますが、1964年にブレイク(R.R.Blake) とムートン(J.S.Mouton) が提唱した 『マネジリアル・グリッド論』 は45年前頃に日本に紹介され普遍的リーダーシップ行動論として定着しています。 この理論では行動スタイルを「人間に対する関心」  「業績に対する関心」 という2軸に注目し、それぞれにどの程度関心を持っているかで各軸を9段階に分け、ここに出来る計81の格子(グリッド)をマネジメント・グリッドと称し、典型的な5つのリーダーシップ類型(11型、19型、91型、55型、99型)に分類しました。 世の中が不安定になると9111が幅をきかすようになり注意が必要です。 この中で最も理想的なリーダーは99であり、私達が目指すべき姿です。

 このマネジリアル・グリッド理論が理想とする 9・9型リーダーの典型が下山さんです。 今回は下山さんのエピソードを紹介し、『時代が変遷しても変わらずないリーダー像』として、皆様が目指す理想のリーダーの参考としていただきたいと思います。

  43年前、私が漸く現場の仕事を任されるようになった頃、大変なボイラ事故が発生しました。 現場巡回点検が終わり夕食をとり、日勤者は帰宅して運転員がホッとしている21時ころ突然、ドドドーと火山噴火のような大音響が発生し、計器室にいた者は全員、身動きも出来ず、その場に凍りつきました。『一体何事が起きたのだ?』と思う間もなく現場から 平田さんが飛び込んできて『ボイラ事故だ!燃料遮断!』 と大声で叫びました。 この平田さんの沈着冷静な判断で二次災害は食い止められました。

 下の絵は、この時の水管ボイラを模式化したものです。 事故の原因は、気水ドラムの液面を制御している水面計器の内部機構が固着し、液面が無くなったにも拘らず液面あり“ の指示を出してボイラの水が無くなり(=空缶)、水管が直接燃焼炎に焙られ、開孔噴破して高温高圧のボイラ水が爆発的に噴出したものでした。   液体の水は蒸発すると1000倍以上の体積になります!

 事故後、この気水ドラム液面制御の不調時間が割り出されました。 
丁度、瀕死の患者の波打つ心電図が心拍停止で一直線になる様に、噴破前15分間は一直線となっていました。(15分間の無監視が問題になりましたが、沢山の計器に貼付いて監視する訳に行かず、その後の技術革新で、計器指示がこのような動きを示した時は、計器スティック故障として自動的にアラーム発報する様になっています。) 

 翌日、大変な事故が起きたと思う一方で『計器の故障では仕方ないな・・・』と心の中で思い始めた頃、所長スタッフの下山さんがやって来て、運転員一人ひとりと面談し厳しく詮議しているという話が聞こえてきました。『課長でもないのにこの人は何だ?』と思う間もなく自分の番が回ってきました。

  『オレは約1週間ほどボイラ担当ではなかったから火の粉は飛んでこないな・・・』 と思っている私の心を見通す鬼のような怖い目で、下山さんは厳しく問い正しました。

『お前は、今回の事故は自分に関係ないと思っているな? それなら聴くが1週間前はボイラ担当だった筈だ。その時、今回故障した制御用計器と現場水面計の指示差はどれくらいあったか? 完全に一致していたか?  なに? そこまで見ていない? それで仕事をしていると言えるのか?』

その時、『この下山さんは事故責任追及(=犯人探し)をしているのではない。一人ひとりの仕事の取り組み姿勢を正そうとしているんだ と悟りました。 この時一瞬にして、9・1(権力)型だ と思っていた下山さんは、9・9型だと思うようになりました。

 その後下山さんは係長となられ、仕事は厳しく 『鬼山さん』 と呼ばれましたが、人間面では、まるで家族に接する慈父のようでした。 例えば工場は夜昼なく一年中稼動するので、年末年始に大半の若手社員が帰省できず寂しい思いをしているだろうと、職場先輩家族に声をかけ『独身寮 年末餅つき大会』を始められました。これは独身寮の大事な行事となり、その後更に若い寮生が中心となって年末に孤児施設を慰問 (餅つき・ゲーム遊び・バンド演奏等)の企画へと発展して約30年間継続され毎年施設の子供達は、この日を楽しみにしています。 

下山さんが20歳代の若い頃のエピソードをもう一つ紹介します。 

群馬の実家へ帰省途中、JR(当時は国鉄)で事故があり、列車がある駅で立往生となりました。駅構内も駅前広場も大混乱で、路線バスが溢れる人垣でビクとも動けなくなっています。それを見かねた下山さんは、やおら近くの人に自分の荷物を預けてバスの前に立ち、大声で『みんなどけーっ!前を開けろー!』と叫びながら、相撲の土俵入りのように、右、左 と片手を上げながら進みました。 すると下山さんが手を上げるたびに、その方向の人垣がササッと道を広げ、バスはゆるゆると動けるようになりました。 人垣の中からは 『カッコ良イ!』 と掛け声がかかったそうです。

  私達は、こういう場面に遭遇した時、中々このような立派な行動は出来ません。 それ以来 『一体どのような訓練を積めば、下山さんのようなリーダーシップが取れるようになるのだろうか』 と考えます。 唯一思いついたのは、『常日頃から色々な非常事態を想定して、どんな時でもパニックに陥ることなく、沈着冷静な判断と行動が出来るように、自分を鍛錬し訓練しておく事が大事』 という事です。
 東日本大地震の際、釜石小学校の生徒達が、日頃の真剣な訓練どおりに行動して、ほぼ全員が津波にさらわれず助かったという 所謂 『釜石の奇跡』 が、常日頃の真剣な訓練の大切さを教えてくれました。


下山さんは退職後北海道に定住され、長年の夢であった水彩画を始められました。 そしてめきめきと腕をあげられ5年目から上野の展覧会で連続入賞されるようになりました。 テーマは40年以上一緒に暮らしてこられたお義母さんの日常の姿 です。

  絵画展の最高顧問の先生から 『この作者は20年以上描いて研鑽している。この刺繍をしているオバアチャンの肩から腰にかけてのなだらかな線は、この作者が如何に家族に愛情の目を注いでいるかを余すところなく表現している。』と、最高の賛辞で絶賛されました。『本当は5年しか描いていないんだけどな・・・』と、下山さんは首をすくめながら告白しました。 

今その優れた才能を見込まれ、統合失調症者デイサービスで水彩画教室を開いておられます。『かなり症状の進行した人が水彩画に取組み始めてから見る見る症状が改善して来るんだよ!』 と目を輝かして話される下山さんは、『加齢を超越して、生涯9・9型の理想的リーダーだ! と畏敬の念を新たにしています。
       
【追記
】長年一緒に生活されたおばあちゃんは、20121020日逝去されました。 下山さんご夫妻に見守られて安らかな旅立ちだったと聴きます。 本当に優しかったおばあちゃんのご冥福を心よりお祈り致します。(合掌) 
下は、そのおばあちゃんとの思い出の『追想』です。













【追記 2013年秋の日輝展(東京都美術館:上野)でまたもや上位入選(三上賞)されました。今回は北海道の原野で逞しく生活されている大岸さん愛用のカナダ製 本格的 『スノーシュー』 雪景色ながらお二人の熱い友情が伝わってくる心温まる作品です。 

【追記 201311月中旬、おばあちゃんの1周忌を終えた下山ご夫妻は、久しぶりに長期旅行されました。故郷の群馬桐生から北へ、渡良瀬渓谷から日光へ抜け会津へ、更に東北へ・・・本当に楽しい旅行だったそうです。
しかし、何とその1か月後に、奥様が突然急逝されました。 近くに住まれている旧友の大岸さんは、その頃の下山さんを 『あまりに気落ちしていて、あわれで声がかけられない状態だった。』 と述懐されています。 そういう辛い日々の中で、『もう一度二人の思い出の場所を巡り歩いてみよう!』 と思い立ち、ひとつひとつを号泣しながら辿られました。 そして沢山の涙を流すうちに心の重しが取れていったそうです。
 2014
年の日輝展の作品は、昨年最後の夫婦旅行された時の一番の思い出の場面で、大事な奥様を失った悲しみの中で描かれた『上州長尾根の里』です。下山さんの故郷の稲藁積。奥様が大好な風景だったそうです。 水彩画と思えない程、稲藁の一本一本が光り輝き、下山夫妻が最後に一緒に眺められた鮮やかな思い出が凝縮されており、本当に仲の良かったお二人の暖かい夫婦愛が伝わってきます。上野の日輝展の200点強の出典作品の中でも別格の印象深い作品でした。






















【追記 2015年度日輝展で優秀賞受賞の作品は『軒下』 です。
 通りがかった古い農家の壁に放置され壊れかけた二つの木桶、そこから目が離せなくなって、『よし!今年の出展作品はこれだ!』 と製作を始めたとのことです。  凡人の私は、電話でその話を聞いたとき思わず 『えっ!そんなものが絵になるんですか?』 と口走ってしまいました。しかし東京都美術館で作品を観て、下山さんが立ち止まって目が離せなくなった訳が理解できました。
 味噌樽か漬物樽として『長年黙々と働き続け、役割を十分果たしたものが放つ "輝き、存在感、満足感、安らぎ" 下山さんは、そういったものを感じとり描きたいと思われたのでしょう。身の回りの全てのものに感謝し、感動の目を向けられる下山さんの生き方が伝わってくる作品です。

【追記2016年度日輝展でグランプリ賞の作品は『登り窯への径』です。
 キャンバス60号(100×130cm)の大作です。登り窯そのものではなく、陶器を出し入れしたり、焼き具合を管理するための作業径を題材にされています。主役ではなく、それを支える構成物=作業道を雨露から守るために敷かれた古瓦一枚一枚にまで、賞賛と労りの眼差しが向けられています。『どのような境遇にあろうとも、何らかの役割を果たし、一隅を照らす!その心意気を忘れるな!』という声が伝わってくる入魂の作品です。





【追記2017年度から日輝展は5年間、3月最終週に開催となりました。
その最初の展覧会で下山さんは、いきなり「文部科学大臣賞」受賞です。

 赤煉瓦の建物の前に止められた婦人用自転車に温かく降り注ぐ太陽光と壁の影。白い車体とスポーク一本一本まで磨き上げられた持ち主の愛車を愛する心が見事に表現されています。『これが水彩画なの?』と、思わず驚嘆してしまいました。

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