新刊「大学を出ていない僕がゼロから高等学校を創っちゃいました」に心打たれました。不登校児数が年々増加しています。文科省データでは、2020年度19.6万人、2023年度には34.6万人になりました。なぜこんなに不登校が増えているのでしょう? 学校へ行くことは目的でなく手段です。人が社会の中でよりよく行けるようにする手段。だから在籍している学校が合わないのであれば、無理やり通わせず、合う居場所を見つけてあげればよいのです。合う場所が見つかり状態が変化すれば、『合わない、行かない』が『合う、行く』に変わります。
酒井さんが50歳代になって取り組んできたのは「不登校の子が、自分で選んで来たいと思ってくる場所(サポート校、通信制高校)」を提供し広げていくことでした。
酒井秀光氏(成美学園グループ会長)は、1955年宮崎県都城市生まれ。尚美ミュージックカレッジ専門学校を卒業後、演奏活動を続け、1984年千葉県茂原市に酒井音楽教室を設立。2007年通信制高校サポート校「成美学園」を開校。同校は、2009年千葉県の技能教育施設として認可され、関東一円に25ヶ所のサポート校を開校しました。2015年福祉事業部を立ち上げ、放課後等デイサービスと、就労移行支援事業所をふくめて13事業所を開所。2020年3月成美学園学園長を退き、成美学園グループ会長に就任。日本の教育を変える活動に専念するため、2021年ダイバーシティ・エディケーション協会を設立。2023年成美学園高等學校を勝浦市に開校しました。
1.
生い立ち
酒井さんは都城市生まれ、祖父母の家でシングルマザーの母と4人姉弟で育ちました。幼いころ僅か10日で幼稚園不登校となった内向的な子供でしたが、母、祖母に温かく育てられ、特に優しい祖母の「夢を持ちなさい、夢がかなった時を想像しなさい。夢はかなうから」の言葉を信じ、そのまま生きた70年だということが、全編のエピソードを通じて描かれています。
その人生の中核をなしているのは音楽。小5でギター、小6でドラム、高校はフォークに嵌り高校を卒業すると鹿児島でセミプロへ。ここで出会った吉田拓郎の「音楽やるなら東京へ出ろよ」の一言が、秀光青年の心に火が付き上京します。
2.
青春時代
川崎を拠点にバイトしながら、作曲したデモテープをレコード会社に送り続けますが採用されず 2年があっという間に過ぎます。普通ならここで諦めるところですが、酒井さんは謙虚に反省し「俺はまともな音楽を勉強していなかった!」と、尚美ミュージック専門学校に入学、本格的にキーボードの勉強を始めます。そして友人の紹介のクラブでジャズピアノ演奏するようになり月に50万円(当時の大卒初任給10万円)の生活ができるようになりました。
3.
薫さんとの結婚、活動拠点を茂原市に移す
尚美ミュージック専門学校では、学内一の美人だった薫さんと出会い、酒井さん26歳、薫さん23歳の時結婚します。薫さんは一人娘でしたので養子に入り、それまでの姓:税所から酒井姓となりました。そして4年後、奥様実家の茂原市で音楽教室を始めました。当初22名でスタートした酒井音楽教室は、5年後に200人と生徒数が増えていきました。
大手のヤマハやカワイと競合しても適わないので、酒井さんは差別化し「学校らしさ」を追求、音大受験生を目指す個人レッスンや、ヒップホップダンスなど音楽と相性の良いものを積極的導入しました。こうして生徒数は600人まで増え、それが10年ほど続きました。
4.
「通信制高校のサポート校」への挑戦
そして51歳となった2006年に依頼を受けた通信制高校での講演を契機に「通信制高校のサポート校」の打診が舞い込んできます。「酒井さんがやってきた音楽の力で、不登校の子らを助けてあげてください」というもの、迷いはありましたが事業拡大の予感がありひき受けました。
文科省はこのころ多くなり始めた不登校・引こもりの生徒に対して、高等学校教育の多様化と柔軟化を促進し、全日制ではない支援・学習環境として通信制高校の役割を強化し始めていました。「通信制高校のサポート校」とは、その通信制高校での勉強にも不安があり、ある程度のサポートが必要な生徒向けの補助・支援を行う学校です。
【全日制学校】・・週5日通学が基本。集団学習・活動。3年間で必要単位取得
【通信制高校】・・自宅のオンライン授業が主。年数回スクーリング。自己ペースで学べる
【サポート校】・・通信制高校の学習をサポート。通信制高校を通じて「高校卒業資格」付与
5.
「先ず隗より始めよ」 園長自ら1650kmねばろう会にチャレンジ
2008年通信制高校サポート校「成美学園」を生徒9名でスタート。中々心を開かず、消極的な子など色々な生徒にもどかしさを感じ、「トライすることの大切さを園長自ら実践しよう!」と、故郷の宮崎県都城市から千葉県茂原市までの1650kmを夏休みに歩くことを宣言し挑戦しました。子供たちは「出来るわけない」と冷ややかな反応でしたが、こう教えます「君たちは出来る 出来ないしか考えないが、人生で大事なことは、やりたいか やりたくないかなんだよ!」
そして42日間かけて1650kmを歩き通し、ゴールは生徒たちが拍手で迎えてくれました。彼らにトライすることの大切さを伝えることができただけでなく、酒井さん自身も変わりました。歩きながら自分と向き合い、自問自答を繰り返しているうちに、それまでの自己主張が強い性格に謙虚な姿勢が芽生え、あまり我を出さず相手を受け入れることができるようになりました。
6.
「学費の壁」を打破した放課後等デイサービス
「サポート校は面倒見がよいけど授業料が高い」という声がありましたが、新たな社会的課題に取り組むことで乗り切りました。「放課後等デイサービス=障害のある子供たちに、学校の授業が終わった後や休日に利用できる学習支援の福祉サービス」で、これに国が財政面で支援することを打ち出していました。2015年福祉事業部を設置、放課後等デイサービス福祉事業として「アンダンテ」を開所し4年間で9か所、サポート校も合計8高校に、グループ全体の生徒数は400人を突破しました。 そして千葉県外5県にも事業拡大し、2024年現在 全26校となっています。
7.
そして「通信制高校」の設立!
サポート校は法律上「学校」ではなく、通信制高校で学ぶ生徒を支援する教育施設です。サポート校は「高校卒業資格」を与えることはできず、どうしても通信制高校を持つことが最終目標となります。このために酒井さんは、サポート校事業をスタートして数年後の2011年から通信制高校設立に向け積極的に動き始めますが、沢山の壁が立ちはだかります。
▲「千葉県では新たな学校法人は作らない」と門前払いの千葉県学事課の怪。隣の茨城県ではS高等学校がすぐに学校法人化され開校。全国では20年間に44認可
▲秘策「教育特区」にチャレンジし4回敗退、5回目にようやく学校設立の夢を叶え、2023年4月勝浦に成美学園高等学校開校。2025年5コースに発展・充実しています。
①
音楽芸術コース・・音楽やダンス、美術、映像など芸術分野
②
スポーツコース・・男子野球、女子野球、スケボー、ゴルフ、eスポーツなど
③
大学進学コース・・難関大学を目指し受験勉強立案、自己管理能力の向上
④
自然体験コース・・農業や海洋活動などを通じ環境への理解や実践的スキル養成
⑤
企業支援コース・・ビジネス基礎から実践まで学び、起業家を目指す学生をサポート
8.
「不登校の子が、自分で選んで来たいと思ってくる場所つくり」
成美学園に通う生徒の9割以上は週に5日、毎日通ってきます。通信制だけど、みんな毎日学校に通っているのです。
普通の通信制高校では、全日制の集団学習になじめない不登校や引きこもりや軽度の発達障害の生徒が学びますので、自宅でのオンライン学習が主体となります。こういう子は、普通の学校になじめなくて、自分を「無理だ」「ダメだ」と諦めているケースが多いのです。しかし「人生で大事なのは、自分の未来を信じ、自分の可能性を信じることができること」です。そのための舞台を成美学園は用意・提供しています。
かって幼い秀光少年が幼稚園に10日間しか通えず実家に引きこもったとき、お母さんやおばあちゃんが暖かく見守り伸び伸びと育ててくれました。やがて秀光少年は音楽で身を立て、その音楽を通じて、世の中の「引きこもり、不登校の子供たちに安心できる居場所、自分発見の場を提供すること」がライフワークになり、それが70歳のいま花開きました。
9. 「なぜ不登校が増える?」本当の理由
文科省のデータでは、不登校児数は年々増加しています。2020年度19.6万人、2023年度には34.6万人になりました。なぜこんなに不登校が増えているのでしょう? 長年この問題解決のために取り組んできた酒井さんがたどり着いた結論は次のことです。
▲日本近代化で150年前に作られた「学校システム=同調教育」の限界」
明治維新当時の日本は近代化が急務で、国全体として産業を発展させる必要がありました。 そのために、基本的な読書きや計算ができる労働力を効率よく育成し、国民を均質化すること「みんなと同じ」が求められました。いわゆる「同調圧力」です。
しかし時代が進んだ現代は状況が変わり、多様性や個性の尊重が重要視されてきています。それにもかかわらず学校には「150年前の価値観=同調圧力」が残っています。「このことに違和感を覚える子供が増えてきているのが、不登校が増える原因ではないか・・」と酒井さんは捉えます。
10, コロナ禍が促した価値観の転換
同級生と足並みをそろえるのに疑問を持ち、自分らしさが認められないと感じたりする・・即ち、自分が強いられる環境と、自分の感じる心にギャップがあり、学校に行くのがつらい・・これは人間として当たり前のことです。
これが2020年に始まったコロナ禍で、ヘドロのように溜まっていたものが一気に流れ出しました。それまで違和感を感じながらもイヤイヤ登校していた「苦登校」の子供たちが、学校に行かなくて良くなったので解放されました。
11.「不登校は問題でなくて、状態です」
学校へ行くことは目的でなく手段です。人が社会の中でよりよく生きるようにする手段。だから在籍している学校が合わないのであれば、無理やり通わせず、合う居場所を見つけてあげればよいのです。合う場所が見つかり状態が変化すれば、『合わない、行かない』が『合う、行く』に変わります。150年続いている日本の教育システムは基本的に素晴らしいものがありますが、歪も大きくなっています。その一番の犠牲者が不登校の子供たちです。
「同調教育=みんなと一緒でなければいけません」という一方で、「主体性教育=主体性を持って生きましょう」と相反することを同時に言われたら子供たちは混乱します。学校の先生方はこの矛盾に気づいていないのではないでしょうか。
12. 文科省は不登校の子供たちの居場所(通信制高校)を増やす努力をしている
通信制高校は2025年度332校になり、私立高校では5人に一人が通信制に通っています。もはや通信制に通う子は決して特別ではありません。生徒それぞれのライフスタイルに合わせた学び方を提供できる学校が増えていることは、とてもいいことですね。
成美学園もその一端を担っています!
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